9-2 最後に残った願い事

 私と五十鈴いすず店長は、何度目かの町内会への招集に応え、偉い人達の会議……のその末席の末席にいました。ウイルスについては廃棄が決定されましたけど、町の地下遺跡の機構、ずっと稼働していた発電の機能とか、機械類とか、書類とかあれこれ。そんなものの扱いについては、まだ正式には決まっていません。


 手をつけずに保護し、このままAI……安藤さんの管理下に置いてはどうだとか、また暴走したらどうする、しっかり調べて人が有効に利用すべきだとか、いろいろな意見が飛び交います。ただ、みんな専門用語のことがいまいちわかっていないので、どうも議論はふわふわとしている感じ。


「なし崩しで保留扱いになるのじゃないか」


 マントは失くしたまま着ていませんが、帽子をかぶって耳を隠した店長が、新しくて音のよく響く町役場の廊下を歩きながら言います。


「そうなれば安藤さんも安泰、僕も安心だ」

「私もです!」


 少し歩幅の広い店長を追いかけるように歩く私を、店長は眼鏡越しにちらりと見ました。


「……そうだ。移住の話はどうなった」

「ギフトについては解決してませんから、糖蜜町とうみつちょうに行くのは変わらないみたい。来月くらいまでに引っ越しできたらって言ってました」


 そう、当面の危険は去りましたけど、問題の根っこはまだ残っているし……多分、それは私ひとりがどうにかできることではないのでしょう。


「お前は」

「私は……」


 私は改めて、家族と話し合いました。もうその時にはほとんど決意は決まっていましたから、すぐに済みましたけど。


「ここに残りたいって言いました」


 立ち止まって、まっすぐに店長を見上げます。


「家族にはしばらく迷惑をかけるけど、できるだけ早く自立して、恩返しをするつもりです」


 私は、たとえ何があっても、人がどう変わっても、この町を見ていくことにしました。それが、私の責任でもあり……希望でもあると思ったのです。


 私の家族の他にも、今回の騒動で怖くなり、町を離れる人も少しいたようです。しばらくは混乱も残っていくのでしょう。


「それで、副業か」

「まあ、学校の方は半分ボランティアみたいなものです。何かしないといけない気がして。お店が忙しくない時間だから、そんなにご迷惑はかけないと思うんですけど……」

「もう聞いた。許可はした」


 子供達に対して私ができること。何なのかはまだわかりません。みんな仲良く、なんて、ただの綺麗な絵空事かもしれないけど。


 少しでも何かできる可能性があるなら、やらないわけにいかない。ジニーはそう言いました。私もそう思います。


 元は自動ドアだったところに無理やり取りつけられた木の扉を開け、私達は明るい春の日差しの下に歩き出しました。


「……もし問題がなければ……」

「え?」


 店長が陽に目を細め、何か言いかけます。私が聞き返すと、小さく首を横に振り、そうして、思い切ったように、こんなことを。


「いい。順番に話す。……この後、時間はあるか」

「ええ、まあ。元々お仕事の時間ですから、店長が暇なら私も暇です」


 そうか、なら、そうだな。店長の目が、すっと上を向きました。この辺りでは一番高い建物の方に。


「時計塔に行かないか」




 外から変な登り方をしたことはありましたが、私、時計塔の昇降機って初めて乗りました。外が見えない箱が、どんどん上がっていきます。なんだか心もとなくて、くらくらするような気持ちがしました。店長は慣れたもので、増えていく階数表示をじっと見つめています。


 やがて静かにドアが開き、前に私とクレムが飛び込んだ小部屋にたどり着きました。窓からは今日も、壁に囲まれた町が小さく見渡せます。


 わあ、と私はつい声を上げてしまいました。何度見ても気分がいい光景です。店長は帽子のつばをいじりながら、私の隣に立ちました。


「店長、そういえばなんで今日は帽子なんですか?」


 ふと疑問に思い、聞いてみます。別にもう、耳を隠すことはないはずなのに。


「今日はこいつに頼らないでいたい」


 よくわからない答えが返ってきました。こいつって、猫の耳のことでしょうか。頼るって、何が? 疑問だらけの私に、店長はゆっくりと言います。


「今から少し、僕のギフトの話を……いや、まずは親父の話をさせてくれ」


 私が、ずっと聞きたかったお話です。うなずいて返すと、店長は静かに話し始めました。




「前にも少し話したが、僕は親父とはあまり関係が良くはなかった。教師と生徒、店主と跡継ぎとしては悪くはなかったかもしれないが、ある時期からはあまり個人的な話はしないようになったな。親父が悲しんでいたのは知っている。だが、一度こじれたものはどうしようもなかった」


 店長は訥々とつとつと語ります。ある時期というと、自警団の人と衝突した時でしょうか。それとも、お母さんの。


「親父が町の宝の話にのめり込んだのは、僕のせいもあるのだろう。あの話もきっと、先祖の警告が妙な形にねじ曲がったものだったんだろうが」


 遠く、地上を見下ろす目で、店長は続けます。


「『お前とお前の住むこの町に、幸いを届けたかった。だが、私のやり方は間違いだった』。チップに遺された手紙には、そう書いてあった」


 店長のお父さん、一体どんな無念の中で亡くなられたのでしょう。とても苦いハーブのお茶を飲んだ時のような気分になりました。それを看取った店長の気持ちも、想像のしようもありません。


「親父が死んで、店を継いで、人手が足りなくなって、それでアルバイトを募集した。ひとりだけ来たのがお前だ。エリカ・スタージョン」


 私。突然名前を呼ばれてびっくりしました。半年前、なんとなく見かけた張り紙につられた、お店の何もかもに慣れていなかった頃の私です。


「お前は……」


 店長が小さく鼻をすすりました。もしかして、泣いているのでしょうか、と思ったら。


「お前は、最初は本当にひどかった。商品は壊しかけるし、人がいないとすぐに鼻歌を歌うし、作業中に覗き込んでくるし、本当に……」

「な、直しましたよ! 今は少し良くなったでしょう?」


 どうだかな、とつれない返事。あの、ギフトの話はどうなったのでしょう?


「だが、茶を淹れてくれたな」


 お茶。お客さんが来ない時、店長が手持ちぶさたに見える時なんかに、よく淹れていますが。


「それで、僕にやたらと話しかけてきた。機械のことはまだいい。僕の趣味だの、自分の家族のことだの、道で見かけたカラスの話だの、本当にうるさかった」

「あの、このお話、もしかしてお説教ですか?」


 さっきのしんみりした空気はどこに行ったのでしょう。なんで私、地上から遠く離れてお説教を受けてるの? でも店長は答えずに、こう続けました。


「毎日が大変で、やかましくて……おかげで僕は、親父のことをむやみに悩みすぎずに済んだ」


 遠くの空を、大きな鳥の影がふたつ。滑るようにゆっくりと飛んでいます。


「僕は、お前に少し憧れたんだ。エリカ」


 私はなんと言っていいのかわからず、目を白黒させていました。店長が? 私に? あの真面目で厳しい店長が、こんなふわふわした私を?


「お前みたいにまっすぐで、誰とでもすぐ打ち解けられるような奴だったら、親父ともっと腹を割って話せたかもしれない。あんな亡くし方をしなくて済んだかもしれない。もしかしたら。まだ親父は生きていたかもしれない。そう思えて仕方がなかった」


 店長の言葉は取り返せない悔いに満ちていました。私は慌てて両手を振ります。


「わ、私、そんなすごい人じゃないですよ」


 いい加減だし、頭も良くないし、よく間違えてばかりだし。でも、店長は。


「そうだな。だからいいんだ」


 そんなことを言うのです。


「笑うなよ。多分、僕の願いはこれだ」


 そう言う店長自身が、自嘲じちょうするように、それともはにかむかのように小さく笑いました。


「『もっと素直になりたい』。まったく、ひどい叶え方だ」


 どこかけんの取れた、子供のような表情で、店長は青い空を見上げます。私は、その横顔をじっと見ていました。いつまでだって、見つめていられるような気がしました。


 笑いません。笑えるものですか。それは不器用な店長の、心からの真剣な願いなのですから。この人はきっとずっと、本当は周りと仲良くしたかったのです。


 店長の鋭い耳は、帽子の下で私の鼓動を聞き取っていたのかもしれません。尻尾はゆらゆらと今も揺れていて、気持ちを伝えようとしているのでしょう。でも、私はそちらは見ませんでした。ただ、その目をじっと。店長はそんな私に視線を返します。


「ずっと言いたかったことを言う」


 店長の、耳にも尻尾にも頼らない、本当の気持ち。なんだって受け止めようと、そう思った時。


「好きだ」


 ごく短い、衝撃的な言葉が、私の耳に飛び込んできました。

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