第3話 安藤さんの頼みごと

3-1 緑の中に眠る人

 私は、お店の前に出されたその乗り物をつくづくと眺めました。同じようなものは見たことがありますが、大きさは小さい方でしょうか。少し煤けた銀色の部品と黒いタイヤ以外は、しっとりとしたベージュと焦げ茶色で、色合いとしてはなんだかかわいらしい感じもしました。座席は二人乗り、なのかしら。


 バイク、と名前は知っています。時々乗っている人が道を通って行って、みんな忘れていた車道と歩道の区別があったことを教えてくれるのです。


「五十鈴店長がバイクを持ってるの、初めて知りました」

「燃料がなかなか手に入らないから、滅多には乗らない。今日は特別だ」


 傍にしゃがみ込んで、一体どのパーツが何の役に立っているのやら、全くわからない機体を眺めます。昨日、店長が明日は汚れてもいい格好で来い、スカートはやめておけ、と言ったのは、これに関係することなのでしょうか。大掃除でもするのかと思って、雑巾まで縫ってきたのですが。


「こいつに乗せてやる。店は臨時休業だ」


 ぽん、と尻尾が座席の後ろの方をはたきます。なんだかずいぶん猫にも慣れたみたい。普段店長が出かけるのは整備のお仕事で、そういう時は私は店番ですから、とても珍しいことです。


「あの、なんで私も? いえ、嫌とかじゃ全然ないんですけど」

「お前言ったろう。ギフトの治し方を探すと」


 尻尾がぴこぴこと、少し速く揺れます。


「一緒に連れて行ってやると言っている。何か知っている可能性のある奴のところだ」


 私は目をぱちぱちと瞬きました。驚きです。店長が私をこんな風に誘ってくれるとは思っても見ませんでした。


「要らんなら別にいいぞ」


 黒いジャンパーと細身のパンツ。珍しく活動的な格好をした店長は、バイクにまたがりエンジンをふかしました。


「あっ、あっ、乗ります! 行きます!」


 私は慌てて後ろに恐る恐る横座りし、さっそく店長に舐めるなと怒られます。


「落ちるぞ! しっかり座って、後ろの手すりを掴んでいろ」

「は、はあい」


 それから、と次に渡されたのは、大きなヘルメット。


「しっかり被っていろよ。頭でも打ったらことだ」


 心配、してくれているのでしょうか。そういうことにしました。私は言われた通りにちゃんと座り、手すりを決して放さないようにぎゅっと握り——。


 エンジンの音が一際大きく響くと、私達を乗せた車体は矢のようにがらくた通りを駆け抜けて行きました。




 速い、というのがとにかく感想でした。ヘルメットがなかったら、風がびゅんびゅん顔に当たっていたことでしょう。この間クレムと一緒に飛んだ時と似ていましたが、あれよりもずっとまっすぐに、風を切り裂いて走っている、と思いました。


 後ろの手すりを掴むのは、なんだか少し落ち着かない気分。でも、片手でも放そうものならすぐに飛ばされて落ちてしまいそう。大体、後ろが嫌なら前に座っている店長の身体くらいしか掴まるものはありません。それは、その、なんだか、失礼だと思うし、恥ずかしいし、付き合ってもいないふたりがすることではないのでは?と思うのです。


 時折、車道を歩く人に合わせて速度を落としたり、壊れた信号に付き合って長いこと止まったりはしましたが、おおむね順調に私達は進み、住宅街を抜け、大学公園の脇を通り、ひっそりとした遺跡街に近づきました。この辺りにはもう、通る人はあまりいません。赤い煉瓦の建物もなく、高い銀の柱のような建造物や、ドームのような広い建物が、あるものは崩れ、あるものは草に覆われてあるばかりです。


 明るい金の陽光が、静まり返った廃墟にさらさらと差し込みます。


 こんなところにいる人というのは、どんな人なのでしょう。よほどの変わり者ではないでしょうか。店長のお知り合いなのだから、それはそうかも……などというのは失礼でしょうか。


 ふたりでいるのに何も話さないせいか、ひとりきりなような、変な気分。少し走って塀で囲まれた中に入り、透き通ったガラスのような、背の低い建物の前でバイクは止まりました。


 店長がヘルメットを脱いで一息つくと、黒い猫耳がぴるぴると震えます。私は少し笑顔になりながら、息苦しいヘルメットを脱ぎました。自分で走るよりはずっと楽ちんですけど、これはこれで肩が凝った感じもします。


「酔ったりはしなかったか」

「はい、平気です。あ、でもちょっとお尻が痛いかも」

「そういうこと言うな、馬鹿!」


 ヘルメットを掴んで奪われました。そんなにおかしかったかな……。首を傾げながら、建物を見上げます。ガラスのような建物は、中が緑でいっぱいに見えます。他の建物のように、外に蔦が絡むならわかるのですが、中ってどうして?


「ここは昔、温室……草木を育てるために暖かくしていた場所だったらしい。今はもう動いていないが」

「ああ、それであんなに中がもじゃもじゃしてるんですね」

「お前の語彙は本当に謎だな」


 もじゃもじゃ……と店長はつぶやきながら、バイクにしっかりと鍵をかけ、シートを取り出して隠しました。誰もいないように見えても、時々泥棒まがいの人たちがうろついていることがあるそうです。足を盗まれては、お店まで帰るのも一苦労。


 さて、行くか。そう言って歩き始めた店長の耳が、ちょっと外を向いています。おや、これは。


「店長、もしかして、あんまり会いたくない人なんですか? 苦手、とか」


 顔を覗き込むと、珍しくわかりやすく眉を顰められました。


「いや、そういうわけじゃない。苦手では……ただ、なんというか、少しやりにくい相手ではあるな……」


 それは、苦手なんじゃないかしら。ただ、店長は案外ナイーブなところがあるのは最近、なんとなくわかってきました。相性とか、そういう話なのかもしれませんね。


 透明のドアをどうにか引き開けると、中にはなんとなく湿った空気が漂っていました。もう中の湿り気を与える装置は壊れているそうですから、あたりにぼうぼうと伸びた木や草から水気が立っているのでしょう。


 ふたりで、静かに緑の道を歩きました。草を踏んづけて、枝を掻き分けて。そうして、中に少し開けた場所を見つけます。


安藤あんどうさん」


 店長が、声をかけました。人の気配はしないようですけど……、と。


「ようこそいらっしゃいました。メンバーズカードをお持ちの方は……」

「お持ちではないが、何度ここに来たと思っている」


 突然聞こえた、妙に澄んだ声、流れるような口調。でも、ところどころなんだか歪んだような変な響きもあって。確かに男性の声なのですけど、少し高めで、どこか中性的な雰囲気もあります。


「プリセット音声の方が楽なんだよ。何せ声帯もそろそろ擦り切れそうなんでね」


 同じ声がまた聞こえます。私たちがいるところの裏側あたり。店長と私は、薔薇の蔓が絡まってもつれているところをぐるりと回り、そこにたどり着きました。


「やあ、コースケ。一ヶ月ぶりかな」

「それは親父の名前だ」


 そうだったっけか。笑う相手は、少し……いいえ、とびきり変わった人でした。さらに言うと、人ですらなかったのです。ちなみに、店長の下の名前は葉介ようすけです。


 形は、確かに人間の、若い、とても整った顔の青年でした。まつ毛なんて、びっくりするほど長くて。でも、草の中に座っているその人は、どこかおかしいところばかり。


 顔はつるりとしすぎていたし、年のわりに髪の毛は真っ白。普通の服の代わりに硬い素材のやはり汚れた白いコートのようなものを着ていました。何より脚は膝のところで途切れ、無残に割れているのです。そこには肉や骨ではなく、『がじぇっと』で売っているような無骨な機械やコードが覗いていました。


 そうしてそのおかしな人は、全身を薔薇の蔓にまとわりつかれ、ぐるぐると絡まり、あちこちに小さな花を咲かせておりました。何ヶ月、何年じっとしていたらこんなことになるのか、想像もつきません。


「やあ、初めましてのお嬢さ」


 彼……彼?はにこりと私に向け微笑んだまま、しばらく動きをぴたりと止めました。


「んだ」

「壊れてる。よくこうなる。気にするな」


 話しながら止まる人……人ではないのか、そういう相手には初めて会いました。でも、悪い人ではなさそうです。なんと言っても、店長のお知り合いですからね。得体は知れないけど……。


「ソースケ。私の紹介をきちんとしていなかったのじゃないか。彼女は少し、恐怖しているようだよ」

「ソースケって誰だ……。ああ、そうだ。見せるのが手っ取り早いと思ってそのままだったな」


 五十鈴店長は手でその草に埋もれた機械の人を指し示しました。


「アンドロイドの安藤さん。戦争の頃から稼働していて、ここ数十年はこの温室にいる……物好きにも」

「ここは日光が当たって雨が防げるからね。電池にちょうどいい」

「だそうだ。何の因果か、僕の一族が代々メンテナンスに駆り出されている。こっちはエリカ。うちの店の手伝いだ」


 アンドロイドって、多分こういう機械の人のことなのでしょう。こんにちは、とお辞儀をしました。安藤さんはにこにこと目を細めて笑っています。


「さて、何から話そうか。まず……」

「まず、それからだろう」


 ぎぎ、と微かに安藤さんの土に汚れた手が動き、店長を指差しました。


「君がいつの間に、その斬新なファッションを始めたか、という話が聞きたいな」


 店長は少し顔をしかめて耳を押さえます。代わりに尻尾が大きくしなりました。


「大変よくお似合いです。こちら在庫が店頭にあるだけとなっておりまして」

「プリセット音声やめろ!」


 事情は多少わかっても、このふたりの関係は、まだなんだかよくわからないのでした。

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