物語が思い付かない

何を書いたらいいんだろう。

私は既に2、3時間は自分の書斎の机に向かってウンウンと唸っていた。

筆がノらない。

書きたいものは沢山あるはずなのに、どうにも形にならない。

歩いてる最中。違うことをしている間は書きたいことがポンポン沸いてはくるのだ。

展開をこうしたら面白いだろうか。でもここで矛盾ができてしまう。それならば……

そうやって固めた思考が、いざ机に向かうと記憶の彼方に飛んでいってしまう。それに伴うように、やる気たちは文字通り霧散してしまうのだ。

頭の中をそっくりそのままコピーできたらいいのに。と意味のないことを考えてみる。

無駄な事この上ない思考ではあるが気分転換には調度いい。

ギシリと音を鳴らしながら、椅子の背凭れに体重を乗せた。そのまま左右に体を揺する。

何度目の気分転換かはもう記憶にない。

ハタ、と机の上の原稿用紙に目をやる。

中央に原稿用紙が1束。他には何もない。

どうせ書くなら紙が無駄にならないよう固めたものを一発書きしたいなんて見栄を張ってるのがバレバレな机だ。

イメージがフワリとしすぎているのだろうか。

そう考えて白紙のA4用紙を引き出しから1枚取り出そうとしたところで扉の向こうから控えめなノックが3回聞こえてきた。

どうぞ。と応えてからきっかり3秒後に扉が開いて、メイド服姿の女性がポットやおやつ、カトラリーを乗せたワゴンを運んできた。

「失礼致します。おやつをお持ち致しました」

「……え、あ、ああ、ありがとうございます。今日のおやつは何ですか?」

「先生のお好きな和菓子の練り切りでございます。季節に合わせて今日は緑が鮮やかな青梅をご用意致しました。今、抹茶はお点てしますね」

抹茶を点てる準備を始める横で、ワゴンを見ると青い梅の実を象った小さな丸い練り切りが2つちょこんと乗っていた。

「うん。美味しそうですね」

さっそく手を伸ばすと、パチンと弾かれた。

「お行儀が悪いですよ」

「それを言うなら……姉さんだって悪ふざけが過ぎますよ」

こんなメイド姿で書斎に入って来るなんて……とぼやけば、姉はクスリと笑った。

「似合うでしょ?」

スカートの裾を少し持ち上げてクルリと回る。

フリルのスカートがフワリと持ち上がって下から細い脚がスッと延びてるのが見えた。

メイド服に合わせてキッチリと結った髪がいつもと違って可愛らしさを演出している……ような気がする。

「そりゃ、似合いますがね」

たいそう苦々しい顔をしていたのだろう。

姉はまん丸い目をニヤリと猫のように細めた。

「なら、いいじゃない。あんたも筆が止まってたんでしょ?また担当さんからの催促が雨霰のように……」

「止めてくださいよ、縁起でもない。まだ猶予はあるんです。今度は〆切までに終わらせますよ」

「どうかしら?あんたってば毎回それ言ってるじゃない。今回も担当さんの泣きついてくる顔が想像できるわ」

担当め。そんなことをしてたのか。道理で最近姉からもせっつかれるようになったはずだ。

それはともかく姉に言葉で挑むもんじゃない。口から先に生まれてきたような人だ。昔からどうしても勝つことはできなかった。

どうして小説家をしている私が口で負けるのか不思議で仕方ないが、それが現実なのだ。それは諦めるとして、何回も反省してる筈なのに何回も忘れて言葉で負けるのはどうにかならないのか。

「あんた……今、失礼なこと考えてるでしょ」

おっと、姉が感情の機微に鋭いのを忘れてた。

ん?……また"忘れてた"だ。

我ながらうんざりしながら表情を取り繕った。

「そんなことありませんよ、姉さん。それより抹茶、待ちわびちゃいます」

準備しかけの茶碗を指差すと姉はパッと身を翻した。

「そうだったわね。じゃあ、先に青梅食べていてね。すぐ点てるから」

はい。と渡された青梅とフルーツフォークを見比べて違和感を覚えながら、青梅にフォークを通した。

ネットリとした甘さが口内を満たす。

甘すぎるほど甘いと感じるのに、フルーツの爽やかな酸味が程よく効いていて、後味はスッキリしていた。

「美味しい……」

「そうでしょ?今日は奮発して高いの買っちゃった」

もちろん、あんたのお金で。と楽しそうに言う姉に目玉をひんむきそうになる。

「なんだって、まあ、そんな、え、ホントに?私の財布は……」

バッと振り返っていつも財布を置いている戸棚の上を見渡しても、そこにある筈の茶色の革財布はどこにもなかった。

もう一度振り返って姉を見ると、右手でヒラヒラと私の財布を振っていた。

やられた。

姉の手から財布を引ったくって中身を見ると、ものの見事に諭吉が2枚なくなっていた。

「私の食費と趣味代がなくなっている」

これならもっと味わいながら食べるんだった。

空っぽになってしまったお皿の上を見て脱力する。

「大丈夫よ。あんたの糖分となって働いてくれてるんだから執筆も捗るわ。たぶん」

「……」

悪びれもせずテヘペロをする姉に言葉もでない。

「それに、稼いでるんだから貯めるだけじゃなくて積極的に経済回していかないと、ね」

「それは……」

確かにそう思う。そうは思うが……

「でも、何も知らされず、いつの間にか諭吉が飛んでいっていたダメージは大きいですよ、姉上」

「それは悪かったわ」

軽い。軽すぎるのではないか。いくら身内と言っても軽すぎだ。

なのに、その言葉の軽さとは裏腹にキッチリと本物のメイドのようにお辞儀をするチグハグさに頭が付いていかない。

どうせならこの姉をモデルに小説を書いたらベストセラーにでもなるんじゃないか。

何もかもをチグハグに。でも、完璧にこなしていく姉を見て、ボンヤリとそんな事を思う。

主人公は読者がのめり込みやすいように普通の価値観を持った青年にしよう。その青年を振り回す役。敵か味方か。この場合は中立を保っていた方が姉も立ち回りやすいか。あとは、背景は……っと、そう言えば、モデルの許可を取っていない。

「姉さん」

いつの間にか俯いていた顔を上げると、姉の姿はキレイサッパリなくなっていた。

机の端に綺麗に点てられた抹茶が入った茶碗が1つ。

「モデルにしてもいいけど、できた物語の読者一人目は私だからね」

と書いたメモ用紙が1枚敷かれていた。

姉には何もかもがお見通しか、と感謝しつつ筆をとる。

「さ!気合い入れてやりますか!」

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気ままに短編集 古野あき @haru-aki

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