第13話:知ってた


 静流に那智と八雲の関係がバレた夜。

 無理やり、車に乗せられて彼らの新居へと向かうことに。

 助手席に座る那智は「気分が悪い」と訴え続ける。


「本当に、今日はやめてくれない? 私が悪かったわ」

「……ずるずる先延ばしにするのはよくない」

「ホントにまずいの。気分も体調も最悪だからさぁ」

「それは、悪いことをしたのがバレたからでしょう」


 姉の言うことをもう信じてもらえない。

 信頼を失った、それは自業自得ではあるのだけども。

 那智のセリフは静流にとって何一つ信じるに値しなかった。


――私がただ、嫌がってるだけと思われてるのねぇ。


 体調不良は本当なのに、それを演技だ何だと思われるのは困る。


「大人しくして。今日の私はかなり怒ってるの」

「見ればわかるわ」

「私、八雲先輩のことを引っ叩く気でもいます」

「……なんで静流が? それは和奏のすることでしょ」

「和奏さんはどんなに辛くても、彼を責められない。だから、私がするの」


 友情パワー炸裂。


――かわいそうに。八雲君、ごめんね。


 今日の静流は威圧的で彼女には止められない。


――大人しい子だった静流がこんな風に変わるなんて。


 女の子は好きな男の影響を受けやすいという。

 その元凶が彼氏だったら、いつかあの男を東京湾に沈めてやろう。


「というか、車の免許を持っていたんだ」

「大学には車で通う方が早いから」


 このまま、何事もなく安全運転を続けてもらいたい。


――修羅場に耐えられるかなぁ、私。


 この最悪な体調とメンタルで、あの悪魔と対峙するのは分が悪い。

 実際に会うのは数年ぶりだが、何度も悪夢を見続けてきた。


――できれば戦えるだけの余裕のある時にしたかったわ。


 あの顔を想像するだけでも、心をえぐられるような気になる。


「もうじき、和奏さん達の住んでるマンションにつくから」

「……今は実家を出て二人で暮らしてるの?」

「そう。結婚して引っ越したばかりなの。なのに、浮気するとか」


 八雲への怒りも相当な様子。

 険悪な雰囲気のまま、車がマンションにつくと、すぐさま和奏に電話をする。


「あ、和奏さん。私だよ。うん、こんな時間にごめんね」


 ちらっと隣の那智に視線を向けて、


「大事な話があってきたんだ。いいかな? うん、ありがと」


 部屋のオートロックを開けてもらい、彼女たちはマンションの中へと入る。


「逃がさないから。ついてきて」


 静流に引きずられて、エレベーターに乗った。

 上昇していくエレベーターの室内。


「わかってる? お姉ちゃんは全部、洗いざらい彼女に話して謝罪して」

「どうしても?」

「どうしても。そうじゃなければ許さない。もう料理を作ってあげない」

「……それは困るわ」


 リアルに那智が孤独死する羽目になる。


「八雲先輩にも謝らせてやる」

「人の恋愛事情にお節介で首を突っ込むとろくなことにならないわよ」

「大事な親友の不幸の原因が実姉なら、妹の私にも責任がある」


 これ以上は聞く耳を持たず。

 八雲の部屋につくと、出迎えたのは和奏だった。


「どうしたの、静流?」

「話がしたくてきたの。正直、話すかどうか迷ってた。でも、もう隠し続けられない。大切なことだから。八雲先輩もいるよね?」

「八雲さん? うん、いるけど……あら?」


 そして、静流の背後に無理やり連れてこられた那智の姿を見る。

 久々の宿敵との再会に、和奏も驚きの表情を浮かべた。


「もしかして、那智先輩? お久しぶり。ずいぶんと印象が変わった様子です」

「お姉ちゃんを連れてきたのにも理由があるの」

「よく分からないけど、中へどうぞ」


 何も事情を知らない和奏は不思議そうにしている。

 室内に案内されると、ソファーに座ってテレビを見る八雲がいた。


「八雲さん。静流たちが話をしたいんだって」

「どうも、八雲先輩。こんばんは」

「あ、あぁ。こんばんは……?」


 いつもと違い、トゲトゲしい物言いの静流に彼は異変を感じる。

 そして、なぜいるのか分からない那智と目が合う。


――ごめん。秘密の関係がバレちゃった。


 アイコンタクトで返事を返すと、彼はサッと顔を青ざめさせた。

 ふぅ、と小さく深呼吸。


――さぁて、最悪の相手との再会ね。どうしましょうか。


 ここはアウェー、一方的に責められて防戦になるとKO負けは確実だ。


――だからと言って、素直に謝罪する気にはなれないわよね。


 那智にとってもう二度と会いたくもなかった相手だ。

 しかし、こうして実際に向き合うと不思議と恐れも何もない。

 妊娠してふっくらとしたお腹の和奏。

 ベビー用品に囲まれた部屋を眺めた。


――あからさまに幸せいっぱいオーラ。この幸せ、ぶち壊したいなぁ。


 彼女の中にわずかながら残っていた、悪女としての心。

 このまま自分たちの行動を暴露されて、責められて。

 ただ、追い込まれていくだけの敗北は彼女らしくない。

 正直、自分のことはどうでもいい。


――でも、八雲君の未来を失わせるわけにはいかない。


 彼には可愛い子供を育て、人並みの人生を歩んでほしい。


――それくらいしか恩返しもできないから。うん、方向性は決めた。


 人生をぶち壊された恨み、せめて一矢くらいは報いたい。

 覚悟を決めた彼女はふっと口元に笑みを浮かべて見せた。

 それはかつて、悪女と呼ばれた少女の顔――。


「あははっ。“アンタ”のこと、忘れた日はなかったわぁ」

「……私は忘れてましたよ。貴方みたいな人のことなんて」

「そう。私はずっと覚えてた。アンタの不幸を願い続けて生きてきた」

「呪いなら他所でどうぞ。あいにく、私は幸せオーラで防ぎますけどね」


 その、幸せをぶち壊す。


「今日、来たのは妹に私の計画がバレちゃってさぁ。もういいかなって」

「何のことです?」


 那智は静流から携帯電話を奪い取ると、先ほどの写真を自ら晒した。


「幸せいっぱいのアンタに素敵なプレゼントをあげるわぁ」

「……え? これは」


 彼女に見せつけた写真は那智と八雲がラブホから出てくる光景の写真。

 さすがの和奏も予想外の展開。


「私、彼と寝てたの。一度や二度じゃないわよ。何度も大好きな人に裏切られてたなんて、思いもしてなかったでしょ」

「八雲さん……? 嘘、ですよね?」

「残念ながら嘘じゃないの。これが現実なのよぉ」

「貴方には聞いていませんっ」


 激しく揺さぶらせる、先制攻撃による主導権“イニシアチブ”は那智がもらった。


「私と八雲君。ずっとそういう関係だったのよ」

「お、お姉ちゃん。何をするつもり」

「静流が望んだことでしょう。すべてを話してあげる。そのために来た」


 そう言って彼女は和奏に近づくと、


「知らなかったでしょ。私と何度も関係を持ってたことなんて」

「……ッ」

「アンタが妊娠して相手してもらえないから、私と遊んでたの。ずぅっと何も知らずにアンタは幸せな気分で毎日を過ごしてたなんて、哀れだわ」


 キッと威嚇するような猫のような瞳が向けられる。


「その顔、素敵ねぇ。いいわ、いいわぁ。私、最高の気分。そうよ、そうなの」


 那智はぎゅっと和奏の肩をつかんで、顔を間近に近づけた。


「もっと見せて。私はアンタの苦痛に歪んだ顔を見たかったのよ!」

「ひどい人ですね。何年たっても腐った性格は直らずですか」

「私は私だもの。それに、人生をぶち壊された分、恨みは増大してるわ」

「ぶち壊したなんて。勝手に自爆しただけの間違いでしょう」


 普段ならば、和奏も反撃とばかりに言葉の暴力で倍返し。

 しかし、それができないのは動揺しているせいだ。

 八雲が裏切るはずがない、これは何かの間違いだと脳が否定を繰り返す。


「……知ってた」

「うん?」

「知ってましたよ。えぇ、貴方と八雲さんが何度か会ってたことくらい」


 嘘だ、気づいてさえもいなかった。

 生まれてくる子供のことばかり考えていて。

 さすがに八雲が浮気するなんて思わなくて。


――無理しなさんな。アンタのメンタル、完全にヒビが入ってるでしょ。


 指先が震えるのを見て、那智は自らの有利を確信する。


「前に言ったでしょう。浮気はされる方が悪い。隙を見せたら負けだって」

「……」

「幸せな日々、愛する人と過ごす時間。何も疑うわけもない。それがアンタの見せた隙。私と密会して、逢瀬を重ねてたこと、本当に気づいてた?」


 関係を持つ前から、八雲は何度も彼女のもとを訪れていた。

 そのことすらも、和奏は本当に知らない。

 そういう意味では八雲はひどい男である。


「これは私の復讐よ。いつか痛い目を見せてやろうって思ってたの」

「こんな真似をするのが復讐ですか」

「そうよぉ。アンタの心に忘れられない傷をつけたでしょう」

「そのために、八雲さんを利用した?」

「もちろん。あぁ、これだけははっきりと言っておいてあげる。私は愛人じゃない。彼との関係は全部、復讐だけのもの。愛なんて微塵もなかったわ」


 よかったわねぇ、と耳元に囁くと、


「ふざけないでくださいっ」


 どんっと身体を押して、和奏は那智と距離をとる。

 怒りは冷静さを失わせ、正常な判断力を低下させる。


「そんなことのために、貴方は八雲さんと関係を持ったんですか?」

「十分すぎる理由でしょう? 私はアンタが嫌い。憎い。私の夢、未来、人生をぶち壊してくれたこと。ずっと恨んでたの。最高の仕返しができたわぁ」

「……過去を引きずってばかりの哀れな人ですね」

「加害者には被害者の気持ちなんて理解できない。だから、思い知らせてあげた」


 効果は抜群、一生、彼女に消せない傷をつけられた。


「ざまぁみろ、と言いたい気分。正直、私の誘惑程度にころっと落ちる彼も彼。あぁ、男ってホントに気持ち悪い。性欲ばかりで自分勝手で……」

「八雲さんのことを悪く言わないでください!」


 彼女が声を荒げたのは八雲の悪口を言われたからだ。

 自分のことはしょうがない。

 油断も隙もあって、悪意のある人間が近づいていた事に気づけなかった。

 しかし、八雲だけは否定させたくない。


「はぁ? 愚かな旦那に嫌気がさしたんじゃないの?」

「貴方は復讐だといいましたね。こんなことで、私と彼の関係が壊れてしまうと思いました? いえ、何も変わりませんし、壊れたりしません」

「……?」

「彼が私を裏切った罪。悲しいですけど、私はすべてを許します」

「何をいまさら。浮気してた、騙してたことを全部許すって?」

「はい。残念でしたね、那智先輩。貴方の人生を賭けた復讐は無意味です」


 彼に対しての怒りの感情はない。

 あるのは、目の前の悪女に向けるものだけだ。


――ホント、この子はそういう根っこの部分は変わらない。呆れる程に純粋だわ。


 敵ながらそこだけはある意味で評価できる。

 震える感情を押さえつけて、彼女は言い放つ。


「私と貴方とは違うんです。愛の重みも、愛の力も。私は八雲さんを愛してます。この愛を信じてます。何も信じられない貴方と違う」


 愛する人がどんな罪を犯しても、全てを許すことが愛なのだ――。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る