6-2 ふたつの道の真ん中で

 糖蜜町とうみつちょう。お隣の大きな町です。お隣といっても、旧道路をたどって長いこと車に揺られないといけない場所で。具体的にどれくらいかかるのかも、私は知りません。人や物の行き来自体はあるのですけど。


「移り住む、って、どうして?」


 私はまずそう聞きました。叔母さんはこの町を出るの、反対ではなかったかしら。しかも、この口調だと結構長い間あちらにいるみたい。


「いろいろね、仕事であちらに勉強に行かないかって話がまた持ち上がったり。クレムの力も落ち着いてきたようでもあるし……」


 叔母さんは、少し目を伏せました。


「あの子が、心配なのよ。この間のお祭りの件、あれは火傷で済んだけど、やっぱり親がちゃんと見ていてあげないと、と思ったの。だから、どこに住むにしても一緒が前提」


 それは、わかります。クレムはまだ幼くて、不安定なところがありますからね。本人に言ったら怒られそうだけど。


「それで……ねえ、エリカ。クレムの最近の様子、どう思う?」


 どう、と言われても。なんだかお見舞いのお友達が多くて、楽しそうだなあと思っていましたし、それをそのまま伝えました。叔母さんは、少し笑って言ったのです。


「あの子ね、ずっと、あのお祭りの日の話をお見舞いの人にしてるわ。もちろん、あの子は偉い子で、それを誇るのには何も問題はないのよ。ただ、なんだか……ねえ、お見舞いの人、どんどん増えているのよ。前はクレムと特に親しくもなかったような人が、毎日のように来て……」


 それは初耳です。なんとなく、少し不気味な気分が鎌首をもたげた気がしました。


「あのお祭りの日から、ギフトの扱いが少し変わった気がするの。変に持ち上げられるようになったような」


 わかりません。持ち上げられるなら、馬鹿にされたり、いじめられたりするよりも良いことなのではないでしょうか。


「今はね、それでもいい。でも、たかぶった気持ちはそのうち反転しかねない。私はそれが怖いし、そんなこの町を見たくないわ。だから、しばらくでも外で様子を見ようと思ったのよ。クレムともちゃんと話し合ったしね。あの子は賢いし、元々他所に行きたがってたわけだから、すぐ飲み込んでくれた」

「でも……」

「そうね、逃げかもしれないし、考えすぎかもしれない。他所で力がばれたら、もっとひどい目に遭うかもしれない」


 でもね、私は、できる限りあの子を守りたいのよ。


 叔母さんは、断固とした口調でそう言うのです。そうしたら、私の意見なんてなんでしょう。


「それでね、エリカ。あなたは、どうする?」


 え、と目をぱちくりさせました。そうです、確かに、家族がみんないなくなったら、私は。


 私は。


「あなたももう十八ですものね。好きに選んでいいのよ。私達と一緒に来ても、ここにそのまま残っても」


 残りたい。私、この町が好きだから。……とすぐに言おうとして、はたと思い当たりました。でも、ひとりで暮らすなんてできるの?


 私は忙しく考えて……困りました。弱りました。今の貯金では、どうしても暮らしていくお金が足りないのです。もちろん、店長はちゃんと適正にお給料を払ってくれているのですけど。


「経済的なところは、気にしないで。多少なら援助もできるわ。本当に、好きな方を選んでくれていいのよ」


 なんだか、口の中が苦い気分。私は、唇を噛んで下を向きました。


 できません。半歩の遠慮が、私を引き止めます。こんなにずっと、小さな時からお世話になって、それなのに、まだこれ以上だなんて。ついて行けば行ったで、もちろんお金はかかるのでしょうし、残ったら残ったで遠くから援助だなんて、大変すぎます。


「大丈夫よ。少し考えてからでも」


 黙りこくってしまった私の頭を、叔母さんはぽんぽんと撫でてくれました。子供の頃みたいに。でも、私、もう小さな子供ではなくて、そろそろ自立をしないといけないのに、できなくて。


 情けなくて、涙が出そうでした。少し待ってね、とだけ言って、私は自分の部屋にふらふらと帰り、枕に顔をうずめました。




 次の日。店長のソースコード?との戦いは、まだ続いているようでした。目の下に隈を作りながら、画面をじっと眺めて、時々人差し指を動かして。一体、何をしているのかは、やっぱりよくわかりません。


「店長」

「うん……」


 上の空みたい。私は昨日の叔母さんの言葉を繰り返し繰り返し思い出しては、決めかねてずん、とした気持ちになっていました。


 なんとなく店長は、何があってもずっとお店があるこの町にいるのだろうな、とそう思います。だとすると、糖蜜町に行ったら店長とお別れになってしまいます。


 それは、嫌だなあ。


「店長、店長は」

「ちょっと待っ……ああ、いや、いい」


 たん、とキーボードの音を立てると、店長はやっとこちらを見てくれました。しょぼしょぼの目ですけどね。


「店長は、ギフトを持っていて、最近何か町が変わった感じ、しますか」

「変わった感じ?」


 店長は、耳を動かしながら考えている様子。


「……声をかけられることが増えたな。この間の祭の労いだとか」


 なるほど。クレムや真治しんじさんほど派手ではないけれど、店長も最初にやぐらが倒れるのを察知した重要な人です。やっぱりみんな気になっているのかも。


「叔母さんが少し、怖がっていて。みんなの態度が反転したら怖いって」

「ああ……」


 わからんでもない。店長はつぶやきます。


「出る杭は打たれる、英雄は追われるものだ」

「店長は、そうなったらどうします」


 店長、不機嫌そうに眉をひそめましたが、すぐにこんなことを答えてくれました。


「遺跡に逃げるな。隠居する。時々町に出て食べ物と機械や金属を交換して……」

「あ、楽しそう」

「どうだろうな」


 そうしたら、私、時々必要なものを届けに行きますよ、だから、私には隠れ家を教えてくださいね。


 そう言おうとして、舌がもつれます。私はその時、このさきわい町にいられるのかどうか、それすらわからないことに気づいたのです。


「どうした?」


 三角の耳がぴこぴことこちらを向いて動いているのを尻目に、私は首を横に振りました。


「なんでもないです。……そういえば店長、ずっとそのキーボード、人差し指で打ってますよね?」

「何をいきなり」


 少し、話題の変え方が強引すぎたでしょうか。まあ、とにかく私は続けます。移住の話は、まだ店長に相談するには早い気がしたので。


「あのシンセサイザーの時と同じように、両手の指を使えばいいのに、って思って」

「お前……!」


 馬鹿にしているのか、とか、試したけど無理だったんだ、とかそう怒られるのを一瞬覚悟しました。でも。


「伝説のタッチタイピング……! 独力でたどり着いたのか……?」

「えっ?」


 店長、なんだか感激した顔をしています。耳を見るまでもありません。


「いや、だがタッチタイピングは一流のハッカーにのみ許された姿勢と伝えられている」

薄荷はっか?」

「今の僕には人差し指が精一杯だ」


 よくわからないけど、そうなのでしょう。店長、ちゃんと寝ているのかしら。少しふらふらしているし、徹夜でおかしくなってはいない?


 それから店長はもう一度、画面とのにらみ合いに戻ります。私は掃除をしたり、たまに来るお客さんを相手したり、なんとなくその日はいつもより忙しかった気がします。そういえば、店長に話しかける人も多かったかも。


 窓の外をちらりと見ます。雨は止んだけど、空は灰色の曇りのまま。なかなか、すぐに晴れたりはしないようでした。

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