4-3 音合わせを始めよう
バイオリン担当、という人は、ちょっと垂れた目が愛嬌のある、私より少し年上の、背の高いお兄さんでした。
誘われた次の日の閉店後。ジニーが迎えに来てくれたので楽器を持ってお店を出ると、街灯の下に男の人が立っていました。なんだか変なシルエットの……と思って目を凝らした私は、度肝を抜かれてしまいました。度肝、なんてあんまりかわいくない言葉ですが。
その人、軽く会釈をした真治さんは、両肩に大きなドラムをひとつずつ、軽々と担いでいたのです。あれ、確かかなり重いんじゃなかったかしら。
「ああ、こいつ、馬鹿力なんだ。ギフト持ちって言ったろ?」
「どうも、馬鹿力です」
とてもわかりやすいご挨拶。彼女は彼女で、ドラムの残りを荷車に積んで引いています。初っ端から肉体派のユニットです。
「そっちの楽器も乗せる?」
「いい……自分で持つ」
五十鈴店長は首を横に振りました。元々売り物ですから、自分で扱いたいのでしょう。私は喉さえあればどうにかなりますから、気楽なもの。
少し歩いてデパート跡地近くの、古い建物の中に入りました。中は掃除してあり、小部屋がたくさんあるようです。
「昔の防音室なんだって。特別に貸してもらってるの。綺麗に使ってよね」
小さな机椅子があり、四人で楽器を並べると少し狭いくらいですが、防音室なんて他に知りませんから我慢我慢。さて、改めてご挨拶してから準備をします。
「なんだか部外の人にまで手伝ってもらって悪いなあ」
ドラムをひょいひょいとセッティングしながら、真治さんは人が良さそうに笑いました。
「ジニーは強引だからさ」
「ちゃんと交換条件出しましたー!」
「だいぶ足元を見られたがな」
「そんなことないっての」
ジニーは抗議した次の瞬間、にかっと元気に笑います。
「でも、受けてくれてありがと」
こういうところがなんだか、憎めない子なんですね。店長は意外と頭が回るって言っていたけど、これは計算ではないと思う。
「さて、で、曲目なんだけどさ。元々みんなで楽しめるように、簡単なやつを三曲くらいやろうと思ってて。『暁の光』とかさ。これリストと楽譜ね」
「ずいぶん懐かしいのを引っ張ってくるな。十年ぶりくらいに聞いた」
「昔朝の会でよく歌わされたやつだね」
「朝の会って響きがまず懐かしいです」
わいわいと打ち合わせ。この町の学校はひとつきりですから、年は違ってもだいたい同じ思い出で盛り上がれるのは良いところです。
「派手さはなくても、元気でカバーって思ってたんだけど……意外な楽器が入ったから、いい売りができそう」
机に置かれた、店長のシンセサイザーをちらりと見ます。あの音はきっと唯一無二ですからね。
「それで、僕は何をどう演奏すればいいんだ」
店長はむっつりと腕を組んで、尻尾をゆらゆらと動かしています。
「こないだ聴いた感じで、主旋律と簡単に伴奏を引いてくれればいいよ。バックに真治のバイオリン。ノリを作るのはあたし。で、主役はエリカちゃん」
「主役」
突然話を振られ、背筋がぴんと伸びました。主役、そういえばボーカルはとても目立つポジションですけど、私が主役?
「そうだよ。メインパートって言ってもいい。大事なところだから、頑張ってよね」
「ががが、頑張りますけど!」
店長が眼鏡越しにちらりと私を見ました。
「あんまりプレッシャーをかけるな。そいつは少し打たれ弱い」
「弱くないですよ! ちゃんとばっちりがっつりやりますもの!」
「まあまあ、ほどほどにね。こう言っちゃなんだけど、余興なんだからさ」
真治さんはわりとのんびりした人のようです。ジニーとは好対照。
「だからって手抜きはやだよ。ただでさえ練習時間が少ないんだから、出来ることはやらなきゃ……ってわけで」
彼女はドラムの前にどかりと座ります。
「ざっと音合わせてみよっか」
「いきなりすぎる!」
突然鳴りだしたリズムに、慌てた前奏が続きました。シンセサイザーは慌てすぎて明らかに走っているし、バイオリンは音がへろへろ。私は私で、どこに合わせて入っていいものかあわあわして、変な声を出しているうちに伴奏は進んでしまいます。短い曲の一番を終えたところで、一斉に不平の声が響きました。
「無茶だよジニー!」
「お前、合奏を舐めているだろう」
「これじゃ歌えません!」
ジニーは眉を八の字にして、ごめんってば、と謝ります。
四人は目を見交わしました。ふ、と誰からともなく笑いが漏れます。ジニーが爆笑。真治さんがお腹を抱え、私も大笑い。店長すら、軽く肩を震わせています。
「いや、ひっどい。今の音はひどい」
「ジニーが悪いよ、これは」
「……録音をしたいくらいの酷さだったな」
店長の言葉に、自警団ふたりが目を丸くします。
「録音?」
「音を記録して再生する」
「へえ、それも機械のやつ? すごいな」
これはお店のアピールをするチャンスです。私は身を乗り出しました。
「あっ、あのですね! お店にはレコーダーというものがあるんですよ!」
「何でお前が偉そうなんだ」
ちくりと言われてしまいました。でも、店長が人といて少し楽しそうなのって初めて見ましたから、何だかうれしかったかも。
練習初日は、なんだかしっちゃかめっちゃかな状態で始まりました。前途多難ですが、でも、楽しさとわくわくはいっぱいの日々になりそう。
帰り道、少し風の立つ人気のない通りを、今日は真治さんに送ってもらいました。街灯はもうすぐ消える時間ですし、家の方向が同じだったから、少し甘えてお世話になってしまいます。さっき一緒に笑った気安さで、私達はぽつぽつとお話をしながら歩いていました。
「真治さんは、自警団を……」
「うん、もうじき辞める」
すごい力持ちの人なんて、自警団にちょうどいいのになって思うのですが、事情があるなら仕方がないのでしょう。
「うちの実家は農家でさ。壁の外で果物育ててんの。親がちょっと身体弱いから、いずれはそっちに戻らなきゃって思ってたんだよな」
「果物! りんごとかですか?」
「そうそう。もう少ししたらさくらんぼも出るよ」
町の中は建物だらけですから、畑や牧場は壁の外にあります。中にはまだどうにか稼働している昔からの合成工場がいくつかあるくらい。年々メンテナンスできる人も少なくなってきていますから、徐々に工場食品から離れようという動きになっているのだとか。
何にせよ、甘い果物は大好物です。
「特に俺、ギフトが出ちゃったから心配されててさ……。自警の仕事もね、好きだけど、まあ潮時かなって」
「ジニーは残念そうでした」
「まあね。あいつ強引なんだけどいいやつなんだよ。わかってやって」
私は、それなりにはわかっているつもりです。店長だってきっと、今日の練習でわかってくれたはず。
「俺はまあ、普段通り自警の仕事して、何もないってのが一番の餞別なんだけどね。二番は何かあってもさくっと防げること。ジニーには内緒な」
「わかる気がします」
何もないこと。町の平和。そういう、表に見えづらい、けれど大事なものを守っているこの人達。私にとっては、とても心強いとそう思えるのです。店長は苦手みたいですけどね。
「エリカちゃんの歌、良かったよ。楽器隊はちょっとまだ足並みがあれだけどさ……」
「店長、負けず嫌いだからたくさん練習してくると思いますよ。次はもっと上手くできます」
うん、と真治さんはにこやかに笑いました。ああ、とてもいい人。店長もこれくらい当たりが柔らかかったら……いや、それはもはや店長ではないのでは?などと、いろいろ考えてしまいました。
でも、昨日の曲を聴かせてくれた店長は優しかったなあ。
「エリカちゃん?」
「あっ、いいえ、その、なんでもないんです」
ぼんやりしてしまいました。これじゃそのうち街灯にぶつかりかねません。
「真治さん、ギフトのこと、ちょっとお聞きしたいんですけど」
慌てて話を変えます。店長がいる時に聞きたかったのですが、なかなかそれどころではなかったので。
「あの、真治さんは誰かにお願い事を聞かれたりってしました?」
従弟のクレムの時のことを思い出しながら、おそるおそる尋ねてみます。もしそうなら、ギフトがお願いを叶えるためのもの、という説に説得力が出ますしね。しかし、答えはあっさりしたものでした。
「うーん、覚えてないな。あの日は仕事で、消灯の時間まで外にいたのは確かなんだけど。気がついたら家のベッドで寝てて、それでこんなになってた」
最初は慣れず、ドアを破壊してしまったりしたのだとか。クレムの時と似ていますね。そういえば、クレムもあの日、夜遅くに外に出ていましたっけ。
夜遅くに、外に出ている人が対象? 店長も、そんなことがあったのでしょうか。そうだとすれば、どうして?
依然わからないことだらけです。私はむむむ、と唸りました。
真治さんと別れて、家に帰ります。温かい明かりが、私を迎えてくれました。
ふと、店長の家のことを思いました。お店の二階、ひんやりした古い建物の部屋。独り暮らしの家路は、寂しくはないかしら。それとも、これも寂しがりの私の勝手な心配なのかしら。
明日も夜まで練習です。私はあくびをひとつして、煉瓦の家のドアを開けました。
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