第31話 エドガーの屋敷での真実(解決編)
時は遡り、東条とエドガーが食後のデザートを取りに、食卓から席を外した時のことだ。ジャンヌは部屋を後にするエドガーの背中に冷たい視線を向けていた。
「聖女様……」
元傭兵の奴隷クラフトが、ジャンヌに呼びかける。
「なんでしょうか?」
「ドンレミ村を救ったと噂されているあんたに一生で一度の願いがある」
「願いですか。それはここから救い出してくれと云うお話でしょうか?」
「いいや、違う。俺を殺してくれないか」
クラフトは今にも泣きだしそうな声で懇願する。
「もうこの地獄の日々に耐えられないんだ。頼む、俺を殺してくれ」
「私が殺さなくとも手錠で首を絞めたり、舌を噛めば、自殺することができるではないですか」
「俺も自殺できるなら自殺したい。だがそれはできないんだ」
「それはなぜです?」
「俺の借金は俺を奴隷として売ったことで返済したものだ。もし奴隷が自殺すれば、契約そのものがなかったことになり、借金は元通りになっちまう。そうなれば俺の女房と子供たちは借金生活へ逆戻りだ」
「…………」
「俺はろくでなしのクズだ。酒や女にギャンブルに嵌り、その尻拭いを家族に強いてきた。それだけじゃない。俺は家族に暴力まで振るっていた」
「…………」
「奴隷に堕ちる前の俺は家族が苦しもうが、俺が幸せならそれでよかった。だが奴隷に堕ちて分かったんだ。暴力や悪意の被害者が、どれだけ苦しいのかってことがな」
「…………」
「俺はもう限界だ。このままだとするつもりがなくても自殺してしまうかもしれない。その前に殺してほしいんだ」
クラフトの告白はろくでなしのクズの言葉ではなく、家族を守りたい父親の言葉だった。ジャンヌは瞼を閉じて、話を受け止めた。
「聖女様。ワシも頼めんか」
クラフトの隣の檻に入れられていた知恵者の奴隷ルイーズが懇願する。
「ワシも奴隷の生活に耐えられそうにない。だが自殺する訳にはいかん」
「なぜです? あなたが死んでも賠償金が払えなくなるだけで、家族に迷惑が掛かるわけではないのでしょう」
「だからじゃよ。ワシも奴隷に堕ちて始めて分かった。人の命が如何に尊いか、そして自分が如何に最低な人間だったかを。そんなワシが唯一できる罪滅ぼしが賠償金なのじゃ。だからワシは何があっても自殺するわけにはいかん。だがこのままではいずれ自分で命を絶ってしまう」
ルイーズは枯れた肌を涙で濡らしながら、懺悔の言葉を続ける。
「ワシは世界の神秘を解明するためなら仕方ないと言い訳をして、何人も殺してきた。殺した者の中には女子供も含まれておった。そやつらが如何に辛かったかを昔のワシは想像すらできんかった」
「…………」
「ワシは死んで謝りたい。すまんかったと、殺した者たちに頭を下げたいのじゃ」
二人の後悔は本物だと、ジャンヌは理解した。そして彼女は彼らの殺してほしいという願いを遂げながらも、奴隷と云う悲惨な者たちが生まれるのを防ぐ手だてを思いつく。
「あなたたち、どうせ死ぬのなら、悪人を罰したいと思いませんか?」
「悪人とはエドガーのことか?」
クラフトが訊ねると、ジャンヌは首を縦に振る。
「だがどうやって? 俺たちは檻の中にいる。あいつに手は出せない」
「そこは工夫します」
「工夫?」
「はい。まずはルイーズさん。あなたには自殺してもらいます」
「ま、待つんじゃ。自殺すれば賠償金が――」
「自殺しますが、まるで他殺されたように見せかけます。方法はできれば明確に死んでいると分かるような形、手錠で首を絞めるのがベストです」
「鍵の掛かった檻の中で死ぬんじゃ。それだけでは自殺と認定されてしまうじゃろ」
「ルイーズさんだけならそうです。だからその後、死にたくないとでも叫んで、クラフトさんは舌を噛んでください」
「他殺に見せかけて自殺するわけだな」
「いえ、この時点ではまだ死んでは駄目です。あなたは舌を噛み、口から血を流しながらも、何とか生き残ってください。できますか?」
「死んだふりは傭兵の得意分野だ。上手くやる」
「最初にルイーズさんの死体を奴隷商人のエドガーさんに確認させます。確実に死んだことを知ってもらうことで、次に舌を噛んだクラフトさんも死んだと誤認させることができるはずです」
「なるほど。だがもし死体を確認されたらどうする?」
「そうならないためにエドガーさんが死体を確認する前に、私が檻の中に入り、クラフトさんが死んでいると宣言します」
聖女がわざわざ奴隷が死んでいると嘘を吐く理由が、エドガーには想像できるはずもないし、一人目が死体であることを確認したなら、どうしても二体目の死体に対するチェックは緩くなる。聖女の言葉を疑ってまで、エドガーが生死を確認することはあり得ないと、ジャンヌは確信していた。
「で、舌を噛んで死んだふりをした俺はどうすればいい?」
「きっとエドガーさんは私たちを隔離しようとするはずです。その方法は屋敷から追い出すか、檻の中に入れるか、どこか秘密の部屋に監禁するか、どれかは分かりませんが、他殺を疑えば、容疑者を排除しようとするのは当然の行為。しかしそれこそが罠になります」
「罠?」
「はい。犯行を行えないように私たちが隔離されれば、きっとエドガーさんは油断します。それも当然です。なにせ自分を殺せる者はいなくなったと安心しているのですから」
「そこで実は生きていた俺が油断の隙を付いて、あいつを殺すというわけか」
「はい。で、奴隷商人を殺した後に、血文字で神の裁きが行われたことを残しておいてください」
「それはなんのために?」
「奴隷商人を殺した後、きっと彼の兄が事件の真相を暴こうとするはずです」
「それはマズイ。俺が生きているかをきっと調べられるぞ」
「だから申し訳ないのですが、あなたにはエドガーさんを殺した後に、本当に自殺してもらいます」
「……なるほど。聖女様たちは監禁されていて容疑者から外れる。そして俺たちは死んでいるから、これまた容疑者から外れる」
「誰も殺害不可能な密室に残された文章が『神の裁き』です。人は理解できない奇跡を神の御業と信じるもの」
「密室殺人、もとい神の裁きの完成というわけか」
二人の死にたいと云う目的を遂げながら、エドガーを殺害する計画はこのように話し合われた。
「最後に一つ頼みがある」
「死ぬことが一生に一度の頼みではなかったのですか?」
「結局自殺するんだから、その頼みはノーカウントだ」
「随分と都合が良いですね」
「ろくでなしのクズだからな。口はいくらでも回る」
クラフトの邪気のない笑顔に当てられて、ジャンヌは「話を聞きましょう」と願いを促す。
「俺とルイーズの爺さんはクズで最低で生きている価値のない人間だ。だが盗賊に誘拐されたイリスは何も悪いことはしていないんだ。助けてやりたい」
檻の隅で震えながら黙って話を聞いていたイリスがピクリと反応する。
「ワシからも一生の頼みじゃ。弟のエドガーを殺されたとあっては、死体を発見した兄は、きっと怒り狂うじゃろ。その矛先は奴隷であるイリスに向かうはずじゃ。ワシらのワガママで、傷つく姿は見たくないからのぉ」
ルイーズはイリスのために頭を下げる。他人を自分の欲望のためだけに殺してきた彼にとって、他人のために頭を下げるのは初めてのことだった。だからこそその願いには気迫が籠っていた。
「私にはイリスさんを買えるだけのお金はありません。しかしきっと東条さんは彼女を救うはずです。なにせ彼は、戦乱のフランスに舞い降りた救世主なのですから」
ジャンヌは自信に満ちた表情で奴隷たちの願いに答える。その願いが果たされたことを知らないままに、二人の奴隷たちは天国へと旅立った。
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