第19話 『人間』の定義 -06
(……え?)
優子のその言葉に、拓斗は思わず遥を見る。
その遥は、ピクリ、と明らかに反応していた。
『スピリなら人間に戻る』。
まるでその言葉に思い当たる節があるように。
「……どうして、そんなことを訊くの?」
「……昔、学生の頃に、都市伝説で聞いたことを思い出したの」
ゆらりと立ち上がり、優子ははっきりと告げる。
「『スピリ』って呼ばれる人達は――人間を生き返らせることが出来る』って」
「え……?」
スピリは人間を生き返らせることが出来る。
彼女の口から述べられたその事実に拓斗は驚きを隠せなかった。
死者を蘇らせるのなんて、どれだけの人が望むことなのか。それが出来る存在がいるならば、誰だってその存在にすがるだろう。それこそ都市伝説レベルの話で――
(……都市伝説? ……そういえばあの時、遥が言っていた……)
――それだけじゃない。10年くらい前、『あること』が漏れてしまったことがあったんだ。今は上層部の働きや『スピリ』が上手くやっているから都市伝説扱いになっているけどね――
(それじゃあ、その『あること』って……)
「……それを、あなたは信じるの?」
抑揚の無い声で、遥がそう訊ねる。
その声は、微かに震えているような気がした。
「……ええ」
優子は頷く。
「さっきのあなたたちの会話にも出ていたじゃない。その『スピリ』っていうもの。今目の前にいるあなた……『スピリ』と呼ばれる人がこうして存在しているのだもの。だから信じられるわ」
「……『スピリ』という固有名詞は残ってしまっていたのね……」
最悪ね、と遥は首を振る。
そこで少し、考えたような仕草を見せた後、
「――その通りだ」
彼女は覚悟を決めたように言葉を絞り出す。
「あの都市伝説の通りだ。『スピリ』という者は――3日以内に死んだ人間をこの世に戻すことが出来る」
「……え?」
拓斗は、自分の耳を疑った。
「蘇生……出来るの?」
「……うん」
遥は、小さく答える。
それは間違いなく肯定の言葉だった。
だけど、彼女は「但し」と続ける。
「その蘇生については当然と言えば当然だけど……代価があるんだ」
「……代価?」
「そこまで都市伝説になっているはずだけれど……」
そこで一つ間をおいて、遥は優子に言葉を向ける。
「金田さん。あなたはそこまで知っているの?」
「……はい」
遥のその問い掛けに、優子は肯定を返す。
「……本当に分かっているの! あなたは!」
遥は突如、怒声を放つ。
対して優子は、無言で首を縦に振る。
「どうして……どうしてそんな……」
「あのさ……代価って、一体何なんだ?」
絶句して打ち震えている遥の背中に、拓斗は疑問を投げ掛けることしか出来ない。
しかしその答えは、優子から返ってきた。
「……『魂』です」
「え……?」
「代価は、その者の生還を強く望む人1人の魂。つまり――私の命」
「な……」
「そうなんですよね?」
「……」
遥は視線を逸らす。
それは、彼女の言っていることが正しいことを示していた。
余りにも衝撃的な事実に、拓斗は言葉を失い、ただただ目を開くだけだった。
そして、その瞳に映ったのは力強い目をした優子だった。
「私には、もう覚悟が出来ています。だから――」
「それだけじゃ、ない」
遥の持っている大剣が、小さく揺れる。
「代価は、それだけじゃ、ないんだ」
その言葉に、先程の怒声にびくともしなかった優子が、大きな動揺を浮かべた。
「……どういうことですか?」
「……実は、あの都市伝説では知らされていないことが2つある」
ポタリ、と遥の足元に何かが零れた。
遠くからでは分からなかったが、それはおそらく――血。
遥は、辛そうに告げる。
「1つ。成功する確率は、その想い人への想いの強さによる。だから……失敗することもある。そうしたら……あなたの命は、無駄になる」
「それなら大丈夫です。私のあの子への想いは……」
「本当に?」
遥は問い掛ける。
「もし――あなたの存在がこの世から全て無くなると知っても?」
「……え?」
存在が、この世から全く無くなる。
数秒経って、その言葉の意味を理解した時。
拓斗はその言葉の残酷さを知った。
「それって、金田さんの全て……もしかして、娘さんの記憶の中すらいなくなる、ってこと……?」
「……」
ギリリ、という拳を強く握る音が鮮明に聞こえる。
「……そう。それが2つ目。この女性のいた場所には空白ができ、それを誰も疑問に思わない……文字通りの、消滅となる。それが魂を掛けるってことなのよ」
「そんな……それじゃあ、金田さんが命を張っても、娘さんには……」
「……届かない」
だけど、と遥は続ける。
「娘さんを蘇らせなければ、あなたの存在は残る。だから――」
諦めてください。
――しかし。
その遥の言葉よりも早く、彼女は告げる。
「お願いです。あの子を蘇らせてください」
「な……っ!?」
予想外の返答に驚きの声を上げる拓斗。
だがそれよりも早く、遥が優子に詰め寄っていた。
「ねぇ、話を聞いていたの? あなたは?」
「……はい」
「ならどうして……」
「……実は私、このままでも、もう……長くないんです」
優子は瞠目し、告げる。
「私は末期のガンなんです。恐らくあと半年と持たないでしょう」
「そんな……そんな嘘をついても――」
「嘘ではありません。本当です。……と言っても、つい先程、病院にて判ったことなのですが」
「そんなわけない!」
苦笑を浮かべる優子に、遥は否定の言葉を強く投げつける。
「ガンなんてそんなのはありえない。娘が死んで落ち込んでいる患者に、さらに追い討ちをかけるような事実を教えるはずが――」
「カルテを見たんですよ。世界が止まった時に。だから判ったんです。だって私……医者なんですよ」
医者の不養生ですね、と自嘲気味に優子は笑む。
「……近いうちにどうせ私は死にます。そうなると、夫もお義母さんも、2度目の悲しみを受けてしまうことになる。みっちゃんを失った悲しみから癒えぬ間もなく」
ですが、と優子は頷く。
「それを回避して、そしてなにより、みっちゃんまでも蘇らせることが出来るなんて、こんな話に飛びつかないわけがないじゃないですか」
「でも、あなたのことを覚えている人はいなくなるんだよ!」
「私が死んだ後に私についてどうなろうが私が知ったことじゃありません」
「……っ!」
いつの間にか叫ぶ者と静かに諭す者が入れ替わっている。
覚悟をした者は、ここまで様相が変化するものかと感心に近い感情を拓斗は抱く。
そんな覚悟を見せている者は、頭を遥に下げる。
「だから、お願いします。娘を蘇らせてください」
「……どうして……?」
遥は下を向いて言葉を落とす。
「そんな……自分の存在を引き換えだということを知っても……何で……」
「……私だって、死にたくないし、みんなにも自分のことを覚えていてほしいとは思いますよ」
「だったら――」
「でも」
静かに首を振る優子。
「それ以上に私は――娘が生き返ってほしいと思っているんですよ」
「……」
母親っていうのは、と優子は達観した様子で言う。
「自分の子供のためなら、うんと強くなれる。自分と自分の子供の命なんか、天秤で量ったら傾きすぎてお皿が落ちちゃうくらいに」
そう言う優子の姿は、拓斗には本当に強く見えた。
故に、誰の目にも明らかだった。
彼女のその決意は、その決断は――誰にも変えられないということを。
「……分かり、ました」
遥が折れた。
搾り出すような小さな声。
「あなたの決意、覚悟……確かに、受け取りました」
遥は下を向いたまま、すっと左手を上げる。
すると、いつの間にかその左手に、何やら紙の様なものを掴まれていた。
その紙を優子に差し出す。
「これに、あなたの名前と、蘇らせたい人――あなたの娘の名前を、指で書いてください。浮かび上がりますから」
「……ありがとうございます」
ほっとしたような表情で優子はそれを受け取り、言われるがままに書き始める。
そんな2人を、先程から拓斗は息をするのも忘れたかのように、じっと2人を見ているしか出来なかった。
止めることも出来ず、何も言うことも出来ず、動くことも出来ず。
まるで、自分はこの状況には全く関係がないかのような――
(実際、僕はここにいるだけで、何の役に立っていない)
ただ、そこにいるだけ。
故に、目の前で今から人が死ぬというのに、実感が湧かなかった。
「――出来ました」
その声と共に、優子が顔を上げる。
その表情は、とても晴れやかなものだった。
「これでいいんですよね?」
「……はい」
対して、先程から抑揚のない声で遥は左手で紙を受け取る。彼女は2、3秒その紙を眺めると、小さな頷く。
「これで……大丈夫です」
「良かった」
優子がホッと息を漏らす。
「これでみっちゃんが……この世に人間として戻ってくるんだ」
「そう言う意味での大丈夫ではありません。まだ戻ってくるって確証は……」
「想いが強ければ、成功するのでしょう?」
優子は優しく微笑する。
「ならば大丈夫です。母親は子供のためなら、うんと強くなれるものなのです。それは、人に対する想いも、強くなるってことじゃないのでしょうか?」
「……詭弁ですよ」
首を振る遥。
「そんなの、ただの言葉遊びです」
「そうかもしれません。ですが……今の私には、絶対に出来ると思います」
優子は深く頭を下げる。
「お願いします。みっちゃんを蘇らせてください」
「……分かりました」
その言葉と共に、遥は右手に握られた大剣を上に掲げる。
「今から私は、この紙――正確には『
「……」
「本当に、よろしいんですか?」
「……はい」
力強く、優子は首を縦に動かす。
「……では」
遥は左手に握られた『蘇契』を上空へと紙を放つ。
すると無風の中とはいえ、蘇契は信じられないことにまるで野球ボールのように真上に飛び上がる。
やがて重力に従って、ひらひらと、舞い降りる『蘇契』。
「……あと、本当に蛇足で気休めにもなりませんが」
その間に、遥は優子に向かって言葉を放つ。
「この瞬間を見ている人――つまり今の場合は、私とそこにいる『盾』は、あなたのことを覚えています。私達の記憶の中から、あなたの存在は――消えません」
「……そうですか」
優子は静かに目を閉じると、にっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
「――――――」
そこで、遥が何か口を動かした。何て言ったのかは声が小さすぎて拓斗には聞き取れなかった。
次に聞こえた遥の声は、その手に握られた大剣が空中の蘇契を捉え、光が辺りを包みこんだ瞬間だった。
「蘇契――完了」
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