1-2 真昼の星に連れられて
「前に、お父さんに連れられてここでお買い物をしたの」
店長は追い返したそうな顔でいましたが、男の子は男の子で動いてくれそうにありません。ひとまず椅子を引っ張ってきて座ってもらうことにしました。話だけでも聞きましょうと私が提案したのです。店長の耳の話は、とりあえず簡単に説明をしました。
「それでね、『人や物の場所がわかる不思議なお守り』を売ってもらったんだ」
「やっぱりちゃんとお客さんみたいですね、店長」
店長はむすっとした顔のまま、腕を組んで黙っています。耳だけがぴこんと震えました。お休みするつもりだったのに、とんだ飛び込みが来たものだとでも考えているのでしょうか。……さっきも思ったのだけれど、今日の店長はなんだか気持ちを推測しやすい気がします。耳がぴくぴくとよく動くからかもしれません。
「ビビはよく脱走するから、首輪にお守りをつけたの。これまではちゃんとその日のうちに帰ってきたのに、今度は三日も逃げたまんまで……」
しょげて鼻をすすります。よほどそのビビちゃんが大事だったのでしょうね。
「お父さんが教えてくれたの。もしビビの居場所がわからなくなったらまた来なさいって、お店の人が言ってたよって」
男の子はぺこりと頭を下げました。まだ小さいのにちゃんとした子です。うちの従弟が小さかった時とは大違い。
「お願いします。ビビを探してください」
「……どれくらい前だ」
不意に店長が、なんだか地下から響いてくるような低い声を出しました。
「何ヶ月、何年前の話だ。その買い物は」
「えっと、確か秋の頃」
男の子は指折り数えます。店長は立ち上がって背後の棚から分厚い台帳を取り出しました。あ、と思います。さっきの店長の言葉通り、後姿には黒くて細い尻尾がゆらゆらと揺れていました。男の子も目を丸くしています。
「……半年以上前。GPS。僕は覚えていない……」
店長の指はばさばさとページをめくり、途中で止まります。販売記録の表がずらりと並ぶ中、目的のものを見つけたようです。
「やはりだ。その首輪、確かにうちで扱ったもののようだ」
「じゃあ、見つけ方、わかるんですか」
すごいお守りがあったものだと思いました。常々思っているのですが、店長の扱う機械たちは、まるで魔法のようです。そう言ったら鼻で笑われましたから、あまり口には出しませんが。
「……多分、これを売ったのは親父だ」
「店長のお父さん」
聞いたことがないではありません。前の店長さんで、私がここで働きはじめる少し前に亡くなっていたはずです。今の店長が跡を継いでからは、店がずいぶん綺麗になったとか、その代わりに雰囲気が暗くなったとか、いろいろな話がありました。
「GPSは受信機と発信機両方がないと位置検索を行えない。親父のやつ、発信機だけ安く売りつけて、アフターケアをこっちでやるつもりだったな……面倒な真似を……」
「やっぱり、できないんですか」
店長ががさがさとその辺の棚を掻き回していると、男の子が心配そうに尋ねます。あまりに不機嫌な様子だったから、そう思っても無理はありません。が、私は思わず彼の口を押さえそうになりました。禁句。それは禁句です。店長には言ってはいけない言葉なのです。
「できない?」
ゆらり、とゆっくり振り向くと、眼鏡の奥にちらりと炎のようなものが燃えました。男の子はびくっと肩を震わせます。お客様を泣かせてどうするんですか、と言いたいのですが、こういう時の店長には口ごたえは絶対にできません。
「馬鹿を言うな。壊れてさえいなければ、やり方さえ合っていれば、
そう、これが店長の持論でした。私が機械さん、とか親しみを込めて呼ぶと怒るくせに、自分はこんなことを言うのです。機械に人格はない、というのが理由らしいのですが、どう違うのか私にはよく理解がしかねます。
「対応した端末がこの辺りに……これか」
ごそごそと箱の中から、小ぶりな板のようなものを取り出します。表面のガラスには気の毒なくらいひびが入っていますが、中身は動くようです。店長はその画面を私達ふたりに見せてくれました。
「この青い点が現在地点。赤い点がその猫の居場所だ」
やや離れたところにある赤い点はちかちかと点滅をしながら、ほんの少しずつ北へと動いているようでした。
「ああ、どうやら生きて動いているか、誰かに運ばれているかしているようだな。のた……」
「じゃあ、これを追っていけばビビちゃんに追いつけるんですね!」
店長の言葉を私は慌てて遮ります。多分、『のたれ死んではいないようだ』とか言おうとしたのです。そういうことを、小さな子供に聞かせるのはどうかと思うので。
「そしたら、私がこれを持ってビビちゃんを探しに行ってきます。店長はここで待っていてください」
端末、と呼ばれた機械を掴もうとすると、ぱっと先に奪われます。あれ? 店長は外には出たがらないと思ったのですが。
「お前に扱わせたらどうなるか心配だ。僕が直接操作する」
「ええ、まあ、いいですけど。そうしたら、私がお店でお留守番してましょうか」
「馬鹿を言え。猫探しだぞ。走るところを僕が追いついて捕まえられるわけがなかろうが」
「何を威張ってるんですか」
店長は黒いフェルトの帽子をかぶり、長めのマントを羽織りました。こうすれば普通に、なんでもない男の人に見えます。黒づくめで暑そうなのを除けば、少し格好いいくらい。
「行くぞ、エリカ。業務だ。時給は普段通り払う。ついて来い」
はあい、と名を呼ばれた私は肩をすくめ、きょとんとした顔でいる男の子の手を取ります。
ちりん、とドアが開くたびに音を鳴らします。それはまるで、黒猫の首につけた金の鈴の音のようでした。
「北の方でしたよね」
「北って上の方?」
男の子――フェイという名前だそうです――が私に尋ねます。
「そう。町だと浄水塔の方かな」
「そこまで遠くは行かないぞ」
端末とにらめっこをしながら歩いている店長が口を挟みました。前を見ていないので、時々人にぶつかりそうになっています。なぜか謝るのは私。
「この地図はずいぶん古いからわかりづらいが、大学公園のあたりだ」
大学公園、というのは実際に学校があるわけではなく、ついでに言うと本当は公園でもなく、大昔に学校らしき場所があったあたりが草だらけの空き地になっているのを、そういう風に呼んでいるのです。子供たちの格好の遊び場でもあり、遺跡街に近い、少し危険な場所でもあります。
「あそこはひとりで行っちゃだめって言われてる。悪い黒マントが出るんだって」
「それ、今でも言われてるんだ。私もよく注意されたっけ。店長はどうでした?」
「知らん。親父に連れられて何度も行ったことがあるが、そんなものはいなかったぞ」
自分が黒マントみたいな格好をしておいて、店長はそう言い放ちます。
「……ビビもよく連れて行ってたから、気に入っちゃったのかな」
フェイがぽつりと呟きました。私は繋いだ手を小さく握り返します。
「お友達なのね」
「うん。ずっと一緒なんだ。ビビも、そう思っていてくれればいいんだけど」
「猫に人間に対する友情があるとは思えん」
「店長!」
非難の声で店長の背中を引っぱたきますが、あまり効果はなかった様子。
「ごめんね。店長、今日は特に機嫌が悪いみたいなの」
「お耳のせい?」
「かもね。悪い人じゃないんだけど」
フェイはこくりと頷きます。わかってくれるなら何よりです。そうして私は、少し気になっていた機械について尋ねてみることにしました。
「店長、それ、GPS?ってどういう仕組みなんですか?」
「衛星からの電波を利用して位置を割り出す」
「えいせい?」
「空には」
店長は少しだけ眩しそうな顔で上を見上げます。私もつられますが、もちろん真っ青な午前の空です。星も、月の名残もありません。
「先の戦争の前からずっと変わらずに働いている人工衛星……人の手で作った星が浮かんでいる」
「へえ」
まるで神話のようなお話です。先の戦争といって、あれはもう何百年と昔のことではありませんでしたっけ。
「そこから飛ばされる電波を受信し、位置情報を……」
「ええっと、ちょっと待って、ちょっと待ってください」
私はうんと考え、ようやく言葉でまとめました。
「つまり、何か妖精さんのようなものが、こう、ぱたぱたと飛んで……」
手を飛ぶように動かすと、店長はすごい目でこちらを見てきます。仕方がないではありませんか。私の語彙は限られているのです。
「まあ、その……妖精さんが。空と首輪、首輪と端末の間を飛んで、場所を教えてくれる、と考えるといい」
「あっ、すごい。完全にわかりました!」
でも、ちょっと不思議。どうも疑わしい顔をしている店長に、私はふと疑問をぶつけました。
「妖精さん、お手伝いしてくれるのに、ミルクとかあげなくていいんですか?」
「要らないんじゃないか……」
なんだか店長の背中が切なく見えました。上着の下で尻尾がしょぼんと垂れているのを想像し、私も少しだけ悲しくなった気もします。
今日は休日ですから、ひび割れた道には結構な数の人が歩いていました。時々私も挨拶されたり、手を振って返したり。抜けるような青空と、暖かな太陽がこの町のシンボル。太陽のマークは、町の新旧あちこちの建物に描かれています。ごく平和ないつもの一日、といった雰囲気でした。
そうしてよく見てみると、中にはギフトを貰ったのだとわかりやすい人もちらほら歩いていました。色とりどりに染まった髪を堂々となびかせている人もいましたし、スカーフを被っているけれど、下に何か角のようなものがあるのがわかるような人もいました。ごく普通に見えるけれど、横を通り過ぎると急に空気が冷たく感じる、そんな人もいました。
店長は今のところ、耳も尻尾も隠れています。陽気のわりに少し厚着なのが不思議がられるくらいでしょうか。
表に出してしまっても、かわいいのに。そう思うのはきっと、他人事だからなのでしょうけど。
ギフトってなんだろう。どうして貰う人とそうでない人がいるのだろう。そんなことを、少しだけ考えました。でも、ちょっと変わった姿の人たちが町中を歩いている様子は、なかなか悪くない。そうも思ったのです。緑が昔の学校の建物を全てのみ込んでしまったように、少しだけ変わった風景も、変わらないこの町が包み込んでくれる、そういう気持ちでした。
私は、しみじみとこの町が好きでいたのです。
通りを北に進み、大学公園の入り口、すっかり緑の草に覆われた、元は門だったあたりに入ると、中では数人の子供たちが追いかけっこをして遊んでいました。店長が画面と実際の景色を交互に睨みつけるようにします。
「おそらくこの辺りに……」
店長ははっとした顔で帽子を脱ぎます。下から三角の耳が現れて右に左に小さく向きを変え、子供たちはポカンとこちらを見つめていました。
「聞こえる」
「何がですか?」
私の耳には、風の音と、突然中に向けて歩きだした店長の足音くらいしか届かなかったのですが。店長は、やけに自信のある顔つきでざくざくと野原に踏み入っていきます。公園は広く、奥の方は木も多く、林と言ってもいいほどで、うっかりすると迷いそうです。私とフェイはおっかなびっくり後をついて行きました。
やがて、私の耳にも何か、小さな声が届きました。甘く、尾を引くような、これは……。
「猫の声」
「ビビかも」
私たちは顔を見合わせると、声の主を探します。思ったよりもずっと上の方から、声は聞こえてきます。店長が手をかざし、一本の高い木の上を見ました。最初は枝に紛れてわかりませんでしたが……いました。微かに動く影。キジトラの細身で優美な若い猫。どうも高いところに登りすぎてすくんでいるようで、太めの枝の上から動きません。
「あれか」
「そう。ビビ……!」
フェイが叫ぼうとしたところを、店長が手で止めました。ぺたんと耳が伏せられています。
「大声を出すな。耳に来る。それより、さっさと連れてきた方がいいだろう」
「う、うん。でも、あんなところまで登れるかな」
「何もお前に登れとは言っていない。あんな高い……」
店長はじっと下の方の枝を眺め、変に黙り込みます。
「店長、木登り苦手ですか?」
「うるさいぞ。他の方法を考える」
私はお気に入りの白い、オレンジの格子縞のふわふわのワンピースを見下ろし、少しだけ考え、そうしてすぐに心を決めました。スカートがなんでしょう。汚れがなんでしょう。この小さな子の大事なお友達を、連れ戻さなければならないのです。
「じゃあ、私がやりますよ」
店長はあまり運動向きでない私の格好を見ると眉を顰めます。これでも子供の頃は立派なお転婆、木登りなら得意な方だったのですけど。
「無理するな。どうにかあそこから動かせばいいんだ」
「早くて確実な方がいいに決まってます。あ、上はあんまり見ないでくださいね」
私は靴と靴下を脱ぎ捨て、裸足になると木に飛びつきます。そうして、ゆっくりと上に登り始めました。
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