6-4 私のギフト

 小さな光は懐中電灯か何かのようで、でも、もっと強く、明るいものでした。私は少し進むと、はっと気づいて辺りを見回します。これ、結構危ないことをしているのでは?


 いけません。帰らなきゃ。元来た真っ暗な道を振り向いたその時、首筋にちくり、と小さく痛みが走りました。刃物とかではありません。蜂か何かに刺されたよりも、もっと小さな痛みです。すっかり怖くなってまたきょろきょろしたところ、急に目の前に人影が現れました。


 あの光にうっすらと照らされた、真っ白で、驚くほどにつるりと整った顔の、男の人。見覚えがあります。


「……安藤さん?」


 私はつぶやきます。そうして、おかしなことに気づきました。温室にいた安藤さんは、脚が壊れています。他にも、あちこちすり切れて汚れていました。目の前のこの人はまるでぴかぴかに綺麗で、二本の脚でしっかり立っているのでした。


「推察するに、私と同型の機体をご覧になったことがあるようですね」


 その人は、やっぱり安藤さんと同じ声で、流れるように話し始めました。


「このボディはサービス用標準機のマスプロですから、そういうこともあります」

「ええと」


 安藤さんは機械の人ですから、同じように作られた人もいる、という理解でいいのでしょうか。機械って確か、手作りのものとは違って全く同じものをいくつも同時に作っていたはずですから。


「あなたは、誰?」

「ボディに個体名は存在しませんが、AIは過去、カートと呼び習わされていました」


 カートさん。一体どういう人なのでしょうか。私はなんだか少しぼんやりした気分で、薄く浮かんだその人の顔をじっと眺めていました。


「私の使命は、皆様の要求に対処すること」


 要求。お願い。少しじんと熱い頭の奥で、ギフトのことを思い出しました。夜に出歩く人が対象で、でも、みんな何も覚えていなくて、そうして、目が覚めると新しい不思議な力が。


 私は、何かその人に聞こうとしたのですが、不思議にとろとろと、眠たいような、重たいような、反対にふわふわ軽いような気持ちになって、考えがまとまりません。引き返そうという気持ちは、いつの間にかどこかに去ってしまいました。


「あなたの願いはなんですか?」


 私、私は。


 頭の中が、バターを作る時みたいにぐるぐるとかき回されるようでした。たくさんの記憶が後から後から押し寄せてきて、止まらないのです。


 お願いなんて、いくつもあります。叶えてもらえるなら、なんだって言います。でも、ひとつだけ選ぶなら、今の私にはこれしかありません。


「変わらない、前のままのこの町に、ずっといたいです」


 私の声は、わんわんと頭に響くようでした。カートさんは少し考えるように首を傾げます。


「なるほど」


 何か、いけないことを言ったでしょうか。ふわりとそんな不安が浮かび、また溶け去っていきます。


「私の想定していた方法では、解決が不可能な範囲のお願いではありますね。しかし、全体では許容範囲です」


 カートさんはにこりと笑みを浮かべます。安藤さんの笑いとは、同じような、何かどこか違うような、不思議な涼しい笑顔でした。


「お帰りなさい。あなたの願いは、叶えられるでしょう」


 待って、私、あなたに聞きたいことがあるんです。私の中の私が、閉じ込められた扉を叩くような気持ちで叫びますが、外側の私はすっかりぼうっとして、こくりとうなずきました。そうして、私はそのまま夢遊病者の足取りで、ゆっくりと家路をたどったのです。




 目が覚めると、私はほとんど何も覚えていませんでした。




 朝です。目覚ましより少し早く起きたようで、窓から明るい光が差し込んできます。なんだかスッキリ目が覚めた気分。よく覚えていないけど、昨日は早めに寝てしまったようでした。誰かと話した夢を見ていた気がします。


 うん、と伸びをします。すると悩みがまた黒々と頭の中に蘇ってきて……でも、そうです。いじけてばかりもいられません。私はちゃんと、ひとつずつ解決していかないといけないのです。まずは……。


 考えをまとめようとしたその時です。


 突然、空間ごと揺れ動くような、低い恐ろしい音が鳴り響きました。


 地鳴り、地震?と最初に思いました。でも、震えているのは空気であって、地面ではありません。音は、ずっと続いています。


 クレムが部屋のドアを開けて何か言ってきましたが、何も聞こえません。緊張した戸惑い顔です。私もそう。何もわかりません。ふたりで居間へ行き、やっぱり不安顔の叔父さん叔母さんと、玄関へ行き、外へ。


 音は、いっそう激しくなりました。鳥の群れが、恐れるように飛び立っていきます。外の様子は何も変わらないようですが……いいえ。


 空が、狭くなっていました。


 晴れた薄青の空が、少しずつ、何か天井のようなものに覆い隠されようとしています。日食を思い出しましたが、空が全部隠れるなんて、そんなことありますか?


 周りの家からも人が出てきて、ぽかんと空を見上げていました。ざわざわとどよめきが起きます。辺りはだんだん、じわじわと暗くなっていきます。もし全部隠れたら、また真っ暗の夜になってしまうのでは。私は息を呑みました。


 両側から伸びてきた、灰色の天井が青空を挟み込むように消していきます。もう、細い帯のようにしか空は見えません。それは青い糸のようになって、そうして。


 ひときわ大きく、ずず、と音が鳴り響くと、辺りはまた漆黒の夜になりました。


 月もない、星もない、本当の夜に。




「だめだな、みんなパニックになっている」


 私達はとにかく手探りで家に戻り、電気を点けて半日ほど不安に震えていました。ひとりで外を見回っていた叔父さんが帰ってきます。無事で良かったけど、街灯が点いて危なくはないという以外に明るい話題はないようです。


「自警団が見回っていて、少し状況を教えてくれた。壁から天井が生えてきて、町全体を覆っているそうだ」

「どういうことなの」

「わからない。壁の出入り口の方にも人が殺到しているみたいだが、扉は閉じられたままらしい」


 出入り口は昔からの機構ですから、機能が突然働いて、私達を閉じ込めてしまったということでしょうか。天井もそう? でも、壁はともかく、空を塞いで何のいいことがあるのでしょう。


「俺、飛んで天井を見てこようか?」

「よしなさい、危ないわ。もう少ししたら直るかもしれないし……」


 クレムが不満げにはあい、と言い、それから私の方を見ました。


「……エリカ、大丈夫?」


 よほど心細げな顔をしていたのでしょう。私は無理に笑顔を作って見せました。


 私の中にわだかまる、この気がかりな気持ちは、なんでしょう。それは、ぐるぐると身体にまとわりつく、大きな蛇のような。なんだか、あの昨晩の夢にぞろりとつながっているような気がしました。


「いつまで続くのかしら。電気や水は外に人もいるだろうし、多少は大丈夫だと思うけど……。食料が不安だわ」


 そう、動いている昔ながらの合成工場や加工場は壁の中にいくつかありますが、畑はみんな壁の向こうです。このままではそのうちお腹が減って動けなくなってしまうかもしれません。


「さすがにそう長くはないと思うが……備蓄を見てくるよ」

「お願い」


 私は震えながら、少しずつ、少しずつ、昨日のおぼろげな夢の記憶の欠片をたどりました。ほとんど霧の中のようで何も見えてきませんが、今、何か手がかりがあったような。


 お願い。願い。願い事。




『あなたの願いは、叶えられるでしょう』




 私は、ばね仕掛けのお人形のように立ち上がりました。家族が心配そうにこちらを見てきますが、それどころではありませんでした。


 そうだ。私は昨晩、誰かにお願いをして、それを叶えてもらって、そうして。




 私の願いは、『前のままのこの町にずっといること』。




 前のまま、がどうなのかはわかりませんが、後半はわかります。確かです。私達は閉じ込められました。閉鎖が解けなければ、この町に、ずっと。


 ずっといることになるのです。


 私は理解しました。願いは叶えられました。




 これが、私のギフト。

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