8-2 対話と対決

『ようこそ、いらっしゃいました』


 廊下に、涼やかな声が響きました。安藤さんと同じ声ですけど、安藤さんではないのでしょう。きっと、カートさんです。姿は見えませんが……。


『本日はどのようなご用件でしょうか』

「お前を止めに来た」


 店長の短い返事に、声は少しだけ間を空け、変わらないトーンで続けます。


『あなたは……』

五十鈴葉介いすずようすけ。お前を起こした五十鈴浩介いすずこうすけの息子だ。多分、二度目なんだろうが僕は覚えていない」

『これはこれは』


 店長は先に進みながら、静かに、でも噛みしめるような苦い口調で続けました。私は会話が成立しているのが不思議で、きょろきょろとあたりを見回します。


「カメラとマイクがどこかにあるんだろう」


 なるほど、ええと、映像と声がそれを通してカートさんのところに繋がっている、ということですね。向こうの声が聞こえるのは、スピーカーというものです。青空祭の時に見ましたから、知っています!


「あの、私はエリカ・スタージョンです」


 それでもどこに向けて話せばいいのかわかりませんでしたから、あちこちを見ながら名乗りました。


「私もあんまり覚えてないけど、この間お会いしたみたいなんです。それで、もらったギフトをお返ししたくて」

『返す』


 カートさんはくり返します。そんなことを言い出したの、今回は多分私が初めてなのだと思います。


「私、間違ったお願い事をしてしまったと思うんです。少なくとも、町を閉鎖なんてしてほしくなくて……これ、私が叶えてもらったお願いなんですよね?」

『「前のまま、変わらないこの町にずっといたい」。防護シェルター機能の稼働は、あなたのこの要求に応じたものですね。エリカさん』


 やっぱり、そうなのです。私はお腹に力を入れました。店長が廊下の脇の部屋にパスワードを入れ、開けていきます。でも、目当ての部屋はまだ先のよう。


「なら、取り消しってできないんですか」

『クーリングオフは、受け付けておりません』

「どうして! あなたが管理してるんですよね?」

『不平等になりますから。生体変化は不可逆なもので、取り消しは不可能です。でしたら、その他の方法で成就した願いのみキャンセルを受け付けるわけにはいきません』


 店長が立ち止まります。耳が小さく震えるのが、後ろからでもよく見えました。


「お前は、勝手に人の願いを聞き漁って、勝手に叶えて、それで、戻せないだと?」

『皆様大変ご満足いただけているかと思います』


 ご満足……なのかしら。みんなどうにか受け入れてはいますけど、混乱はありましたし。それより何より、私は全然満足していません!


「馬鹿にするな。この状況の何が満足だ。願い主がそもそも不満だと言っている!」

『あなたは、いかがですか?』


 突然、矛先が店長に向きました。店長は、ほんの少しだけ戸惑ったように黙って、それから言い返しました。


「僕も同じだ。仮に僕のギフトが元に戻らないのだとしても、今の……」

『五十鈴葉介さん。あなたの願い事は』


 やめろ、と店長は大きな声で遮りました。カートさんはぴたりと声を止めます。店長。店長のお願い、そういえば何なのでしょう。もちろん、今聞いている場合ではないのですけど。


「お前に、僕の本当の願いがわかるものか」


 店長は、再び歩き出します。背中で、リュックサックが重たげに揺れていました。




「ひとつ聞く。親父は半年前、銃の傷が元で死んだ。そのことを、お前は知っていたか」


 脇の部屋の中は、大抵白い机と椅子があって、コンピュータらしきものが置いてあって、あとは瓶の並ぶ棚とか、……動物の骨の転がる檻や透明のケースだとか。でもそれきりのようです。


 店長は話を続けながらコンピュータのスイッチを入れたり、キーボードを叩いたりしているのですが、大体が壊れていたり、役に立たなかったり。私の役目は、何か不審な変化がないか、外から攻撃が来ないか見張ること。今のところ、何も怪しいことは起こっていません。


『浩介さん。お亡くなりになっていたことは存じませんでした』


 淡々と、カートさんの声が響きます。


『ご冥福を……』

「お前が殺したんだろう!?」


 店長が部屋の上の隅を向いて叫びました。小さく、黒く四角い何かがあります。あれがカメラなのでしょうか。


『私が彼を、自衛のために銃撃したことは事実です。ですが、威嚇いかく行為以上のものではありませんでした。私には人の命を奪うことは許可されてはいません。よって、軽傷に留め』

「もういい。お前らはそういう奴らだ」


 真っ暗なままのコンピュータの画面を見下ろしながら、店長はそう言い捨てます。


『おわかりいただけましたか』

「壊れたものは、直すか廃棄するかしかない」


 店長はきっと虚空をにらみつけると、私がいるドアのところにやって来ました。


 黒い尻尾が、殺気立ってぴんと立っています。


「エリカ。行くぞ」


 私は、店長に何か言いたかったのですが、何も言葉にすることができませんでした。私が両親を亡くしたのはうんと昔で、理由も病気でしたから。店長が怒るのは当然です。ただ私には、その気持ちを本当にわかることはできません。


 でも、でも。だめです。ちゃんと言わなきゃいけないの。私がひとりでぐずぐずしていたせいで、こんなことになったんだから。今度は、間違えません。


「店長!」


 五十鈴店長は目をぱちぱちとしながら私を見ます。私は店長の目を見返します。どんな心の中の声より、何より、本当の声の方がうんと強いのです。


「私、私は、何があっても店長の味方ですから」


 手を伸ばして、店長の大きな手をぎゅっと握ります。びく、と少し震えたその指は、でも、おずおずと私の手を握り返してくれて。


「だから、元気出してください。私、ここにいます。ちゃんと、一緒です」


 なんだかずれたような気もします。言いたいことが全部言えた気はしません。でも、少しでも、気持ちは伝わったでしょうか。私が、店長がつらい時、悲しい時、怒っている時だって、ずっと傍にいたいっていうこと。今、私が店長をとても心配しているということ。


「……お前、こんな時に、あいつにだって見られて、何を……」


 店長はあたふたと周りを気にするような素振りを見せましたけど、私、手は離しませんでした。


 耳と尻尾が、根負けしたようにくにゃりと垂れます。店長は、初めて私に、こんなことを言ってくれました。


「……ありがとう」


 私、町が閉じてから初めて、やっと少しだけ笑えた気がします。それは、昔のことを教えてくれた安藤さん、私達のためにがんばってくれたジニーや真治さん、そして、たとえ細くても道があることを示してくれた店長のおかげで。


 だから、今度は私、みんながちゃんとお日様の下で笑えるように頑張らないといけないのです。これが、私の決意表明。


『おや、カメラとマイクを切っておくべきでしたか?』

「うるさい! お前、本体を見つけたらただじゃおかんからな!」

『その際は、対処させていただきます』


 私達はまた廊下に抜け出し、奥を目指しました。目の前に、また透明のドア。その向こうには……白い人影が。


『ご安心を。銃は、重大な規範に反する可能性があることが判明しました。よって、今回は使用しません』


 ドアが、左右に割れるように開きました。安藤さんにそっくりな、私があの夜会った、白い機械の人。カートさん。


「私がお相手します」


 スピーカーの声が途切れ、代わりにカートさんの喉から同じ音声が聞こえました。ええと、探していたのはカートさんの本体で、それって、この人とは違うのでしょうか?


「エリカ!」


 私が混乱をしたその瞬間、カートさんと店長が同時に動きました。カートさんの手首ががくんと外れ、ぐんと紐のようなものが伸びます。店長は……それを、あえて逃げずに受けたように見えました。代わりに、私に向け背中のリュックサックを投げつけます。その直後、紐はぐるぐると店長の両腕に巻きつきました。


 私は投げられたリュックサックをどうにかキャッチし、重みで倒れそうになりながら、うんと姿勢を低くして走りました。言われなかったけど、求められていることはわかりました。どちらかが足止めされたら、もうひとりはこれを持って先に進む。先に決めてあったことです。


 そうして、カートさんの横をどうにか通り過ぎ、走って、ドアを抜けて。


 カートさんのもう片方の腕が追いかけてきます。リュックサックの肩紐を、掴みかけて逃します。私は避けた勢いで床に転がりました。慌てて起き上がり、荷物の中身の無事を確かめます。衝撃で壊れてしまってでもいたら。


 私は袋に手を差し込み、ずっしりと重く、丸い中身を取り出しました。それは軽く機械音を立てて、ゆっくりとを開きます。


「スリープモードを解除します……やあ、もう出番かな」


 薄緑色の瞳が、私を見て柔らかく笑うように細まりました。


 安藤さんが。


 分解され、切り離され、首から上だけになった安藤さんが、そこにいました。


 床にぶつかってはいたけれど、どうやら無事のよう。私はほっとして大きく息を吐いて、吸って。


 ドアの向こうでは格闘の音。耳元のトランシーバーでは、店長の悲鳴と、罵声が響きます。そうして、ざりざりとすごい音がして、何も聞こえなくなりました。


 急がないと。

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