第12話:秘密の関係


 あまり、他人に興味を持たないと思われる那智だが実は違う。

 彼女は本当に気に入った人間を“愛する”癖がある。

 それは男女問わず、友情はすぐに愛情に変わる。

 だが、その愛は報われることはない。

 これまでも、ずっとそうだった。

 彼女の愛した人はいつだって彼女の前から姿を消す。

 それは、神原八雲も例外ではなく。

 愛した存在が消えるという、嫌なジンクス。

 だからかもしれない。

 今度だけは未練を残したくない。

 神原八雲という愛する男を求める。

 彼と自分が混ざっていく感覚が、愛しく思えて心地いい。

 その先に未来がないとわかっていても、彼女はもう止まらない。

 行動の結果を後悔してもいい。

 何もしなかった、よりはずっとマシだから――。

 

 

 

 

 八雲と関係を持ち始めて、数ヵ月。


『貴方を離したくない』


 和奏と結婚した彼との関係は継続していた。

 彼女が望んだ関係を、八雲は受け入れてくれる。


――男の子って、どんな時でも女の子に言い寄られると弱いのかしら。

 

 裏切りの理由を、那智は彼から聞いたことはなかった。

 同情か、性欲か。

 単純に彼女への愛情ではないのだけは確かだ。


――あの人の本命は和奏だもの。


 心を自分に振り向かせるなんてことは思ってない。

 彼の気持ちは計り知れなくても、那智が求めてれば応えてくれる。


――理由なんて求めていないし、それだけでいい。


 終わりの見えている関係だから。

 今はただ、幸せな時間を楽しめばいい。

 

 

  

 その終わりは、思わぬ形で訪れた。

 ここのところ、那智は体調不良で寝込むことも多かった。


「気分はあまりよくないわね」


 日陰の人生ゆえの体の不調、いつものことだと誤魔化した。

 今日は八雲と会える日なので、身支度する。

 着替えを終えて、出かけようとすると、妹の静流が声をかける。


「……お姉ちゃん。どこに行くの?」

「少し、外に出てみようと思って」

「そう。最近、自分から出かけることも多くなったよね」

「おかげ様で、ずいぶんと回復したわ」

「……本当にそれだけ?」

「どういう意味かしら?」


 いつもと違い、どこか静流の表情は少し冴えない。

 真っすぐと那智の目を見て彼女は言う。


「何でもない。今日は顔色がよくないけども大丈夫?」

「元気がないように見える? 大丈夫よ。それじゃ、行ってくるわ」

「うん、無理しちゃダメだよ。いってらっしゃい」


 心配してくれる静流に「ありがとう」と礼を言って出かける。

 背後から向けられている視線には気づかなかった。


「……お姉ちゃん」


 寂しそうな、それでいて、何かを怪しむような瞳だった。

 

 

 

 

 その日は八雲とランチを一緒に食べて、街中を散策。

 最後はいつものように、那智の方からホテルに誘い関係を持った。


「……気分の悪い日にするものではなかったかもしれない」


 頭の中が二日酔いのようにグルグルして、ちょっと後悔。

 家に帰る頃には、体調は最悪になり、すぐにでも眠りたい気分だった。


「ただいま」

「おかえりなさい、お姉ちゃん」


 玄関で待ち構えていたのは静流だった。


「どうしたの、静流」

「お姉ちゃんを待っていたんだよ」

「何か用かしら。でも、ごめんね。私、もう横になって休みたいの」

「……話がしたんだ。ちゃんとした話」

「それは今じゃなくてはダメなの?」


 気分の優れない那智はため息がちに静流の方を見る。

 その目を見て、びっくりした。


「――ッ」


 彼女は姉の方を強い瞳で睨みつけていたのだ。

 怒りなのか、悲しみなのか。

 それとも両方の感情が込められていたのか。

 仲が良く、喧嘩もほとんどしたことのない姉妹。

 そんな目を向けられるのは人生で二度目。


――もう二度と、そんな目をしてほしくはなかったわ。


 一度目は“例の事件”の時だ。

 

『信じたくなかったよ、お姉ちゃん』


 和奏の陰謀で那智の本性を妹に見られたときだ。

 他人の恋人に手を出し、人に嫌がらせをするような卑劣な真似をした。

 そのことを責められた時と同じ。


――まさか、この子……。


 すべてを感づかれたのだと気づく。


「話を聞きましょうか。リビングでいい? とりあえず、座らせて」


 ソファーに座ると彼女はもたれかかるようにして、

 

「態度が悪いように見えるけど、ごめんなさい。これが精いっぱい」

「……そのままでいいから聞いて。お姉ちゃん、これはどういうことかな?」


 彼女は携帯電話を取り出すと、それを那智の方へと見せつける。

 そこには一枚の写真が表示されていた。

 まぎれもなく、ラブホテルから出てくる那智と八雲の姿だった。

 浮気写真というものを自分が撮られるような日が来ると想像していなかった。


「あらら。いつから静流は探偵さんになったのかしら」

「茶化さないで。お姉ちゃん、私は怒ってるんだよ」

「怒られること、私はしてる?」

「してるじゃないっ!」


 声を荒げる彼女に「怒らないでよ」と肩をすくめた。


「最初は八雲先輩と楽しそうにしてるだけだと思ってた」

「ところが、そうじゃなかった?」

「ここ最近、様子がおかしく思えたから。気になってあとをつけたの」

「そっかぁ。それは迂闊。全然、気づいてなかったわ」

「今日は二回目なの。この前、ついて行ってびっくりしたよ」


 最初は単純に姉が心配だったのだ。

 だが、那智が思わぬ行為をしてることを知ったときの絶望感。

 自分の姉が大事な親友の旦那と浮気していたなんて、信じたくはなかった。


「八雲先輩、結婚してるのは知ってるんだよね?」

「もちろん」

「だったら、どうして。ううん、結婚してなくてもダメなんだけど。彼のことが好きってこと? 触れ合う内に好きになっちゃった?」

「どうかしら? 私と八雲君がそういう関係だとしたら悪いこと?」

「え? わ、悪いに決まってるじゃない」


 彼女からすれば、自分の望むようにしているだけにすぎない。


「八雲先輩も八雲先輩だけど、和奏さんを傷つけるような真似をするなんて」

「だって、人間だもの。浮気くらい誰でもするわ」

「……お姉ちゃんから誘ったの? ねぇ、どうしてなの?」

「どうして、か」


 理由なんて、あるようでない。

 彼を求めている自分がいて、ただその心に素直になっただけだ。


――八雲君が欲しい。それだけなの。


 それを説明した所で、理解してもらえるわけもないのでやめておく。


「お姉ちゃん。もうやめてよ、こんなことやめて」

「そんなに浮気っていけないこと?」

「当然でしょう」

「世の中のみんな、別に普通にしてるじゃない」


 今どき、不倫だ、浮気だと珍しいことではない。

 どこの家庭でも普通にありえる、それが人の性だから。


「和奏さん、妊娠してるんだよ。結婚したばかりなのに」

「だから、“隙”が生まれるの。幸せだからこそ、油断する。浮気ってされる方が悪いんじゃない? 隙を見せた方が悪いのよ」

「そんな言い方をしないでよっ」


 淡々とした那智の言葉に今にもつかみかかりそうなほど、静流は苛立つ。


「……このセリフ、二度目かしら。そう、かつて、八雲君の恋人を奪った時のセリフだったわ。ふふっ、何の因果かな」

「笑い事じゃないから。自分のしでかしたことの重大さを理解してる?」


 軽薄な様子に静流は怒りをぶつけてくる。

 こんな感情的な彼女と向き合うのは初めてかもしれない。


――この子も強くなったなぁ。成長してるのねぇ。


 ある意味で関心してしまう。

 昔の彼女は自分の意見をはっきりと言えるような子もでなかった。

 那智が引きこもり、殻に閉じこもってる間に時間は流れ過ぎ去っていっていた。

 

「私はお姉ちゃんを軽蔑する」

「それはとても寂しいわ。また部屋に引きこもる。ぐすんっ」

「ふざけないでっ」

「はいはい。で、この写真をどうするつもり? 和奏に見せつける?」

「それは……」


 身重の彼女にこの真実を突き付ける。

 それはとても酷なことではないか。

 躊躇い、迷いつつも「黙ってはいられない」と彼女は決断する。


「お願い、お姉ちゃん。もう彼との関係はやめて」

「どうしようかな」

「やめて。これ以上、お姉ちゃんのことを嫌いにさせないで」


 大好きな姉の裏切りをもう許すことはできない。


――さて、どうしましょうか。


 那智自身はかなり冷静な方だった。

 焦ることもなければ、慌てふためく様子もない。


――いつか来ると思ってた日が思わぬ形で来ただけ。


 妹に追及されるとは想定外ながらも、この事態は想定内だ。


――それよりも体調不良が悪化気味。これはまずい。


 せめて後日にしてもらえたら、と思いつつ、


「わかった。もうやめます。ごめんなさい」


 両手をあげる降参ポーズをして、


「彼との関係を解消することを誓います」

「本当に?」

「ただ、私は寂しかっただけなのよ。彼だけが私にとって、優しさを向けてくれる男の子だった。だから、彼に甘えてしまった」

「……お姉ちゃん」

「大倉和奏に悲しい思いをさせてしまう結果になったのは申し訳ないわ。謝ります」


 なお、そのセリフだけは心の底から思ってすらない。


「甘えたいと思っただけなのよ。私も女の子だし、このまま干からびていくのも嫌だなぁって。女としてみてくれる相手を求めるのは悪いことではないでしょ」

「……私は八雲先輩とお姉ちゃんをそういう意味で紹介したんじゃない」

「うん。人って弱いから。つらいときに手を差し伸べてくれたら、つい心も体も許しちゃう気にならない? 反省してまーす」

「今のお姉ちゃんの言葉、どこまで信じていいかわからない」

「私はあなたに嘘はつかないのに。というわけで、この件は内緒にしておいて」

「ダメ。今、決めたわ。私、ちゃんと和奏さんに伝える」

「……それはそれで、あの子をとっても傷つけるのに?」

「ここでしっかりと関係を断ち切らせないと手遅れになるもの」


 静流の強い決断、それは大好きな姉にこれ以上、過ちを起こさせたくない。


「今から、和奏さんのところへ行こう。そして、全部話して」

「え? だ、だから、体調不良だって言ってるじゃない。せめて、明日にして」

「今じゃないとダメ。反省してるなら、その気持ちを伝えて」

「……いや、ホントに。今日は勘弁してほしいのに」


 げんなりとする那智を無理やり静流は彼らのもとに連れて行くのだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る