第一章 決意ある流星群

1-1 廃業のススメ


 鳩尾に拳を叩き込まれたのは、汽車から降りた瞬間だった。


「……ぐうっ」


 体の内側を貫く鈍い衝撃を少しでも和らげようと、自然と体が傾いだ。

 雑多な声で溢れ返るプラットホームにけたまましい笛の音が鳴り響く。

 見ると、遠巻きに客の出入りを監視していた車掌が俺に険しい顔を向けていた。

 この野郎、何をふらついてやがる。車輌の継ぎ目から線路に落ちられでもすると俺が面倒なんだ。今の笛はそんな罵倒代わりか。


「ん――っ。これにて任務終了! 久々のルノウハン! 今回は拘束長くって」


 呑気な声が聞こえた。

 一足先に下車した女が俺に背を向けたまま、両腕を突き上げて伸びをしている。


「ねえ、コジロウ。この後どうしよっか。集合時間までは自由時間って話だし、どうせ予定もないんでしょう? 街まで付き合って頂戴――て、ちょっと!」


 腹を押さえて呻く俺を見た瞬間、開放感に溢れていた笑顔が凍りつく。

 鞄を床に置いたまま慌ただしく寄って来ると、顔を覗き込んで来た。


「お腹が痛いの? 何か変なモノ――ああ、ひょっとして! 汽車の中で食べたお菓子が!」

「何でもねえよ。やめろガキじゃあるまいし、みっともねえ」


 背中をさすり始めた手を払いのける。プラットフォームには汽車から降りた旅人と彼らを出迎える待ち人で溢れている。


「あのね、そんなに顔を歪めて強がったって」

「顔と性根が歪んでんのは元からだ。姉貴ぶるなよリーフィ」


 同い歳の幼馴染の声をわずらわしげに跳ねつけつつ横へ視線を滑らせた。そこには素知らぬ顔で切符を取り出している男女一組。

 じろり、と睨み付ける。睨んでしまった。迂闊にも。


「まさか」


 それだけで、幼馴染は何が起こったのかを理解してしまう。ちくしょう、付き合いが長いってのも考えものだ。


「先輩方!」


 こちらをチラチラと伺いつつ薄ら笑いを浮かべる男と女をリーフィが怒鳴りつけた。周囲の人間が何事かと眉を寄せる。

 しかし本人は構わない。髪を大きく揺らし、さらに一歩、連中へ詰め寄る。


「またコジロウに嫌がらせを!」

「あら、何のことかしら?」


 隠すつもりのない白々しい笑みを浮かべたのは、そのまま馬に跨って遠乗りに繰り出しそうな出で立ちをした女だ。

 頭を飾る丹念に巻かれた金髪。手には赤い日傘。いかにも値の張りそうなジャケット。

 いかにもお嬢様然とした外見で、本人も己がそうだと自負しているようだが俺は断言してやる。こいつが飾れているのは外見だけだ。


「そうそう、そいつが勝手に腹押さえて悶絶してるだけ。拾い食いでもしたんじゃねーの?」


 へらへらと相槌を打ったのは隣の優男。私は軽薄です――と書かれた名刺を始終ばら撒いているような男だ。

 シャツをわざと着崩しているのはそれが今の流行りとやらなのだろう。ああ、その薄いアゴ髭もそうなんだっけ?

 俺の腹を殴ったのは、こいつだろうな。


「クライセン! リヒト!」


 リーフィが二人の名を呼ぶ。ちなみにお嬢様風の女がクライセン、軽薄な方がリヒトだ。


「いい加減にして下さい! どうしてコジロウを目の敵に!」

「でしゃばるなって、リーフィ」


 幼馴染の肩を後ろから掴んで黙らせる。放っておくと火種に油をぶっかけて燃え上がらせるだけだ。腹の痛みも背筋を伸ばせる程には抜け落ちた。


「コジロウ!」

「俺がいいって言ってんだから、いいんだよ」


 お前がそうやって喚けば喚くほど後々面倒になるんだと、それこそいい加減に気づいてくれ。

 俺たちを注視していた人々も、顔見知り同士の他愛ない揉め事と判断したのか、切符を手に改札へと流れ始めた。


「どうしたの? コジロウ」


 外面だけは優雅なお嬢様――クライセンが唇を嫌な形に歪めた。


「言いたいことがあるのでしたら遠慮なくどうぞ? 野犬に似合いの品性に欠けた声音で、喚き立ててご覧なさい」

「別に先輩方に含むところなんて、何もないですから」


 薄っぺらい言葉を吐き出しながらも、目には全てを篭めてやる。

 その態度が気に食わなかったのだろう。クライセンが忌々しげに眉を歪めた。

 おいおい、その表情は淑女には相応しくねえぞ。


「はっ、何度見てもひでえよなー。お前の面は」


 唐突に隣のリヒトが人の顔をこき下ろした。事実なので反論の余地はない。しかしだからといって受け流すつもりもない。黙ったまま奴を睨み上げる。

 ……俺はチビだ。リーフィにも僅かに及ばない。男の、それも大人と顔を付き合わせる時は大体が見上げることになる。


「顔に声に性格に、ホンット勘に障る奴だよなー。同じギルドメンバーでさえなきゃ、間違いなく喧嘩、買ってんだけど」

「売る、の間違いじゃないんですか?」

「は、テメェは既に、その目だけで周囲の神経を逆撫でしてんだよ」


 そうかいそうかい。外を出歩くだけで周囲に不快な思いをさせてるってわけですか。そりゃ申し訳ないことで。

 隣に立つリーフィの拳が震えている。落ち着け。馬鹿にされてるのはお前じゃない。


「何にせよ、ここで一旦解散ですよね? 俺は失礼しますよ。先輩方も、不愉快な顔をいつまでも見ていたくはないでしょうし」

「出来ることなら二度と拝みたくはねーな。お前のような出来損ないを抱えてると、俺たちの格まで落ちるからよ」

「ちょっと――」


 再び声を荒げようとしたリーフィを手で制す。

 そんな俺をクライセンは鼻で笑うと、日傘をくるくると回して見せた。


「コジロウ。意地を張り続けても得られるものなど何もありませんわよ。自分でも解っているのでしょう?」

「生憎、まだまだ先輩方とは以心伝心と参りませんので、もったいぶられても何のことだか」

「あら、でしたらはっきり言って差し上げますわ。コジロウ・砂条。あなたは一刻も早く創作家クリエイターを廃業するべきです」

「そのつもりも予定もありませんが」

「強がんなって」


 リヒトが言った。顔はこちらを向いていない。汽車に乗り込もうと小走りでホームを横切る若い女を品定めしている。


「長い目で見りゃ、その方がお前の為だぜ。教院預かりがやっと掴んだ可能性。そりゃ縋りたくもなる。けど、適正があっても才能がないんじゃなあ?」


 車内へ消えた女の背を見送り、リヒトはようやく顔を俺へと向けた。腰を折り、目線の高さを揃えてくる。


「さっさと諦めなよ。『小さな器リトルボウル』君」


 浴びせられた嘲りの視線を、引き下がることなく受け止める。

 笛が鳴った。黒い煙と白い蒸気、そしてやかましい車輪の音を引き連れて汽車はホームを飛び出していった。

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