第6話 やがて夜の帳は降りて

6-1 機械の言葉と店長の内緒

 ここしばらく、五十鈴いすず店長は『コンピュータ』のつるっとした画面とにらめっこを続けています。真っ黒な中には、私のよくわからない、緑色の文字がずらりと。いいえ、文字は読めるし、わかる単語もいくつもあるのですけれど、普通の文章とは少し違っているようです。


 今日は久しぶりのしとしとと降る雨。雨の日は、あまりお客さんは入ってきません。私は立ちっぱなしで少し暇で、だからちょっと話しかけてみることにしました。


「店長」

「うん」


 よほど集中しているのでしょう。店長から返ってきたのは気のない生返事。


「それ、なんですか? 店長には読めるんですか?」

「これは、ソースコード……」


 背中を曲げていた店長は、椅子の背もたれに寄りかかると、眉間をつまんで、ふう、と長く息を吐きました。ぴんと立っていた猫の耳が、リラックスするようにほんの少し前に倒れます。機械の画面は光が出ているので、長い時間使っているとこんな風に疲れるのだとか。店長が眼鏡なのも、そのせいでしょうか。


「……機械に命令するための言葉、だな。僕もきちんとはわからない。親父の得意分野だった」


 またお父さんのお話。店長はよほどお父さんのことが……と思いましたが、まあ、それは良いのです。


「えっと、その言葉がわかれば、機械とお話ができるんですか?」

「多分そう来ると思ったが、お前は少し勘違いをしている」

「えっ? 『こんにちは』とか『いつもありがとう』とか、そういうことを……」

「あのな」


 目をしょぼしょぼとさせながら、店長は訂正をしてきます。この様子だと、夜もずっと画面を見ていたのじゃないかしら。


「機械に人格はないと言ったろう。そう都合よく和気あいあいとお話ができるものか」

「ええー」


 残念! いつも経理を手伝ってくれるコンピュータさんや、ほうきよりも使いやすい掃除機さん、計算が得意な電卓さんなんかにはお礼を言いたかったし、お店に並ぶ機械達には『新しい場所でも幸せにね』って言ってあげたかったのに。


「人間と機械の基本の関係は、命令と服従だ。そうでなければ、そいつは壊れている」


 壊れていれば、直すか廃棄するかしかない。店長は目を瞬かせながらそんなことを言うのです。私は少し悔しくて、何か言い返す材料を探し……見つけました。


「でも、安藤さんはちょっと違いましたよね。壊れてるって言ってましたけど、そのままにしてる」


 温室跡のアンドロイドの安藤さん。少しおかしなことを時々言う以外は、ほとんど人みたいな話ができたのですが。


「あれはもう、学習機能が稼働したまま時間が経ちすぎて、一から直そうにもわけがわからないことになっているんだ。この町で現役のAIなんて他にそうない。ボディの方は替えがないし。害はないから、そのままだ」


 いろいろ、難しいようです。安藤さんのことを考えると少し悲しくなるので、もっと長生きしてほしいのだけど。それも、人のわがままなのかな。


「安藤さんは、そのごにゃごにゃっとした言葉でなくても話が通じましたよね?」

「あれは例外で、元々接客用だ。その辺の機能は強い。が、やはり重要な命令をする時は、口頭では無理なように出来ているみたいだな」


 ああ、と思い当たります。多分、それにIDとパスワードというやつが関わっているのです。ちゃんと覚えていたのは自分でも偉いと思いました。店長はこれくらいのことではほめてくれませんから、代わりに自分でほめます。エリカ・スタージョン、一等賞!


「そういえば、お父さんのデータは見られたんですか?」


 店長がゆっくりと首を振りました。


「いや……。その、特殊な型の端子が必要で、町をあちこち探しているが、あー、なかなか、対応したものがない」

「そうなんですか」


 尻尾が縦にぺしぺしと、なんだか落ち着きなく揺れます。私はそれを、見ないふりをしました。


「じゃあ、もしかすると遺跡とかに行かないといけないのでは? 私、ちょっと興味あるんです。お手伝いしたいです。あっ、銃があったりするところは怖いけど……」

「二級に無免許者の同行は許可されていない」


 店長はぐっと私をにらみます。元々目つきが悪いところ、疲れ目のせいでなんだかつらそうな顔になっていました。


「諦めるか、自分で勉強して免許を取れ」

「今行きたいんですってば」


 店長はまた画面に目を戻してしまったので、私は仕方なく立ちっぱなしに戻ります。窓の外、くすんだ色のがらくた通りに降る雨を見たり。晴れ続きだったから、お隣のお店の鉢植えなんかは喜んでいるでしょうか。私の物思いは、あちこちを巡ります。




 店長。店長は私のこと、少し甘く見ていると思うのです。


 私、気づいているんですよ。店長が嘘をついていること。多分、店長は、あのお父さんの遺したデータを、もうのぞいている。中身を知っている。私、店長のことずっと見てましたから、わかるんです。


 そんなことを言ってしまおうかとも思いましたけど、少しだけ待つことにしました。お父さんとのことにどこまで踏み込んでいいのかは、わかりません。何か正当な理由があるなら仕方がないし、そうでなくても、今はお仕事なのか何なのか、カタカタと人差し指でキーボードを打つのに夢中のようですから。




 その日はやっぱり誰も来ることはなく、あまりに暇だったのでお店は早めに閉まりました。街灯がつき始めた頃合い、薄闇の中を傘を差して歩きます。ひび割れた黒い道の合間からは、緑が勢いよく育っています。でも、これもそのうち摘まれてしまうのです。育ちすぎると道が埋もれてしまうから、だとか。


「あれ、エリカじゃないか」


 前を歩いてくる大きな影から、叔父さんの声がしました。私は手を振って早足で近寄ります。


「今日はお店が早く終わったの。お買い物?」

「うん。今日はキャベツの煮物を作ろうね。少し待ってもらうけど」

「ううん、楽しみ!」


 ああ、と叔父さんが少し立ち止まって言いました。


「そうだ、ちょうどいいな。メイと少し話をするといい。あいつも、今日は早く帰ったから」


 メイ、というのは叔母さんの名前です。やっぱりどこも雨の日は早じまいなのかしら。でも、お話ってなんだろう。私は少し不思議に思います。


 それから、新しい煉瓦の家が濡れて、赤を濃くした住宅街を少し歩いて、いつもの家にただいまを言って。玄関に飾られた花も、綺麗に片付けられた廊下もいつも通り。


「おかえりなさい」


 叔母さんは少し疲れた顔の様子。うんと難しいお仕事なのかもしれません。建築の仕事も、ただ設計図を引けばいいというものではありませんからね。周りの人と仲良くやるのが何より大事なのよ、って叔母さんはよく言っていました。


「ちょうど帰りに行きあってね。……どうせだから、今あの話をしてしまうのはどうだい」

「ああ、そうね。それがいいかもね。エリカ、荷物を置いたら、ちょっと座ってもらってもいい?」


 なんだか、改まった感じ。どうも様子がおかしいのです。はあい、と返事をして、いつもの通り、鞄を部屋に置いて、ダイニングにすぐに戻ります。クレムは部屋にいるようです。妙に静かだから、変な時間に寝てしまっているのかも。夜眠れなくなっても知らないぞ、と思いました。


「どうしたの?」

「ええ、あのね、エリカ」


 叔母さんは、いつもとは少し違う、何か決意したような顔で話し始めます。


「私達ね、糖蜜町とうみつちょうにしばらく移り住もうかと思っているの」


 その言葉は、とてもとても唐突で。


 私は、目を瞬かせて、しばらく飲み込むのに時間がかかったのでした。

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