第18話 『人間』の定義 -05

「僕の『盾』……って、何それ?」

「私とお前が再び出会った理由だよ」


 遥は拳でコンと透明な――今は瓦礫が積み重なっているので見えるが――それを叩く動作をする。

 だが、彼女のその手は擦り抜ける。


「おっと……全部防ぐ訳じゃないのか」

「どういうこと?」

「詳しいことは後で説明するけど、お前の身体には所謂、【盾の『種』】があるんだ。それは契約することで花開き、能力が表に出る。つまり――」


 空いている左手が、拓斗を指差す。


「その『廻りを覆う透明な盾』が、お前の『盾』なんだ」

「へえ、そうなんだ……って、ちょっと待って」


 唐突過ぎて困惑する拓斗だが、まずは1つだけ。


「そもそも、何で僕の身体にそんな『種』があるんだ? それに場所的にこんな所股間に……」

「うっ……」


 そう疑問を投げかけると、遥の表情が少し引きつる。


「……も、元々からあったってことじゃ、駄目?」

「あったの?」

「あ、いや、なかったんだけど……というか場所もそこ股間じゃないんだけど……」

「何でそんなことを知っているの?」

「その、あの、えっと……言いにくいんだけど……」


 遥は左手で頬をポリポリと掻いた。


「うーんとね、お母さんがね。お前の身体を直す際に、その……埋め込んじゃったんだ」

「……は?」

「えっと、お母さんの言葉をそのまま伝えるよ――『いやーなんかさ、最近発見されたものがあってね。直す際にめんどくさいからそこに当て嵌めちゃった。ごめんね。でもそれって私の愛なの』――だって」

「愛なら仕方ないか……って、ちゃうわい!」

「ちなみに、その盾の名前は『クラウン』。『道化師』と書いて『クラウン』と読むんだ」

「それは普通に読むよね。まぁ、でもそんなことを訊きたいのではないんだよ」


 優子に乗っかっている状態から、ようやく立ち上がって自分の胸を強く叩く拓斗。


「どうやったら直るの?」

「もう直らないよ」

「あ、そうなの……って、えええええええええっ!」

「叫んでも喚いても何しても直らないよ」


 遥は首を横に振る。


「お母さんのは言葉が足りないけど、実は埋め込んだのは、お前の心臓の一部が、何故か無かったからだって。それを補うために埋め込んだから、直したら君が死んじゃう。だからもう直せない」

「そん、な……」


 絶望に打ちひしがれ、拓斗は震え声を放ちながら膝を地に着ける。


「じゃあ僕はもう……人間じゃないのか……?」

「それは違う」


「……え?」

「何でそうなるんだ? お前は人間だ。間違いなく」


 遥はきっぱりと、拓斗が求めていた返答を告げた。


「……どうしてだよ?」


 拓斗は小さく首を振る。


「どうして……そんな風に……逃げるんだよ?」

「逃げる?」

「現実から……現実から目を背けるなよっ!!」


 本気で怒鳴ったのは、生涯で初めてかもしれない。

 そして、ここまで取り乱したのも。

 状況と言っていることや考えていることが意味不明なのは、自分でも判っている。

 判っているが、止められなかった。


「お前が僕をこんな目に合わせたんだろ! それで直らないから人間だって気休めを言っているだけだ! どこに瓦礫を受けても傷1つ無い人間がいるんだよ! それって――」

「……理屈じゃないのよ」


 ゆっくりと、しかしはっきりと遥は言葉に出す。


「どこか違ったら人じゃないのか? 人間の定義って何だ?」

「……」

「私が、君のことを人間だと思ったから、私にとってお前は人間だ。そういうことだと思う。それで駄目なのか?」

「……そうか」


 静かな声でそう頷くと、拓斗は遥を力の限り睨み付ける。


「じゃあ、お前は――」


 人間じゃないんだな。

 その言葉を――そのひどい言葉を言おうとした、その時。


「じゃあ……この子も人間ですよね……?」


 ふらふらと、ゆらゆらとした声が遮る。

 優子だった。


「その理屈なら……この子だって……私が思えば……」

「思えるの?」


 優子の肩が跳ね上がる。


「思え――」

「本当に、人間だと思えるの?」

「……」


 優子は口をパクパクと、まるで空気を求める魚のように動かすが、言葉が一向に出て来ない。

 遥は続ける。


「迷った時点で、あなたはこの『魂鬼』を人間だとは思っていない。思えない」

「……」

「だけど……もしそう思っていたとしても――」


 バァン、という大きな音。それは、遥が地面に剣先を叩きつけた音。

 目の前には、動きを止め、天に向かって小さく吼える、『魂鬼』。

 大剣を構えて、その『魂鬼』の前に立つ、遥。

 一呼吸。

 彼女は間を置いて。


 そして――大剣を横に振り抜く。


 無音、一閃。

 世界が止まったような錯覚を覚えた。

 しかし、少しずつ、少しずつ動き出す世界。

 それを実感させたのは『魂鬼』だった。

『魂鬼』の上半身と下半身が、徐々にその位置をずらしていく。

 直後、ズズン、という、錘をグラウンドに落としたような、鈍い音。

 それは、『魂鬼』の上半身が地面に接触した、明確な耳印。


「……私は、『スピリ』としての役割を果たす」


 冷たい、抑揚の無い声。

 その声に、拓斗は叫び出したくなるような恐怖を感じた。


「ヴグアアァァッ!」


 耳を劈くような、『魂鬼』の叫び声。

 同時に、光となって消えてゆく、『魂鬼』の下半分。


「……」


 優子はただ、口をポカンと開けて、それを眺めているしかなかった。

 ――しかし。

 次の、左手を空に必死に伸ばす『魂鬼』の一言で、

 優子は――狂乱した。



「イダイ……イダイヨォ……ママァ……」



「あぁぁぁぁああぁぁぁっ!」


 頭を抱えて走り出し、転びながらも両手を必死に『魂鬼』へと近づけようとする優子。


「みっぢゃあぁん! みっぢゃああんん!」


 あふれ出た涙は動くたびに飛び散る。それでも構わずに、這いながらも『魂鬼』へと近付く。拓斗は動けず、ただ見ることしか出来なかった。

 だが、遥は、


「諦めなさい」


 無機質な声でそう言い放って、優子と『魂鬼』の間で再び大剣を構える。


 いや、構えたのではない。

 もう、終わっていた。


「――」


 静寂。

 それと共に、辺りを光が包み込む。


(あ、これは……)


 拓斗はこの光を、以前にも見たことがあった。

 この光の意味。

 それが示すものは――



「――解放、完了」



 その瞬間、辺りを包んでいた光はその輝きを失い、その場には拓斗と遥と優子のみになった。


「え……」


 優子は、目の前に起きたことに脳が追い付かず、呆然と口を半開きにさせる。

 だが、目の前にいた『魂鬼』―― 『光子』がいなくなったことに気がつくと、


「あ……あああああぁぁあああぁあああっ!」


 子供のように泣き叫ぶ。

 子供を失い。

 まるで、子供の代わりのように――


「……」


 拓斗は、ただそれを見ているしかなかった。

 阿鼻叫喚し、地面を叩き、頭を抱えて涙を落とす優子を。

 目を逸らすことも出来ず、ただ、ずっと。

 一方、遥は、背中にその声を聞きながらも、微動だにしていなかった。

 ぴくりとも。

 と、突如、その背中が動いた。


「……どうして、消したのよ……」


 遥の背中に、爪を立てるように強く右手をしがみ付かせる優子。

 その目は思わずぞっとするほど、絶望で満ちていた。


「どうして……娘を……光子を……」

「……あなたの娘は」


 その背をまだこちらに向けたまま、遥は鋭く言い放つ。


「あなたの娘は『魂鬼』だった。だから討伐した。それだけ」

「でもあれは……あの子は娘だった! 人間だった!」

「そう。人間『だった』」


『だった』。


「だから、もう人間ではない。人間には戻れない」

「もう戻れない……? それはあの子が『魂鬼』だから……? でも、あなたは……ッ!」


 優子は何かに気がついたように目を見開くと、


「嘘よっ!」


 大声で否定の言葉を口にした。

 遥はやれやれと頭を振り、深く溜息を1つ吐く。


「……あなたには何を言っても、もう無駄かもしれ――」

「人間に戻らないなんて嘘でしょっ! だって……」


 歪な笑みを浮かべながら優子は告げる。



「人間に戻すことが出来るんでしょ――『?」

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