4-4 お祭りの日は晴れやかに

「エリカ、そろそろ行こうよ」


 クレムが私の部屋のドアを叩きました。私は鏡の前で最後のピンを髪に刺し、ドアを開けます。


「なんか時間かけてたけど、いつもとあんまり変わらなくない?」


 失礼なことを言われます。今日はお祭りだから、普段より念入りにブラッシングして、丁寧に髪を結ったのに。


「子供には見えないところに手をかけてるの」

「何それ。やらしい話?」

「馬鹿」


 私よりまだ少し低いところにある頭をぺちんと軽く叩いてやります。本当にこの子は、生意気盛りです。


 でも、そのうちにすぐ背は抜かれるんだろうな。そんなことを思ってしみじみとしたり。何せ、そのうち町の外に行こうとしている子なのですから。


「エリカの歌は夕方だっけ」

「そう。五時くらいまでに集合できれば大丈夫」


 お祭りの会場のクレーター広場からは、時計塔がよく見えますから、遅れる気遣いはないでしょう。それまでは自由にお祭りを満喫です。


 居間では叔母さんと叔父さんが、気をつけて行ってらっしゃい、と声をかけてくれました。


「エリカのは、後で見に行くからね」

「うん、頑張る」


 本当は少し恥ずかしかったのですが、楽しみにしていてくれているならそうも言えません。


 ドアを開けると、少し強い風が吹き込んできました。少し気になって、クレムの様子を見ます。


「大丈夫? 飛ばない?」

「紙かなんかみたいに言うなよ。もうだいぶ平気」


 この間の暴走が嘘みたいに、クレムはすたすたと歩いていきます。私達が治し方を探すより、うんと早くこの子は力に慣れてしまったみたい。


 青空祭当日の午後にふさわしく、空は雲ひとつない真っ青。お日様は高く上り、町をまぶしく照らしています。


「行こう、エリカ!」


 元気よく駆け出したクレムを、私は白いスカートを押さえながら追いかけていきました。




 青空祭は、町の五月のお祭りです。なんでも昔、町が長い夜に覆われた時期があったのだとか。それが終わって、空とお日様が帰ってきたのをお祝いするためのお祭りなのだそうです。


 店長と以前、この辺のお話を少ししたのですが、実際に何があったのかは記録がきちんと残っていなくて曖昧なのだとか。まあ、それはともかく、今のお祭りは、出店と演し物と音楽と踊りと、これでもかというほど楽しみが詰まった特別な一日なのです。




 道端のジャグリングを見物したり、演奏に合わせて踊る人達を眺めたり。私達のような演し物とはまた別に、道端では楽しい音楽が流れています。広場の中央、私達が演奏する舞台の横には、木の櫓が立てられていました。夕方からは、あそこに明るく火が灯るのです。


 途中、学校時代の友達とばったり会って、目一杯立ち話をしたりもしました。みんな元気そうで何より。


 今日の注目の話題は夜のダンスのことで、誰かから誘ってもらえたら、それは恋の告白と同じ意味なのだとか。そういえば、昔からそんなことを言われていた気がします。


「しかしまあ、みんなああいうの好きだよね」


 友達と別れると、クレムは焼いた合成ソーセージを頬張りながら、また生意気なことを言います。それは、立ち話の間待たせたのは悪かったけど。


「別に、人が何をどう好きでもいいじゃない」

「エリカは?」


 はて、何で私に矛先が向くのでしょう。


「エリカはそういう話ないの?」


 何だかニヤニヤ笑っているし! この子はもう! さては、恋愛の話が好きなのは自分なのじゃないのかしら、とは言いませんでしたけど。


「別に何もないよ。私、独身の格好いいおばあちゃんを目指そうかな」

「ふうん」


 クレムは人にぶつりかけながら、少し下を向きます。


「あのさ、そういうのがもしあったとしてさ、何も遠慮することないんだよ」

「何が?」


 ちょっと、どきりとしました。私はどうしても養い子で、家ではいつも半歩だけ遠慮、というのが基本のスタンスでしたから。クレムはそんな私を見透かすように笑います。


「人と付き合ったりとかさ、結婚?とかさ、そういうの、うちに気にしないでやんなよってこと」

「ちょっと話が早くないかなあ……。何もないってば」

「どうだろね」


 何か言いたげですが、置いておくことにします。もし本当に誰かとそんなことになった場合、を少し考えてみましたが、もやもやしてよくわかりません。ただ、結婚とかってきっと大変な一大事だろうな、とは思いました。クレムの言う遠慮ってこの辺のことでしょうか。




「やあ、エリカちゃん」


 歩く途中で真治さんに会いましたが、私とクレムはつい目を見開いてしまいました。真治さんは頭と両肩にそれぞれひとりずつ、計三人の小さな子供を担いでいたからです。さすがは力持ち。


「迷子が多くて弱るよ。エリカちゃんも子供か親か見つけたら教えてくれよ」

「はあ……」

「おーい、こっちにもひとりいたぞ!」


 遠くでジニーの声がしました。子供達は上機嫌で、きゃっきゃと笑ったり、真治さんの髪を引っ張ったりと好き放題です。痛い痛い、と困りながら、彼はまた人混みの中に戻って行きました。


「すげえな。あれ、ギフト?」

「だって」

「あれがエリカのなんか?」

「ううん、全然違う」


 どうして隙を見てそういう話に持っていくかなあ。


 出店をあちこち見て回って、安いおもちゃになんだか懐かしくなったり、駄菓子が食べたくなったり。我慢できなくて、綿飴を買ってしまったりもしました。ふんわり甘い、変わらない味。綿飴を作る機械は、戦争の後もちゃんと残ってて良かったなあって思いました。


 あ。人混みの向こうに、黒いシルエットを見つけます。こんな暖かい日なのに、まるで冬みたいな格好。帽子を被って、耳を隠しています。五十鈴店長です。なんでも帽子は、猫の耳が音に敏感なのを和らげてくれる効果もあるのだそう。


「あ、エリカのところの店長。声かけてくる?」


 私もそうしたかったのですが、黒い背中はすぐに先の方に隠れてしまいました。


「まあ、後で会えるしね」


 お祭りに興味がなさそうだった店長は、この賑やかな人波の中、どんな風に楽しんでいるのでしょうか。知り合いに会ったり、音楽に身体を揺らしたり、そういうことをしているのでしょうか。


 少し気になるけど、お節介でもある気がして。


「行こっか、クレム」

「うん」


 クレムはちらりと店長が消えた方を見、そうして素直に私についてきました。

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