第7話 大学の英雄


「やっちまったかー」


 東条が目を覚ますと、いつもより熟睡してしまい、どう頑張っても間に合わない時間になっていた。


「さすがに昼に起きるのはマズイな」


 講義に遅刻してしまったものは仕方ないと、東条は気持ちを切り替えて、遅めの朝食を取る。トーストを焼いただけの質素な食事だ。昨日の神魚の刺身と比べると、どうにも物足りなく思えた。


 トーストを齧りながら、テレビをつけると、天才大学生現るというニュースが報道されていた。東条はどこの誰が活躍しようが、自分とは関係ないと、違うチャンネルへと変えるが、どの報道局も流す内容は同じく、天才大学生の話題だ。


「テレビもつまらないし、大学にでも行くか」


 午前の講義には間に合わないが、午後の講義には間に合うはずだと、東条は身支度を整えると、大学へ向かった。


「何かイベントでもあるのか……」


 大学へたどり着いた東条の目に飛び込んできたのは、多くの報道陣が集まっている姿だった。


「そういやうちの大学には有名なピッチャーがいるんだっけ」


 確か百五十キロ近い速球を投げる大学生として一躍有名人となった球児がいたことを東条は思い出す。もしかすると今朝の天才大学生とはその球児のことだったのかもしれないと、ニュースを見なかったことを後悔した。


「どちらにしろ俺には関係のない話だ」


 報道陣を横目に、東条は午後からの講義を受けるために講義室へと向かう。講義室の中に入ると、教授と目が合った。今まで見たことのない必死の形相を浮かべて、東条へと駆け寄ってくる。


「東条くん!」

「すいません、遅刻しました」

「遅刻なんてどうでも良いんだ」

「え?」


 東条は教授の形相が彼の遅刻によるものだと考えていた。しかし口ぶりからすると、遅刻などよりマズイことをやらかしたらしい。彼は申し訳なさそうに、ただ頭を下げた。


「東条くん、君は天才だったんだね!」

「そうだぜ、東条。実力を隠していたんだな」「本当に東条くんは凄いわ」


 教授だけでなく、同じ講義を受けていた受講生たちも東条に称賛の声を浴びせる。いったい何が何だか分からず、東条は戸惑いの表情を見せた。


「東条くん、おめでとう」


 幼馴染の可憐が拍手しながら駆け寄ってくる。まるで偉業を達成した英雄のような扱いの理由を聞くため、東条は彼女の傍に寄る。


「可憐、いったい何が起こったんだ?」

「知らないの。いま東条くんは、日本で一番有名な大学生だよ」

「はぁ?」

「世界中の数学者が頭を悩ませる難問を東条くんが解いたんだよね。昔から頭のいい人だとは思っていたけど、ここまでだとは思わなかったよ」


 東条はゴクリと息を呑む。懸賞金が掛かった問題を解き、昨日メールを送ったことを思い出す。とんでもないことをしてしまったと身震いさえ感じていた。


「へっ、東条のことだ。どうせインチキでもしたんだろう」


 工藤が悔しそうな表情を浮かべながら、そんな悪態を吐く。だが大学の英雄扱いである東条に対して、それは明らかな失言だった。


「インチキ。俺がどうやってインチキしたんだ?」

「ふん。どうせ他人の答えでもカンニングしたんだろ」


 工藤の言葉に、講義室の至る所から盛大なため息が漏れた。


「工藤くんって馬鹿だと思っていたけど、こんなに馬鹿だったんだ」

「誰だよ、俺のことを馬鹿だと言った奴は!」


 教室の端に座っていた女子生徒が漏らした馬鹿と云う単語に、工藤は噛みついた。その噛みつきに答えるように、教授が補足する。


「工藤。東条くんは誰も解けないような難問を解いたから絶賛されているんだ。カンニングできる答えが用意されているなら、ここまで称賛されはしない」

「うっ……」

「それとも何か。本当は工藤が問題を解いたのか。ま、四則演算すら怪しい工藤には無理か!」


 教師の言葉に、講義室全体で笑いが沸き起こる。耐えられなくなった工藤は講義室を飛び出した。


「工藤のことはどうでもいい。東条くん、悪いんだが報道陣の人たちが待っている。一緒に来てくれ」

「分かりました」


 教師は「俺の指導力の成果だな♪」と、鼻歌混じりに声を漏らす。続けての「これで次の大学理事長は俺で決まり♪」という台詞には私利私欲が過分に混じっていた。


「ここで取材陣と理事長が待っている」


 案内されたのは理事長室だ。普段開けることのない重厚な扉を開くと、扉の向こう側にはメモとペンを持った女性と、白頭の理事長の姿があった。


「おおっ、待っていたんだよ」

「すいません、遅刻してしまって」

「そんなことはどうでもいい。記者さんの取材に答えて、答えて」


 記者の女性は頭を下げると、名刺入れから一枚の名刺を取り出し、東条に手渡す。


「名刺にも書いてあるけど、山下よ。フリーのジャーナリストなんだけど、この学校の卒業生だから優先的に取材させてもらえることになったの」

「私の教え子の中でも特別に優秀だったからな」

「理事長先生の指導のおかげです」


 笑いあう二人に東条は冷静な頭で何を質問され、何と答えるべきかを考える。少なくとも中世フランスで神魚を食べたことを話しても信じて貰えないことは明確である。上手くはぐらかすためのシナリオを彼は頭の中で構築していった。


「いくつか質問したいことがあるのだけれどいいかしら?」

「どうぞ」

「あなたの数学の成績を見せてもらったわ。けれど決して優秀と云える成績ではない。にも関わらず、なぜあれほどの難問を解くことができたの?」

「それは……苦手を克服しようと頑張っていると、突然数学が理解できるようになったからですよ。それは良くある話ですよね?」

「そうね。苦手だった科目がある日を境に得意になる。良くある話よ。にしても随分と階段を飛ばした成長ぶりよね」


 学年テストで一位になるなら、まだ成長という言葉で理解できるが、今回の東条の偉業は、成長という言葉で片づけられるものではない。


「失礼だと思うけれど、正直に言うわ。私はね、あなたが本当にあの問題を解いたかどうかを疑っているの」

「なら誰が解いたと?」

「それは分からないわ。けれど君が解いたかどうかを確認する方法はある」


 そう山下が口にすると、ビジネスバックから一枚の用紙を取り出した。用紙を東条が受け取り確認すると、英語で数学の問題が記述されていた。


「これは知り合いの大学教授に作ってもらった問題よ。あの難問を解いたあなたなら、すぐに答えが分かるわよね」


 用紙に記載された問題は大学数学をフル活用しなければ解けないような難問であり、普通の大学生ならまず解けない。だがどれほどの難問であっても、東条は問題を見ただけで答えが分かるのだから関係ない。頭に浮かんだ答えをすぐさま書き綴ると、山下は別紙の答えと照らし合わせ驚きの形相を浮かべた。


「ごめんなさい。私が間違っていたわ。あなた本物の天才ね。続けて質問なのだけれど、どうやって数学が得意になったの? 何かキッカケがあったのよね? 建前ではなく、本当のことを教えて」

「ええ。ありましたよ」

「それは……」

「旨い魚を食べたことですかね。魚を食べると頭が良くなるといいますしね」

「そうね……」


 東条がそう答えると、山下は釈然としない表情を浮かべながらもメモを閉じた。彼女の表情は、東条が何か大きな秘密を隠していることを確信している顔だった。

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