第16話:人生は分からない


 那智が信愛を生んでから、目まぐるしく日々は過ぎ去る。

 祖父母に支えられて、子育てに奮闘。

 苦しくて大変ながらも、生きがいを実感する。

 部屋で引きこもっていた時代。

 あの頃を思えば、充実した毎日である。

 信愛が2歳になった時、久しぶりに旧友から電話をもらった。


『久しぶりね、元気にしていた?』

「夏南ちゃん?」

『そうよ。那智、ようやく貴方の声が聞けて嬉しいわ』


 夏南とは高校を中退してから連絡を取っていなかった。

 中退する頃には彼女は大学に進学していたからだ。

 

『連絡が取れなくなっておかしいなって思ってたら、いろいろとあったみたいね』

「……言葉にできないくらいよ」

『ホントね。実家を出て行方不明扱いされてるとか思わないじゃない。こうして声を聞けて、本音ではすごく嬉しいのよ』


 夏南もびっくりの事態だった。

 久しぶりに連絡を取ってみれば、番号は使われておらず。

 実家に連絡をすると、“行方不明”との回答に「!?」と慌てたものだ。


『唯一、佐崎だけが貴方の番号を知ってたのよ』

「あの子にしか教えてないもの」


 家を出るときに、電話も一新したので連絡先は彩萌にしか教えていない。

 人間関係のすべてを捨てたはずなのに。

 彩萌だけはどうしても縁を切れなかった。

 たまに連絡をして話をする程度だが、今も友人関係は続いている。


「バレちゃったのはしょうがない。登録者名だけは変えておいて」

『そこまでする?』

「今、こちらが望んでなくても、他人に番号が知られる時代。私は人生をやり直してるので。“水瀬那智”はもう世の中から消えたのよ」


 実家に自分の居場所を知られたくはない。

 那智は完全に家族との決別をした。

 もう自分から会うつもりは一切ない。


『分かった。ねぇ、那智。ゆっくり話がしたいの。貴方に会いに行ってもいい?』

「いやだと言ったら?」

『寂しいことを言わないで。那智に会いたいのよ』


 夏南はこの数年間の那智の状況を知らずにいた。

 遠方に引っ越し、大学生としての生活をしていた。

 噂程度にでも話を知っていれば、那智の力にもなりたかった。

 そのことを後悔しているのだ。


「しょうがないなぁ」


 那智も、会いたいと言ってくれる人がいるのが嬉しく感じた。

 結局のところ、素直になれない寂しがりやなのである。

 

 

 

 

 旧友との再会。

 那智のもとを訪れたのは夏南と彩萌だった。

 実は彩萌は何度か彼女に会いに来ている。

 娘が生まれてからも、時々、様子を見に来てくれているのだ。


「佐崎に連れてきてもらってよかったわ。田舎の電車、乗り間違えたら大変そう」

「電車の本数も少ないもんねぇ。アヤも最初は大変でした」

「こんな田舎にようこそ」


 気を利かせてくれて祖父母は出かけてくれている。

 リビングでは信愛がぬいぐるみで遊んでいた。


「あー、信愛ちゃんだ。えへへ、彩萌お姉ちゃんだよ」

「おねえちゃん」

「そうそう。ぎゅってしていい?」


 相手の返事を待つまでもなく、信愛を抱きしめる。

 たどたどしいながらも、言葉を話せる年頃だ。


「信愛。ふたりに、こんにちはって」

「こんにちはー」


 信愛はにっこりと笑顔で元気よく挨拶する。


「この子が那智の子供なんだ。すっごく可愛い」

「信愛よ。私の大切な生きがい」

「……昔の那智にそっくりじゃん。那智にもこんなかわいい時代がありました」

「人のことを過去形で言わないで」

「成長したら可愛くなくなったもの。私、未だに根に持ってるから」


 つんっとふてくされる夏南である。

 調理室で壁ドンされて、襲われそうになった苦い記憶。

 いろんな意味で黒歴史なので、思い返したくはない。


「ごめんなさい」

「素直でよろしい。佐崎、私にも抱っこさせて」


 信愛の瞳をジッと見つめて、昔を思い出すように、

 

「可愛い。ホントに那智の小さな頃によく似てるわ」

「シア、かわいい?」

「うん。可愛いよ」

「えへへ」


 褒められて喜ぶ信愛に、


「そうだ、彩萌。うちの子に変な癖をつけたでしょう」

「なんですと?」

「自分の名前呼びよ。私じゃなくて、この子、自分のことをシアっていうの」

「ふふふ。来るたびに名前呼びを定着させようとしてたのが成功しましたね」

「やめなさい。もうっ」


 言葉を覚え始めた時に彩萌が繰り返し、名前呼びを定着させてしまった。

 そのせいで、信愛は自分を“シア”と呼んでしまう。


「今はいいけど、いい大人になっても自分のことを名前で呼ぶ痛い子になってほしくない。私の知り合いにそんな子がいるのよね。痛いわ」

「アヤを見て言わないで!? 知り合いの子ってアヤのことじゃん」

「……ホント、こんな子に信愛をしたくない」


 いい年をしてまだ自分の名前呼びなんて恥ずかしい。

 母として嘆く那智の姿に夏南は、


「ちゃんとお母さんをしてるんだね、那智」

「まぁね」

「なっちゃんはママになってからの方が生き生きとしてるもん」

「……それは否定しないわ」


 口元に自然と笑みがこぼれる。

 人生何が起こるか分からない。

 希望なんて抱けなくなっていた心の弱さ。

 それを払しょくしてくれたのは、娘の存在だ。

 那智はすっかりとメンタルも回復して、普通の生活を送れるようになっている。


「でも、成長して思うんだけど、ホントに目元が、やっくんそっくり」

「おい」

「こ、怖い顔をしないで」

「娘の前でパパの話はしない。オッケー?」

「は、はひ。だってさぁ、元カレと元カノがいつのまにか子供作ってたとかホントにびっくりしたんだからね。どんな運命だ、それ」


 彩萌がそう思うのも無理はない。

 初めは敵対しあう仲からの関係だ。

 いろんなことがあった、としか言えない。


「私からも聞きたいんだけど。信愛ちゃんのこと、相手の方は知ってるの?」

「私との間に子供ができたのだけは知っている」

「……シングルマザーは大変そうね」

「覚悟を決めて、産んでるから」

「今日は、そのことで話をしたくてきたのよ」


 信愛は彩萌と遊んでいる。

 その光景を遠めに眺めながら、夏南は本題を切り出した。


「私、大学を卒業して母の会社に入ったの」

「確か、デザイン会社の社長をしてたんだっけ?」

「えぇ。いずれは継ぐつもりで頑張ってる」

「夢を叶えてるんだね。夏南ちゃん、すごいな」


 夏南の夢は昔から母の会社で働くことだった。

 幼馴染が目標通りに人生を歩んでいることを素直に感心する。

 

「……那智。単刀直入に言うわ。うちの会社で働くつもりはない?」

「え? あの、私、最終学歴が中卒ニートなんですけど」

「そんなことはどーでもいい。私が認めた、コネ入社でいいじゃん」

「デザインの勉強とかしたこともないし」

「最初は事務仕事でもいい。那智が心配なのよ」


 引きこもっていたことも、シングルマザーになっていたことも。

 夏南は最近、そのことを知ったばかりだ。

 自分に何かできることがあったかもしれない。

 那智を大切な妹のような存在に思っていたというのに、それは薄情なことではないか。


「あの子を育てていくにも、仕事をしなくちゃいけないでしょう」

「……私たちを助けてくれるわけ?」

「私にできることなら。正社員雇用で生活安定。ねぇ、どうかしら?」


 今はアルバイト中心で生活基盤がしっかりしていない現状。

 特に、高校も卒業していない那智では職業選択は限られている。

 今後を考えても、夏南の提案はかなり魅力的だ。


「悪い話ではないわねぇ」

「それじゃ、考えてくれる?」


 幼い子供を育てていくには現実問題、お金がかかる。

 いつまでも祖父母に甘えてはいられない。

 自立するためにも、それはありがたい話だ。

 それに何より、今の自分たちの味方をしてくれる。

 その優しさが何よりも嬉しい。

 

「そのお誘い、乗らせてもらうわ」

「よかった。よろしくね、那智」

「夏南ちゃん、ありがとう」


 こうして、那智は再び都会へと戻ることになったのだった。

 

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