がらくた通りと猫の耳

佐々木匙

第1話 猫の尻尾を追いかけて

1-1 店長の耳は猫の耳

 ひび割れた黒い道を、私はひたすら走っていました。時間という名の強敵に追いかけられながら。


 角の街灯はとっくに夜のお仕事を終え、お休み中。合成肉を運ぶ荷車とすれ違い、おじいちゃんが外の席でのんびりと紅茶を飲む、カフェの机の脇を通ります。広々としたクレーター広場を早足で横切ると、驚いて鳩がばさばさと青い空へと飛び立ちました。顔見知りの郵便屋さんが、ちりちりと自転車のベルを鳴らします。ここはちゃんとお辞儀をしてご挨拶。それからまたぱっと走りだします。


 お気に入りの、白地にオレンジの格子の入ったふわふわのワンピースはちょっと走りにくくて、あまり人に見せたくはない姿ですけれど、仕方がありません。何せ私は遅刻をしかけていたのです。


 古い銀の四角い、背の高い建物と、新しい赤い煉瓦の、小さな建物の混じる通りを疾走しながら、私は店長の反応を考えては冷や汗をかきました。店長は、まだ若い男の人ですが、とても厳しくて、何を考えているのかよくわからない方です。きっと、眼鏡の奥のあの鋭い目でじろりと睨まれて、短いながら辛辣な言葉でなじられるのに決まっています。もちろん、暖かなベッドでいつまでもぼんやりうとうとしていた私が悪いのですけど……。


 商店街の大きな道から少し横道に入り、がらくた通り、なんて呼ばれている通りに差し掛かれば、私の働くお店はすぐ。古道具屋『がじぇっと』です。壊れた両開きの自動ドアを片側だけ撤去して木の扉をつけた、よくある型の入り口。その前で一息ついて、店頭のガラスをちらりと見ます。


 さきわい町でもこのお店にしかないような、大きな骨董品のデジタル時計は「9:58」を示していました。普段ならほっとするところですが、あの店長さんです。五分前行動、と眉間に皺を寄せる顔が、目の前に浮かぶようでした。私は小さくなりながら、それでもドアを開けようとし、そうして気がつきました。鍵のかかった戸に、『本日休店』の札が前触れもなくかかっているではありませんか。


 こんなのは、冬に店長が急に風邪を引いて寝込んで以来です。何かあったに違いない、またお粥を作りに行かないと駄目かしら、と、私はガラスを覗き込みました。すると、奥にはどうやら店長らしき人影が。ほっとして合鍵を取り出し、失礼します、とドアを開けたのです。


 ちりん。


 ドアについた鈴の音とともに、私はおそるおそる中の様子を伺いました。すべすべした床に、靴の音が響きます。


 店長、五十鈴葉介いすずようすけさんは、確かに奥の勘定机に掛けていました。いつものように銀縁の眼鏡をかけて、きちっと染みひとつない白いシャツにサスペンダー、黒いズボン。鋭い目。


 ただ、その真っ直ぐな黒髪の頭には、黒い猫の耳が生えていたのです。




 私はエリカ・スタージョン。この高い壁と山とに囲まれた小さな町、さきわい町で生まれ育った、十八歳の娘です。背は低くもなく高くもなく、太くも細くもない、平凡と言っていい女の子だと思います。好きなのは毎朝茶色い髪の毛を綺麗に結い上げること。今日はまあ、急ぎだったので簡単に済ませましたけど。


 お仕事はここ、古道具屋『がじぇっと』のお手伝い。アルバイト店員です。前時代の遺跡から運び込まれた機械――『ハードウェア』とか『メモリ』とか、いろいろなものがあるようなのですけど、それらが所狭しと、かつ整然と並ぶこのお店で、お店番をしたり、お掃除をしたり、それから店長の出張に同行したり、そんな毎日を過ごしています。時々へまをして怒られるけれど、大体が同じことの繰り返し。実にのんびりと楽しい生活だったのです……この日までは。




 話が逸れました。ええ、そうです。耳、耳の話です。店長はいつもちゃんと食べているのか心配なくらい痩せた人だから、なんだか野良の黒猫のようです。


「お、おはようございます。どうしたんですか、それ!」


 ギリギリ到着のお詫びも忘れて思わず聞いてしまうと、店長は慌てたように手で猫の耳を押さえました。これは推理なのですが、眼鏡は掛けているのだから、普段通りの人の耳もあるのだと思います。


「エリカ、お前、どうやって中に……」


 いつも通り高圧的ながら、珍しく少しうろたえた口調で言います。それから、答える前に自分で気づいたようで、うろうろとしながら呟きました。


「ああ、合鍵、合鍵か……畜生……」

「心配するじゃないですか、いきなりお休みなんて。あの、それ、どういうあれなんですか」


 ドアを閉め、ともかく店長の傍に。そうしているうちに、私は私ではたと思い当たります。


「もしかして、あの流行りの」

「人の難儀を服の流行みたいに言うな」


 店長は苦々しげに頷きました。そう、この街では近頃、実におかしな事件が頻発していたのです。


「恐らくあれだ。『ギフト』とやらだ」


 指を逃れるように、耳がぴこんと立ちました。店長は慌ててまた隠します。もうばれているのですから、そのままでいいのに、とも思うのですが。


「朝起きたらこれだ。参るしかない……」


 店長は頭を押さえたまま、肘を机につきました。私はただ状況を飲み込むのが精一杯で、突っ立ったままその様子を見ていました。




 町の人の間に異変が起こったのは、半年ほど前、私がこのお店で働き始める少し前くらいからのことです。朝起きると突然、姿形がどこか変わっていたり、今までと違う力を手に入れていたり。


 最初のうちは、被害者はそれは怖がられたり、心配されたりされました。でも、時が経つにつれ、不安の陰は強い差別の気持ちとしては燻らず、人々はゆるゆると町に溶け込んでゆきました。これは、とても幸いなことなのだと叔父が言っていました。


 たとえば、頭に花が冠のように咲いたり、マッチほどの小さな火が灯せるようになったり。異形で異能とはいえ、それはどこか滑稽で、人々はなんだか楽しそうに見えました。だから、その呼び名は『ギフト』。なんでもない日に枕元に置かれるプレゼントみたいに唐突で、奇妙で、そうしてどこか不思議な楽しさがあったからです。


 この遺跡と同化した町は、明るくて、おっとりとして、どこか変化に乏しいところ。ギフトはそんな中に訪れた、ひとつのお祭り騒ぎのように扱われていたのかも。つまりは、みんな退屈をしていたのです。


 ギフトの配達は少しずつ増え、そうしてどうやら今朝はこの店長の番がやってきた、ということらしいです。そして、ついたのが猫の耳。とても口に出しては言えませんけど、その……すごく、かわいい。かわいくないですか、猫の耳。ミスマッチの妙!


「何をニヤニヤして」


 店長はじろりと私を睨みました。


「ともかく、店はしばらく休みだ。お前も家で待機。このクソ耳と尻尾をどうにかする。いいか、お前他人には言いふらすなよ……」

「尻尾!」


 私は思わず歓声を上げます。座っているから見えないけれど、尻尾。それも黒猫の尻尾なんて。


「えっ、あの、見せてください。見たいです!」

「嫌だ」


 私、猫ってとても好きなのですが、一緒に住んでいる叔母がくしゃみをするせいで、なかなか触れられずにここまできていました。この機を逃したくありません。まあ、店長は人で、成人の男性なのですが……でも尻尾は尻尾です。この際本体はなんでも構いません。なおも食い下がると。


「僕は見世物じゃない!」


 店長はだん、と部品だらけの机を叩きます。耳はまたあらわになり、少し後ろに引いたようになっていました。声は怒っているけれど、どこかしょんぼりしたような。……なんだか、耳が生えてからの店長は、いつもよりも感じていることがよくわかるような気がします。


 私は少し反省しました。誰だって突然姿が変わってしまえば、それは驚くし、怖いことですものね。興味本位で口を出すことではありませんでした。見たかったんだけどなあ、尻尾。


「再開の時は連絡をする。じゃあな」


 そう言って店長はなんだかボタンのたくさんついた板(確かキーボードというのです)をカタカタと右手の人差し指一本で忙しく押して何かし出しました。多分、前文明の記録から、何か関係のある事象を探しているのでしょう。機械や記録に詳しい人は何人か町にいますが、あんなに速く指を動かせる人は他にいません。


 私は惚れ惚れと見とれそうになりながらも、ひとつ申し出を行いました。言ってしまえば半分は心配で、半分は好奇心から。


「お手伝い、します?」

「要らん。お前が何をするんだ」

「体力仕事なら店長より得意ですよ。あと人と話したり、それから、お弁当を作って持ってきたりもできます!」


 卵とキュウリのサンドイッチとか、と魅惑の提案をしたのですが、鼻であしらわれました。ローストチキンの方がお好みでしたでしょうか。私はポテト派です。


「要らん要らん。お節介は結構」

「お店はいいとして、整備のお仕事とかもあるんでしょう」


 店長はこう見えて腕利きの整備工でもあって、町のあちこちに残る古い機械の修理や更新を頼まれることが多いのです。『ハードウェア』を買いに来る人より、そちらの方が盛況かもしれません。機械に関してはほぼ何でも屋さんと言えるでしょう。


「店がなきゃどうとでもなる。どうせジャンク品、物好きな客なんか大して来ないんだ」

「あっ、そういう言い方をしたら機械さんたちがかわいそう」

「気持ち悪い言い方をするなよ、鳥肌が立つわ」

「いいじゃありませんか。少しくらいかわいがったって」

「大して詳しくもないくせに擬人化か? よくやる」

「店長だって、かわいいと思ってるでしょ? こっちの犬っぽい子とか」

「誰が思うか、商品は商品!」


 む、とにらみ合いました。一触即発というやつだと思います。私と店長は時々、こんな風にぶつかることがありました。普段はすぐにちょっと後悔して、ちゃんと謝るのですけれど……。


 ちりん。


 その時。ドアについた鈴の音がして、ひとりの小さな男の子が中に入ってきたのです。なんだかべそをかいて、一生懸命に堪えている顔をしています。鍵をかけ忘れることに関しては私の特技で……はい、あの、反省をしています。


「こんにちは。今日は、お店はお休みなの」


 私は笑顔を作って軽くしゃがむと、彼にそう話しかけました。お話の途中でしたからね。でも、急ぎのお客さんってみんなそうなんです。こちらの話なんかなかなか聞いてくれないの。


「お願い」


 すん、と鼻をすすって、男の子は言いました。


「ビビを探して。猫なんです。ここの人なら大丈夫って、お父さんが」


 それから、彼は店長の顔を見て目をぱちくりさせました。


「……猫」


 店長はますます嫌な顔をします。いかな何でも屋さんとはいえ、猫探しは完全に守備範囲外。一体この子は、何を吹き込まれてここに来たのでしょう?


 私は不思議がりながら、あ、と小さく思いました。


 さっきの口げんか、謝るのを忘れていたな、と。

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