第2話 遠く、高く、遠く

2-1 家族もいろいろあるもので

「ねえ、母さん。こないだの話」


 夕食の席で、おもむろに従弟のクレムが切り出しました。私と叔父さんの空気に少し緊張が走ります。


「言ってるでしょう。まだ早いって何度も」


 叔母さんはナフキンで口を拭きながらいつもの通り、さらっと流します。私は少し居心地の悪い思いをしながら、合成肉のシチューを口に放り込みました。


 お家の仕事全般、特にご飯を作るのが得意なのは、身体は大きいけれど優しい叔父さん。小柄な叔母さんは、外で建築関係のお仕事をしています。この辺の新しい煉瓦造りの家には、大抵関わっているし、町の真ん中にある時計塔を修理して、新しく外側を作った人のひとりでもあるんですよ。早くに両親を亡くした私の、とても素敵な育ての親です。


「だってさ」


 膨れた顔をする十四歳のクレムは、成長期で反抗期。わざと伸ばした亜麻色の髪を掻き上げ、続けます。


「母さんだって、他所で研修がどうとかって話、聞いたよ。だったら俺がついて行ったって……」

「それは断ったわよ。他所を参考にするより、ここの町並みを大事にしたいの」

「ならひとりで行くよ」

「何度も言わせないで。危ないから駄目」


 ふたりのこのやり取りは、ここ毎日の日課のようになっていました。クレムはさきわい町を出て、他の、もっと大きな町で勉強をしたいのです。例えば昔の、あの時計塔よりもずっとずっと大きな塔が残っている、糖蜜町とか。さっさと学校の課題を全部終わらせてしまって、今は家で先へ先へと自分で学んでいるような子だから、そういうこともあるのでしょう。


 一方叔母さんは、住宅地の奥の方にある廃工場のあたりを、少しずつ造り替えて家を建てる計画に参加していました。生まれ育ったこの町をこよなく愛している叔母さんですから、他所の技術はできるだけ使いたくない、ここにずっといたい。そういうことなのでしょう。


 もちろん、十四の男の子がひとりで外に出る苦労を心配しているのは当然のこと。町同士の行き来は古い車を出して、長い荒れた旧道路をうんと時間をかけて行かなければならないのですし、行ったら行ったで文化やしきたりもかなり違うのだと聞き及んでいます。


 どちらの気持ちも、半分わかるし、同時に半分は意固地になっているのじゃないかと思うのですけど……。私は家では、半歩だけ遠慮することにしているので、何も言えません。


「まあまあ、シチューが冷めてしまうよ。まずはご飯を食べなさい」


 叔父さんの大らかな声でやり取りが終わるのも、いつものことでした。




「エリカはどう思うの」


 食事の後、一階の部屋に戻ろうとしたら、廊下でクレムに声をかけられました。


「私? 他所に行く話のこと?」


 こくんと頷かれます。青い目がじっと私の顔を見つめているので、なんとも答えづらかったのですが……。


「どっちの気持ちもわかるよ。だから、お話しして落とし所を」

「やっぱり、いっつもそうなんだよな。どっちつかずのエリカ」

「だって、ふたりとも真剣なのはわかるもの。どっちかを応援なんてできないよ」


 私は、できたら早めに自立したいな、と思うばかりで、ふたりのように強くやりたいことがあるわけではありません。だから、どちらにも憧れますし、本当には気持ちがわからないのだと思います。


 ずっと、なんとなく平和な毎日が続けばいいとばかり思っている私は、多分、少し臆病なのでしょう。痛みを得てでも貫きたいと思うものが、ないのです。


「ほんとはひとりで勝手に出て行きたい」

「クレム!」

「やらないよ。無理なのはわかってるもの」


 バタン、と冷たい音を立てて、部屋の白いドアが閉まりました。私は何を言っていいのかわからずにしばらく立ちすくみ、それからすごすごと自分の部屋へと帰って行きました。




 商品にハタキをかけながら、少しため息をついてしまいました。いけないいけない、と背筋をしゃきっとさせます。お店の空気を悪くしてはいけませんし、機械を落として壊してしまったりしては一大事です。


 並んでいる半分くらいの商品は、まあ、もう使い方がわからなかったり、必要な部品がなかったりで、壊れているようなものなのですけどね。五十鈴店長いわく、そういうものにもロマンが詰まっているのだそうです。妖精さんはだめで、ロマンが良い理由って、よくわかりません。


「店長、店長はずっとこの町に住んでるんでしたっけ」


 ふと私は気になって、最近仕入れた機械を熱心に分解している店長に聞いてみることにしました。前の猫探しの件から少し経ち、多少は慣れたようで、店内では耳を隠していません。


「まあ、店がここだからな」


 よかった、ご機嫌はあまり悪くないようです。猫耳も私の声を聞いてぴんと立ちました。


「他所の町に行きたいって思ったことはありますか? それとも、ここじゃなきゃ!って思ってるとか」

「別に、どちらもないが……」


 小さなドライバーでネジを外し、慎重に避けてから、店長は私の方を見ます。


「なんだ、何か面倒ごとでもあったのか」


 聞くのが面倒だ、という顔ですが、珍しく少し親身で、耳もこちらを興味深げに向いています。すごい! ため息をついた甲斐がありました。


「従弟……弟みたいなものなんですけど、外に行きたいって希望してて」


 簡単に、我が家の悩み事を話してみます。もちろん店長が解決できる類の話ではないのですが、私が欲しかったのは共感でした。


「まあ、わからんではない。出来のいい奴はもっと遠くを見たくなるものだ」

「店長もそういうのあったんですか」

「出来のいい奴と言ったろう」


 店長も頭はいい人だと思うのですが、この場合は違ったようです。機械に夢中で、勉強は二の次だったのでしょうか。


「僕には店があったからな。親父にいろいろ叩き込まれて、学校よりそっちばかりだった」


 あ、当たった。


 私は店長のお父さんという人をよく知りません。私がお店に入る前に亡くなって、それでアルバイトを雇うことにしたということくらいです。


 でも、店長の少し伏せた耳と、懐かしそうに揺れた眼鏡の奥の目。


 きっと、店長にはいいお父さんだったのではないかと、そう思えるのです。


「まあ、私語はいい。手が止まっているぞ。進めろ」

「はあい」


 ……当人は、ちょっと厳しい人ですけどね。


 私ははたはたとハタキを動かし、丁寧に埃除けを続けました。『タブレット』とかのつるつるした画面は放っておくとすぐ埃が積もって、なんだか見栄えが悪くなりますからね。


 さて、そうしているうちに、私はひとつ、見たことのない機械を発見しました。なんだか変な形のもので、ころんとした本体から四つ足みたいなものが生えたところに、風力発電機のようなプロペラがくっついています。色は黒。大きさは、両手の平に収まるくらい。新しい出物でしょうか。


「店長。これ、なんですか?」


 お店の話なら私語ではないはず、とまた話しかけます。手ももちろん止めてはいません。複雑な形だから、ゆっくりしっかりハタキをかけます。


「『ドローン』」


 少し変わった響きですが、多分名前なのでしょう。


「空を飛ぶものだ。手元で操って動かす」

「へえ!」


 なるほど、プロペラが動けば、なんだか浮きそうな感じがあります。原理は全くわからないけど。


「飛ばしてどうするんですか?」

「写真や映像を撮ったり、大きなものは物資を運んだりすることができたらしい。カメラは壊れているものが多いが」


 店長が歩いてきて、ドローンを手に取りました。黒い尻尾がゆらゆらと揺れました。


「なかなか数が見当たらないものだ。戦争中に規制がかかったのではないかと言われている。これも貴重品で……」


 あっ、火がついたな、と思いました。店長はたまに、新しく入った商品の話をとてもしたくなるようなのです。言われているというのが、誰の間で言われているのか、私にはよくわかっていません。


「これは珍しく無事なカメラと、それから通信機がついている。ドローンを通して音声でやり取りができるようになっているんだな


 ははあ、と私はどうにか想像しました。空を飛ぶ機械から音が流れてきて……たとえば、音楽が空から降ってくれば、ちょっと楽しい気持ちになるかもしれません。あとは、叔母さんの忘れ物を空を飛んで届けてあげられるし、その時に『頑張ってね』って言ってあげられるかもしれない。


「素敵ですね、それ。とっても便利」

「だから規制された。盗撮、盗聴、スパイ行為や爆撃にはもってこいだからな」

「なんでそういう怖い使い方を考えるんですか!」

「それは昔の人間に言ってくれ」


 私は少ししょんぼりしました。それは、昔そういう恐ろしいことがあったのは確かですけど、でも、少しは明るいやり方を考えたいではありませんか。当時だって、楽しく使っていた人はいたと思いますし。町の人も、だいたい私と同じだと思うんだけどなあ。


「まあ、これは小型だ。今使うなら、それこそ飛ばして遊ぶくらいになるだろうな。飛行テストをしてみたい」

「凧揚げみたいですね。いいなあ」


 楽しく使ってくれる、いい人に買われるといいね。そう気持ちを込めて、また机に置かれたドローンに仕上げのハタキをかけました。


 店長は尻尾をぴんと立ててそんな私とドローンを見ていました。このお仕事と機械が本当に好きなのだな、とそう思えて、なんだか微笑ましかったです。




 この時の私は、ごく近いうちに自分がこの小さなドローンに助けられるなんて、思ってもみなかったのです。

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