4-6 日が暮れてから聞いたこと

 燃え移る、と思いました。その場の誰もがそう考えたと思います。元々広場ですし、周りも煉瓦れんがの建物が多いあたりですけど、その日はお祭りに使う木の舞台やら出店やらがたくさん建てられていました。だから、そのままの勢いで燃え広がってしまっては、多くの人が火に巻かれて苦しむ羽目になったことでしょう。


 その瞬間、何かが宙に飛び出しました。


 それは、その人影は、風に乗って瞬く間に夕方の空を飛び、大きく手を伸ばします。そうして、真治まさはるさんの怪力でどうにか支えられた櫓の上、燃え盛る篝火かがりびの火の元、燃料籠をしっかりと掴みました。


 私は、店長に手を引かれて逃げながら、その風景を見ていました。涙がこぼれ落ちそうでした。


「危ない」


 私は叫びます。声は、さっきの避難勧告のせいで少ししゃがれていました。


「危ないよ、クレム!」


 飛ぶ人影は、それでも明るく燃え盛る火を放しませんでした。きっと、熱くてたまらなかったでしょうに。人影、クレムは火を抱えると、やぐらから飛び去りました。同時に、走り寄ってきたジニーの声が響きます。


「もういい、真治! 人は逃した。放しちまえ!」


 ぎしぎしと、拮抗しつつも少しずつ傾きを増していた櫓が動きを止め、次の瞬間、誰もいない方向に向けてゆっくり倒れていきました。


 櫓が地面にぶつかり、木材がへし折れ、ばらばらに壊れるのと同時に、クレムは地面に戻ってきました。大きな篝火を抱えて。火はそっと広場の地面に置かれます。バケツの水を持った自警団員の人達が駆けつけました。もう一安心です。


 私は、店長の制止を振り切ってクレムのところに走っていきました。叔父と叔母がこちらに来るのも見えます。ああ、見にきてくれていたんだな、と思いました。


 クレムは私達を見て、ほっとしたように笑いました。両手は一面の火傷。顔と服は煤で汚れ、肩で息をしています。


 私は何と言っていいのかわからず、ただ込み上げてくる何かに任せ、ぼろぼろと涙をこぼしました。ジニーが真治さんを心配して駆け寄っていくのも見えました。真治さん、力の限りにみんなを助けようとした人は、地面に膝をついて脱力していましたけれど、友人の声にどうにか手を振ってみせたようです。


 事故は、未然に防がれました。叔父と叔母がクレムを心配したり、ほめたり、叱ったり、大忙しでいるのを、私はぼんやりと眺めながらただしゃくり上げていました。





 お祭りは中断し、広場では自警団の人達が検分を行なっています。クレムはお医者に連れて行かれましたが、火傷は清潔・安静にしていれば回復できるとのこと。


「エリカ」


 舞台からは離れた街灯の下にしゃがみ込み、なんとなく周りの様子を見ていた私に、誰かが声をかけてきました。見ると、五十鈴店長です。いつもの黒マントに、でも帽子はかぶっていません。猫の耳が少し落ち着かない動きを見せていました。


「店長。怪我とか大丈夫でした?」

「ああ。お前は」

「ちょっとびっくりしちゃって。落ち着かないから頭を冷やしてました」


 そういえば、せっかくよそ行きの白い服を着たのに、騒ぎで汚れてしまいました。とても残念。残念といえば、舞台がたった一曲で終わってしまったことも残念で、でもそれ以上に。私は目をこすりました。


「……みんな偉いなって。私、何もできなかった……」


 いち早く音の異変に気付いた店長。櫓を支えた真治さん。みんなをうまく逃したジニー。火を守ったクレム。


 ギフトのあるなしに関わらず、精一杯頑張ったみんながいるから、大事にはならずに済んだのです。でも、私は。


「何を悩んでいるかと思えば」


 店長は呆れたような、高圧的な口調でそんなことを言います。いっそ気持ちいいくらい。


「お前、マイクで警告をしたろう。あれでみんな逃げることができた。負傷者も少なく済んだようだ」


 店長は私の横にしゃがみます。


「お前は役に立ったぞ、エリカ」


 その声には、少しも優しい響きなんてなかったけれど、でも。


 私は、店長の言葉に寄りかかって、少し泣きました。身体の中が洗われて、また元気が出てきたように思います。


「……ジニー達、大変でしょうね。今日は挨拶できないかなあ」

「忙しいのは構わんが、楽器を置いたままだ。返してもらわないと困る」


 そうだ。あのシンセサイザー、売り物なんでした。


 忙しく立ち働く自警団の人達を遠く眺めながら、私はふと店長に尋ねてみました。


「店長。今でもまだ、自警団が嫌いですか?」


 少し、沈黙。それから、ゆっくりとした答え。


「昔、親父に遺跡に連れて行ってやると言われた」


 私は少し驚いて店長の顔を見ました。顔も、耳も落ち着いています。低い声で、店長は語り続けました。


「基本的には仕入れは正規の探索業者に任せる。だが、親父は自分でも免許を取って、時々遺跡に商品を探しに行っていた。この町のどこかには宝物が眠っているとか、そんな益体のない夢を語る人だった。僕は親父の話がとても楽しそうに思えて、いつか自分もついて行きたいと思っていた」


 少年の頃の店長。どんな子だったのでしょうか。猫の耳がついていなかったことくらいしかわかりません。


「それで、初めて許可が出たから、まあ、喜んだ。あのバイクに乗せてもらって、遺跡街に着いた。そこで、たまたま見回りをしていた自警団員に誰何すいかされた」


 何も法に外れたことはしていなかった、と店長は語ります。それなのに、その人は妙にしつこく絡んできたのだとか。それだけでなく、ふたりのお仕事に関して、ひどいことをたくさん言ったのだそうです。


「僕は、その男に怒ればいいのか、毅然とせずへこへことしている親父に怒ればいいのか、男の言葉をどこか仕方なく受け入れてしまっている自分に怒ればいいのか、わからなかった。その日は結局探索はせず、店に帰った。僕は、もう遺跡には行かないと親父に言った。親父は少し悲しそうにしたが、それきりだ。以来、僕は親父と話すことが少し減った」


 そこで、店長は言葉を止めました。私はじっとその昔話を聞いて、ゆっくりと噛み砕いていました。


 店長はきっと、お父さんが大好きだったのでしょう。だから許せないこともあったし、同時に、そのきっかけになった自警団の人を憎むしかなかった。そういうことなのでしょうか。もちろん、外野の身では、薄皮しか理解できないのでしょうけど。


「そういう、それだけの話だ。あそこで忙しげにしている奴らには、何の関係もない。だが、そう考えるのは、ずっと難しかった」


 でも、今はきっと、少しは歩み寄れているのではないかと思います。そうならいいな。


 おーい、と手を振って、遠くからジニーが駆け寄ってきました。後ろには、真治さんもいます。


「ちょっとだけ抜けさせてもらった。悪かったね。バタバタして、演奏の方が流れちゃった」

「真治さんは?」

「俺は、少し休んだから大丈夫。明日は多分あちこちバキバキだけどね」


 あれだけの重量を支えてそれで済むとは、ギフトとは恐ろしいものです。


「……あたし、でも、ちゃんと演奏したかったなあ。しっかり真治を送りたかった」


 ぐす、とジニーが涙ぐみます。真治さんが彼女の背中をぽんぽんと叩きました。少なくとも外にいた人達の中には、お祭りの中断が喜ばしい人なんてほとんどいないと思います。特に、夜のダンスと花火が潰れてしまったのには、がっかりした人も多いんじゃないかしら。


「俺はさ。そりゃ演奏もちゃんとしたかったけど、でも、大仕事で怪我人をほとんど出さずに済んで、それが嬉しいよ」

「うん」

「有終の美っていう奴? 良かったと思うよ」

「お前はそういう奴だよ……」


 星が出始めた空の下、自警団のふたりはまた去って行きました。また何かやろうね、と約束を残して。


「店長、でも、練習とか楽しかったですよね」

「まあまあな」


 この人は、これだから。私は立ち上がりました。


「あ、もしかしてあのプレーヤー?持ってはいませんか。ちょっと音楽が聴きたい気分なんです」


 少し分を超えたわがままを言うと、店長はポケットから小さな四角い機械を取り出しました。黒い線(イヤホンと呼ぶそうです)をまた両方渡してくるので、片方を返しました。店長は大人しく、また音を半分こします。


「店長、ダンスと花火、残念でしたね」

「別に」

「誰か誘ったりはしなかったんですか?」

「そんなに暇に見えるか?」


 やはり店長は店長で、少しほっとしました。耳元では弾けるようにかわいらしい、賑やかな曲が再生されています。


「だいたい、僕は踊れない」

「え、簡単ですよ。こう、一、二、三、でくるっと」

「実演されても踊らんぞ」


 軽く動いてみるも、店長はそっぽを向きます。


「楽しいですよ」

「知らん」


 街灯の下、星空の下、私はイヤホンに絡まりそうになりながら、空気と戯れるように踊り、店長は仏頂面でそれを見ていました。ただそれだけなのに、とても楽しくて。


 ずっとこのままがいい、このままでいたいなあって、強く、強く、私はそう思ったのでした。

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