エピローグ 男性保護特務警護官その後~三者三様愛模様

 ――五月下旬。朝日と深夜子の結婚式から約二ヶ月後。


 昼下がり。朝日は五月と二人だけで、武蔵区にある五月雨家の屋敷――五月の実家に訪れていた。ちょうど本邸の大広間で新月わかつきと面会中だ。


 「もー、五月ちゃんたらー、いきなりママに相談があるとかーびっくりよー。ママだってー、お仕事のスケジュール調整大変なんですからー。でも、朝日ちゃんもーいっしょだからいいけどー、うふ」


 昨晩、珍しく五月からかかってきた電話の内容は、急ぎの相談がある。と言うものだった。ピンク系ゴスロリファッションに身を包み、ソファーに腰かけた新月が突然の来訪にぼやいている。だが、朝日の顔を見ると頬を緩めて話を続けた。


 「それで、五月ちゃーん。今日はどうしたのかしらー? 結婚式は七月でしょー。準備を進めるにはまだ早いわよねー」

 頬に指をあて、可愛らしく首をかしげる四十代。

 「ええ、お母様……それは……そうなのですが……」


 朝日と五月の結婚式は一月ひとつき以上先の七月七日予定だ。新月の言うとおり、ノウハウゼロからだった深夜子の時とは違う。時間的な余裕は充分にある。ちなみに式の日取りは、新月が縁起担ぎで決めたものである。


 「あーそうそう。朝日ちゃんと結婚したらー、五月ちゃんにはー会社の執行役員さんをして貰いますからねー。跡継ぎ勉強スタートですよー。こっちの準備・・はー、ちゃーんと進めておいてねー」


 五月雨家の家訓。婿取りが終われば、五月は五月雨ホールディングスの跡継ぎとして家に戻ることになる。新月はそれも楽しみにしており、言葉切れの悪い五月とは対象的に饒舌だ。


 「それで……お母様……」

 「はいはい。ママに相談事でしたねー、言ってみなさーい」


 五月の雰囲気を察して、新月は手元のティーカップから紅茶を口に含み言葉を止める。それに対して、五月の口から放たれた言葉は――。


 「その……わ、わたくし赤ちゃんが……出来て……しまいまして……」

 「ぶばあはあああああああああっ!?」


 おめでたであった。新月の口から紅茶の虹が描かれる。


 日本でも”できちゃった婚”から始まり、近年では”授かり婚”と、それなりに周囲の理解は得られる文化になっている。単純に言うと、社会的に婚前交渉の結果・・が許容されるかどうかだ。


 それでは男性が貴重なこの世界基準に当てはめた場合どうなるであろう? 一般的に、婚約者との婚前交渉自体に問題はないが、妊娠はNGである。そういった場合・・・・・・・は、男性に無理強いをしたのではないかと嫌疑をかけられてしまう。


 避妊薬の劇的な進歩もあって、社会的に非常に不名誉な烙印を押されてしまうことになる。肉食系女子だらけなこの世界だけに、婚約者との間で妊娠から即結婚の時間短縮は許容されない。男性保護の観点よりタブー視されているのだ。


 特に五月雨のように社会的地位の高い家柄の場合は……。


 「さっ、さっ、五月ぃーーーーっ! おっどれ、なっ、なっ、なんちゅう事をやらかしてくれとんじゃああああああっ!!」


 なおさらこうなる。


 ――さて、どうしてこんな事態になったのか。それは、深夜子との結婚式を終えてしばらくのこと……。


 男性権利保護法によって、朝日は二人目との結婚は三ヶ月。三人目以降は一ヶ月の期間を空ける必要がある。同時、ないしは短期間に複数の女性と結婚することは、男性に過度の負担を強いるとの一般論からだ。


 とある日。深夜子が朝日に相談を持ちかけた。あまりにも甘い二人の夫婦生活。この先、五月と梅を受け入れる事ができるか不安になって来たと言うのだ。そう、朝日にとって普通の愛し方でも、基本ドライな通常男性のそれとは比べ物にならない。それ故、深夜子は朝日に対して独占欲が強くなりつつあった。


 そこで深夜子と二人で相談し、さらに五月と梅を加えて朝日家第一回家族会議を行った結果。深夜子優先ではあるが、五月と梅との婚前交渉を解禁して、四人での結婚生活ペースを構築しておこうとの結論に至った。


 そして、朝日との初夜を控えて舞い上がった五月が避妊薬の使用を忘れ、その一回・・・・が見事命中したわけである。


 「お母様、すびばせん、すびばせん……さづぎのふぢゅういで……」

 「ちょっと五月さん泣かないで、ね。――新月ママ。僕たちが話し合って決めたことだから……お願い。もう、五月さんを責めないで」


 実のところ、男性である朝日同意の元なので問題は無い。しかし、跡継ぎである五月が、婚前妊娠で男性権利保護委員会から事情聴取を受けたなど、五月雨家の体裁的には収まりがつかない。怒り心頭といった新月の怒号が響きわたる。五月は涙を流しながら土下座状態だ。


 「ふんぐぬぬぬぬぬっ、いや、ボン。そがな訳にゃあいかんのじゃ。五月雨の家に泥を塗りおったボケにはきっちり落とし前を――」

 「新月さん、もうそのくらいにしておきなさい。怒鳴り声が私の書斎にまで聞こえてきたよ」


 突如、五月雨家の大広間に朝日が聞いた事のない男性の声が響いた。


 「なっ、れ、蓮也れんやくん……」

 「え……お、お父様……?」


 そこに顔を出したのは身長160センチくらい、上品なカッターシャツにスラックス姿で痩身の中年男性。白髪混じりのオールバックミディアムヘア、少し頬が痩けて病弱そうな雰囲気ではあるが、優しく穏やかな顔立ちだ。


 五月の父『五十鈴いすず蓮也れんや』、四十二歳。今から十二年前、新月の束縛に心を病んで男性心療施設に入院。療養をしていた。


 「やあ、久しぶりだね五月」

 「お父様……帰って、らっしゃったのですか? お母様はそんなことは一言も」

 父と母へ、交互に視線を移しながら五月が戸惑う。

 「……まだ、一時帰宅じゃ……その、退院は七月を……予定にしとったから……な」


 新月が決まりが悪そうにぼやく。五月の結婚式に父の出席をサプライズとして企んでいたのだ。そんな新月を横目に、蓮也は五月たちの元へゆっくりと近づいた。


 「すまなかったね。五月の晴れ舞台で、とは思っていたけれど、そうは言ってられない話のようじゃないか」

 「い、いや、蓮也くん。五月は結婚前じゃから……」

 「私たちの孫ができたんだろう。何が悪いんだい?」

 「だから、その、男権がからむ話じゃし……マスコミにでも嗅ぎつけられたら……」


 蓮也を前に、新月はずいぶんと気後れしている。それもそのはず入院療養とは言え、事実上の別居状態。やっとのことで回復と関係修復にこぎ着けた直後であった。


 「……新月さん。そんな体裁がなんだって言うんだい? 君たち女性は男性に対するルールに固執しすぎる。それで振り回される者たちの身になって欲しいものだね……おっと、失礼。神崎……朝日君だったね?」


 終始柔らかい物腰ではあるが、キッパリと言い放つ。そして朝日に笑顔を向けた。


 「は、はい。初めまして神崎朝日です。よろしくお願いしますお義父さん」

 予定外の出会いに朝日も緊張気味だ。

 「こちらこそ初めまして。五月の父、五十鈴蓮也です――おっと」

 「お父様っ、おとうさばっ、おどうさばああああああ」

 ここで感極まった五月が蓮也に抱きつき、号泣し始めた。

 「よしよし、もう泣かないで大丈夫だよ五月。さあ、どうしたのかパパに教えてくれないかな? ああ、神崎君もね」

 そう言って朝日に軽くウインクをする蓮也であった。


 

 「――だそうだよ。新月さん。若者たちが将来について話し合いをしっかりした。そのたまたまの結果じゃないか、私たちがそれを助けてやれなくてどうするんだい?」

 「あーもう、わかった。わかっとるわい!」


 白旗。といったていで、新月は両手をあげてヒラヒラとさせる。


 「ふふ、やはり君は変わったね新月さん。神崎君と出会ってからは特に、なのかな……だからこそ、私も君とやり直そうと思えたしね」

 「ちょおっ? 蓮也くんガキの前でそがいな話はっ、やめっ――!」


 あたふたと新月が上げていた両手を振り回す。それを見た蓮也は満足そうに微笑むと、再び朝日へ視線を向ける。


 「神崎君、こんな娘だが支えてやって貰えるかな?」

 「はい! もちろんです」

 「朝日様……」

 「五月、本当に良かったね。彼を大切にするんだよ。その、昔のママみたいに束縛したり、独占しよ――」

 「じゃから蓮也くんストオオオオオオップ! もう、ほら、男権もワシが押さえるし、大丈夫じゃから、な。ほら、五月も、ボンも、まあ今日はゆっくりしてけ、の。おらあっ、誰ぞ酒じゃああああっ、酒を持ってこんかい! 初孫の祝いじゃああああああああっ! 今日は飲むでえええええっ!」



 ――五月雨さみだれ五月さつき


 朝日と結婚後にMapsを退職。出産を終えた後に五月雨ホールディングスの執行役員に就任。その才覚を十二分に発揮して会社の発展に貢献する。

 その業績が認められ、わずか三年で代表取締役に就任、新月の跡を継いだ。

 立場上、深夜子ら三人の中で最も多忙な妻となるが、朝日との間には計画通りしっかりと三子をもうける。さらに子育てが一段落すると、朝日が働くことを希望。五月雨ホールディングスの非常勤役員として五月をサポートした。

 世にも珍しい働く男性として注目されると共に、おしどり夫婦として世間から羨望の眼差しを一身に受ける。以来、順風満帆にして愉悦な日々を送っている五月である。



  ――八月上旬。五月の妊娠騒動から約三ヵ月後。


 高速道路を走る二台の黒塗り高級車。その一台の後部座席に朝日と梅が乗っている。運転席、助手席にはサングラスをした黒服の女性。五月雨家の護衛部隊だ。後方のもう一台には、五名の黒服たちが乗っている。


 現在、朝日たちは曙区と武蔵区の北部に隣接する千代野ちよの区に移動中だ。いわゆる都市部に隣接する居住区が多い地域で、向かっているのはその中でも庶民街的な意味で下町と呼ばれる区域。梅の実家がある場所だ。


 そこは男性特区外なので、護衛として黒服たちが総勢七名ついて来ている。もちろん目的は梅の婚約報告――なのだが問題が一つ。いや、梅らしいと言うべきか、すでに結婚式まで一ヶ月を切っている。しかし、梅は今の今まで婚約した事実すら家族に伝えていなかったのだ。つまり、梅の母と三人の妹たちは朝日の存在すら知らないことになる。


 数日前の朝食時にふとした話題から発覚。五月から全力のツッコミを受けて今に至る。


 「うわー、このせまい路地に古い住宅が密集してる感じ。ほんと昭和の下町ってイメージだね。映画みたい」

 高速道路を降りて十五分。それらしくなって来た風景に朝日が感想をもらす。

 「昭和? なんだそりゃ朝日。お前の故郷の地名か?」

 「あっ、ごめんごめん。えと、一昔前の風情がある町だねって感じかな」

 「へっ、貧乏長屋だらけのドブくせえ場所だよ。武蔵区や曙区にちけえ所は次から次へと開発されたってのによ。この辺りは十年経っても変わりゃしねえ」


 自分の産まれた町にあまり良い印象を持って無いのか、少々複雑な面持ちで梅がぼやく。


 「ああ、それと朝日。この近くは気の荒え連中も多いっから、春日湊といっしょと思うなよ」

 「うん、わかってる。五月さんもめっちゃ心配してたもんなぁ」

 「旦那様。そのためにウチらがついてますからご安心ください。おっと、大和ねえさんそろそろですかね?」

 ナビを操作しながら、黒服が梅に確認を取る。

 「ああ、そこのドブ川にかかってる橋を渡ってから、右の細い路地に入ってくれ。少し行ったら左手に空き地があっからよ。車はそこに止めりゃいいぜ。うちはすぐ横にあるあばら屋だかんな」


 工事用の土管がつまれ、雑草だらけ空き地に車を止めて外へとおりる。その隣に築五十年は下らないであろう木造二階建ての家屋――梅の実家があった。


 「うぉーい、帰ったぜー」


 ガラガラと玄関の引き戸を開け、広めの土間で梅が声を響かせる。廊下や壁などは外見ほどの古さは感じない。朝日が梅の後ろで、生活感あふれる屋内を見渡している。黒服たちは空き地と大和家の前で警備待機中だ。


 「はいはい。はいよー」


 廊下の奥から声が響き、ドスドスと重めの足音に合わせて割烹着かっぽうぎの女性が現れた。身長は170センチに届かないが、恰幅かっぷくの良い体格に太い手足。ブラウンのショートパーマヘアで、まさに肝っ玉母ちゃんと呼びたくなる外見。梅の母『大和やまといね』四十二歳である。


 「ありゃ、梅? どうしたんだい。まだ盆前だろうに、あんたがうちに帰ってくるなんて珍しいじゃないかい。どうかし――」

 ここで朝日の存在に気づき、稲は目を丸くして動きが止まる。

 「あっ、あの、初めまして。僕、神崎朝日と言います。今日は梅さんと――」

 「ううううううううめえええええええええっ!」

 「ひいっ」「んなあっ!?」


 朝日がおずおずと挨拶を始めるも、突如、梅の名を大声で叫び稲が突進して来た。その迫力に朝日は固まり、不意を打たれた梅は……。


 「おい、かーちゃん? 何を――ぐへえっ!」

 土間に飛び降りるや、稲はその大きな手のひらで梅をキャッチ。後頭部をわし掴みにして、朝日の正面へと移動する。そして――。


 「すみませんでしたああああああっ!」

 「くばっはああっ!?」

 「ええええええっ!?」

 轟音。朝日の足元で、掴んだ梅の頭もろとも豪快に稲が土下座する。土間のコンクリートにヒビが入り、木造の家屋がその衝撃で揺れ動いた。

 「うっ、うちのバカ娘が何か、何か大変なことでもおおおっ!? はあっ、ままままままままさか梅っ、あんたこんな可愛らしい男の子に痴姦ちかんでもっ? 母ちゃんはそんな子に育てた覚えは無いよっ!」

 「アホかああああああっ! かーちゃん。朝日は俺の婚約者だっつーの――へぶうっ」


 パラパラとコンクリート欠片を撒き散らしながら、掴まれた頭を上げて反論する梅だが、稲の豪腕に再び押し潰される。


 「何言ってんだい! あんたっ、まさか夢と現実の区別もつかなくなっちまったんじゃないだろうね? こんな可愛い子があんたの婿に来るわけ無いだろっ……あっ! あああ、すみません。あの、うちの娘は馬鹿なんですけど、本当は優しい子なんです。きっと何かの間違いだと思いまして……その、どうか、どうか穏便に」


 ゴリゴリと床に梅と自分の頭を擦りつけて謝る稲。あまりの光景に呆然としていた朝日だが、事態に気づきあわてて説明を始める。


 ――経過すること数分間。


 「あらやだよお。もう、あたしったら、そそっかしくて……本当に失礼しちゃいましたねえ。まーまー、それにしてもこんな可憐な男の子が梅のお婿さんなんて信じられ――――ハッ!? やだよ、梅! あたしったらスッピンじゃないかい!!」

 謎の照れ隠しに稲の豪快な張り手が梅の背中を襲う。

 「ぶべらあっ?」

 今度は土間の壁に叩きつけられる梅であった。



 「――あちちち。くそっ、相変わらず人の話を聞きゃあしねえ……」

 「あはは。梅ちゃん大丈夫? なんか、すごい豪快なお母さんだね」


 稲はそのままお茶を用意すると言って、家の奥へそそくさと引っ込んでしまった。仕方なく梅が朝日を客間に案内するため、廊下を進んでいるとその角から人影が一つ。


 「姉さん……。客間、簡単に片付けておいたから……。あ、それと……初めまして、妹のさくらです」


 そう言って現れたのは、身長175センチくらいの白いワンピース姿の女性。背中に届くストレートの黒髪に、顔立ちは梅をスラリと伸ばして凛々しくした印象。だが、淡々とした物腰と、クールビューティーな雰囲気は姉とは似ても似つかない。次女『大和やまとさくら』十八歳。その身長差と大人びた印象に、妹? との疑問が頭によぎる朝日だが、とりあえずは挨拶を返す。


 「あっ、こ、こんにちは。初めまして、お姉さんの婚約者で神崎朝日と言います。よろしくお願いしますね」

 「そうですか……よろしく……」

 桜はスッと切れ長な視線をそらすと、それ以上何を言うでもなく、廊下の先へと消えてしまった。 

 「おいこら桜! ちっとは愛想よくしろって――ちっ、すまねえな朝日。あいつはいつもああでよ。別に悪気があるワケじゃねえんだ。その……」

 「ううん。気にしてないから大丈夫だよ」

 そう言いながら、朝日は一瞬だけあった桜の視線を思い出す。物言いたげだが、あえて黙っている。そんな視線。例えば、大好きなお姉ちゃんを取られてしまった妹的な感じかな、と思うのであった。


 が、廊下の先から『ひゃあああああっ! 何、何あの超美形。ちょっ、ひゃっ、あの人と姉さんが、けけけ結婚とか……それで、私の、義兄さん? 義兄さんになるの――』と同時に、何かに激突する音が聞こえ『あいったああああああああああっ!』桜の悲鳴が響いてきた。


 「「……………」」

 「ま、な、朝日」

 「あ、うん」


 なんとも微妙な空気感のまま客間へ到着。そこで梅と雑談をしていると、今度はバタバタと騒がしく響く足音が二つ。それがふすまの前で停止する。そして――。


 『杏姉あんずねえ、聞いたかー。梅ねーちゃんの彼氏が来てるってよー』

 『いや、違うぞーもも。梅ねーちゃんの婚約者なんだってさー。ひゅー、男だよー。男がウチに来るってこりゃマジテンション上がるなー』

 『『おーい! うっめねーちゃーーーん!!』』

 

 足音以上に騒々しい会話が聞こえたと同時に、客間の襖が豪快に開け放たれる。そこから飛び込むように二つの影が、すでに頭を抱えている梅へタックルとばかりに抱きついて来た。梅のもう二人の妹。三女『あんず』と、末っ子の『もも』十四歳、双子の姉妹である。


 「こら、お前らっ! 相変わらず落ち着きがねえな、ちっとはおとなしく――」

 梅が言いかけた瞬間には、すでに周りに二人はいない。

 「ふわああああっ、男だっ、男っ! しかも超かっけー、やっべー、めっちゃいい匂いだなー!」

 「ねえねえ、ねーちゃんと婚約したんだろー。じゃあさー、もうちゅーとしたの? ちゅーとか――ふぎゃぶっ!」

 「何やってんだ、てめえらああああああああああっ!!」

 妹たちの脳天に、梅の拳が容赦なく振るわれた。


 ――梅の説教が部屋に響くこと数分。


 「ねーちゃん。正直すまんかったー」「もー反省したぜー」

 「うっせえ! そこでじっとしてろアホ!」


 客間の隅で正座をする二人の少女。二人ともオーバーサイズの白地Tシャツにデニムのハーフパンツ姿。双子だけに見た目もそっくりで、梅より少し長めのブラウンショートヘアをサイドテールにして、杏が右、桃が左側で結んで分けている。大和家の中では顔立ちも梅に一番近いが、残念ながら身長は二人ともすでに160センチ強と姉より高い。


 「すまねえ朝日。ちょっとこいつら頭悪くってよ」

 「あはは。梅ちゃんの妹らしくていいんじゃないかな。それにせっかくなんだし、杏ちゃん、桃ちゃん。お兄ちゃんとお話しよっか?」

 朝日、お兄ちゃんモード発動。

 「ふおおおお、すっげー、やっさしー、たまんねー」「やっぱ男は最高だぜー」

 「だ、か、ら、おまえらああああああああっ!!」

 

 しばらくの間、お兄ちゃんモードの朝日VS杏・桃コンビVSツッコミ係の梅。親睦交流という名のバトルロイヤルが実施された。


 ――ちょうど四人が親睦を深め合った頃合。客間にお茶を持って稲がやって来た。それだけ・・・・にしては随分と時間が経過していたのだが……。


 「神崎さん、大変お待たせしました。改めてまして梅の母、大和稲です」

 「あ……え……は、はい」


 目の前に現れたのはまるで大阪のド派手なおばちゃん? と聞きたくなる濃口化粧に、よく分からないカラフルな花柄衣装の稲。朝日も再び呆然である。そこに指を差して、笑いながら梅が割り込んだ。


 「ぶはあっ、か、かーちゃん何色気だしてんだよ? 今さら化粧ってタマかよ。だいたいセイウチがトドに変わったところで大した違いは――」

 次の瞬間、稲が梅の背後に一瞬で回る。ガシリと胴体を太い両腕でロック。そのまま流れるようにジャーマンスープレックスが炸裂! 梅は綺麗な孤を描いて脳天から畳へと激突する。


 ズドンッ!! 家屋が崩れんばかりの衝撃が辺りに響いた。外にいる黒服たちも何事かと騒然である。


 「わーい、梅ねーちゃんが突き刺さったー」「やっほー、刺さったぜー」


 客間の畳ごと床を貫通し、腰から先だけが部屋に生えている・・・・・かのように梅が綺麗に突き刺さっていた。


 『おいっ、こらっ、杏、桃! さっさと引き抜けっての。うおおおおおおいっ、俺の尻を叩くんじゃねえええええええ』

 「梅ねーちゃんのこれ、ひっさしぶりー」「ぶりー、ビシバシだぜー、いえーい」

 梅の周りをくるくると回って、杏と桃がはしゃぎながらお尻をぺちぺちとはたく。

 『くおらあああ、お前らあああ――って、顔にクモが、ゲジゲジがああああっ、ぬおおおおおおおっ!!』

 「おっほほほほ、神崎さん失礼をしましたわねえ。ささ、粗茶ですが」

 「あ、はい……どうも」


 そんな光景を当たり前のようにスルーしてお茶を差し出す稲と、なんとも言えない表情でその光景を見守る朝日であった。



 ――大和やまとうめ


 朝日と結婚して二子をもうけるも、その武闘派っぷりは全く変わらなかった。ちょくちょく五月雨家の裏社会側の抗争に加わっては、武勇伝とMapsとしての処分を打ち立てる日々を送る。

 そんなある日、梅は突然Mapsを退職した。結局のところ朝日の身辺警護に五月雨家の裏社会での抗争。これを両立できる仕事と考え、五月雨家護衛部隊に就職したのだ。

 それから、護衛部隊の隊長として五月の身辺警護もこなしつつ、裏社会でその名を広めていった。

 しかし、三人の中で最も意外な出世をしたのが梅であった。その後、弥生亡きあとに梅は男性保護省に戻り、最終的には男性保護大臣の地位にまで登りつめて行くことになる。

 そんな梅のサクセスストーリーを、裏で朝日が支えていたのは言うまでもない。



 ――それから、二年の月日が流れた。


 現在の朝日家は、武蔵区にある五月雨家の敷地内に新築された豪邸となっている。午前七時過ぎ。豪華なエントランスでスーツ姿の女性が革靴を履いている。昔と変わらずきっちり切りそろえられた真っ直ぐなミディアムヘアーの黒髪、猛禽類を思わす鋭い目。寝待深夜子、二十一歳。本日は約半年ぶりになる男性保護省への出勤日なのだ。それは何故かと言うと……。


 「深夜子、お待たせ。これお弁当ね」

 「ん、ありがと朝日君。それからー、いってきまちゅよ昼那子ひなこたーん。夕日ゆうひきゅーん」


 深夜子の後ろには、手作り弁当を持って生後三ヶ月の赤ん坊を抱いた朝日。その隣にはもう一人の赤ん坊を抱いた深夜子の母、朝焼子が立っている。そう、今日は深夜子の産休明け初出勤日。その時に産まれたのが『昼那子ひなこ』と『夕日ゆうひ』、双子の姉弟だ。なんと深夜子は男児を出産。もちろん、貴重な男性の誕生という世界最大の慶事に寝待家は歓天喜地かんてんきょうちの大騒ぎとなった。


 貴重にして大切な男児まごを護る為、朝焼子が上京して当面朝日家に滞在することになっている。ちなみに現在、朝日家に不法侵入をしようものなら冗談抜きで命の保証は無い。寝待家当主の真の恐怖を、その身を持って知ることになる。


 あぶあぶとご機嫌な赤ん坊たちに、深夜子たちは蕩けそうな笑顔を見せている。すると、これまた豪華な造りの階段からエントランスへと、ぞろぞろ黒服たちが降りてくる。


 「あらあら、夕日様に昼那子様。お母様のお見送りですのね。ご機嫌麗しくて何よりですわ」

 黒服たちを引き連れているは、五月雨ホールディングス執行役員である五月だ。赤ん坊たちへ満面の笑みを向けている。

 「あっ、五月さんもそろそろ出るの?」

 「ええ、そうですわ。本日は経済推進同盟の会合へも顔出しをしますので、帰りは少し遅くなりますの。花月かづきはお母様に預けておりますから、何かあればそちらへお願いしますわ」

 「うん。新月ママに連絡するね」

 朝日にとって最初の子供。五月との間に産まれた娘は『花月かづき』と名づけられた。なんだかんだとあった割には、産まれてしまえば溺愛の新月。最近は何かと理由をつけて、可愛い孫との甘いひと時を楽しんでいる。


 「おっ、五月。わりい、待たせたか?」

 五月を追うように、今度は梅が姿を現した。最近Mapsを退職して五月雨家護衛部隊、五月付きの隊長に就任したばかりだ。無論、兼任で朝日の身辺警護も担当しているが、今日は五月の護衛が優先である。

 「「「「「大和隊長。お疲れさんです!」」」」」

 「おう。今日は桐生のクソったれどもを見つけたら片っ端からぶっ殺――」

 「――していいわけありませんわよねっ!?」

 「ンだよ五月。最近、ちっと運動不足なんだよ。せっかくの機会だからやっちまおうぜ。どうせアイツらから難癖つけて来んだからよ」

 「運動不足を理由に抗争を勃発させないでくださいませっ!!」


 Mapsでチームを組んでいた時と深夜子ら三人の関係性は変わっていないようだ。いつものノリで言い合いを始める五月と梅に、朝日は微笑ましい視線を向けている。そんな朝日に近づく人影がさらに二つ。


 「みーちゃん今日から出勤だったっスね。あっ、朝日さん。台所の片付け完了したっスよ」

 「朝日お兄様。今日の午後はどうされますか? 外出があれば準備しますけど」

 

 餅月もちづき餡子あんこ笠霧かさぎり寧々音ねねねの二人だ。特に寧々音はこの四月にM校を史上最高成績で卒業したSランクMapsである。

 

 五月のMaps退職を皮切りに、朝日の身辺警護環境には変化が生じていた。深夜子は妊娠直後に主任へ昇進。内勤に変更となって朝日の担当から外れた。一人、梅だけはかたくなに現場にこだわっていたが、例の五月雨家との関係もあってMapsは退職済み。それでも朝日の身辺警護は続けているので変化はないが、五月、深夜子が抜けた要員はどうなるのか?


 本来であれば五月雨家の護衛部隊から、梅を筆頭に朝日の身辺警護チーム組めばことは簡単だ。しかし、五月雨新月と六宝堂弥生。社会的に地位のあるものたちの関係性はそう簡単ではない。特に男性である朝日を中心としたコネクションを維持する為に、弥生からMapsの雇用を継続する希望が出されていた。その為、五月と入れ替わりで餡子が、深夜子が抜けて少し間を置き、寧々音が着任したのだ。


 「んー、寧々音ちゃん。今日はお出かけの予定もないし、ゆっくりでいいよ」

 「おっ、なら昨日の続きするっスよ。朝日さんのキャラのレベル上げするっス」

 「ちょっ!? あーちゃん。それならあたしのキャラもいっしょにお願い」

 子供が出来ても相変わらずヘビーゲーマーの深夜子と朝日。と言うか餡子が来てから悪化した節もある。そこに寧々音の冷たい視線が突き刺さる。

 「はぁ……それが名誉あるMapsの言葉かしら、餅月先輩に寝待先輩。やはりお兄様の担当Mapsは私一人で充分ね(死ねばいいのに)」

 「「今しれっとひどいこと言った(っスか)?」」

 

 ここで五月たちが出発時間になり、先にエントランスを出ようとする。 

 

 「それじゃあ、五月さんに梅ちゃん。お見送りするね。――あっ、五月さん。一昨日に今月の精液採取キットが着いてたよ。最近、五月さんコレを楽しみ・・・にして――もがっ」

 「なりませんわあああああああああああっ!!」

 精液採取……五月が楽しみ……あっ、察し。というワケで顔を真っ青にして五月が朝日の口を塞ぐ。

 「ん、何? あれって朝日が一人でしてんじゃ……おい、五月?」

 「楽……しみ……五月さっきー、それどういうこと?」

 もちろん聞き捨てならないのは、この二人。


 「や、大和さん。さあさあ、時間もないですので参りますわよっ」

 「うおっ、五月っ!? こらっ、人を担ぐんじゃねえ、おいっ!」

 「それでは、行って参りますわ朝日様あああああああああああああっ!」

 「ちょおっ、こらっ、うぉーーーーーい!」

 「お、奥様ああああああああっ!?」


 梅を肩に担いで、逃げるようにダッシュで出発した五月。あわてて黒服たちが後を追って行った。


 「五月さっきー……帰ったら家族会議」

 「あはは。ま、まあ聞かなかったことにしてあげてよ」

 「ふうっ、ふうっ、お、お兄様のせ、精――ゴクリッ、の採取を……五月雨先輩が……楽しみながら――ぷひゅう」

 「ちょっと寧々音ちゃん!?」


 やはりまだ色々と耐性の低い寧々音であった。ただし知識と想像力はそれなりに進歩しているようである。餡子が寧々音を居間へと運ぶのを朝日が見送っていると、朝焼子がそっと声をかけてきた。 


 「婿殿。いつも通りに喧々けんけんとして何より、それでは昼那子さんも預かりましょうや」

 「あっ、それじゃお義母さんお願いします。僕は深夜子を見送って戻りますね」


  朝日は朝焼子に昼那子を預けてエントランスの外へ。深夜子のバイクが置いてある車庫まで朝日がつきそう。


 「いってらっしゃい。気をつけてね深夜子・・・


  二人は唇を軽く重ねた。



 ――梅との結婚式を終えてから、朝日は深夜子のことだけは呼び捨て――名前のみで呼ぶようになった。五月と梅に対しては変わらないのにだ。それを疑問に思った深夜子が理由を聞いても『もしかして嫌だった?』と聞かれ『そんなことない』とやりとりして話題は終わってしまう。


 そんなある日の二人で過ごす晩。少しアルコールが入って上機嫌な朝日に、深夜子はもう一度その事を聞いてみた。すると……。


 「あー、あのね。僕の勝手なこだわり、というか。うーん、どう説明したらいいのかなぁ……」


 朝日が少し考え込みながら深夜子に説明をする。この世界に対するささやかな抵抗。自分のこだわり。初めて恋をして、結婚した相手。それが深夜子に対してオンリーワンの表現であった。もちろん、決して深夜子のみが好きという訳ではない。話をした上で、五月と梅に了承も取ってあるとの事だった。


 いつ以来か……。深夜子は泣いた。号泣した。朝日の気持ちに感動した。その日は五回戦になってしまった。


 「ん、それじゃ朝日君。行ってくるね」



 ――寝待ねまち深夜子みやこ


 これから数年後もう一人娘が産まれる。三人の中で唯一最後まで男性保護省に務めたのが深夜子である。

 朝焼子の隠居にともなって寝待流を継ぐも『まあ、そんな時代でもないし』と、あっさり武蔵区に道場を移転して当主兼任という適と――柔軟さを見せつけた。もちろん、移転費用その他は五月に丸投げだったのはお察しの通り。

 男性保護省の内勤となり、餡子もうらやむエリートコースに乗ったかと思えば出世欲皆無な性格もあって係長止まり。それでも寝待流当主として、一門を率いて五月雨家の裏社会における地位を影から支えたりと要所では活躍していたらしい・・・

 三人の中で最も朝日と過ごす時間を大事にし、朝日と寄り添うように生きたのが深夜子であった。

  

 余談だが、息子の夕日を溺愛し『将来は母さんと結婚するんだよ』と豪語してはばからなかった。しかし、思春期を迎えた息子に『母さんの下着といっしょに洗濯しないで』と言われ、落ち込みのあまり一週間ほど部屋に引きこもってオンラインゲームの世界から出てこなかったとかなんとか。



 ――某年四月。曙区男性保護省本庁、大講堂にて。


 『これにて男性保護特務警護官。新年度入隊式を終了する――――それから深夜子おおおおおっ、係長が居眠りとか貴様。この後、すぐに私の所へ顔をだせええっ、その頭握り潰してくれるっ!』


 本日は新たに各地区へ配属される新人Mapsたちを集めての入隊式典が行われていた。この後はそれぞれが担当する地区に分かれて、担当教官による個別のミーティングが行われるのだ。


 とある一室。入り口には『武蔵区担当』と書かれた紙が貼られている。


 「ねえねえ聞いた。今季の新規担当募集に例の男性が入ってるって」

 「知ってる。あれでしょ? 伝説の特殊保護男性を担当した全員が結婚したって奴。そのウチ一人の息子さんって噂だよね」

 「うわあ、マジで? 担当って募集何人かな、新人でも配属の可能性あんのかな」

 「いやいや、A・Sの先輩方限定っしょ。あー、あたしもM校でもっと頑張れば良かったー」

 「ま、それでも武蔵区担当って当たり・・・だよね。素敵な男性の担当、できるといいなぁ」

 「――あっ、みんな。ウチらの新人教育担当が来たよー。ん? なんか……式の時にどやされた目付き悪いダメ教官みたい」

 「ぷっ、アイツ終わってるよね。あれ? でも教官って元SかAでないとなれないんだっけ? マジか?」

 「ま、あたしらには関係ないって、それよりさ。もしかしたらこの中から同じ警護チームになる人が出るかもだよ」

 「そうそう、せっかくの同期だし。ウチらも力合わせて男性警護こんかつ頑張ろー!」

 「「「「「おーーーーーっ!!」」」」」



 ――男性保護特務警護官【Male protective special guard officer】通称Mapsマップス


 貴重な男性を守護まもるため、彼女たちはいついかなる時も男性警護こんかつにいそしんでいるのだ。

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貴重な男性お護りします【♀♂♀】ときドキ『婚活』~あべこべ世界と美少年~ タッカー @Takker3322

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