第30話 死体が犯人
「なんだ、お前たちは?」
扉を開けたのはエドガーと瓜二つの顔をした男だ。しかし声や服装が違うので別人だとすぐに分かる。東条は男の正体を察した。
「エドガーの兄か?」
「エドガーの兄のライクだ……」
「俺たちはエドガーの客だ。だが疑心暗鬼になった彼によって、この客室に閉じ込められてしまったんだ」
東条はライクに今日起きた出来事をすべて話す。東条は宿がなく困っていたこと、そこに奴隷を買わせたいエドガーが現れたこと。そして奴隷が死んで、エドガーが容疑者である自分たちを客室に閉じ込めたことを包み隠さず明かした。
「おおよその内容は理解した。弟が悪かったな」
「エドガーはどうなったんだ?」
「見てみるか?」
「ああ」
ライクに連れられて、食卓の置かれた部屋を訪れると、苦痛の表情を浮かべるエドガーの死体が転がっていた。彼は首を捻じ曲げられて殺されていた。東条は酷い惨状を見ていられなくなり、死体から目を逸らした。
「自殺でないことだけは確実だな」
「ああ」
自分の首を自分で捻じ曲げることはできないし、そもそもエドガーの腕力では無理だろう。
「首を曲げるだけの筋力を持つ者は、この場にいるものだと、君と死んだ元傭兵の奴隷だけだ。奴隷が死んでいることは私も入念にチェックしているから間違いない」
「つまり容疑者は俺一人ということか」
「いや、君も違うだろうな。閉じ込められていた客室は軟禁するために作った部屋で、決して外に出ることはできないし、それに何より死体を見た時の君の反応は犯人のそれではない。つまり考えられるのは第三者の犯行だ」
「第三者の犯行?」
「これを見てくれ」
ライクはエドガーの死体の傍を指差す。そこには血文字で『神の天罰が下された』と描かれていた。バスクの街と同じ文章だった。
「弟は色々な人間から恨みを買っていた。商品としていた奴隷たちや、奴隷を良しとしない宗教家。誰から殺されてもおかしくない」
「あんたは誰が犯人だと思っているんだ?」
「神を信じる狂信者だ。根拠はこの文章だけだがな」
ライクは一瞬ジャンヌへと視線を巡らせるが、彼女の敵意ない表情と、彼女の腕力ではエドガーの首を捻じ曲げることはできないと納得し、視線を外す。
「私の中で君たちは犯人でないと確信した。だが弟を弔ってやりたいんでな。屋敷から出ていってくれ」
「俺たちは宿がないんだ。それでも出ていけと」
「私もそこまで鬼ではない。代わりの宿は私が手配する」
「できるのか?」
「こう見えても貴族だからな」
「ならそんな貴族様にもう一つ頼みがある。この奴隷を売ってくれないか?」
東条はイリスを買わないかとエドガーから持ちかけられて悩んでいた。だがそのエドガーが死んでしまったのだ。ライクはエドガーほど酷い人間のようには見えないが、弟を殺された恨みを奴隷に向けるかもしれない。そう思うと自分が引き取るべきだと、東条は決心した。
「それは聞けない頼みだな」
「なぜだ?」
「弟を殺した唯一の手掛かりはその奴隷だけだ。少なくともその奴隷は弟を殺した犯人を見ているはずなのだ」
イリスは檻の中に閉じ込められていた。ならば犯人を見たのは間違いない。
「なら誰が犯人かを聞けばいいだろ」
「わ、私、見てないんです。本当なんです、信じてください」
「この有様だ。誰を庇っているかは知らんが、この奴隷は嘘を吐いている」
「…………」
「う、嘘は、吐いていません」
イリスは嘘が下手だった。何かを知っていて隠しているのは明白だった。
「嘘を吐きたければ吐けば良い。奴隷から真実を引き出す方法はいくらでもある」
ライクは冷酷な微笑を浮かべて、イリスを見下ろす。
「まずは指を切り落とす。その次は耳と鼻だ。それでも吐かないなら、皮膚を綺麗に削ぎ落としてやる」
「うぅ……うぅ……ほ、本当に知らないんです」
「おい、イリス。本当のことを話せ。ライクは本気で拷問してでも吐かせるぞ」
東条の説得と、ライクの脅しに、とうとうイリスは心が折れる。彼女は重い口をゆっくりと開き、真実を語り始めた。
「信じて貰えないかもしれないですけど、本当のことを話します」
「…………」
「エドガーさんを殺したのは、幽霊なんです」
「はぁ?」
ライクはイリスのあまりに突拍子もない言葉に、驚きを通り越して不快すら感じていた。
「どういうことだ?」
「仲間の奴隷を冒涜するのが嫌で中々言い出せませんでしたが、クラフトさんの死体が動いて、エドガーさんの首を絞めたんです」
「まさか、そんなことが……」
イリスの言葉に皆が絶句する。彼女の言葉に嘘はないことが感じられたからこそ、ただ黙って受け入れるしかなかった。
「まさか本当に神の裁きだとでも云うのか……」
ライクは納得できないながらも、弟が如何に悪辣を尽くしてきたかを知っているため、もしかするとあり得るかもしれないと考えてしまっていた。
「イリスは本当のことを話したんだ。これでイリスは俺に譲ってくれるよな」
「駄目だ。この奴隷は一度嘘を吐いた。裁きが必要だ」
「金なら言い値で払う。それでも駄目か?」
「なら三百フランだ。その値段なら譲ってやる」
「……良いだろう。その値段で買う」
東条は三百フランでの購入を決めた。現代価格で一八百万円の大金だが、彼にはイリスを見殺しにすることができなかった。
「大金を払うんだ。身体を綺麗にしてやりたいから水場を借りるぞ。あと服と飯も用意してやれ」
「金額が金額だ。要望通りにしよう……」
ジャンヌがイリスを水場へと連れて行く。数分後、身体を清潔にした彼女が、外套を着せられて姿を現す。汚れを落とした彼女は輝くような銀色の髪と、滑らかな小麦色の肌が神秘的な美しさを放っていた。
「パン一つだけだと腹が減っているだろ。残り物で悪いが、存分に食べてくれ」
エドガーが用意した食卓には、まだ手の付いていない大量の食事が並んでいた。パンもあれば肉もあるし、果物もある。イリスは与えられた食事を前にして動こうとしない。
「ほ、本当に食べてもよろしいのですか?」
「いいぞ」
「ば、罰としてムチで打たれたりしませんよね?」
「大丈夫だ。存分に食べろ」
食事の許可を与えられたイリスは、目に入った食事を流し込むように食べ始めた。久しぶりのまともな食事に、彼女の目尻からは涙が流れていた。
「ごちそう様でした、旦那様。こんなに美味しいご飯は久しぶりでした」
イリスは床に三つ指をついて深々とお辞儀する。ただの食事でここまで感謝されるのは、どうにもむず痒かった。
「奴隷の食事も終わったんだ。奴隷ともども、この屋敷から出ていってくれ」
「ああ」
東条たちはエドガーの屋敷を立ち去る。屋敷が遠のいていく中で、彼の手に暖かいモノが触れていた。イリスが、東条の手を握りしめていたのだ。
「私は命を救ってくれたあなたのために一生を賭けて尽します。だから絶対に捨てないでくださいね、旦那様」
イリスの放った言葉は重く、ずっしりと東条の心に響く。握られた手は寒空の中では暖かく、振り払うことができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます