第4話 青空祭は大騒ぎ

4-1 電子の音とお客様

 青空祭が近づき、晴れた空の下、皆がうきうきと準備や前祝いを進めています。窓の外からは、商店街の方からわいわいと声が届き、私も少しそわそわとした気分になったり。


 ……なのに、五十鈴いすず店長は浮かれ騒ぎはそっちのけで、目つきをさらに悪くして資料とにらめっこを続けているのです。外のことなんか、気にもならないみたい。元々お祭りに興味はないみたいだし、ギフトの件では最近大きな進展があったし、わからないではないんですけど。でも、もうちょっと楽しくしたらいいのになあって思います。


 私は店の隅にずっと置いてある『シンセサイザー』を、軽く乾いた布で拭いてあげます。学校に一台だけあるピアノみたいな鍵盤だけど、軽く押しても音はならないみたい。これも壊れているのでしょうか。


「電源に繋いでスイッチを入れないと音は鳴らないぞ」

「ひゃあ!」


 驚いて振り返ります。店長が少し隈のできた目をこちらに向けていました。意外とこれで店長、店員のことを見ているみたいなんです。お仕事はお仕事、なのかしら。


「そうか、これも機械ですもんね」


 どんな音がするのかな。ピアノはころんと澄んだ音ですけど、電気を使った楽器だなんて、ちょっと想像もつきません。ド、レ、ミ、と布越しに鍵盤を押してみます。想像の中の音は、もやもやした響きのまま溶けて消えていくよう。


「商品をむやみに……」

「きゃあ!」


 声が案外近く、背後から聞こえたので、私は二度びっくり。店長、いつの間にか音も立てず、私のすぐ後ろに立っていたのです。


「て、店長、足まで猫になったんですか!」

「そんなわけがあるか。お前が夢中になっていただけだ」


 そうして、店長は黒いコードを引っ張り、お店の隅の電気コンセントに差し込みました。そうして鍵盤の後ろを触ります。機械のあちこちに、ほんのりとした柔らかい光が灯りました。


「押してみろ。後でちゃんと拭けよ」


 触ってもいい、と言われたことにしばらくしてようやく気付きました。すごい、店長にしては出血大サービスです。私はそっとまた、今度は素手でひんやりとした鍵盤に触れ……。


 びよーん、と、なんだかバネの擬音みたいな、変な音が鳴り響きました。


「て、店長」

「この型はスピーカーが内蔵してあるから、他の機材に繋がなくてもそのまま……」

「いや、そうじゃなくて店長。これ、やっぱり壊れてませんか?」


 こんな変な音を立てる楽器、見たことも聞いたこともありません。店長は黙ってカチカチと、いろいろ並んでいるつまみのうちのひとつをいじります。そうして、鍵盤をいくつか叩きました。


 なんと言えばいいのか、初めて聴く、包み込むような柔らかい音色の和音が辺りに広がりました。アコーディオンやバイオリンに比べるとぐっと地味ですけれど、背後で鳴っていたらきっと綺麗な、うっとりするような音でした。


「この楽器は、要するに様々な音を切り替えて出すことができる」

「すごいじゃないですか!」


 それなら、アコーディオンやバイオリンの音色も出せるのかしら。そうしたら、もうこれが一台あれば済むのでは? そう思いついて言ってみたのですが。


「似た音が出せないこともないが、やっぱり鳴らしてみると本物とはどこか違う。これにはこれの良さがあるが……たとえば、さっきみたいに、どの楽器とも似ても似つかない音が出せる」


 ビーッ、と警報のような音や、ピコピコと跳ねるような音。おもちゃ箱みたいに、店長はいろんな音色を取り出してみせました。こう言うのはやっぱり嫌がられると思うのですが、すごい、まるで魔法使いみたい!


「店長は弾けるんですか? この楽器」

「昔、壊れたやつを親父にもらって遊んでいたから、多少は」

「何か曲を聴きたいです!」


 私の提案に、店長はまた嫌な顔をします。でも、私知ってるんです。音を出しながら店長の尻尾が楽しそうにゆっくり揺れていたこと。耳がぴんと立ってじっと音を聴いていたこと。だからきっと店長、本当はこの楽器が好きなはず。じっと見ていたら、根負けしたように指を動かしだしました。


「あっ、私、私、あれがいいです。『天高く風さやかに』」

「お前、この状況でさらにリクエストまでするか……」


 町の学校で習う、簡単だけどとても綺麗なメロディの曲。店長は一息吐くと、さらりと引いてくれました。ちょっとピアノに似た、でももっと丸い感じの音色で。そもそも両手で別々の動きができるのがまずすごいです! 私は思わず一緒に歌ってしまいましたし、弾き終わったところでは拍手までしてしまいました。


「すごいすごい、店長って本当にいろいろなことができるんですね!」

「いろいろ?」


 怪訝そうな顔。猫耳がぴくんと下に動きます。私は指折り数え始めました。


「機械のこと何でも知ってるし、整備もできるし、バイクにも乗れるし、音楽までできるんでしょう?」

「何でもは知らない……し、それくらいだ。他には特には」


 親父の方がよほど詳しかった。店長は決まり悪そうにぽつりとそう言いました。亡くなったお父さん。よく話題には出ますけど、やっぱりよく知らない人です。どんな方だったのか、わざわざ聞くのもはばかられますし。


「お前も案外……」

「たのもー!!」


 店長が何か言いかけた瞬間のことです。突然お店のドアが勢いよく開きました。鈴の音がちりんちりんと何度も響きます。お客さん、にしてはなんだか元気な人のようですけど。


「今の曲、演奏してたのはお前か! ……!」


 飛び込んできた人は、そこで驚いた顔をして固まってしまいました。赤い短い髪。活動的なショートパンツ。私と同じくらいの年頃の、ちょっと利かん気な顔をした女の子。見覚えがあります。確か、この間あの大学公園の近くで……。


「あの時の自警団!」

「お前、怪しい黒マント!」


 店長と女の子は、お互い指を差し合ったまま、にらみ合ってしまいました。店長のしっぽが、敵意にぶわっとふくらみました。




「そういうわけで、店長は何も怪しいことはしていないんです。はい、お茶」


 私は必死に説明をしながら、取り急ぎ給湯ポットでお湯を沸かしてお茶を出しました。椅子に掛けた女の子は、むっつりした顔で受け取り、熱そうにすすり飲んでいます。彼女は自警団所属のジニーと名乗りました。


「そんなもの、出さなくていい」

「場を和ませようとしてるんですってば」


 店長は店長で、ここしばらくでは最大の苦虫を噛み潰しているようでした。尻尾もいらいらと速く振り、顔は顔でひどい表情をしています。よほど自警団そのものか、それとも怪しいと決めつけられたことが嫌だったのでしょう。困った人です。私は店長の横でカウンターに寄りかかり、次の手を伺いました。


「つまり、お前らは何も犯罪行為には手を出してはいないと……?」

「最初からそう言っている」


 はあ、とジニーは大きく息を吐きました。


「じゃあなんで逃げたんだよ……。あたし、報告書にも書いちゃったんだぞ。『不審者男女二名あり、追跡の結果逃亡。さらなる警備体制が必要』とかなんとか」

「ああいう頭ごなしが大ッ嫌いだからだ」

「それは、あたしも悪かったけどさあ」


 ぷう、と頰を膨らませるジニーはどうも憎めない感じの子です。私はどうやら和解の方向に進みそうな流れに、ほっと胸を撫で下ろしていました。


「まあ、わかった。別にあたしだって無理に連行しようとか、そういうことをしたいんじゃないさ。とりあえずここは仲直り。な?」


 ぱん、と手を叩いてから両手のひらを開いて見せる彼女に、店長も重々しく頷いてみせました。後を引きずらない、いい雰囲気になったのではないでしょうか。舌を動かしっ放しで、私はちょっと疲れたけど。


「あたし、黒マント絡みだとちょっと気合い入れちゃうとこがあってさ。紛らわしいところに紛らわしい格好でお前らがいたから、ついね」

「迷惑」

「悪かったってば。ところで、それはそれとしてひとつ提案があるんだよね」


 提案、とはなんでしょう。話は終わったはずなのですが……。店長の耳がぴくりと揺れました。


「あのさ。お前らふたり、青空祭の舞台に出る気ない?」


 ジニーが身を乗り出します。舞台?


「さっきの変な楽器と歌。あたしたちと一緒に、演奏しようって言ってるの!」


 ええっ、と私は思わず声を上げてしまいました。ちらりと様子を伺うと、店長は……。


 店長は、何というか、不機嫌を通り越して理解不能、といった顔で固まっていたのでした。

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