2-2 ギフトは青い空の色

 その晩の叔母さんとクレムの言い合いは、なんだかいつもより激しく、きつい言葉が飛び交って。クレムはれていたし、叔母さんは疲れていたのでしょう。いつもは仲裁に入る叔父さんも、叔母さんの方についてしまって、私が三人を止める羽目になりました。


「なんだよ、やっぱりどっちつかずじゃないかよ、エリカは」


 クレムが、敵意混じりの青い目で私をきっと睨みました。


「だって、ふたりとも言い過ぎだと思うの」

「仕方ないだろ、俺の生き方の問題なんだから。俺はもっと遠くに行きたいんだ!」

「だから、あと二年は待ちなさいってそう言ってるでしょう」


 叔母さんが割り込むと、こんどはそちらを睨みつけます。


「待って、その間どうするんだよ。道がぶっ壊れたら。うちが急に貧乏になったら。俺が死んじゃったら! そしたら何も意味ないだろ!」

「縁起でもないこと言わないでちょうだい!」

「もういい」


 ぷい、と後ろを向いたクレムは、木の椅子を乱暴に押しやると、大股に歩いて自分の部屋に入っていってしまいました。


 こちらの気持ちを拒否するような、強い響きの音が、廊下に響きました。


 私たちはとても気まずい気持ちのまま、半分以上残った夕飯をもそもそと食べました。なんとか明るい話をしようと頑張ったのですけど、叔母さんはため息をついて俯くばかり。叔父さんも、困った顔でこちらを見て笑いました。


「明日になれば、また機嫌も直っているさ」


 そうだといいのですが。


 私は、五十鈴いすず店長のことを少し思い出しました。機嫌が悪いことも多いし、考えのわかりにくい人ですけれど、あんな風に感情をぶつけることはない気がします。それはもちろん、家族と部下では違う話でしょうけど……。


 わかりやすく激怒するのと、わかりづらく不機嫌なの、どちらがいいかは、悩みどころです。



 お風呂から出て、濡れた長い髪を拭いて乾かしていると、隣からふと窓が開く音と足音がしました。見ると、クレムらしき背中が闇の中に溶け込んでいくところでした。そろそろ、街灯も消える時間です。


 大丈夫かしら、と思いながら、私はそのままにすることを選びました。また怒られるだろうし、それに暗闇の怖さはクレムもよくわかっているだろうから、すぐ戻るだろうとそう思ったのです。


 間違いでした。クレムは私が寝つく頃になっても戻らず、そして、信じられないほど大変なことになっていたのです。




「ひゃあ!?」


 次の日、私の目を覚ましたのは、隣の部屋から聞こえてくる悲鳴でした。部屋の時計を見ると、まだ八時。今日はお店がお休みの日ですから、もうちょっと寝ていられるのに。


 私はあくびをしながら、クレムに少し文句を言ってやろうと外に出ました。悲鳴はまだ聞こえます。「うわあ!」とか、あと「エリカ!」って私の名前が呼ばれたり。大きな虫でも出たのでしょうか。外は風が強いようだから、紙か何か飛ばしてしまったり?


「なあに、少し静かにして……」


 隣の部屋のドアを開けた瞬間、私は目を丸くしました。クレムはベッドの上にはいませんでした。床にも、机の前にも。


 クレムは、空中に慌てたような体勢でふわふわと浮いていました。私を見るとほっとした顔になります。


「そ、それ、どうしたの」

「起きたらこんなになってたんだよ!」


 どこかで聞いたようなことを言います。私ははっとしました。


「……ギフト?」

「多分そう」


 じたばたするのを落ち着かせて、おそるおそる足を引っ張って降ろそうとすると、案外素直に下がってきました。身体自体が軽くなったとか、そういうわけではなさそう。


「よかった。普通に立てる?」

「……うん」


 床に降りた寝巻き姿のクレムは、ぶっきらぼうに頷きます。そうして、試しに何歩かちゃんと歩けることを確かめると、少し考え、こんなことを言い出したのです。


「……父さんと母さんには、内緒にしてくれる?」

「そんなわけにはいかないでしょ」

「大丈夫、姿が変わったわけじゃないし、ばれないよ」


 だって、ばれたら絶対に町の外に出してもらえない。そう呟くのです。


 確かに、そうでしょう。ギフトが曲がりなりにも受け入れられているのはこの町の中でだけ。他所よそに出て行って姿や力が気味悪がられないとも限りません。少なくとも、叔父さんと叔母さんは心配するに違いありません。


「クレム、何かあったの?」


 上の階から、叔母さんの声がします。


「なんでもない。油虫が出たけど、エリカが叩き潰した」

「潰……」


 なんでそんな暴力的な形容をするのか、意味がわかりません。怒ろうにも、人差し指を立てて「しーっ」とされてしまいます。否応なしに共犯者にされてしまいました。


 どうだろう。後でこっそりふたりに言うべきかなあ。でも、告げ口みたいになってしまうし……。悩みながら、朝食の席に向かいます。クレムは特にその後は浮いたりする様子も見せず、大人しく食事を済ませました。 少し大人しすぎたくらいですけど、昨日の喧嘩の後だし、気まずいのだろうと思われたようです。


 それで、外から聞こえる風の音を聞きながら、朝の食事は静かに終わりました。


 事件は、その後に起きました。


 叔母さんが仕事に出るのを見送って、さてお休みだ、叔父さんのお洗濯のお手伝いでもしようかしら、それから町に出てお友達がいそうなところに……お買い物? 甘いものでも食べる? とうきうきしながら玄関から戻ります。入れ違いにクレムが、外に出る格好で廊下を歩いて行きました。


「出かけるの? 大丈夫?」

「平気。図書館に行く。いろいろ調べたいし」


 それだけ言って、外へのドアを開きます。ぶわ、と春の埃っぽい、強い風が飛び込んできました。


「あ」


 私が目を細めた時、クレムの呆けたような声が聞こえました。見ると、なんということでしょう。クレムの身体はまたふわりと浮いて、ドアノブを掴んだ状態で外に飛ばされそうになっているのです。亜麻色の髪が、逆立つように風に揺れていました。


「クレム!」


 私は慌てて彼を引っ張ろうと、腕を掴みました。なんだか先とは違って、なかなか降りてくれません。


 風が、また一段と強く吹きました。


「すごい風だね。干したらシーツが飛ばされそうだ」


 洗濯籠を抱えて歩いてきた叔父さんがこちらを見て、ぽかんとした顔をしたのが目に入りました。私は目を見開きます。クレムの手が滑り、ドアノブからつるりと外れました。


「まずい、エリカ、手を放し……」


 私は間に合いませんでした。いえ、間に合ったとしても、どうして放すわけにいったでしょう。ひとりきりで、風に飛ばされそうな、生意気な私の従弟。


 クレムの貰った力は、思ったよりもうんと強いものであるようでした。足元がふわりと浮くと、私とクレム、ふたり分の身体は風を受けて、一気に高く舞い上がったのです。


 外に出てきた叔父さんの姿が、ぐんぐんと遠ざかります。まるで、豆粒みたいに。足元には何も立つ場所がありません。耳元には風の音がごうごうと。


「と、と、と、飛んでる!?」

「どうしよう、降りられない……!」


 目の下には、町の赤と銀とがまばらに混ざった町並みが広がります。建物の三階か、もっと高いくらいの場所を、ふわふわと私たちは飛んでました。飛んでいくうちに、高さはさらに上がっています。


 手を放したら、落ちて終わりです。私は胃がひっくり返りそうになりながら、ぎゅっとクレムの腕を握り締めました。




 まずかったのは、ひとつはこの一帯が新しい市街で、背の低い建物が多かったこと。何かを掴もうにもぐんぐん高さは上がり、赤い屋根はどんどん遠ざかっていきました。


 もうひとつは、とにかく風が強かったこと。背の高い銀色の建物には近づいたかと思うとすぐに遠ざかってしまうのです。だいたい、古い建物って出っ張りが少ないんです。屋根も四角くて。変な銀色の針金を曲げたようなものが生えているから、それにすがろうとしたけど、指は引っかからずに遠のいてしまいました。


「……少し、飲み込めてきた!」


 ごうごうと風の音にかき消されないように、クレムが叫びます。


「飲み込め……?」

「多分、俺、風をどうにかして、こうやって飛んでるんだと思う。飛ばされてるけど……」


 なんだか、それこそ魔法みたいな、お話で読んだような力です。でも、本当に目の前にあって、自分も巻き込まれていて。


 ギフト。一体、どういうものなのでしょう……と不思議がる前に、どうにかしないと落ちて一巻の終わりです!


 カラスが何羽か、こちらを不審げな目で見ながら飛んでいきました。ああ、自由に飛べるって本当に素晴らしいこと……そうだ。


「自分で操れないの?」


 駄目元で聞いてみます。クレムの力なのだから、クレムが自由に動かすことだって、普通ならできるはずです。


「少し、やれそうな気もしてきた……流れに逆らう、というか、利用する、みたいな」


 そういえば、ぐんぐん流されていた身体が、少し落ち着いたような気もします。下を見てしまい、きゅっと心臓が止まりそうになりました。建物はほとんどありません。クレーター広場の真上。人の頭が、蟻の群れか何かのようにざわざわとうごめいています。できるだけ、こちらを見ないでもらえると嬉しい、の、ですが……。


 なんだか、上を見ている人、多くない?


 今日はスカートじゃなくて本当に良かった、と思いましたがそれどころではありません。クレムの腕を掴んでいる手は、そろそろだいぶ疲れてきました。辺りには掴まるものなど何もありませんし……。


 ぶん、と耳の近くでうなりのような音がしました。何か、小さなものが近くを通り過ぎます。そして、ざざ、となんだか耳にうるさい音。それから。


『エリカ。お前何をやってるんだ、そんなところで……!』


 通信機越しで少し掠れていましたが、間違いありません。この声は。


「店長!」


 私はなんだか泣きそうになりながら叫びました。あの黒いドローンが、風にふらふらと揺れながらもプロペラを回し、私たちの周りを飛び回っていました。

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