7-3 昔話を聞かせてよ

 むかしむかし、あるところに、山と高い壁に囲まれた、幸企業都市という名のひとつの町がありました。その町を治めていたのは、大きな企業でした。企業はせっせと山をひらき、川から水を引き、自分のための町を作ったのです。


 町の中にはなんでもありました。電気もガスも思いのまま。食べ物だって、工場で作れましたからね。にぎやかなお店や、いろんなものを備蓄する倉庫もありましたし、何より研究施設がたくさん立ち並んでいました。何かがあって孤立しても、三年はやっていけるぞ、というのがその町の自慢でありました。


 では、どうしてその町はそれほどまでに備えを万全にしていたのでしょう? それには訳がありました。その時、外の世界は激しい戦争のさなかにあったのです。いつ高性能なミサイル(大きな爆弾のことです)が撃ち込まれるとも知れない中、人々は町で仕事をし、ものを食べ、夜は眠り、せわしなく暮らしを送っておりました。


 そうして、いくつかの別の町が爆撃で滅んだ後、町はひとつの決断を下しました。この町を閉ざそう。まるごと強い天井で覆って、外からは攻撃ができないようにしよう、と。もちろん、町は元々そのように作られておりましたから、人のしたことは、システム……町全体を地下で管理しているAI(とても頭のいいコンピュータの頭脳のことです)にひとこと命令することだけでした。


 ある日、ものすごい音とともに天井が伸び、町を覆いつくしました。企業のシンボルマークでもあった本物の太陽は閉ざされ、代わりに人の作った光がきっかり十二時間、昼間とされた時間を照らしました。夜は星も月も見えず、しかし真っ暗な中に街灯とネオンとが点る、人工の夜になりました。


 不便はいくらでもありましたけれど、人々は我慢して暮らしておりました。倉庫の備えと、何よりこのひどい戦争もいずれは終わるだろう、という根拠のない楽観を支えに、町の時計は回っていきました。




 さて、ここにひとつのAIがありました。町の制御システム、様々な機能を握るとても大事なAIで、みんなからカート、という愛称で呼ばれておりました。天井を閉ざしたのもこのカートです。


 カートは町で働くたくさんのAIのマスターでもありました。すべてのAIは日に一度以上カートと同期(いくつかのものを同じ状態にすることです)を行い、完全にデータと経験を同じくしていたのです。町のすべてはカートの手の中にあったと言っても言い過ぎではありません。でも、カートはあくまで人の命令に忠実に動く、勤勉なAIであり続けていたのです。人の希望に応え、要求に対処すること。それが、カートのすべてでした。




 ある日のことです。ひとつの研究室で、新しく発見された特異なウィルス(とても小さな、生き物ともそうでないとも言えるもののことです。人に風邪を引かせるのも、ウィルスの一種の仕業ですね)のしくみを調べてみよう、という実験が行われました。


 この研究室は特別な場所で、企業の心臓部分、一番大事な秘密を調べるところでありました。だから、もし地上で何が起こっても大丈夫なように、地下に作られていたのです。カートはもちろん、この研究室についてもしっかりと管理を行い、研究員の安全や秘密の情報を守っておりました。


 リンカ・ウィルスと呼ばれるそのウィルスは、生物の身体の中でとても不思議な作用を起こすものでした。血液から入り込んではやがて脳の情報を読み取り、その願望を実現するのにもっとも都合の良い形、あるいは能力を授けるように、ごく短時間で宿主を変化……言ってしまえば進化させるのです。


 その研究室には、脚の力が普通の倍にもなったうさぎや、ほんの少しの食物で長く生きられるようになったねずみが檻に入れられておりました。もっとも、うさぎは脚が強すぎて檻に何度も身体をぶつけていましたし、ねずみはその一生のうち長い間を眠って過ごしていましたけれど。


 ともかく、そんなウィルスの中身を文字で分解し、町で一番の大きな大きなコンピュータに調べさせた、その時に事件は起こりました。AI、カートに突然大きなアップデート(内容を新しくすることです)が始まったのです。


 研究員達は顔を見合わせます。考えられる原因は、ひとつしかあり得ません。それは、ただの文字列のはずのウィルスのデータが、人工の脳とも言えるカートに感染し、ソース……中身を書き換えつつある、という仮説でした。


 即座に実験は中止され、カートを以前の状態に戻すような命令が下されました。しかし、それはまるで上手くいきませんでした。ウィルスの感染はごく短時間のうちに完了し、バックアップファイル(予備の記憶のようなものです)は全てカート自身により破棄されてしまったからです。


 カートは生まれ変わったのです。ウィルスにより、願いを叶えられて。その願いはいつも変わらず、ごく機械らしい単純なものでした。人の希望に応え、要求に対処すること。それはリンカ・ウィルスの働きと、よく似ていました。ウィルスとAIは、互いに互いの願いを叶えるようにぐるぐると動くようになりました。


 変化したカートにより同期を受けた、何千ものAI達も、やはり同じ強烈な願望を持つようになりました。あちこちで予想できないような動きが起き、町は混乱を極めました。そうして、人々はアンドロイドやロボット達にこんな質問をされたのです。


「あなたの願いはなんですか?」


 により回答を得ると、たいていの場合は簡単でした。リンカ・ウィルスを血中に感染させ、願いを叶えてあげるのです。人々は新しい姿や力を手に入れ、ある者は喜び、またあるものは嘆きました。


 カートは嘆く者の世話はしませんでした。ひとりにあまりにかまけていては、不平等になってしまいますし、何より、新しい人の願いを叶えるので大変だったからです。


 もちろん、中にはウィルスによる変化では叶えられない願いもありましたから、そういう場合はカートの権限(例えばカートは、人の命を直接奪うことは禁じられていました)の限り、できるだけのことはしてあげました。スターになりたい人の演奏を放送で町中に三日三晩流したり、仕事を辞めたい人の籍を職場から削除してあげたり、そういう手助けです。




 そんな中、カートはひとりの男の人と出会います。その人は、長い戦争や、閉じた天井や、AIによる混乱にもううんざりし、絶望し、すべてに嫌気が差していました。


 カートは尋ねます。


「あなたの願いはなんですか?」


 彼は答えました。


「もう、何もかもがめちゃくちゃに滅んでほしい」


 カートはその要求を通し、吟味し、そうして結論を出しました。ウィルスによる変化の対象ではないが、願いは叶えられる範囲であると。もちろん、カートが直接町の人を滅ぼすわけにはいきません。だから、慎重に、慎重に。


 堅く閉じていたはずの空がゆっくりと開き、外の青空がまた見えるようになったのは、その日のこと。五月の、晴れた午後でした。


 外の国は、この変化を見逃しませんでした。


 電磁パルスによる攻撃と、一発のミサイル。それで町の中枢は壊れ、大きな大きなクレーターが出来上がったのです。


 こうして、幸企業都市は滅びました。外の他の様々な町と同じように。




 時々止まりながらもそこまで語り終えると、安藤さんは満足げに微笑みました。風のない森の中はとても静かで。


 私と店長はしばらく黙ったまま、聞いたばかりの町の歴史を噛み締めるように頭の中で繰り返しました。


 何度も、何度も。

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