1-4 お節介

 蒸気機関が発明されたのは、何年前の話だったっけか。


 食わせた黒石の分だけ力を作り出すシステムの誕生は、文明の節目とするに相応しい発明だったと思う。

 それまでの常識を覆して、壊して、歪みをもたらしながらも、人々の生活は、確かに前へと進んだ。

 その象徴が汽車だ。

 鉄の箱が人や物を乗せてレールの上を駆けるようになり、街は大きく発展した。


 しかし、光が強まれば影は濃くなるもの。


 表の通りから外れた、道もろくに整備されていない貧民街には、華やかな表世界から弾き出された貧困層がひしめいている。どの国、どの町でも同じことだ。都会であれば尚のこと。

 俺が練習場にしているのは、そうした貧民街の一角にある、使われていない古びた教院の中だった。外から見られることはないし、広さも申し分ない。


 ――時間にはどうにか間に合うか。

 日課を終え、その教院を後にした俺は、赤く染まり始めた空を見上げながら歩みを速めた。

 つん、と異臭が鼻につく。廃材で組み立てられた家々が寄り添うように並んでいる。時折すれ違う人々は、例外なく薄汚れた古着に身を包んでいる。

 ここいらは法よりも、住民たちが構築した独自の決まりごとの方が強い。例え貴族の子息だろうと、護衛もなく迂闊に足を踏み入れればただでは済まない。

 俺がこうして因縁を付けられることもなく歩いていられるのは、元々こちら側に近い人間だから。要するに場に馴染んでるのだ。リーフィが一緒だったら、こうはいかない。


 だから、何とも思わない。


「いいから、そいつを寄越せよ」


 十歳くらいの子供をイイ歳をした野郎共が取り囲み、小突き上げ、金を巻き上げようとする光景を見ても心は動かない。どこにでも転がっている一幕だ。


 男が一人、横目で俺を捉えた。あまり見ない顔などと思われているのだろう。構う必要はない。見て見ぬ振りを決め込む。首を突っ込む気はないとばかりに大げさに距離を空けながら、ここでの了解に基づいた徴収現場の脇を、足早に通り過ぎる。


「クソ、放せよ!」


 子供が高い声で喚いた。ほんの少しだけ気持ちが揺らいだ。

 やめておけ。助けてどうなる。その場限りの救いに意味なんてない。報復は後日、助けられた本人に向かう。結局は酷いことになる。だから手は差し伸べない。だが。


「放せ、放せ、放せ! 弟が腹空かせて待ってんだよ!」

「そりゃ泣ける話だが、知ったことかよ。黙って手の中のモノを出しゃあ良いんだよ。その方が賢いぜ。医者に診てもらう金なんざ持ってねえだろ」

「知るか! 嫌だって言ってんだろ! こいつは俺のモンなんだよ!」

「お前、馬鹿か? ここで意地張って何の意味がある」

「うるせえっ! ボコりたいならさっさとやりやがれ!」


 だが――そうだ。

 本人に噛み付く意思があるなら、話は別だ!

 立ち止まり、振り返る。視界に入れまいとしていた揉め事の現場を直視する。典型的なチンピラ共に胸倉を掴まれた子供。声では判らなかったが、おそらく少年。


「さあ、やれよ!」


 少年は歯を食い縛りながら、怯むことなく自分よりずっと大きな男四人を睨み返している。いいぞ、その向こう見ずな姿勢は嫌いじゃない!


「おい。あんたら」


 無遠慮に四人組に声をかけた。


「あン――なんだ?」


 突然に話しかけられた男の一人が、鬱陶しそうに顔をこちらに向けた。


「なンだよ、てめえ」

「俺は、そいつに味方しようと思う」

「は?」

「だから、行くぞ」


 即座に踏み込んだ。少年を囲んでいた四人のうちの一人の顎を、下から掌底で跳ね上げる。ぐるん、と眼球が裏返ったのが見えた。


「何だこいつ!」


 残りの三人が気色ばむ。


「クソチビがあっ!」


 構わず少年と連中の間に体を滑り込ませる。拳を固め、戦いの意志を示す。


「あんた、なんで」


 背中からの疑問には答えず、踏み込んだ。


「野郎!」


 二人同時に飛び掛ってきた。


「フザケてんじゃ――」


 無言のまま、迫ってきた男の腹に蹴り足を叩き込む。

 構え直す暇はない。足を引き戻しながら拳を固めて振り抜く。手応え有り。横から掴みかかってきた二人目の鼻柱を打ち抜いた。そのまま足を払う。悲鳴と共に顔を押さえ、地面に転がった。


「こ、い、つ……っ!」


 腹を蹴飛ばされながらも立ち続けていた男が俺を睨む。解るぜ、その痛み。俺も昼間やられたばかりだ。


「こんな、チビ、に」


 たたらを踏み、結局は倒れた。

 残るは、一人。


「ヤバイ!」


 悲鳴に近い警告。そして金属音。

 振り向くと、最後の一人が懐から黒光りする代物を取り出し、構えようとしていた。拳銃。厄介なものを。そんなものを出されたなら――こっちも引くに引けない。


「ヨソ者が、首を突っ込むんじゃねえよ!」


 体に満ちる幻料ファテを認識した。


 抽出した。精錬した。成形した。固定した。

 赤く揺らめく石の如き小さな塊が、俺の頭上に現れる。


「なぁ……っ!」


 圧倒的優位を手にした筈の男の顔から、血の気が引いていく。


「テメ、創作家クリエイターか!」


 答える必要はない。代わりに男の顔へと指を突きつけた。あれこそが目指すべき標だと示すように。

 途端、流れ出す。

 俺の頭上にあった赤い塊は雪原を滑り落ちるかのごとく男へと向けて動き出した。その様、空を奔る星のよう。


「ヒィッ!」


 男の戦意は一瞬で萎えた。腕で顔を覆い脱兎のごとく逃げ出す。己へ迫っていた小さな流星が直前で消滅したことにも気づかない。その背を追うように、倒れていた他の男たちもふらふらと立ち上がり、散っていった。

 周囲を見回しながら乱れた襟を整え――。


「やっちまった!」


 頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 何してんだ俺! 散々っぱら余計な真似はするなと自分に言い聞かせておいてこのザマか。これじゃリーフィのお節介を笑えない。


「す――げえっ!」


 後ろから驚嘆を浴びた。振り返ると助けた子供が羨望の眼差しを俺に向けていた。ああくそ、なんてわずらわしい。


「あんた、創作家クリエイターなんだな!」


 土だか煤だかで汚れた顔に満面の笑みを浮かべている。


「……ああ、一応な」


 歯切れ悪く答える。


「すげえ! 免許証ライセンス見せてくれよ。持ってんだろ!?」

「嫌に決まってんだろ。なんでわざわざ」

「えーなんでだよ。いいじゃん! 減るもんじゃなし!」


 馴れ馴れしいクソガキめ。一言礼を言ったらどうだ。感謝を期待したわけじゃないけどよ。


「なあ、頼むよ。なあ!」


 催促は止まらない。


「しょうがねえな」


 度重なる懇願に根負けして、懐から免許証ライセンスを取り出して見せてやる。王家の認証紋が記された薄い特殊金属のプレート。そこにはコジロウ・砂条と記されている。


「すげえな! こいつがありゃ、オイラもこんな掃き溜めからオサラバ出来るのかなあ」

「どうだかな」


 そっけなく答える。


「どこに行こうが鬱陶しい奴はいるもんだぜ」

「でも、もう戻ろうとは思わねーだろ?」

「……まーな」


 聡い奴だ。一瞬で元・同類だと見抜きやがった。


「その気があるなら幻料ファテが認識出来るかどうか、調べてみりゃどうだ?」

「んな金あるわけねーだろ。見ろよ、このナリ」


 元は白だったであろう灰色の上着を引っ張ってみせる。まるでサイズが合っていない。


「まあ、コネでもなきゃ無理だよな。俺だって偶然師匠と会えたから……っておい。ベタベタ指紋をつけるな。返せ」


 ケチくせえな、と不満げな子供には構わず免許証免許証ライセンスを取り上げ、懐にしまう。子供子供と連呼しているが、実際のところ俺とこいつの背丈は頭ひとつしか違わない。全ては俺がチビであるが故だ。


「なあなあ」

「本当に馴れ馴れしい奴だな。何だよ?」

「その気になったら、もっとすげえの作り出せんだろ? 聞いた話じゃ、おっきな人とか、ぶっとい槍とか、でっかい動物なんかをドカーンと作っちまうって話じゃねえかよ!」

「大きさにしか興味ねえのか」


 子供らしい発想だった。


「生憎と俺は、まだ修行中なんでな。あれで精一杯なんだ」

「あの、小っせえ流れ星みてえな奴?」

「そうだ」


 俺が得意とする模型モデル【流れ星】スターアローだ。


「なんだ半人前かよ。つまんねえの」


 こいつ。恩人に向かっていけしゃあしゃあと。


「じゃあもしすげーの作れるようになったら、見せてくれよ」

「また会うことがありゃな」


 面倒臭げに言い放つ。

 嘘をついたことに、若干の後ろめたさを覚えた。もし本当に再会の機会があったとしても、大きな模型モデルを拝ませてやることは出来ない。どんなに努力をしても、俺には作れないから。


「それより、お前こそ大丈夫かよ」

「あん?」


 子供が目を丸くした。


「仕返しされるなよ? 思わず助けちまった俺が言うのも何だけどよ。もう少し賢く生きた方が良いぜ。次に会った時はボロ雑巾でしたとか洒落にならないだろ」

「今も十分ボロボロだけどな」


 歳相応の子供らしい笑みが浮かんだ。前歯が一本、欠けている。


「大丈夫だって、そうそうヘマしねえから! あ、それとアリガトな! お陰で助かった!」

「おせーよ、馬鹿野郎」


 ようやく礼を口にした子供に手を振りながら背を向ける。そのまま駆け出した。余計な時間を食った。空もかなり赤い。急がないと集合の時間に間に合わない――。

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