第11話:バッドエンド、確定でも


「人って弱い生き物だと常々感じるわ」

 

 公園のベンチに座りながら那智は嘆息する。


「一度壊れたガラスと同じ。心って完全には元に戻らないのね」


 いつまでも、八雲が傍にいないと外に出られないのも困りものだ。

 彼は来月には結婚する。

 そうなれば、こんな関係は続けられない。


――今の時点でもあの女に気づかれたらアウトなのだけども。


 二人の関係、和奏にまだ気づかれてはいないようだ。

 あえて、そういう日を選んで八雲も彼女に会いに来ている。


――ふふっ。まるで浮気相手に会いにくるみたい。


 それは、それで複雑な気持ちになる。

 彼女なりに考えていることはある。


「人の多いところはやっぱりダメかも。私、日陰の人生を送るわ」

「暗い顔をして言わないで」

「どんな日陰でも生きていける。そんな人には私はなりたい」

「なっちゃダメです」


 八雲が励ましながら隣で苦笑する。

 人生をやり直せるなら、和奏に出会う前に戻りたい。


――絶対に関わらない。そうすれば、何も失うこともなかったのに。


 彩萌や静流、夏南との仲も順風満帆だったはずの自分自身の人生も。


――何ひとつ狂わされることもなかった。


 大倉和奏とは初めから関わってはいけなかったのだ。

 だけど。


――神原八雲には違う形で会っておきたかったなぁ。


 例えば、恋人として、とか。

 そう思える自分がいるのが不思議でたまらない。


「あーあ、過去に戻れたらいいのに」


 まったく、思い通りにいかない人生だ。

 こんはなずではなかった、と悔やんだところで意味はない。

 だが、未来を変えるための行動、なんてものを簡単にできるはずもなく。

 一度ずれた軌道は修正できないものだと小さく嘆息する。


「人生ってこんなものなのかな」

「那智はどんな夢を持っていたんだ?」

「そうね。私、子供の頃はお医者さんになりたかったのよ」

「医者に?」

「私の父のように、誰かを助ける仕事がしたかった」


 不仲で顔を見るのも嫌な父親だが、かつては憧れを抱いていた。


「医者か。那智の成績なら十分になれたかもな」

「……高校中退、最終学歴が中卒ニートの引きこもりじゃ無理だけどね」


 夢は儚く散って、現実は厳しい。

 それも人生だと諦めに近い気持ちを抱く。

 見上げた空はまさに今にも雨が降りそうな曇り空。


――私と一緒。どんより曇って、最悪なお天気。


 空模様と共に気分も沈む。

 八雲の結婚発言は自分が思っている以上にダメージを与えているようだ。

 何を考えても、後ろ向きにしか考えられない。


「そうだわ。海外に出ていくのもありかも。気分を変えれば人生が変わる」

「現実逃避しだしたよ」

「私、こう見えても英語は得意なのよ」

「あのね、那智。海外でも人付き合いって大事なんだぜ」

「……そうだった。私、対人関係スキルがE-だったわ」


 げんなりしてると、八雲は「気分を変えるのはありだな」と笑う。


「そうやって、那智が前向きな考えを持てるようになったのは進歩だ」

「そうね。日陰を歩く人生、目指してみようかしら」

「いや、そっちはやめようぜ。キノコしか友達できない」

「ひどい、傷ついたわ」

「日陰なんて歩かず、太陽と友達になろうぜ」

「私の場合、太陽は常にご機嫌ななめだもの」


 子供たちが遊ぶ声に視線を向ける。

 自分があれくらいの頃、将来に夢も希望も抱いていた。

 当然のように、明るい未来が待っているのだと信じていた。

 現実はそんな展望を裏切ってくれたけども――。


「そんな、都合のいい未来なんて私にはこないのに」


 現状、那智の人生は灰色でバッドエンド確定ルートなのだ。

 どこかで何かを間違えて、どこかでルートを外れてしまった。

 やり直しのきかない、バッドエンドルートは回避もできない。

 この先に待つのは結末はひとつ。

 どうせ、何をしてもダメなのだと諦めの気持ちが支配している。

 ふいに空を見上げると「あっ」と声を上げた。

 

「那智?」

「……雨が降ってきたわ」


 小粒ながらも、地面を濡らしていく雨の雫。


「あー、天気がもたなかったか」

「時間切れね。本降りになる前に移動しましょう」


 のんびりと公園デートの時間はおしまい。

 濡れてしまう前に繁華街の方へと移動する。

 人通りの多い場所になると、那智はすぐに八雲にすり寄る。

 それは恋人のような光景にも見えるが、実際は彼女のメンタル的な問題だ。

 対人恐怖症、一度刻まれたトラウマが消え去るものでもない。

 人の多い場所にいくほど、那智の心のモヤモヤも増大する。


「大丈夫か。このままじゃ雨に濡れるな」

「どこかに入りましょ」


 そんな時は八雲の手を繋いでみたり、彼に触れることで安心感を得る。


――恋人のように。そんな甘い関係ではないのだけども。


 こういう時間は嫌いではない。


「ねぇ、人の親になるってどんな気持ち?」

「は?」

「この年で、パパになるわけじゃん。気になるでしょ」


 意地悪っぽく言う那智の質問に彼は笑いながら、


「生まれてくる子供のことは楽しみだよ」

「人の親になるんだもの。責任も重大ね」

「子供に好かれる親になるように努力はするさ」

「八雲君は子供に甘そうだなぁ」

「ただ、もう少し、先でもよかったんです」


 現実問題には苦い表情を浮かべる。

 高校卒業して、就職して数年。

 まだ結婚して子育てというには生活基盤ができあがってはいない。

 個人的にはもう少しだけ先延ばしにしたかった。


「みんなが大学生で自由を謳歌している間、貴方は子育てで忙しくなる」

「まぁね」

「自由を満喫する友人たちを羨み、子供を早く作ったことを後悔する日が来るかも」

「い、いろいろと時期尚早だったのは認めます」


 しかし、できてしまったものはしょうがない。

 生まれてくる子供を最大限の愛情をもって育てるだけだ。


「……子供かぁ」


 自分には縁のない話。

 いつか、遠い未来でも、手にする日は来るのだろうか。


「私も欲しいな」


 女としての願望くらい那智にもある。

 ふと漏れた自分の想い。


――そっか。迷う必要なんてなかったかもしれない。


 以前から、心の中に芽生えていたものがある。

 それを自覚しつつも、認めようとしてこなかった。


――私は彼のことが……好き。


 八雲との関係はまもなく終わろうとしている。

 いつまでも、続いてほしいと思っても、しばらくすれば何もかも失う。


――そうよ。何も、後のことを考える必要なんてない。どうせ終わりだもの。


 失うものがない人間が行動するとき。

 それは、思いもよらぬ行動に出てしまうことがある。


――いつもそう。私の好きなものは、私の手に届かなくなる。


 これからもそうなのかもしれない。

 どのみち、後悔するのなら――。

 本格的に降り始めた雨は、彼らの衣服を濡らす。

 雨の冷たさが染み込んでくる。


「八雲君」


 ぎゅっと、八雲の背に彼女は抱きついた。


「那智?」


 背後から抱きしめられて、八雲は戸惑いながら振り返った。

 しがみつく那智の手は震えつつも、彼を離さない。


「どうした、やっぱり体調が悪いのか?」

「……ん」

「おい? どうし――?」


 た、と言葉を続けようとする八雲の唇を、那智は自らの唇を触れ合わせていた。


「――っ」


 見上げるのは潤んだ那智の瞳。

 触れる唇。

 伝わる温もりに彼女は自分を抑えられない。


「やっぱりダメよ。私は、貴方と離れたくない」

「お、おいっ。なにを」

「……八雲君、私を一人にしないで」


 だから、過ちを犯す。

 静かに降り続ける雨の夜。

 この日、那智の人生の“バッドエンド”ルートが確定した――。

 

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