6-2 ふたつの道の真ん中で
「移り住む、って、どうして?」
私はまずそう聞きました。叔母さんはこの町を出るの、反対ではなかったかしら。しかも、この口調だと結構長い間あちらにいるみたい。
「いろいろね、仕事であちらに勉強に行かないかって話がまた持ち上がったり。クレムの力も落ち着いてきたようでもあるし……」
叔母さんは、少し目を伏せました。
「あの子が、心配なのよ。この間のお祭りの件、あれは火傷で済んだけど、やっぱり親がちゃんと見ていてあげないと、と思ったの。だから、どこに住むにしても一緒が前提」
それは、わかります。クレムはまだ幼くて、不安定なところがありますからね。本人に言ったら怒られそうだけど。
「それで……ねえ、エリカ。クレムの最近の様子、どう思う?」
どう、と言われても。なんだかお見舞いのお友達が多くて、楽しそうだなあと思っていましたし、それをそのまま伝えました。叔母さんは、少し笑って言ったのです。
「あの子ね、ずっと、あのお祭りの日の話をお見舞いの人にしてるわ。もちろん、あの子は偉い子で、それを誇るのには何も問題はないのよ。ただ、なんだか……ねえ、お見舞いの人、どんどん増えているのよ。前はクレムと特に親しくもなかったような人が、毎日のように来て……」
それは初耳です。なんとなく、少し不気味な気分が鎌首をもたげた気がしました。
「あのお祭りの日から、ギフトの扱いが少し変わった気がするの。変に持ち上げられるようになったような」
わかりません。持ち上げられるなら、馬鹿にされたり、いじめられたりするよりも良いことなのではないでしょうか。
「今はね、それでもいい。でも、
「でも……」
「そうね、逃げかもしれないし、考えすぎかもしれない。他所で力がばれたら、もっとひどい目に遭うかもしれない」
でもね、私は、できる限りあの子を守りたいのよ。
叔母さんは、断固とした口調でそう言うのです。そうしたら、私の意見なんてなんでしょう。
「それでね、エリカ。あなたは、どうする?」
え、と目をぱちくりさせました。そうです、確かに、家族がみんないなくなったら、私は。
私は。
「あなたももう十八ですものね。好きに選んでいいのよ。私達と一緒に来ても、ここにそのまま残っても」
残りたい。私、この町が好きだから。……とすぐに言おうとして、はたと思い当たりました。でも、ひとりで暮らすなんてできるの?
私は忙しく考えて……困りました。弱りました。今の貯金では、どうしても暮らしていくお金が足りないのです。もちろん、店長はちゃんと適正にお給料を払ってくれているのですけど。
「経済的なところは、気にしないで。多少なら援助もできるわ。本当に、好きな方を選んでくれていいのよ」
なんだか、口の中が苦い気分。私は、唇を噛んで下を向きました。
できません。半歩の遠慮が、私を引き止めます。こんなにずっと、小さな時からお世話になって、それなのに、まだこれ以上だなんて。ついて行けば行ったで、もちろんお金はかかるのでしょうし、残ったら残ったで遠くから援助だなんて、大変すぎます。
「大丈夫よ。少し考えてからでも」
黙りこくってしまった私の頭を、叔母さんはぽんぽんと撫でてくれました。子供の頃みたいに。でも、私、もう小さな子供ではなくて、そろそろ自立をしないといけないのに、できなくて。
情けなくて、涙が出そうでした。少し待ってね、とだけ言って、私は自分の部屋にふらふらと帰り、枕に顔をうずめました。
次の日。店長のソースコード?との戦いは、まだ続いているようでした。目の下に隈を作りながら、画面をじっと眺めて、時々人差し指を動かして。一体、何をしているのかは、やっぱりよくわかりません。
「店長」
「うん……」
上の空みたい。私は昨日の叔母さんの言葉を繰り返し繰り返し思い出しては、決めかねてずん、とした気持ちになっていました。
なんとなく店長は、何があってもずっとお店があるこの町にいるのだろうな、とそう思います。だとすると、糖蜜町に行ったら店長とお別れになってしまいます。
それは、嫌だなあ。
「店長、店長は」
「ちょっと待っ……ああ、いや、いい」
たん、とキーボードの音を立てると、店長はやっとこちらを見てくれました。しょぼしょぼの目ですけどね。
「店長は、ギフトを持っていて、最近何か町が変わった感じ、しますか」
「変わった感じ?」
店長は、耳を動かしながら考えている様子。
「……声をかけられることが増えたな。この間の祭の労いだとか」
なるほど。クレムや
「叔母さんが少し、怖がっていて。みんなの態度が反転したら怖いって」
「ああ……」
わからんでもない。店長はつぶやきます。
「出る杭は打たれる、英雄は追われるものだ」
「店長は、そうなったらどうします」
店長、不機嫌そうに眉をひそめましたが、すぐにこんなことを答えてくれました。
「遺跡に逃げるな。隠居する。時々町に出て食べ物と機械や金属を交換して……」
「あ、楽しそう」
「どうだろうな」
そうしたら、私、時々必要なものを届けに行きますよ、だから、私には隠れ家を教えてくださいね。
そう言おうとして、舌がもつれます。私はその時、このさきわい町にいられるのかどうか、それすらわからないことに気づいたのです。
「どうした?」
三角の耳がぴこぴことこちらを向いて動いているのを尻目に、私は首を横に振りました。
「なんでもないです。……そういえば店長、ずっとそのキーボード、人差し指で打ってますよね?」
「何をいきなり」
少し、話題の変え方が強引すぎたでしょうか。まあ、とにかく私は続けます。移住の話は、まだ店長に相談するには早い気がしたので。
「あのシンセサイザーの時と同じように、両手の指を使えばいいのに、って思って」
「お前……!」
馬鹿にしているのか、とか、試したけど無理だったんだ、とかそう怒られるのを一瞬覚悟しました。でも。
「伝説のタッチタイピング……! 独力でたどり着いたのか……?」
「えっ?」
店長、なんだか感激した顔をしています。耳を見るまでもありません。
「いや、だがタッチタイピングは一流のハッカーにのみ許された姿勢と伝えられている」
「
「今の僕には人差し指が精一杯だ」
よくわからないけど、そうなのでしょう。店長、ちゃんと寝ているのかしら。少しふらふらしているし、徹夜でおかしくなってはいない?
それから店長はもう一度、画面とのにらみ合いに戻ります。私は掃除をしたり、たまに来るお客さんを相手したり、なんとなくその日はいつもより忙しかった気がします。そういえば、店長に話しかける人も多かったかも。
窓の外をちらりと見ます。雨は止んだけど、空は灰色の曇りのまま。なかなか、すぐに晴れたりはしないようでした。
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