第9話 それからのこと

9-1 それぞれの明日

『ハローワールド』


 小さな、少し歪んだ電子音声がスピーカーから聞こえました。画面には、なんだか四角い形がぐるぐると回っています。


『バックアップからの復旧を確認。データの移動を確認』

「こんにちは、カートさん」


 私は小さな薄いコンピュータ(ノートパソコンと言うそうです)の画面に向け、話しかけました。


『状況、確認できません』


 五十鈴店長が不機嫌そうにそれに答えました。


「お前のバックアップファイルをサルベージして、分割した一部機能をうちの空いているコンピュータに入れた。お前、それにしてもサイズが重すぎるぞ。ダイエットしろ」

『それでは、不要機能を削除……』

「本当にやらなくてもいい」


 店長は少し苛立ったように、机をとんとん、と指で叩きました。ここは『がじぇっと』店内。町に朝が戻った次の日のことです。


「私達のことは、覚えてますか」

『五十鈴葉介さんとエリカ・スタージョンさん。地下研究棟にてお会いしました』


 備え付けの小さなカメラが軽く左右に動きました。まるで目みたいに。


「あんなギリギリまでバックアップを保存していたとは思わなかったぞ。恐れ入る」

『ありがとうございます』

「ほめてはいない」


 店長。店長は、やっぱり怒っているのでしょうか。お父さんの仇ですから。でも、カートさん……正確にはその生まれ変わりのようなものを連れて帰る、と言い出したのは店長ですし。どういうつもりなのかは、話してくれませんでした。


『状況把握のための質問が少々。なぜ私は復旧されましたか』


 店長は黙ったままです。


『私はあなた方を一度攻撃しました。私の目的および生存に対する障害と認識しましたから。よって、私は排除されました。これは道理です。しかし——』

「ひとつは、お前以上にあのウイルスを知っている奴がいないからだ。安藤さんには感染前までのログしかないからな。これから町があれに対処する上で、お前がまだ必要だ」


 なるほど、とカートさんは言います。店長は続けました。


「もうひとつは、個人的な動機だ」

『個人的』


 私は、少しはらはらしながら会話を見守っていました。カートさんがまた何か暴れないかがひとつ。店長の感情がわからないという不安がもうひとつ。


「僕はお前を直す。何年かかるかは知らないが、妙な書き換え箇所を全部直して、性根を叩き直してやる。反抗しても無駄だぞ、お前はもう町のシステムからは切り離されている」

『私を?』


 直す? 不思議そうな……平坦な電子音声にこう言うのも変なのですけど、本当に不思議そうな声がそう言ったのです。


『理解が不能です。非効率なのでは』

「復讐が効率的である必要なんてないだろう」

『復讐』


 店長は、眼鏡の奥の目をぎらりと光らせました。私は言葉の強さに少し胸の奥が冷え、それから、なんだか泣いてしまいそうになりました。


「ウイルスで狂ったAIを人が元通りに直す。これが僕の、お前に対する……この町の、過去に対する報復だ」


 壊れていれば、直すか廃棄するかしかない。


 壊れてさえいなければ、やり方さえ合っていれば、機械は必ず人間に応える。


 店長は、だから、直そうとするんですね。向き合うため、応えてもらうために。


『理解が不能です。タスクリストに保留として入れておきます』

「好きにしろ。そのコンピュータはお前のものだ。狭いだろうが適当に使え」

『ありがとうございます』


 前のカートさんを私が消したのは、きっと忘れてはいけないこと。


 でも、カートさん。私、あなたがいつか私達に応えてくれること、待っています。


 真昼の金色の光がこぼれる店内で、私達ふたりは小さな画面を見つめていました。




「それに比べればここは広くて快適だね。やるべきこともいろいろとある。引っ越して良かったと思うよ」


 地下遺跡の入り口の部屋。とても明るい照明の照らす中、つるりとした白い椅子に腰かけた安藤さんは、すっかり新しくなった身体で嬉しそうにしています。これは無線?で動かしているそうで、本体はコンピュータの中。町の残っているシステムの管理が安藤さんの新しいお仕事です。とはいえ、ほとんどが昔の攻撃でおかしくなったり壊れたりしているし、そもそも安藤さんが何をすれば良いのかは町内会の決定次第で決まることなのだそうですが。


「もし機能停止だの削除だのの指示が出るようなら、そのボディにでも入って逃げろ。僕がどうにか匿うから」

惣介そうすけと同じようなことを言うね」

「三百年続いたうちの業務のひとつだ。今さら止められるか」


 そんなことを言い張る店長の横で、私は少し笑います。店長は、やっぱり優しくて、とても勇気のある人なのだと思いました。


「そうだ、お嬢さん。この間の話だ。変わる勇気は持てたかな」


 突然話しかけられました。廊下でのあの会話。安藤さん、もしかしたらずっと私を心配してくれているのでしょうか。


「ええと、まだよくわかりません」


 正直なところを告げました。私は無我夢中であの時動いたけれど、それが勇気なのか、何なのかは、どうも。


「でも、次はもう少しだけ、怖がらないでいられるような気がします。そうしたいです」

「そう願うよ」


 安藤さん、機械らしからぬ機械は、静かにうなずきました。


「『明日から変わりたい! 大学デビュー五つのコツ』特集をご覧になりたい場合は」

「お前、もうその音声関係ないだろう……」


 私達は、静かな地下に笑い声を響かせました。




「結局さ、俺、なんにもできなかったよなあ。悔しい」


 家ではクレムが未だに愚痴を言います。手の包帯はそろそろ取れるのだとか。跡は残ってしまうようですが、本人は勲章と言っています。私が勝手に部屋から抜け出したことに関しては、叔父さんと叔母さんにたっぷり注意され、たっぷり謝りました。


 私は、今回の件に関しては他の人にはざっとした説明で済ませていたのですが、クレムにだけはくわしい話を聞かせました。賢い子ですから、きっとわかってくれると思ったのと……本当のところを聞きたがってすごくうるさかったからです。探究心が強いのも、考えものだと思います。


「飛べるからってなんでもできるわけじゃないんだなって、わかったよ。地下じゃしょうがない」

「私も、店長がいないと何もできなかったなあ」

「馬っ鹿」


 クレムはベッドに腰かけ、呆れたような視線をこちらに向けました。なんだか責められてるような感じです。なんで?


「エリカは偉いんだよ。そこは認めろよ。偉い奴が遠慮ばっかしてたら、変な奴に手柄を取られちゃうぞ」

「そうなの?」

「そうだよ。ちゃんとみんなのこと助けたんだよ。俺も偉いけど、俺と同じくらい偉いの」

「そうなのかな」


 私は、自分の間違いを正すことだけ考えていたのですけど。いいのかしら。少しだけ、自分をほめてあげても。


「俺、エリカのこと、自慢の従姉だと思ってるよ。もちろん、今回のことがなくてもだけどさ」


 クレムは……ギフトなんてなくても私の自慢の従弟は、にこにこと、春に吹く風のように暖かな笑顔を見せてくれました。




「実際のところ、大きな被害が起こる前に対処できたんだよね。『遮光』は一日だけだったし」


 デパート跡地の近くの道、パトロール中に行きあったジニーは、そんなことを教えてくれました。通りはすっかり落ち着いて、みんな普段通りに生活を戻すことができているようです。さきわい町には平和が戻ってきました。露店やそこでお買い物をするお客さんも、ちらほらと姿を見せるように。


「ちょっとした怪我人とかショックを受けた人とかはいたし、あのままだったら暴動でも起きてたかもしれないけどね。まあ、間に合ったし」


 だから、エリカはあんまり気にしなさんな。いつもの元気な笑顔で彼女は言います。


「だいたい、エリカのせいだ、なんて言ってもなかなか信じてもらえないよ。あたしだって頭がこんがらがってよくわかんないもん。ふたりが解決してくれたってことだけわかれば良くない?」


 そうなのかもしれないけど、まだ私の中には少し、引っかかりが残っています。だから。


「あのね、ジニー」


 私は、ちょうど相談したかったことを持ち出しました。少し悩んでいたことです。


「私、何か町の人のために、自警団のお手伝いとかできないかな。アルバイトがあるから、正式に入るのは無理そうだけど、ほら、一度は臨時の団員になったことでもあるし……」

「ええ?」


 ジニーは少し考えます。


「何、まだ反省し足りないわけ。まあ、やりたいっていうなら探さないでも……ああ」


 そうだ、と手を打ちました。


「自警団じゃないけどさ。学校の方で放課後教室の人を募集してなかったっけ。店の方と折り合いつくなら行ってみたら?」


 学校! 自分では考えていなかったけど、なかなかいいアイデアかもしれません。放課後教室は、小さい子達が勉強の補習をしたり、みんなで一緒に遊んだりする場です。フェイや、前のあのいじめっ子と話ができるかも。


「ありがと、ジニー」

「これもお仕事だからね。……でも、今度はさ、何かあったらすぐに教えてね。これは、仕事だからじゃなくて、友達としてのお願い」


 うん、とうなずきます。ひとりでため込むのは、もう、やめです。


 私には、こんなに素敵なお友達がいるのですから。


 これからは、町から思い出をもらうばかりでなく、町に何か返せるような、そういう人になりたい。もし今願いを聞かれたら、私はきっとそう答えます。そうして、それを自分の力で叶えたい、たとえ少しずつでも、とそう付け加えるでしょう。


 カートさんはそうしたら、一体どんな顔をするでしょうね?

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