第14話:さよなら、だけは言わせて


 当初、先制攻撃で揺らいだはずの和奏だが、動揺が怒りに代わると反撃に出る。

 こうなると、彼女に勝利することは難しい。

 下手に撃たれてハチの巣にされる前に降参するのがいい。


「愛の力ね。私との浮気を本当に許しちゃうわけぇ?」

「そうですね。彼が風俗でも通ってた程度に思いましょう。経験人数のひとりやふたり、増やされたところでかまいません」

「ホントにそういうお店に通ってたら、アンタは許せないくせに」

「貴方には理解できないでしょう。私だけが八雲さんを愛しているんです」


 愛している。

 言葉にすれば、ありきたりなものだが、その重みは他の誰とも違うもの。


「私と付き合う前に彼は何人かの女子とお付き合いしてましたから。それくらい、増えようがホント、気にしてないので。えぇ」

「実はものすごく気にしてるんじゃないの」

「……先輩の方こそ、自分を犠牲にしてまで私に復讐なんて無理をしますね」

「犠牲? 別に。私はアンタを泣かせられるのなら何でもするわ」

「この程度で泣きませんよ」


 傷ついて、泣きそうなのは我慢だ。

 ここは女のプライドのぶつけ合い。

 ひるんだ方が負けなのである。


「あーあ。つまんない。もっと無様に取り乱しなさいよ」


 那智はそう言うと、気だるげな顔をしてみせる。


「もう少し、傷ついて泣きわめくなりしてくれたらせいせいしたのに」

「おあいにく様。貴方程度にどうにかされるほど、弱くはありません」

「言ってくれるじゃない」

「こんな手を使って、私に復讐なんて笑えますね」

「心の中で地団駄踏んで悔しがってると思うことにするわ」


 もう、この辺でいいだろう。

 彼女は「帰るわ」と呆然と立ち尽くしてた静流に声をかける。


「へ? あ、あの」

「……静流。約束通り、洗いざらい話をしたし、もういいでしょう」

「しゃ、謝罪は!? それ大事!」

「この子にする気はない」

「してよ!? それが本題でしょ」

「しません」


 ばっさりと言い切ると、彼女たちにはこれまでと振り返る。


「八雲君」


 それまで修羅場の空気に追い込まれて、一言も話せずにいた彼に、


「いろいろと巻き込んでごめんなさい」


 頭を下げて謝罪をした。


「はぁ!? なんで、八雲さんには謝れるんですか」

「うるさい。アンタにもう用はないの」


 本当に巻き込んで悪かったという罪悪感はある。

 八雲にだけは、伝わるように。


「――さよなら。“貴方”と過ごした時間、嫌いじゃなかったわ」


 偽りのない本音。

 感謝の気持ちと別れの言葉を告げた。


「先に外に出てるわ」


 そう言って、静流の肩を叩くと那智はひとりで外へと出てしまう。

 中でぎゃぁぎゃぁと騒ぐ声が聞こえて「ざまぁみろ」と呟いた。

 エレベーターで再びに一階に降りる。

 誰もいない空間で、彼女はようやく大きなため息とともに、


「……久しぶりの悪女は疲れたわ」


 天敵相手を前にして、言い争うのは疲労する。

 だが、ああするしかなかった。

 自分が悪役になり、復讐のために彼と寝たのだと思わせる。


「これでよかった。何とかなった」


 それが一番、納得できる理由で、彼自身へのダメージは少ないはずだ。

 利用されていたのだと、呆れられても嫌われることはない。


「悪いのは私。それでいいのよ」


 分かりやすい悪役に徹して、本当に守りたかったのは八雲だ。

 彼の人生は、守ってあげたかった。

 自分が受けた恩は返せるものではない。

 結果は、那智VS和奏の構図になり、彼の罪は許されたのだから。

 

「あの子、ホントに知ってたのかしら。知らなかったわよね? んー?」


 どちらにせよ、強がりな態度の裏側で一矢報いれたと思いたい。


「ただ、ひとつだけ。本当に貴方は知らなかったことがある」


 背中に手をまわして、彼女はゆっくりと歩く。

 別れを告げた八雲の顔を思い出しながら、


「私は八雲君のこと、復讐の相手になんて一度も思ってない」


 そう、和奏への復讐なんてどうでもよかった。

 正直、もう彼女のことなんて興味もなかった。

 彼に抱かれたのはもっと単純な理由。


「――私、八雲君のこと、大好きだったのよ」


 引きこもりの自分を救ってくれた、恩人。

 こんなどうしようもない自分に、手を差し伸べてくれた。

 笑う横顔が好きで、いつも見ていた。

 時々、手を繋いだりするのがいつもドキドキしていた。

 

「ふふっ。好きだったなんて、言えるわけないわよねぇ」


 絶対に本人には伝えることなどできない想い――。

 “さよなら”という別離の言葉に込めたのはひとつの愛。

 

「だけど。この思い、アンタにだって負けてないわよ、和奏」


 秘めたる想いは彼に届かず。

 失恋であえなくバッドエンド、これが那智の恋の結末だ。


――でも、それでいい。あの人が幸せにいてくれるなら。


 これは那智が望んだ結末なのだ、後悔などあろうはずもない。

 こういう形で彼から身を引くことが、彼女にとっての唯一できることだった。

 エントランスにつくと、彼女はしばらく妹を待っていようとした。

 しかし――。


「……あっ」


 ふいに視界が真っ暗になり、倒れこんでしまった。

 力が抜けるように、立ち上がることができない。


「お、おい、キミ、大丈夫か!?」


 近くを通りかかった人が心配そうに声をかける。

 ずっと我慢してきた体調不良の限界が来たのだ。


――無理しすぎた。ホント、最悪だわ。


 気持ち悪さに襲われて、そのまま那智は意識を手放した――。

 

 

 

 

 那智の暴露。

 部屋に残された3人はただ、あぜんとするしかなくて。

 とりあえず、いなくなった姉の代わりに静流は謝罪する。


「えっと、和奏さん。うちの姉がバカな真似をしてごめんね」

「恨まれる理由はあるし、そうされるだけの過去もある。許さないけど」

「私もこんな風になるなんて思ってなかったの。ホントに申し訳なくて」

「はぁ、復讐相手に八雲さんを狙われるとは思わなかった」

「そうだ、八雲先輩! 貴方も反省してください」

「す、すまない。和奏……俺は」


 ようやく、言い訳をしようとする彼の唇を指先で制止する。

 那智の復讐に利用されて、迂闊な真似をしたこと。

 和奏は八雲の裏切りを本当に許した。


「何も言わないで。八雲さんの口から、浮気の謝罪も言い訳も聞きたくないです」

「……」

「悪いのはあの人です。八雲さんのことはもう許しましたから。でもね」


 お腹に手を当てて、母の顔をする和奏は言うのだ。


「私のことはいくら裏切ってくれてもかまいません。でも、生まれてくるこの子だけは裏切らないであげてください。お願います」

「……はい」


 浮気を謝罪されるのも、認められるのも腹立たしい。

 だが、一番大事なのは八雲が和奏の傍にいることだ。

 こんなことで、離れたくはない。

 そのためなら、罪を許し、受け止める。


「もうしないでくださいね。約束ですよ、八雲さん?」


 それがトドメとなり、八雲の人生はすべて和奏に捧げることになる。


「うぅ、和奏さん。我慢しないでいいんだよ? 引っ叩くくらいしても」

「そんなことはしません」

「だったら、私が代わりにしようか? 浮気は許しちゃダメ」

「……兄と付き合うようになってから、静流はずいぶんと変わった気がする」


 申し訳なさそうな静流に、「貴方のせいじゃないよ」と諭す。

 これは那智と和奏の問題なのだ。


「参った。こんな風に那智先輩に逆襲されるなんてね」


 過去の自分がした行為が一人の女の子の人生を狂わせたことは事実だ。

 反省も謝罪もしないが、少しばかりの罪悪感がないわけではない。


「自分のしたツケを払わされた気分だわ」

「……和奏さん」

「大丈夫。私は大丈夫だから」


 傷ついていないと強がっては見せたが、この傷が癒えるのは長くなりそうだ。

 やってくれたな、と胸元に手を当てて、心の痛みに耐える和奏だった。


 

 

 

 静流が姉の待つエントランスに向かったのは20分も後のことだった。

 

「お姉ちゃんめ。あんなことをして。あとでまたお説教を……?」


 だが、どうやら様子がおかしい。

 住人が数人集まって怪訝そうな表情で何か話をしていた。

 

「どうかしたんですか?」

「あぁ。今しがた、ここで女の子が倒れてな。今、救急車で運ばれた所だよ」

「ぐったりとして、意識も朦朧としていたし。大丈夫かしら、あの子?」

「……え?」

 

 無理をさせてこの場に連れてきたことを静流はずっと後悔し続ける。

 それは姉妹の関係を破綻させるもの。

 事態は思わぬ方向へと進みだすことになる――。

 

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