第5話
あの後、二人は静かだった。
お互い、顔を会わせず、口も利かなかった。
その日は、二人が個人的な会話を楽しむことは無かった。
シヨルの頬は、幸いにも、腫れなかった。
きっと、スンジェが冷やしてくれたからだろう、と、シヨルは思った。
自分を抱きしめ、泣いた後、スンジェは、急いで水で濡らした綺麗な布で、自分の頬に当てて冷やしてくれた。
「ごめん。叩いたりして」
スンジェが謝ったので、シヨルは、スンジェの顔を見た。
もう、涙は止まっているのに、スンジェは、また、泣きそうだった。
「僕も、ごめんなさい」
「・・・うん・・・」
其れ限り、その日、二人が、お互い、顔を合わせることも、必要以上に口を利くこともなく終わってしまった。
それを思い出し、シヨルは、寂しげに、空を見上げる。
空には、宝石箱をひっくり返したように、眩い無数の星々が煌めいていて、哀しいくらいに、美しかった。
スンジェは、猛吹雪に襲われているような、火山が噴火し、マグマが溢れ出てきているような、そんな心境だった。
(生まれてこない方がよかった、なんて・・・)
バンッ
「はぁ・・・はぁ・・・」
机を叩く。肩で息をする。
苦しい。苛々する。苦しい。悔しい。痛い。痛くて、苦しい。痛い。苦しい。哀しい・・・。
「・・・くそぉっ・・・」
バンッ
胸に手を当てて、再度、机を叩く。
(どうして、こんなに苦しまなければ、いけないんだ・・・)
自分は、ただ、兄妹皆、平等に幸せになって、欲しいだけ。
テイルも、ユソクも、シヨルも、ヨンアも、皆、
(でも、皆、ちっとも、幸せじゃ、ないじゃないか・・・)
スンジェは、泣いた。泣いて、泣いて、泣き続けて、泣き疲れて、其の儘、眠ってしまった。
夢を見た。
シヨルが馬に乗っている。
その横を、同じく、馬に乗ったテイルが居て、シヨルに穏やかな顔で、乗馬の指導をしている。
いいな。微笑ましいな。嬉しいな。幸せだなぁ。
ところが、テイルが、黒い笑みを浮かべる。
え、と思う間もなく、矢が飛んでくる。
馬に、矢がシヨルを乗せた馬の尻に刺さって、馬が暴れる。
はっとして、矢が飛んできた方を見る。そこには、弓を持ったユソクが居た。
「よくやった」
「いいえ、まだです。完全に、息の根を止めなければ・・・」
息の根を、止める・・・?完全に・・・?
兄たちは、何を言っているのだろうか。
あ、待って、行かないで。待って!
兄たちが、シヨルを乗せたまま爆走する馬を追いかける。
「ユソク」
「はい?」
「本当に、いいのか?」
「ふっ、何を仰るのかと思えば・・・。兄上、私は、貴方に、この国の王になっていただきたいのです。貴方は、私にとって、光です。眩い希望の光。私は、ずっと、貴方に尊敬の念を抱き、憧れ、慕い、貴方の隣に立とうと、貴方を支える存在になろうと、今まで生きてきました。昔も、今も、これからも。だからこそ、私は、貴方を王にしたい。灰色の髪と眼を持って生まれただけのシヨルが、古い言い伝えによって、何の努力もせず、王になるなど、私は認めない。貴方以外の王など、私は認めない。ですから、これが一番いいのです」
「すまんな」
「いいえ、貴方の為に尽くすことが、私の幸せでございますから」
ユソクは、愛おしげに、満ち足りた、美しい笑みを、兄のテイルに捧げた。
(ああ、ユソク兄上は、本当に、テイル兄上を愛していらっしゃるのだな・・・)
「だからこそ、
スンジェは全身の血が凍る音を聞いた。
目障り・・・?要らない・・・?
こんなにも美しい笑みを浮かべて、ユソクは、一体、何を言っているのだろうか。
「ああ、彼処、シヨルが居ます。馬に振り落とされたみたいですが、まだ生きていますね。運がいい・・・」
「運がいいというより、やはり、そう都合よく、打ち所が悪くて死ぬなんて、簡単にはいかないという事だろう」
「そうですね、ですが、痛くて動けないようです。これじゃあ、逃げられないでしょう。まぁ・・・逃げたとしても、逃がす気なんて、これっぽっちもありませんけど」
やめて、やめてくれ。
「丁度良い。直ぐ其処に崖があります。彼処から突き落としてしまいましょう。落とせば確実に死にます」
「そうだな、シヨルさえ死んでしまえば、後は、適当に誤魔化せばいい」
「て、テイル、ゆ、ユソク・・・」
シヨルが、真っ青な顔で、兄二人を見上げる。
「シヨル。私は、お前が憎い。私は、生まれてきてから、何をしても、何をやり遂げても、どんなに成果を出してきても、父上にも、母上にも、宝の持ち腐れだと、吐き捨てられてきた。ユソクもスンジェも、私と同じだ。灰色の髪と瞳でない王子など、何をしても、どんなに努力をしても、それが報われることなど、ないのだ。見ろ、私の髪を。何色だ。黒だ。瞳は何色だ。茶褐色だ。たった、それだけで、今までの努力も、それによって出した成果も、全て、否定されるのだ。父上も母上も、私たちが生まれる前は、散々勝手に期待しておいて、いざ、私たちがこの世に、生まれ落ちた時、髪と瞳が灰色でない事から、たった、それだけの事で、今度は勝手に幻滅して、愛情を注ぐことなく、私たちを放置した。私も、ユソクも、スンジェも、棄てられたのだ。勿論、妹のヨンアもそうだ。重要なのは、灰色の子であるお前なのだからな」
テイルの顔は、見えない。
ユソクは、哀しげに、寂しげな、労わる様な瞳をテイルに向けている。
「シヨル。お前に罪はない。それは、解っている。解っているんだ。だがな、やはり、憎いよ。お前が。お前の、その灰色が、何よりも、憎い。それだけだ。たった、それだけだ」
テイルが動けないシヨルを抱き上げる。
「お待ちください。その役目は、私が・・・」
「いや、いい。いいんだ。ユソク。これは、やはり、私がしなければいけないんだ」
「兄上・・・いいえ、これは、私が考えた事です。ですから、最後まで、私がやります。それでも、駄目だというのなら・・・」
ユソクが、そっと、シヨルを抱きかかえているテイルの手に自分の手を重ねた。
まるで、ユソクと、テイルにシヨルが抱きしめられているみたいだ。と、スンジェは思った。
「二人で、一緒に、シヨルを此処から突き落としましょう」
ゾッとした。
助けなきゃ、此の儘じゃ、シヨルが死んでしまう。
けれど、足は、動かない。
ああ、待って、と、手を伸ばす。
けれど、手は届くことなく。
「お前は、生まれてくるべきじゃなかった。いや、生まれ落ちた事は、それ自体は、罪ではないのかもしれない。シヨル、灰色の子として生を受けた事。それが、お前の罪だ」
テイルが、そう言うと、二人は、シヨルを放り出した。
待って。お願い。足、動いて。
シヨルの体が、ふわりと、宙に浮いて、そして、彼の、目に涙を浮かべ、蒼白になった顔が、此方を向いた。
「スンジェ・・・助け・・・」
シヨルの体は、下に墜ちていく。
「じゃあな、シヨル。せめて、来世で幸せになれ」
ぱち
「っ・・・はあ・・・はぁ・・・、ゆ、ゆめ・・・?」
飛び起きた。恐ろしい夢だった。ただの夢とは思えないくらいに、悍ましい夢だった。
スンジェは、余りの恐ろしさに、嘔吐してしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます