第7話

 女官服に着替えた二人は、人目を気にしながら、馬小屋まで進む。


 女官の服を着ていれば絶対にばれない、なんて保証は何処にもないからだ。

 なにしろ、十四歳のスンジェはともかく、九歳のシヨルでは、、程度のお粗末な変装なのだから。



 シヨルは、スンジェに聞きたい事が山ほどあった。


 何故、女官の服を二着も持っていたのか。何故、窓から外に出るのに丁度いいロープを隠し持っていたのか。何故、比較的、見張りが手薄で見つかいにくい時間帯を知っているのか。「少し早くなったけど」とは、一体、何が早くなったのか。


 シヨルは、不安気に兄を見つめるが、スンジェは何も言わない。ただ、強く、自分の手を握っていた。


「あと少しだ、頑張って」


 気が付けば、馬小屋は、もう、目の前だった。

 スンジェは、一体、何をしようとしているのだろうか・・・。



 スンジェは、スンジェで驚いていた。まさか、こうも、簡単にいくと思っていなかったからだ。


 後は、馬に乗って・・・馬に乗って・・・。


 あっ、と、彼は今更、とても大事な事に気が付いた。


(馬に乗って・・・その後は、一体、何処に行けばいいんだろう・・・)


「スンジェ?」


 弟が不安気に自分の名を呼ぶ声で、スンジェはハッと、我に返る。


(そうだ、もう、此処まで来たら、後には引けない。何処だっていい、シヨルを自由にできる場所なら・・・)


「おい」


 ビクッと二人は体を強張らせる。


(しまった・・・見つかてしまったっ・・・!)


 灯りを持った兵士が、二人、不審げに此方を見ていて、近づいてくる。


「お前たち、こんな時間にこんなところで何をして・・・ん?」


 不味い、と、スンジェは冷や汗をかく。


 兵士が、シヨルの違和感に気が付いてしまった。


「おい、おまえ・・・」


 スンジェの頭が、真っ白になってしまう。


 くぅーん


(え?)


 突如、聞こえた鳴き声。


(あ・・・)


 そして、兵士たちのすぐ後ろに、一匹の狼が居た。


 雲間から、月が少し顔をだし、その光が、丁度、その狼を照らした。


 (あれは・・・まさか・・・)


 月明かりによって、銀色に輝く、灰色の狼・・・。


「アセナ・・・?」


「「え?」」


 兵士が振り返る。


 こちらに走ってきて、アセナが、スンジェ達とすれ違う。


 今だ!


 誰かが、スンジェに言った。


「・・・?アセナなんて、居な・・・あっ!」


「あっ!待てっ!」


 スンジェは、シヨルを抱きかかえて、馬小屋に向かって走った。


 馬小屋にアセナが居る。


 急いで、シヨルを前に乗せ、自分も乗る。


 そして、走り出す。


「待てっ!止まれっ!!」


 兵士が煩い。こいつらをなんとかしなければ、そう思ったスンジェは、シヨルに「ごめん」と言って・・・。


「騒ぐな、シヨルがどうなってもいいのか?」


 いざという時の為に隠し持っていた小刀を、シヨルの首元に当てる。


 シヨルの名を出せば、思った通り、兵士たちは動揺する。


「し、シヨル王太子・・・?」


「お前は、一体・・・あっ・・・!」


 月の光が、今度は二人を照らす。


 ふわりと、月明かりに照らされた、スンジェの金髪と、シヨルの灰色の髪を、風が揺らした。


「す、スンジェ王子?」


「いいから、黙って道を開けろ。シヨルを傷つけて欲しくないのなら、な」


 スンジェは、自分でもゾッとするくらい、冷たい声でそう言い放つ。

 自分のしていることに、恐ろしさを感じ、思わず、泣きそうになる。

 それでも、小刀を握るスンジェの手に、シヨルが自分の手を、そっと、優しく、添えてくれた事で、泣きそうになるのをなんとか堪えることが出来た。


 そして、まだ大きく騒がれていないうちに、まだ、他の兵士たちが来ないうちに、急げ、急げと、スンジェは馬を走らせた。


 おおーん


 狼の鳴き声がする。


 その声に、導かれるように、スンジェは馬を走らせる。


 自分たちを見て、兵士たちが、驚愕の表情で何か言っている。でも、そんなもの、どうでもいい。


 気が付けば、城門を突破していた。


 いったん、息を吸う。大きく吸って、前を見る。


「あ・・・」


 目の前を、あの灰色の狼が、アセナが走っていた。


 スンジェは、見失わない様に、跡を着いて行く。

 

 アセナが森に向かって走れば、スンジェも、跡を追う。


「何処に行くの?」


 シヨルが、スンジェに問う。


「解らない」


「え?」


「でも・・・アセナが呼んでるんだ、こっちだって」


「アセナ?」


 シヨルは、兄が見つめている方向を、目で追い、目の前を見つめた。


 でも、なにも居ない。


「・・・アセナなんて居ないよ?」


「え?だって、前を走っているじゃないか」


「え?」


 再度、見つめる。

 やはり、シヨルには、アセナの姿は見えない。


(どういう事なんだろう・・・。もしかして、スンジェにしか見えないのかな?)


(どういう事なんだ?まさか・・・シヨルには見えていないのか?)


 二人は、お互い、信じられない気持ちで前を見つめる。


 それでも、スンジェには、前を走るアセナが見え、シヨルには、全く何も見えていなかった。


 森の中は、真っ暗で、獣の声がする。

 シヨルは、小さく震える。


「大丈夫だ。大丈夫」


 スンジェは、そう言って、シヨルを元気づけようとする。


 アセナが止まる。


「ここは・・・」


「あ・・・」


 その場所には、見覚えがあった。

 夢で見た、あの場所。シヨルが殺された、あの場所だ。


 ザアアアアアア


 スンジェは、ハッと、する。


 声がした。微かだったけれど、確かに聞こえた。獣の声と、風の声と混じっていたけれど、あれは、確かに人の声だ。


(もう、この近くまで、来ているのか・・・)


「くそっ・・・」


 スンジェは、先に進む。


 やはり、そこには、崖があった。


 風が吹く。


 シヨルが怯え、スンジェの服を掴み、スンジェも、シヨルの肩を、強く抱く。


 と、その時、とん、っと、軽やかに飛ぶ音がした。


 アセナが、崖を飛び下りた、急な斜面を走って、いっきに駆け下りていく。


 おおおーん


 置いていくぞ、早くしろ。そう、言われているように、スンジェには思えた。


 ギュッと、手綱を強く握る。


(そうだ、此処で、此処まで来て、終わるわけにはいかないんだ。捕まるわけには、いかないんだっ!!)


「シヨル、しっかり摑まっていて!」


「え?」


「ここを下りる。絶対、逃げ切る。だから、しっかり摑まっていて!」


「う、うん・・・!」


 シヨルが、しっかり摑まったのを確認すると、スンジェは、大きく息を吸う。

 そして・・・ゆっくり、吐きだすと、真っ直ぐ、前を見据え、馬を走らせる。


「・・・っ!!」


「・・・うっ・・・」


 風が、刃の様に、吹き付けてくる。


 シヨルの体が浮きそうになり、ヒヤッと、するが、シヨルはシヨルで、振り落とされないよう、しっかり摑まっていた。

 それを、安堵しながら、下を見る。暗い。まるで、黄泉の国冥界に繋がっているかのようだ。


 そこから、風が、湧き、吹いている。


 風の勢いに、思わず、負けてしまいそうになりながらも、二人は、死ぬ気で頑張った。振り落とされないよう。死ぬ気で、馬に摑まっていた。


 おおおーん


「ぁっ・・・」


 アセナ・・・。


 とんっ


 馬が、地上に、無事降り立った。それと同時に、スンジェは息を吐き、顔を上げる。


(あ・・・)


 断崖絶壁の下には、草原が広がっていた。何も、遮るものは何もない。そして、その上には・・・。


「シヨル、よく頑張ったね、もう大丈夫だよ。だから、目、開けて。空、見てごらん」


「え?」


 シヨルは、瞑っていた目をゆっくり開いて、空を見上げる。


「わぁ・・・」


 星、星、星、星・・・、いつの間にか、空は晴れて、辺り一面、無数の星が空を覆っていた。


「綺麗・・・」


「うん」


 スンジェが、視線を空から真正面に移した時、アセナが此方を見ていた。

 スンジェがアセナに気が付くと、アセナは走り出す。なので、スンジェも馬を走らせる。


 星が、優しげに、一行を見守っていた。

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