第10話:まもなくこの関係が終わります


 さらに一年という時間が過ぎていた。

 まもなく二十歳を迎えようとしている。

 そんな那智の人生を大きく変える出来事が起きようとしていた。

 それは、八雲のある一言から始まった。


「――俺、結婚することになったんだ」


 今日は天気が悪いために、外には出られず。

 那智の部屋でのんびりとティータイムをしていた。

 ふたりで紅茶を飲んでいたら、彼の口からそんな発言が飛び出した。


「冗談?」

「マジです」


 ふわぁ、と布団の上で愛猫のポテトがのんきに欠伸をする。


「……そう、結婚するんだ」


 そっと猫の頭を撫でながら那智はそう呟く。


――意外な事でもなんでもない。いつかはこうなると思ってたし。


 八雲はこの一年間、機会を見つけては那智の元を訪れてくれていた。

 話相手として接してくれて少しずつ、彼女の精神状態は回復しつつある。

 なんとか、引きこもりを脱するところまできていた。


――ついに来たのね。


 いつかは来ると感じていたもの。

 それは、この居心地のいい関係の“終わりの日”。


「和奏と結婚する。時期的には来月くらいになりそうだ」

「へぇ。ちなみにそれは、するの? させられるの?」

「……それを聞かないでくれ」


 苦々しい顔をする彼である。

 かねてから交際を続けてきた和奏も数ヵ月前に高校を卒業した。

 結婚しても、何の障害はない。

 

「分かり切っているけども、一応、聞くわ。いきなりの理由は?」

「……和奏との間に子供ができました、です」

「想像通り、デキ婚かぁ。現役JKを孕ませてたとか。犯罪者じゃん、貴方」

「JK時代はさすがに。卒業後だと思うんですが、多分」

「ホントに?」

「どちらにせよ、俺の計画とは違うものだったんだ」


 八雲もいずれは和奏と結婚するつもりではいた。

 まだ社会人としては新米で遠い未来の予定だった。

 それが思わぬ形で前倒しになってしまったのだ。


「大倉和奏の陰謀か。あの子の策略にまんまとハメられたのね」

「うぐっ」

「まったく、女の子の言う“安全”とか“大丈夫”とか信じるからそうなるの」

「返す言葉がひとつもない」

「安全、大丈夫。そんな日って、限りなく可能性が低いだけだもの」

「はぁ。前から卒業後には結婚したいと言われてたんだけどさ」


 まさか、卒業後にすぐにするのはいろんな意味で問題でもある。


『先輩、出来ちゃいました(はぁと)』


 数日前に聞かされて頭が真っ白になったものである。

 すぐさま、相手の親元へ行くことになり結婚という流れに。

 あっというまの数日間であった。


「……相手の逃げ場なくして、徹底的に追い込む。大倉和奏のずるいやり方。私もそれにやられて、人生バッドエンドよ」


 敗北者としての現実。

 今の自分が思い通りにいかない人生を歩んでいるのは大半が彼女のせいだ。


「貴方までそんな落とし穴にハマるとはね」

「気を付けてはいたんだけどね」

「ふふっ。やられたとか思ったでしょ。やったのは貴方の方だけども」

「わ、笑いながら言わないでくれるかな。俺に油断があったのは認める」


 うっかりと、和奏の話にのせられてしまった。

 その油断は過ちという形で現実となった。


「油断はした方が悪いと思うわぁ」

「……です。彼女の言葉を信じたのは俺の失態だった」

「どちらにしても、早々に人生の計画を狂わされちゃったわねぇ」


 それは和奏にとってはまさに「計画通り」なのだろうが。


――まったく、相変わらずというべきかしら。


 虎視眈々と機会を伺い、ここぞというタイミングで、相手を倒す一撃を放つ。

 それが大倉和奏というスト子である。


――恋人相手にも容赦ない子だわ。


 かつての自分も似たような目に合わされたのでよく分かる。

 ゆっくりと紅茶を飲みながら那智は言う。


「もう少し前に発覚して、あの子も高校中退になればよかったのに」

「やめてください。リアルJK時代なら俺が社会的に死ぬ」

「面白くないわぁ」


 微笑を浮かべつつも、彼女は唇を尖らせて、


「……大倉和奏はさぞ、幸せ気分を満喫中なんでしょうね」

「まぁね」

「好きな相手と結婚して、子供もできて。幸せそうでムカつくわ。私、貴方たちにお祝いの言葉なんて一言もかける気はないので、あしからず」

「だろうね」


 まだ妊娠も初期なので、性別は分からない。

 

「でも、子供の名前はもう決めてるみたいだ」

「どんな名前?」

「男の子なら“奏太”、女の子なら“恋奏”だってさ」


 時に、親は子に自分と共通の文字をいれたがる。


「確か、それって親を越えられなくなるからやめた方がいいって言わなかった?」

「……そんな迷信もあるような。でも、越えられなくても別にいいだろ」

「そうね。それに貴方程度なら、子供は簡単に超えられるはず」

「言い方がひどいんですが。俺も傷つくよ。あと、別に俺の名前は入ってません」


 誤爆でえらい目にあわされている。

 キラキラネームをつけられて、可哀想な人生を歩まないように。

 結局、子供がその名前を気に入るかどうかが問題なのだ。


「自分の名前の奏でるを使いたがるとか。音楽に縁でもあるの?」

「あの子のお母さん、昔、ヴァイオリニストを目指してたんだって。その関係で昔から音楽とか好きだったみたいだよ。自分の名前も気に入ってるらしい」

「そうなんだ? 貴方がカッコつけでバンド活動をしてたのも縁かもね」

「放っておいて。どうせ、俺のギターは下手くそでしたよ」

「文化祭、貴方の素敵なライブを聞かせてもらったわ。あの時にさぁ」

「も、もう勘弁してください」


 将来、子供が音楽と縁を持つかは別としても。

 和奏としては“奏でる”という文字に思い入れがあるようだ。


「恋を奏でる、か。私ならキャサリンとかレベッカとかつけたい」

「猫の名前と一緒にするのはやめようぜ」

「あら、ポテトもサラダも、可愛い名前をつけてあげたつもりよ」

「……さいですか」


 ポテトもサラダも、猫たちにとっては気に入ってるかどうかは微妙だ。

 独特なネームセンスを持つ那智である。

 

「将来、キミの子供の名前が普通であることを祈るよ」


 それゆえに、とても心配な八雲であった。


「にゃー」

「ほら、ポテトも気に入ってるよって答えてるわ」

「さっきから欠伸してるし、単純にお昼寝したいって感じだけど。あっ」


 案の定、彼女のベッドの下に潜り込んでしまう。


「こら、ポテト。そんなところに入っちゃダメ。埃だらけになるでしょ」


 猫を引きずりだして、部屋の外へと出す。


「眠いなら自分の寝床へ行きなさい」

「ふにゃー」


 ポテトは自分のお気に入りの寝床へと向かっていく。


「猫ちゃんのしつけはきっちりできてるようで」

「自分の好きなように生きてるだけ。マイペースな子だって言ってるでしょ」


 それにしても、面白くない。

 自分の人生と比べて、何とも大差をつけられた気分だ。


――こっちは引きこもり。憎き相手は結婚間近。最悪ねぇ。


 和奏の事を考えるだけで気分が悪くなる。


――あの子を不幸にしてやりたい。


 そんなことをつい考えてしまう。


「面白くないのは事実よね」

「那智?」

「何でもないわ。もうすぐ、この関係も終わってしまうんだなって思っただけよ」

「それは……」


 結婚するのならば、いつまでもこんな関係は続けられない。

 自分の子供が生まれたら、他所の女と遊んでる場合でもなくなるだろう。

 那智としてはせめて、外の世界へ自由に出られるようにはなりたい。

 メンタル的に回復はしていても、対人恐怖症のすべてが治ったわけではない。

 八雲が与えてくれているのはきっかけだ。

 外の世界に再び触れることで那智の恐怖心と不安を取り除く。

 少しずつでも元の生活に戻れるようにしてくれている。


――今、彼を失うのは、私にとっては痛手だわ。


 自分ひとりでは一歩を進めず、立ち止まってしまうかもしれない。

 そのために、もう少しだけ、彼と一緒にいる時間が欲しい。


「……どうやら、時間は限られているみたい。今日、あいにくのお天気だから外には行きたくなかったのだけど、行きましょうか」

「天気予報じゃ雨が降るかもって話だっただろ?」

「その前には帰ってくるわ。ほら、付き合って」


 彼女は八雲に手を差し伸べる。


「しょうがないな。行きますか」


 その手を握りしめると、笑って彼らは立ち上がる。


「さぁて、今日はどこにする?」

「そうね。せっかくだから……」


 もう少しだけ、この時間を続けていきたい。

 それは那智の願望だった。


「……おめでと」


 彼には聞こえない小さな声で呟いた。

 大倉和奏は大嫌いだが、神原八雲にはとても感謝している。


――こんな私を気にしてくれているんだもの。


 彼にだけは幸せになってもらいたい。

 素直になれない少女の、素直になれない感謝の言葉だった――。

 

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