第5話 黒マントは誰でしょう

5-1 怪しい影は誰の影?

 青空祭が騒ぎのままに終わった、少し後。眠くなるように暖かな午後のことでした。


 ちりん、と鈴の音がして、店長が外から帰ってきました。他所の機械の整備に出かけていたのです。


「……で、何でお前がいるんだ」


 カメラの棚を覗き込んでいた赤毛の女の子、ジニーは、えへへ、と笑いながら手を振りました。


「やっほー、黒マント」

「その呼び方やめろ。あと仕事しろ、自警団」

「今日は非番だから見に来たんだってば」


 店長は帽子を取りながら、私にもお小言を言います。


「知り合いだからといってあまり甘やかすなよ。いつ他の客が来るかわからん」

「はあい」


 実際のところ、お客さんは少しも来る様子を見せなかったですし、ジニーもこちらの邪魔になるようなことはしなかったのですけど、それを言ってもなんだか言い訳みたいですしね。


「お前らの調査の方はどうなの? 何か進んだ?」


 店長は仏頂面で首を横に振りました。


「特に。探しているデータがかなり散逸してしまっている。戦争と、戦後の混乱のせいだろうな」

「なあに、そんな昔のこと調べてんの。ご苦労様」


 店長は長いマントをぞろりと脱いで、裏手のコート掛けに掛けました。結構暑そうに汗をかいているのですけど、もういい加減やめればいいのに……。


「あたしの方もなしのつぶてだけど、新しい話なだけましなのかもね」

「黒マント?」

「そ」


 ジニーは椅子を引っ張ってきて座りました。


「最近の話はまあ、五十鈴が間違えられたのだとして、その前に目撃されたのが半年かそこら前なわけ。あいつもう黒マントやめちゃったのかな。暑いし」

「不思議だったんだけど、黒マントさんって何をしたの? 噂だと人さらいって聞いたけど、あんまり誘拐とかの話って聞いたことないよ」


 そう、ジニーが執心しているわりには、直接何かをしたという話は特にないのです。ジニーだって、店長を怪しんでいるばかりですし。


「うーん……」


 ジニーは腕を組みます。


「実際、誘拐事件があったって話はない。噂に尾ひれがついたんだと思う。というか、あいつが明確に犯罪をしたって記録もない」

「そんな状況で人を犯罪者扱いするな」


 店長が耳をぴこぴこさせて怒っています。これはまあ、正当な怒りだと私も思うのです。


「まあ、待ってよ。確かにそうなんだけどさ。あのね。これ、内緒の話ね」


 しーっ、と指を口の前に立てて、ジニーは言います。


「黒マントが目撃されているのは、大学公園のあたりでしょ。あそこ……知られてないけど、地下があるんだ」


 店長が尻尾をぴんと立てました。


 地下、というのは私達さきわい町の住人にとって、少し特別な意味を持っています。簡単に言うと、地下は亡くなった人達の場所なので、あまり広げてはいけない、という習わしがあるのです。私はそれほど迷信深いわけではないのですけれど、地下と聞くと、なんとなく感覚的にタブーに触れたような落ち着かない気持ちになってしまいます。


「そんで、あたし、その地下の入り口あたりで黒マントが消えたところ、見たことあるの」

「何でジニーは地下のことを知ってたの?」


 バツの悪そうな顔で、彼女は小声を出しました。


「小さい頃、あそこの建物に入り込んで遊び場にしてたんだよね」

「怖いもの知らずだな」


 店長もやっぱり、その辺の感覚は私と同じようです。少しほっとしました。


「反省してる……っていうか、一度そこで結構大きな怪我しちゃってさ。大人にめちゃくちゃ怒られたし、地下の話は誰にも言うなって言われた」


 ジニーは少しうつむいてから、またきっと前を向きます。


「そんなところをうろついてる奴だよ。何してるかわかったもんじゃない。少なくとも、人を不安がらせるようなことは止めさせないと、と思ってたの」

「それで僕を犯罪者扱いか」

「悪かったってば。半年も現れないから、逆にまた出てきてちょっと嬉しくなったっていうか」

「お前、それは少し怖いぞ」


 執着、という気持ちでしょうか。暖かな愛着とは少し違うけど、確かにジニーは黒マントさんに並々ならぬ関心があるのでしょう。


「むしろさあ、半年前の正体も五十鈴で、特に悪いことしてなかったっていうのでもいいんだけど。どう?」

「そうちょくちょく猫探しになんぞ行くか。だいたい、半年以上前なら僕はこのマントを持っていなかった」


 あれ、と私は目を瞬かせます。もうすっかり店長のトレードマークと思っていましたから。


「そうなんですか?」

「これは……親父の、形見だ」


 しん、と一瞬沈黙が降りました。店長は少し歯切れの悪い口調。


「あ、あー。ごめん。そういうやつだったんだ」


 ジニーがしゅんと小さくなりました。私も何だか少し悲しい気持ちになります。亡くなった人の話は、たとえ知らない人でも、切ないものです。


「別にいい。もう半年……半年前……?」


 店長の眉が微かに動きました。何でしょう。死者を悼むという雰囲気の顔ではないようです。


「半年前まで黒マントは出ていたんだな」

「正確には、半年と少し前くらいかな。秋頃。その前の夏は、さすがにマントは暑かったみたいで目撃されてないけど」


 店長が静かに何か考える顔になります。どこか少し、焦っているような。


「それで、地下に……地下を探索していたか、何か」

「どうしたんですか、店長」


 店長の猫の耳が、少しずつ、少しずつ、ぺたんと垂れてきていました。ちょっと、嫌な予感がしました。


「もしかするとだ、疑惑でしかない、が」


 店長はほんの少し言いよどみます。


「その黒マントは、僕の親父かもしれない」


 はあ、と息が思い切り吐かれました。


「な、なんでまたそんなこと言い出すのさ」

「そうですよ、だって、たまたま時期が一緒だったっていうだけで……」


 店長は奥に引っ込み、デジタルカメラを持ってきました。じっと黙って中のデータをしばらく探し、そうしてジニーに見せます。そこには、あの黒いマントを着た、店長に少し似た笑顔の男性が写っていました。


「そいつは、こんな顔じゃなかったか」


 今度はジニーが黙り込む番でした。


「似てる……かもしれない。五十鈴と見間違えたくらいだしね。でも、はっきり見たわけじゃないからなあ……」


 ジニーは短い髪をわしゃわしゃと掻きます。


「何か、心当たりがあるんですか」

「親父は」


 窓の空は青空なのに、なんだかもくもくと黒い雲が湧き上がってくるようでした。店長は、低い声を出しました。


「遺跡に行くと言って出て、帰った時には怪我をしていた。セキュリティシステムにやられたと言っていた。そういうことは時々ある。だから、手当をして、病院に行って、でも、傷が悪くなって、それで、死んだ」


 淡々とした口調でしたが、胸がぎゅっと掴まれるようでした。私はもう、店長がただ冷たくて厳しい人というわけではないこと、知ってしまっていますから。


「いつかそうなってもおかしくはないとは思っていた。ただ、親父は遺跡の場所を僕に告げずに出かけた。その遺跡がもしかして、大学公園の地下だとしたら。その前もたびたび、そこに通っていたとしたら」


 少し、飛躍しているようにも思えました。店長には微かに見えているであろう細い糸が、私たちには見えないのです。でも、強張った顔で語る店長は、ごく真面目な表情をしていました。考えすぎですよ、とはとても言えないほどに。


「……というのが、描けた図面だ。自警団。どうする。相手はもう死者だ。『墓暴きでもするか』」


 そう言ってから、店長は少し気まずそうに口を閉じました。なんだか嫌味な棘のある、店長らしくない言い方で……。誰かに言われた一番嫌なことを、そのまま他の人に投げつけてしまった、そんな感じ。幸いなのかどうか、ジニーはさほど気にした様子は見せませんでした。


「馬鹿にすんな。それが本当だったとして……だったとして、じゃあ何ができる……」

「見に行ってみる、とか」


 ふたりの視線がこちらに向かいました。


「あの、店長のお父さんが何をしていたか、わからないじゃないですか。もう聞いてみるわけにいかないし。だから、本当は何があったか見てみる」


 私は少し混乱したまま口ばかりを動かしていました。


「もしかしたら、あの、秘密のキノコの狩り場とかがあったのかもしれないし」

「うちでキノコ料理なぞほとんど出なかったぞ」

「たとえばですってば!」


 私はうなずきました。確かめないといけません。たとえ本当に何か良くない隠しごとがあったとしても、疑いだけを空中で募らせていて、いいわけがありません。


「よし」


 店長がドアの方へ歩き出しました。


「今から行く」

「ええ? 落ち着きないなあ、お前」

「別について来いとは言っていない」


 店長は冷たく言い放ちました。私はそれでも、店長の傍に行きます。少し心配だったのです。放っておくと、ばらばらに壊れてしまいそうで。


「私も」

「となると、自警団。店番をしてくれるなら臨時で時給を払うが、どうだ」

「やだよ、面倒くさい。あたしも行くってば」


 大学公園地下。そこにきっと、何かがあるのです。私は窓越しに空を照らす太陽を見上げ、目を細めました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る