5-2 地面の下の隠し事
大学公園は、今日も緑に包まれて静かでした。遊ぶ子供達の姿も見えません。まだ学校で勉強をしている時間なのでしょう。
さくさくと草を踏みながら歩いて、奥の方に行きます。店長とは一度、猫のビビを助けるためにここに一緒に来ました。でもその時とはずいぶん違う様子。ジニーの先導に従って、店長は無言でどんどん歩いて行くので、私は追いかけるのが大変でした。
蔦まみれの建物の中は、一度片付けられているとはいえ荒れて汚れています。ガラスは無残に割れているし、廊下のつるりとした床は土埃まみれ。こんなところを遊び場にしていたジニーは、地下のことを置いておいてもなかなか度胸があると思いました。
「この辺だったと思うんだけどな。なんか変なところに階段があるんだよ。蓋を閉めると隠れちゃうような」
ジニーはきょろきょろと辺りを探しています。
「……ああ、あそこか」
店長が指差した先、上へ行く階段の陰には、ぽかりと穴があり、暗い下へと階段が延びていました。蓋は開いているようです。覗き込むと、中は土埃やら崩落した壁やらでごちゃごちゃした様子の空間。どんな遺跡なのかはよくわかりませんが、地下室があるのは確かです。
「ここ? ジニーが遊んでたのは」
「多分ね。昔より荒れてるけど、見覚えはある」
店長は少し考え、そうして階段を降り始めました。
「て、店長。大丈夫ですか?」
「何があるか確かめなければ意味がない」
今の店長はマントは着ていませんから、尻尾が動くのがよく見えました。あまり余裕がなさそうにゆらゆら揺れています。
「僕ひとりでいい。お前らはそこで待っていろ。何かあったら人を呼べ」
「お前調査免許持ってんの?」
「二級」
私とジニーは顔を見合わせます。店長らしからぬ直進ぶり。お父さんのことが、それほど気になるのでしょうけど……。
かつ、かつ、と足音は硬い床の音を立て、そうして少しずつ遠ざかっていきました。そして、しんとした空間に、遠くで小鳥の声が響きます。
「大丈夫、かな」
「まずい気がする。やばいな。これ、あたしひとりが目をつぶってどうこうって話じゃないかも」
追いかける。ジニーが穴に飛び込みました。私も慌てて後を追います。
「ちょっ、エリカは外で待っててよ!」
「だって、心配で!」
階段の半ばで少し押し問答をしていたら、遠く、降りた先にある廊下のような空間から平坦な声が聞こえてきました。
「登録者以外の入場は禁じられています。IDとパスワードを入力してください」
安藤さんの声に似ているな、と思いました。声は女の人のものですが、起伏のなさが同じ感じ。
「IDとパスワードを入力してください」
「IDとパスワードを入力してください」
「IDとパスワードを」
「ねえ、なんか五十鈴、手こずってるんじゃない?」
ビーッ、と嫌な音が響きます。途端に、ばたばたと音を立てて店長が走って来ました。
「お前らなんでいる!? 早く外に出ろ!」
押されるようにして、私達は慌てて階段を駆け上りました。遠くから、ぱん、という何かが破裂するような音が聞こえてきました。
「えっ、あれ、何ですか? 花火?」
「爆竹みたいな……」
「そんなお気楽なものがあるか! ……銃だ」
銃。聞いたことはあります。町の外の山で狩りをするような人は持っている……武器。
私はなんだか力が抜けそうになって、近くの壁に寄りかかりました。平和な町。平和な毎日。でもその下には……そんな恐ろしい武器がまだ生きて、人を狙っているなんて。
「多分、親父はああいった自動警備にやられたんだ。辻褄は、合う」
「ここで、何しようとしてたわけ」
店長は首を振ります。さすがにそこまではわからないようです。
「あたし、ここのこと上の人に話すからね。さすがに見逃せない」
ジニーはすっかり自警団員の真面目な顔になっていました。
「……もう少しだけ待ってもらいたいが……仕方がない」
店長は少し青い顔でうなずきます。
「帰ろう」
帰り道もやっぱりみんな無言で、私はとても寂しい気持ちになりました。遺跡って何でしょう。昔の人は、どうしてあんなにまでして中に入ってもらいたくなかったのかなあ。考えても考えても、私には何もわからなくて、また悲しくなりました。
ジニーが途中で詰所に向かったので、私と店長はふたりでがらくた通りに帰ってきました。
「あの、あれですね。あったかいお茶でも淹れましょう」
店長は黙ったまま、耳もぴんと立ったままです。
「少し休憩した方がいいです。気を張っていすぎると疲れちゃいますよ」
どうにか明るい声を出して、お店に入るとすぐ給湯ポットを動かします。これも古いけれど、すぐにお湯を沸かしてくれる優れものです。
「エリカ」
「はあい。シロップは入れます?」
しかし、店長はまだ何か考え込むような顔をしています。お茶どころではない、というような。そうして、こんなことを言い出したのです。
「……これは、僕がずっと考えていて、だが、それこそ何も根拠がないと思い続けてきたことだ。自警団にはまだ言わない方がいいと判断した」
尻尾が力なく一度しなりました。
「ギフト現象が始まったのも、半年といくらか前、親父が死ぬ少し前のことだ」
私は手を止めました。お茶の葉は、人数分プラス、ポットの分がひとり分。店長は……店長は何を言っているのでしょうか?
「あの、まさか何かお父さんが関わっている、とか、そういう……」
「それを疑っている」
何て言えばいいのでしょう。正直に言います。私、店長が少しおかしくなったのじゃないか、と思ってしまいました。考えすぎで、見える何もかもに関係があると思ってしまっているのじゃないか、と。毛糸がこんがらがってしまったみたいに。
「わかっている。妙なことを言っている。だが、お前には僕の頭の中は覗けない。見えているんだ、細い繋がりが。ただ、まだ足りない」
わっと頭を押さえて、こんなに混乱した店長を見るのは初めてです。私は、ティーポットにお湯を注ぎました。待つのは三分間。
「お父さん、どんな方だったんですか」
その間、ずっと気になっていたことを、尋ねてみることにしました。
「……何より機械が好きな人だった。夢ばかり見ているような人間で。言ったろう。町に宝が眠っているという話を何度も聞かされた。母には途中で愛想を尽かされた。出ていかれた時も、情けなく笑っていた」
お母さんの話は、初めて聞きます。そういう事情だったとは知りませんでした。
「死ぬ間際になって、どういうわけかずっとうわ言であのマントの話をしていた。裾が綻びているから気をつけろだとか。僕の心配はされなかったな」
「店長」
私は湯気の立つカップを差し出しました。店長は少しふうふうと息を吹きかけ、そうしてごくりと一口お茶を飲みました。
「少し、落ち着きましたか?」
「……ああ」
険のある目の光が和らぎ、店長は耳と目とを伏せます。私はほっとして、そうして少し気にかかったことを尋ねてみることにしました。
「あの、マントの話、していたんですか。お父さん」
私が気になったのは、遺跡でも、ギフトでも、ましてや店長のお父さんが何をしたのかでもなくて、たったひとつ。亡くなったお父さんが息子に遺した大切な形見のことでした。
「大切にしろだとか、売るなとか、そんなことだな」
「何でそんなに大事だったんでしょう? 上等なものだったんですか?」
店長はふらふらと裏手へと行き、重そうなマントを持ってまた戻ってきました。少しはこんがらがりの方から考えを逸らせたでしょうか。
「まあ、上等ではあるが、古いものだ。言われた通り、裾も……」
「あれ、破れてないですよ、これ。ちゃんと繕ってあります」
私は指を差します。しっかりと縫われた黒いマントの裾の内側、いくつか修繕の跡はありましたが、中に一箇所だけ、少し色の薄い灰色の糸で不器用にかがられた部分が見えました。
私達は、目を見合わせました。
店長はハサミを持ち出し、無言でその糸を切りました。空いた穴から微かに見える、光沢のある素材。取り出すと、小さな記録媒体です。デジタルカメラの中に入っているものと似ている、チップ状のものです。
「それ、何かお父さんが遺したものなんじゃないですか」
「かもしれん」
店長はその媒体をじっと見ます。どうしたのでしょうか。私は声をかけました。
「店長?」
「うん。これは……おそらくうちで今使っているコンピュータには対応していないメディアだ」
対応していない。そういうことってあるんですね。案外デジタルも不便です。
「端子が合わない……ええと、だから、他の機種を当たる必要がある。あ、あちこちでまた調べる」
少しほっとしました。調べる気力があるなら、まだきっと大丈夫。
「エリカ」
「はい?」
返事をすると、店長はいつになく神妙な顔になりました。きい、と腰かけた椅子が音を立てます。
「心配をかけた」
ぼそぼそ、と言います。ちゃんとは聞こえませんでしたけど、言いたいことはなんとなくわかりました。
「早く元気になってくださいね」
元気になって、いつものツンとした店長に戻ってほしい、と思いました。今日みたいに弱った店長は、なんだか不思議な寂しさがあるので。
「お前に言われなくてもそうする」
その答えに元気の片鱗が見えた気がして、私はにこりと笑いました。
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