第76話 悲獄の子守唄 -18

   ◆原木御子



 原木御子は、孤児だった。

 父親も母親も知らない。どこで生まれたのかも知らない。

 物心ついた時には施設にいた。

 しかしそこは、ただの施設ではなかった。


 表向き孤児院であるその施設は、その実はトワイライトの能力者育成の施設であった。

 能力者になる為に最初に何をされたのか、正直に原木には記憶が無い。

 記憶があるのは、訓練している自分と周囲の姿。

 毎日、勉強と訓練の日々。娯楽なんて全く無かったし、存在すら知らなかった。

 しかしながら、その景色にはボヤが掛かっている。

 何故ならば彼女は、一度記憶を消されたからだ。

 長い訓練の末でも、彼女には能力が発現しなかったからだ。

 欠陥品。

 誰に言われるも無く、原木は自身のことをそう思っていたらしい。

 能力が発現しなかったのは彼女だけではなかったのだが、それでも劣等感を覚えていたのは、中でも成績が悪かったのだろうか。

 彼女はそれすら、よく覚えていない。

 その境界も曖昧だった。

 いつの間にか記憶を消されて放り出された。

 放りだされた後からはよく覚えている。

 普通の人間だと思って、とりあえず働いた。

 生きるために働いた。

 そこで、一人の男性と出逢った。

 そして恋に落ち、結婚し。

 子供を産んだ。

 決して裕福ではなかったが、ごく普通な――いや、普通より幸せな家庭であった。


 だけどある日。

 その幸せは脆く崩れ去ってしまった。


 夫が、不慮の事故で命を落としてしまったのだ。


 本当に突然だった。

 居眠り運転のトラックに轢かれた。

 残ったのは、生命保険金と相手からの賠償金。

 そして夫を失った虚無感だけだった。

 夫の存在はお金に変えられない。

 身を持って体感した。

 あまりの虚無感に自殺も考えた。

 だけど、それをしなかったのは、とある存在がいたから。


 赤ちゃん。

 自身の腹を痛めた、愛しい子。


 自分がいなくなったら、この子は一人になってしまう。その先、どんな目に遭うのか――夫の親類に預けられたとしても、親がいない人間として生きるのがどれだけ酷なことか、考えただけで身震いした。

 だからこそ決めた。

 この子と共に生きていくと。

 そしてこの子がいるからこそ、自分はまだ生きていられる。

 そんな危ういバランスで、原木の人生は成り立っていた。

 ボロアパートのままなのも理由が二つある。

 一つは、夫と過ごした場所をそのままにしておきたいから。

 もう一つは、子供と一緒にいる時間を長くする為――安アパートでなるべくお金を使わず、ずっと自分の子の傍にいられるようにしたのである。

 そこから彼女は子供と共にいた。

 子は、とても良い子だった。

 当然赤子だから夜泣きはするし、分からないタイミングでぐずる。

 それでも、すぐに泣き止む方法があった。


「ねーんねーん、ころーりーよー。おこーろーりーよー」


 子守唄。

 子供に対し、夫が口ずさんでいた唄。

 何それ、って夫に聞くと、赤ちゃんが泣きやむ魔法の唄だよ、と微笑みながら答えた。

 そこで初めて、原木は唄というモノに興味を持った。むしろそれまでは全く興味を持てていなかったので、彼女が知っている唄はこれだけである。

 しかしこの唄を口にすれば、どれだけ泣き叫んでいてもすぐさま収まるのだ。トイレやごはん、それでも泣き止まない時にも焦らずに済んでいた。

 ――きっとあの子にとって落ち着くのだろう。

 そう原木は思っていた。



 だけど。

 それが大きな間違いだった。



 ある日の夜中、ぐずり出した子供をオムツを変えて母乳もあげて、それでも泣き止まなかったために、原木はいつものように唄を口ずさんだ。

 しかしながらいつもと違ったのは、最近、子供が夜中に起きることが多く、生活リズムが狂ってしまったことが原因で、原木は疲れていたことだった。

 本来であれば、子がぐずるのを止めた瞬間に唄うことをやめていた。

 だが、その時だけはうつらうつらと、ずっと唄を口にしてしまっていた。


 そして次に目を覚ました時、彼女は違和に気が付いた。

 ――あまりにも静かだった。

 二人で暮らしているにしても、音が足りない。

 その足りない音に、原木はすぐさま気が付いた。



 隣に寝ている赤ちゃんは――息をしていなかった。



「――おっと救急車を呼んでも無駄ですよ」


 思わず悲鳴を上げそうになった、その瞬間と同時だった。

 その声を発した人物を見て、上げようとした声が思わず引っ込んでしまう程に驚いた。


 道化師の仮面を被った人物。


 あまりにも異様な人間が、施錠したはずの玄関先に立っていたのだ。

 赤子の域が止まっていることと、不審人物の突然の登場に、彼女は混乱した。


「ああ、勘違いしないでください。私が殺したわけじゃないですからね」


 道化師はそう答える。原木自身はそこまで考えが至っていなかったが、いずれはそのように問うていただろう。

 そしてこの言葉で確定した。


 子は――既に死んでいると。


 そのことについて絶望感が腹から湧き上がってきたと同時に。

 被せるように道化師は言った。


「殺したのはあなたですよ」


「えっ……?」

「まさか能力が発現していたとは思いませんでした。娯楽を与えなかったが故に気が付かなかった、ということですか。これは少し教育を考えなくてはいけないですね」

「ちょ、ちょっと待って……私が殺した……?」

「ああ、そうですよ。直接、その場を見たわけではないですが、。つまりあなたが殺したってことです」

「何……それ……?」


 何を言っているかさっぱり分からない。

 というよりも、理解したくない。

 そうであれば、今まで赤子がすぐに寝たのも――攻撃によって体力を奪っていたから、ということになるではないか。

 傷つけて、黙らせる。

 それでは虐待と一緒だ。

 唇を震わせて二の句が告げない原木に、道化師はゆっくりと近づいてその頭に手を載せてきた。


「能力が発現したのならばもう記憶を消しておく必要は無いでしょう。――さあ、思い出してください」

「――っ!」


 瞬間。

 原木の頭の中に唐突に流れ込んでくるものがあった。

 幼い時の自分。

 施設にいた時分。

 訓練をしている自分。

 全て、忘れていた記憶を完全に思い出した。

 だが、あまりの情報量と混乱から、


「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 ――何だこれ。何だこれ。何だこれ。何だこれ。何だこれ。何だこれ――

 彼女は発狂した。

 頭を抱えて床にこすり付け、ひたすらに叫んだ。

 涙を流し、頭痛がしてきた。

 気持ち悪くなるほどに頭の中がごちゃごちゃしていた。

 そんな中。


「――さて、あなたが望むことを、今から私は口にしますよ」


 そっと、道化師が囁いた。

 彼女は涙でぐちゃぐちゃの顔を上げた。

 道化師はその笑顔を張り付けた仮面で告げる。



「あなたの子、生き返らせる方法があるのですよ」



 それは悪魔の囁き。

 心も頭もぐちゃぐちゃだった彼女は、先から道化師が口にした言葉を全て信じてしまっていた。

 そして、誓ってしまっていた。



 他の誰を犠牲にしようとも。

 自分の子を生き返らせる、と。

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