第20話 『人間』の定義 -07

 やがて光が収まる。

 そこには、遥しかいなかった。

 先程まであった優子の姿は、そこに微塵にもなかった。

 消滅していた。

 ――魂ごと。


「遥……あの、その……」


 拓斗は背を向けている遥に言葉を掛けようとする。

 しかし、どんな言葉を掛けていいかが全く分からなかった。


「……私」


 突然の遥の声。

 その声は震えていた。


「私……止められ……なかった……」


 遥は泣いていた。


「あの人、本当は……生きたかったはずなのに……寿命だって言ったってその数日間だって命は……なのに……私は……」

「遥……」


 肩が大きく震えている。

 ぽたぽたと、足元に雫が落ちる。

 今度は透明な雫。

 その背中は先程よりも、とても小さく見えた。


「私はただ謝ることしか出来なかった……謝ってどうなる問題じゃないのに……」


 次の瞬間。

 拓斗は先刻遥が、最後に優子に掛けた言葉が何であるかが判った。


「――ごめんなさい」


 ごめんなさい。

 謝罪の言葉。

 嗚咽混じりに、彼女はもう一度その言葉を口にする。


「……遥」


 拓斗は、遥の正面に廻り込む。

 口を真一文字に結んで、遥は涙を流し続けている。

 その姿を見て、拓斗は呆然とした。


「何で……何でそこまで……」

「……実はね……初めて……だったの……『魂鬼』の……縁者に遭うのは……」


 焦点の合っていない目で、遥は言葉を落とす。


「今までは『魂鬼』を倒すだけでその縁者とは遭遇しなかった……だから今回のようなパターンにはならなかった……こういう状況は想定していた……でも、やっぱり実際はとても辛くて……苦しくて……」


 あはは、と目元を湿らせたまま、乾いた声を放つ。


「おかしいよね? 『スピリ』は決して正義なんかじゃなくて……光の部分だけじゃなくて……こういう部分もあるのは、判っていたのに……分かって、いたのに……」


 重い。

 あまりにも重い。

 苦しみ。

 痛み。

 悲しみ。

 そのどれもが、剣崎遥にかかる、あまりにも重いもの。

 それを全て背負うのは、少女一人にはあまりにも酷。

 少女一人だけでは――


(――そうだよ)


 拓斗は、自分の愚かしさを、これ程まで呪ったことはなかった。

 剣崎遥は、『スピリ』。

 しかし、今、目の前で泣いているのは、普通の女の子。

 人のために泣くことが出来る、優しい女の子。


 間違いなく彼女は――人間だった。


『スピリ』であっても、一人の女の子。

 決して、強いわけじゃない。

 そのことに、ようやく気がついた。

 彼女のことを人間じゃない、なんて考えた自分が、怒りを通り越して、憎くなった。


(彼女は……誰よりも人間らしいじゃないか! それなのに僕は……)


「……ごめん。遥」

「え……?」


 焦点の合ってなかった目が、拓斗の方へと向けられる。


「……何で、君が謝るの?」

「僕は……僕の方こそ、何も出来なかった」


 悔しそうに、唇を噛む。


「君はそんなに苦しんで……その人のことを思って悩んで……なのに僕は、ただじっと見ているしか出来なくて……」

「……それは、無理もないよ」


 遥は鼻を啜りながら言う。


「お前は一般人だもの。でも私はそうじゃない……だからだよ」


 そう、と悲しそうに遥は呟いた。


「どちらかというと私も、『化物』と呼ばれ――」

「それは絶対に違う!」


 強く。

 叫ぶように、拓斗は否定の声を言い放つ。


「僕は君のことは、人間だと思っている。決して『化物』なんかではない」

「……」

「さっき君も言っていたじゃない。僕のことを人間だって。ならば人間だって。それは君に対しても言えるよね。だったら――人間でしょ?」

「……えっと」


 その言葉に、遥は目を丸くした。が、やがて鼻で笑う。


「……ははっ。馬鹿だね。空間を切り離したり、空中から大剣を取り出したりする能力を持つ人間なんかいないでしょうが」

「そんなのは全く関係ない」


 断言。


「だって、君は……人のために泣いているじゃないか」

「……」

「そんな君を、僕は支えたいと思った。だから――」


 彼女への贖罪も含め、先程、拓斗は決意した。

 遥は、強くない。

 外面上の戦闘などでは、確かに強いのかもしれない。

 だけど、内面的なものは、普通の少女と同じ。

 だから無意識に自分の身を守る『盾』を求めたのだろう。

 それならば――


「僕は君を守るよ。君の『盾』となって。君の――内面も守ってやる」


 拓斗は言い切った。

 彼女に向かって、宣言した


「……内面を……?」


 ポカンと口を開け、遥は信じられないという表情で拓斗に視線を向ける。

 拓斗はその視線を、真正面から受け止める。


「……あはは。馬鹿じゃないの?」


 彼女は笑い飛ばす。

 言葉通り、馬鹿にした様子で。


「私の内面を守る? そんなのどうやってやるのさ。お前が私になるっていうの? それとも、私の一部にでもなるっていうの? そんなこと、出来るわけないじゃない」

「……そうだね」

「ほら。所詮は口先だけ――」

「確かに、君の言ったこと『は』、出来ないね。僕は僕で、君は君だから。でも、だからといって口先だけじゃない」


 だから、と拓斗は胸を叩く。


「それを証明してみせるよ。僕がどれだけ本気かっていうのを」

「……どうやって?」

「こうやってさ」


 拓斗は大きく息を吸うと、遥に向かって、はっきりとこう命令する。



「遥。



「なっ!」


 驚愕の表情を浮かべる遥。

 それに反して、にこりと笑みを浮かべる拓斗。


「今回も、僕を盾として君は使ったよね? それならば、僕は君に、1つだけ命令が出来るはずだよね?」

「それは、そうだけど……」

「あ、全部の痛みを引き受けるのはさすがに無理っぽいから諦めたよ。ごめんね」

「それは別に……い、いや、そうじゃなくて……あぁ、もう!」


 混乱して戸惑い、じたばたと手足をばたつかせる遥。その様子を拓斗は、不覚にも可愛いと思ってしまった。


「と、とにかく! 馬鹿じゃないの君は!? 言ったら本当に実行されちゃうんだよ!」


 ビシッ、と拓斗に人差し指を向ける遥。


「ていうか何で君はこんなくだらない自分の利益にもならないことに願いを使うのさ!?」

「何でだろうね。自分でも不思議だよ。……はい。ってことでここで話はおしまい。もう言っちゃったんだからしょうがない」


 拓斗は手を1つ叩き、周囲を見回す。


「さて……この空間でやることは残っているの、遥?」

「え? あ、いや……ないけど……あとは、私達をいつもの空間に戻すだけで……」

「なら、早く戻して、見に行こう」

「どこへ?」

「決まっているだろ?」


 拓斗は、絶望を見せず、希望を目指すような目で前を見る。


「金田さんの家だよ。成功の証を、見に行くんだ」


 拓斗はゆっくりと先立って歩き出す。

 その歩みは真っ直ぐ、迷いなどなかった。


「……何よ」


 その後ろ姿を見ながら、遥は、ぽつりと言葉を漏らす。



「何よ……『盾』のくせに……」

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