8-3 安藤さんと私

 話は、少し前。安藤さんの温室跡でのことに遡ります。


 頼みがある、と言ったきり、店長はしばらく下を見ていました。


「どうしたんだい」


 安藤さんが聞いても答えず、店長、と私が声をかけると、ようやくゆるゆると動き出します。懐中電灯の明かりでは、どんな表情をしているのかはよく読み取れませんでした。


「前に聞いた件だろう。私は承諾しているよ。構わないとも」

「あの、何かあるんですか?」


 店長は、思い切ったように顔を上げ、そうしてかさかさと草の音を立て、立ち上がりました。


「こいつのボディから、中枢部を切り離して、持ち運ぶ。脚部が破損して自律稼働できない以上、そうするしかない」

「わ、わかりやすくお願いします」


 店長はリュックサックからあれこれと工具を持ち出します。つまり、つまり……。


「分解し、首を切断して、最低限の機能だけを維持させる」


 それは、私にとってはとても衝撃的なことでした。だって、人の形をしているものの首を切る、だなんて。紙の人形だって、ためらってしまいます。


「なんでそんなことするんですか!」

「他にやりようがないからだ!」


 私達の声は、静かな森の中でぶつかりました。店長は、薄明かりに照らされ、私をにらみつけます。


「親父が残した攻性プログラムがある。どうにか僕が完成させた。これを安藤さんの頭に仕込む。滞りなくいけば、AIを……」


 店長、店長は、安藤さんのことは特別なんだと思っていました。ただの道具ではなくて、ちょっと変わったお友達と思っているのではないかと。でも、違うのでしょうか。やっぱり、お店の商品と同じように思っているのでしょうか。


 それとも、私が間違っているのでしょうか。いつも機械に変に思い入れてしまって。それでみんなが助かるのなら、反対なんてすべきではないのかもしれません。


 ふたつの気持ちがせめぎ合います。店長は、工具を握ったまま、しばらく黙っていました。


「AIを、どうするのかな」


 安藤さんが、静かな声で沈黙を破ります。店長は、なんだか苦しそうな声で続けました。


「……上書きできる。安藤さんの、ウイルスに感染する前のAIがシステムを掌握できれば、こちらの意志を反映できる。閉鎖を解くことも、ウイルスを廃棄なり封印なりも、できる」

「……葉介」


 安藤さんが、店長の名前を呼びました。黒いシルエットの、肩が震えたように見えました。


「泣くんじゃないよ」


 ごめん、と店長は少年のような口調で何度も言いました。ごめん、安藤さん、ごめん、と。


「僕は、あなたを道具として使う」

「どうも、不思議だね、君達は。そういうものとして機械を作っておいて、いざ壊す時になると悲しむんだ。こちらは何も問題ないというのに。ましてや、今回は私のAIは残るんだよ」


 それでも、店長は心底は納得できていないのでしょう。有効な方法だとわかっていても、店長の知っている形の安藤さんは、もういなくなってしまうのですから。


 機械に人格はない。店長はいつだってそう言っていました。本当のところはどうかはわかりません。でも、一番近くで彼らを見ていた店長が、少しも思い入れを抱かないはずがないのです。多分、この人は、ずっと自分にそう言い聞かせてきたのでしょう。


 私は、店長の傍にそっと近寄りました。


「私、お手伝いします。指示してください、店長」




 ……分解は、案外簡単に終わりました。安藤さんはずっとおしゃべりでしたから、最後の頃には店長の涙もきっと乾いていたことでしょう。


 店長はその後、首のない安藤さんの身体に、あの黒いマントをかけました。それで、真っ白な身体は闇の中に埋もれてしまいました。




「安藤さん、私、お話がしたいんです。起きていてもらっても大丈夫ですか?」

「君が運ぶのに大変でなければね」


 ふたたび、地下遺跡。私は片手でどうにか安藤さんの頭を抱え、部屋をたどりながら廊下を歩いていました。安藤さんは時々止まる癖を見せなくなりました。壊れた身体を制御しなくてよくなったせいで、負担が減った、のだそうです。


「ええと、店長とは長いお付き合いだったんですか?」

「最初に会ったのは十年前、葉介がまだ少年の頃だね」


 そうすると、十二歳くらいでしょうか。まだ背も低くて、もちろん猫の耳や尻尾もなくて……眼鏡はどうなのかしら?


「昔の店長、どんな子だったんですか」

「今とそれほど変わらない、内気な子だったよ。……ただ、もう少し素直だったかな。父親や私によく懐いていた」


 まだ、お母さんがお家にいた頃のことでしょうか。自警団の人とも、衝突していなかった頃の店長。


 トランシーバーからは、何も聞こえません。私は怖くて震えそうになりながら、前へ、前へと進んでいました。安藤さんとの会話は、自分を勇気づけるためのものです。何か話していないと、潰れてしまいそうで。


「安藤さんは、怖くないんですか」


 こんな風に動けない形にされて、攻撃の道具にされるのって、私だったらきっとつらいと思います。だから、聞いてみました。怖いと言われたら、後悔するかもしれないとは思ったけど。


「そもそも恐怖という感情は、私にはないからね。カートはどうだか知らないが」


 安藤さんはあくまで明るい調子。助かったような、それとも私に気を遣っているのかな?なんて思ってしまうような。複雑です。


「でも、ええと、環境とかいろいろ、すごく変わってしまいますよね」

「まあ、あの半壊機体より悪い環境もそうないとは思うけどね」


 ただ、薔薇が見られなくなるのは残念だな。そんなことを言うので、やっぱり寂しくなってしまいます。


「そしたら私、時々お花を摘んで持っていきましょうか」


 とても楽観的で、無責任な約束。


「それも花に悪いよ。いいさ、住めば都と言うしね」


 本当に人格、ないのかな。やっぱり怪しいと思うんですよね。


「……君は、変わることが怖いのかな」


 安藤さんは、珍しくあちらから話を振ってきました。私は少し驚いて、部屋をひとつ行き過ぎそうになります。


「え、ええと、あの。……はい」


 慌てた答えになりました。電気の壊れた暗い部屋。覗いてみたけど、物置か何かのようで役には立たなそうです。


「怖いです。それで、ずっと変わらずにいたいって思ってたら、こんなことになっちゃった」

「それも不思議な話だね。人も機械も、毎日少しずつ変わりながら存在しているんだよ」


 それはそうです。私達は一日一日、歳を取っていくのですから。


「だから、そう恐れすぎることはないさ。まあ、突然シェルターが開いてミサイルが降ってきたあの時ほどの変化はそうない。安心するといいよ」


 そういうものでしょうか。わからないけど、安藤さんの声は確かに私に落ち着きをくれました。少しだけ楽になった心で、ちょっと突っ込んだことを聞いてみます。


「安藤さん。本当に人格とか心とか、そういうの、ないんですか?」

「そういうことになっているね。まあ、観測者次第かな」


 やっぱり、よくわかりません。



 いくつかの透明なドアを開け、小さな部屋、大きな部屋をめぐり、そうして、私達は、大きな機械だらけの部屋へとたどり着きました。空気がひんやりとして、あちこちに小さな明かりがぴかぴかと、星のようにきらめいています。


「ここ、かな」

「そのようだ」


 耳元のトランシーバーがざりざりとまた音を立て、エリカ、と苦しげに私の名前を呼びます。私はほっとして倒れそうになりました。が、まだ、まだ早いです。


「店長、着きました。これから、教わった通りにします」

『ああ、僕も行く』


 店長。店長がいれば私、きっと何も怖くないんです。何が起こっても、何もかもが変わってしまっても。


 ごとり、と重い音を立て、私は安藤さんの頭を机に置きました。

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