第17話:ごめんね、夏南ちゃん
夏南の会社に勤めて、信愛を育てることにした。
再び都会での生活。
数年の時が過ぎ、那智は仕事と子育ての両立に忙しい日々を送っていた。
その忙しさは苦ではない。
子育ては大変だが、信愛の成長が何よりも幸せなことだ。
今、住んでいるマンションの隣に部屋に住んでいる男の子と信愛は幼馴染の関係となり、とても仲良くしている。
『あのね、今日は総ちゃんと……』
毎日、話してくれるのは幼馴染の総司との話だ。
今日は何をして遊んだ、何があった。
信愛の中で、彼の存在は特別なものになりつつある気がする。
いずれ、恋心でも芽生えてくれたら、と望んでいた。
那智は人をちゃんと愛せなかった。
だからこそ、信愛には自分と違った人生を歩んでもらいたい。
好きな人を好きだといえる。
当たり前のようで、とても大切な関係に。
仕事の方は不安もあったが、順調に進んでいる。
最初は事務作業だけだったが、少しずつながらデザインの仕事も覚えて、今では小さな仕事を任せてもらえるようになっていた。
先輩たちからも、一人前に認めてもらえつつある。
それに何より、夏南との関係が改善に向かったことが一番だ。
幼馴染として、複雑な思いがあり、対立した時期もあった。
それを乗り越えて、今は親友として再び関係を築き上げている。
「那智、まだ残ってたの?」
今日は残業、定時になっても那智はデスクでパソコンに向き合う。
終わりそうで終わらない。
「もう少しで終わるから」
「無理しなくてもいいのよ?」
「うん。これを仕上げたら帰るわ」
「初めての大仕事だからって気負うことないのに」
「せっかく、任せてもらったんだもの。最後までやりきりたい」
とある会社からの依頼で、那智がメインで担当する初めての仕事だ。
ついに一人で仕事を任された使命感。
那智にとっては自分がこの会社に必要とされている実感を得られている。
早く一人前に認めてもらいたい。
誰しも、仕事においてそういう感情を抱くもの。
「張り切りすぎて、電池切れとかしないでよね?」
「分かってるわよ、夏南ちゃん」
「……だったらいいけど。無理だけはしない。いい?」
夏南は少し心配だった。
ここ最近、那智には疲労感が見え隠れしている。
初めての仕事に緊張もするだろう。
いつも以上に力が入りすぎている。
自分にも身に覚えがある。
空回りしなければいいな、という危機感を抱いていた。
「へえ、こういうコンセプトかぁ。ふむふむ、こっちは……いい感じじゃん」
「ありがと」
「これなら、依頼者も納得してくれるはず」
「だといいんだけどね」
企画書を読みながら、那智の仕事の進展を見る。
「もうすぐ納期だし、頑張らないと」
実のところ、少しだけ遅れ気味だった。
焦る気持ちと慣れない作業に負担もかかっている。
「……信愛ちゃんは大丈夫?」
「今は知り合いに任せてる。悪いと思うけど、面倒をみてくれてるの」
「あー、お隣さんだっけ?」
「お隣の子供たちとも仲良くしてもらってるの。いい人たちだわ」
シングルマザーとして生きていて、人からの支えは本当に感謝する。
総司の母、杏子は那智の理解者だ。
多忙な那智に代わり、信愛の面倒をみてくれたりする。
自分ひとりでは難しいこともあるので有難い。
「子育ての難しさ、那智を見ていて痛感するわ」
「他人事じゃないよ。夏南ちゃんも来年、結婚でしょ」
「うん。子供も欲しいと思ってる。他人ごとのままじゃいられない」
大学時代からの恋人と結婚が近づいている。
「素敵な人だよね。浮気なんてしそうにないもの」
「……したら、許さん」
「でもね、男の子って、誘惑されたらコロッて簡単にいくから気を付けて」
「それを那智に言われると、なんて言えばいいのやら」
「はい、誘惑した方でした」
苦笑いするふたりだった。
結果的に、夏南の心配は的中してしまう。
最後の最後で、那智は過労でダウンした。
頑張りすぎてやらかした。
いきなり事務所でぶっ倒れ、救急車で運ばれた。
疲れは体と心に出る、過労による体調不良だ。
点滴を打たれ、病室のベッドの上に寝ている那智に、
「ほら、見なさい。無理はするなって言ったわよね?」
「……はい」
「まったく、うちはブラック企業じゃないんだから。無理な時は人に頼っていいの。貴方の頑張りはみんな知ってるんだからね」
夏南は不機嫌に那智を叱りつける。
「人の目の前で倒れおって。心臓に悪かったわよ」
「ごめんね、夏南ちゃん」
「ホントよ、もうっ」
「……すみません」
まるで怒られた子猫のようにシュンッとする。
目の前で彼女が倒れた時、夏南はさっと血の気の引く思いをした。
あんな思いをさせられれば、怒りたくなる気持ちわかる。
「……信愛ちゃんを泣かせて、どーするの」
「う、うぅ。ごめん」
先ほどまで、杏子に連れられてやってきた信愛は、
『ママぁ、死なないでぇ。うわぁーん』
那智に抱きつき、病室で号泣してしまった。
娘を泣かせて、寂しい思いをさせたこと。
それは反省以外の何物でもない。
入院中は杏子に信愛を任せることになり、本当に感謝しかない。
仕事は先輩が代わりに依頼者へ報告に行ってもらった。
「さっき、真紀さんから電話があったわ。お仕事、無事に依頼者から承諾をえられました。いいデザインを考えてくれてありがとうってさ」
「……っ」
「よかったじゃん。でも、最後にこれだと笑えない」
「うん」
「仕事が大事なのは当然。でも、貴方は一人の身体じゃないの」
「分かってる」
「那智は能力が高いから、仕事を覚えるのも早い。でも、その分、我慢もよくするでしょ。不安とかに弱いくせに、そういう所で無理するから」
「……私はみんなのように専門的な知識も、大学を出てるわけでもない。引け目というか、頑張らないといけないって言う気持ちが強いの」
「そうね。だけど、那智はもっと自信を持っていい。今回の仕事もそう。真紀さんが言ってたよ。すごく出来のいい仕事だったって」
誰かに認めてもらいたい。
那智は孤独を知る人間だからか、承認欲求も強い方だ。
それゆえに無理をする、それも悪い癖である。
「ちゃんと結果は出てる。那智はよくやってます」
「夏南ちゃん……」
「褒めてつかわす、大儀であった」
「それは上から目線すぎ。ふふっ」
微苦笑する那智は病室の天井を見上げる。
――私、バカだなぁ。
他人に認めてもらいたい。
その気持ちだけで仕事をしてきた。
――周囲の評価を気にして、無理して。結果的に迷惑をかけてしまった。
反省すべきところは反省して、次に繋げなくてはいけない。
「……小さな頃からそこだけは変わってないなぁ」
「ん? どういうところ?」
「昔さ、運動会で一番をとろうとして練習しまくって……」
「や、やめてぇ」
「結局、運動会当日に風邪をひいちゃったじゃない? あら、今と同じね?」
「ぐふっ。はい、私はそういうダメな子でした」
幼馴染からの過去の暴露にうなだれる。
何事も頑張りすぎてはいけない。
燃え尽きてしまっては元も子もないのだ。
「だけど、私はそんなにいつも頑張ってる那智に勇気をもらってる」
「……そうかな」
「私がこの仕事をしたいと思ってたのも、那智の影響だよ」
「ホントに?」
「お父さんの仕事にあこがれて、医者になりたいって言ってたでしょ」
「ふっ。夢は無残に散りましたが」
「そんなこと言わない。夢に向かって努力する、ひたむきな姿。幼馴染の妹分がこんなに頑張ってるんだからって背中を押してもらったんだ」
人生で大切なことは目標を立て、それを現実にすること。
近くで見てきた夏南はその影響を受けて、今、こうして夢を叶えている。
「那智は私にとって、可愛い妹であり、一番の親友なんだからもっと頼りなさい」
「……夏南ちゃん。こんな時に言うのも変だけど」
「うん、何?」
「私、夏南ちゃんが初恋でした。小さなときは大好きだったの」
「そのカミングアウト、今必要!? わ、私はノーマルです!?」
「親友よりも、恋人になりたかった時期もありました」
「わ、私は断固、拒否させてもらいます」
「まぁ、昔の話ですけどね。ふふふ」
「も、もうっ……くすっ、あはは」
二人の友情はこれからも続く。
かけがえのない親友の絆。
紆余曲折を経て、その友情は一層確かなものになったのだった。
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