第8話:止まってしまった時間


 八雲の従姉が経営する美容室。

 那智を連れて行き、彼女の髪をカットしてもらう。

 とはいえ、いきなり、ボサボサの髪の毛の少女を連れてきたのだ。

 さすがに従姉も驚きの顔を隠せない。


「……や、やっちゃん。まさか貴方、少女監禁でもしてたの?」

「引き気味に言わないで。そんな事実はありません」

「いや、普通にびびるわぁ」

「俺が犯罪者みたいな目でみないでくれる?」

「電話で来るって聞いてたけど、予想以上ですわぁ」

「お仕事してください。ワケありなんだよ」


 自分が逆の立場なら、ドン引くのも無理はない。

 ずっと引きこもりだったという、事情を話すと、


「なるほど。そういう事情なら、任せなさい。私が美人にしてあげる」


 ずいぶんと長くなった彼女の髪。

 自分で前髪程度しか切ることもなかった。

 人に髪を切ってもらうのはかなり久しぶりのことだ。


「ねぇ、キミ。長さとか、こだわりは?」

「……」

「んー? 好みとかは特にない感じ?」


 他人と話すのがすっかりと苦手になってしまった。

 心に受けた傷は大きく、知らない相手には返事すらも返しづらい。

 寡黙な那智の反応に「?」と不思議そうな顔をされる。


――言葉が出てこない。ここまでとはね。


 人と触れ合うことの怖さを知った。

 それゆえに、言葉を発するのを身体が拒絶する。


――でも、八雲君とは普通に話せたのに。


 なぜ、八雲とは普通に、それも自然に話せたのか自分でも不思議だ。


――皮肉ね。今の時点で心許せる相手が因縁の相手だなんて。


 かつての敵も、今は唯一の味方であり、理解者でもある。


「……八雲君」

「了解。全部、任せるってさ。とびっきりの美人さんに戻してやって」


 察した八雲が代わりに返事をする。

 

「そう。じゃ、好きにさせてもらうわね。ふーん、ノーメイクでこんな感じなら、相当の美人な予感。さて、どうしてあげましょうか」


 好き放題にできると思うと美容師としての腕の見せどころ。

 手慣れた手つきで彼女は那智の髪をカットしていく。

 髪が切られていくのは、引きこもりの時間がと決別されていくようなもの。


――少しだけ心が楽になっていく感じがする。


 しばらくして、「こんな感じかしら?」とカットを終えた。


「おー、すごいね。いいじゃん、那智」


 鏡に映るの那智は綺麗に調髪されて、元の美少女に戻った。


「……」


 長髪の大人しい印象を抱かせる髪型。

 学生時代はショート系の髪型だったため、多少の印象が変わる。


「まるでモップ犬がトリミングされて綺麗に、いたっ」

「やっちゃん。キミはアレか。お世辞が下手か」

「……すみません。照れくさくなるほど、美人になったもので」

「まったく。女の子に何てことを言うのかしら、この従弟は」

「俺、女の子を褒めるのが下手だとよく言われます」


 彼女は呆れつつも「どう?」と那智に尋ねる。

 小さく頷くと、安堵の表情を見せた。


「よかった。気に入ってもらえたようね」

「お見事、さすがです。あ、会計だね。お値段は?」

「……ぼったくってもいい?」

「従弟からお金をむしり取ろうとするな」

「冗談よ。サービスくらいはしてあげる」


 従姉弟同士がそんなやり取りをするのをよそに、


――久しぶりに自分の顔を見た気がする。


 那智は自分の顔をじっくりと鏡で見る。

 最近は鏡を見ることすらなかったのだ。


――これが今の私?


 髪型は整えられても、頬は痩せ、かつてのような活気も感じられない。

 顔色もよろしいとは言えず、すっかり変わってしまった。


――昔と全然、違う。私、まるで別人みたいね。


 一年間も人と接触する機会をなくしていたのだ。

 仕方ないとはいえ、愕然とする。


――私は何をしてきたんだろう。何を、して……。


 失った時間。

 自分の現状を改めて確認すると、ショックを受ける。

 

「おーい、那智? 次の場所へ行くよ」

「……」

「寝ぼけてるのか? あぁ、綺麗さが戻った自分の顔に見惚れてるとか」

「自惚れるほど、自分の顔は好きじゃないわ」

「美人さんなのに、もったいない。では、行こうか」


 強引な八雲には慣れた。

 というよりも、抵抗を諦めたという方が近い。

 今の彼女は自分で歩くのも大変なのだ。

 正直、彼なしでは外を出歩けないのも事実だった。


「ねぇ、キミ。久しぶりに外に出たの?」

「……」

「だったらさ、もっと上を向きなさい。そう、顔を上げて前を見る。キミはとても素敵な顔をしているのだから、もったいないわ」


 彼女は笑みを浮かべながら那智の容姿を褒める。


「せっかく、再び外に出られたんだから。もっと、今の時間を楽しみなさい」

「……は、い」

「よろしい。ふふっ、まだまだ若いんだから。人生くらいやり直せるわよ」

「二十代後半の方が言うと重みがありま……いえ、何でもないっす。さ、さぁ、お姉さんが怖い顔をしてるので行こう」


 お店を出てから、言われた通りに視線をあげる。

 顔を俯かせるのをやめると、八雲の顔がはっきりと目に入った。

 さっきまでは、視線を合わせずらくて何となくでしか見ていなかった。


――ずいぶんと、男の人になったのね。


 改めて顔を見て、そう感じる。

 最後に会った時よりも男子っぽさが薄れ、男の人という感じになっていた。


「八雲君、ずいぶんと大人びたわね」

「は? おっさんくさくなった?」

「……そうは言ってないわ。少年らしさが抜けてきた、というべきかしら」

「あー。まぁ、一応、これから社会人になるからな」

「社会人? 貴方、大学にはいかなかったの?」


 それは意外だった。

 八雲は成績がほとんど那智と変わらないほどだったのだ。

 中学時代から優秀であり、当然、大学も行くと思っていた。


「一応、公務員ではあるけどさ。就職することにしました」

「……そうなの?」


 理由を聞こうとしてやめておく。

 それぞれの人生だ、何かしらの理由はあったのだろう。


「そんなことより、お花見しようぜ。ここからだと公園の方がいいかな」

「ま、待って」


 彼女は八雲を制止する。

 向かおうとしている公園はお花見シーズンには賑わう。

 今の自分が人の多い場所に向かうのは辛い。


「出来れば、人の少ない場所に行きたい。……まだ怖いのよ」


 引きこもりになったのは対人恐怖症だからだ。

 人と触れ合うのも、人と話すのも苦手になってしまった。

 こうして、八雲に連れ出されなければ外に出ることもなかった。


「さっきもほとんど返事できなかったわ。まだ無理」

「そうだな。何でも急いたらダメだよな」


 そう言うと彼は「こっちに行こう」と連れて行く場所を変える。

 小さな川沿いに桜が咲く。


「ここなら大丈夫だろ」


 他に誰もいないのを確認してから、柵にもたれた。


「どうよ、春ですよ。春。穏やかで気持ちいい風だろう」

「……そうね」

「花も綺麗で、一番の見ごろじゃないか」


 ピンク色の花びらが舞い散る様を見つめながら、


「八雲君。貴方はなぜ、私を連れ出したの?」


 そんな疑問を彼に伝えると、


「さっきも言っただろ。那智が心配になったから。うちの恋人がやらかしたことが、那智の人生を変えてしまった。それに罪悪感がある」

「罪悪感があるのなら、私の代わりに大倉和奏を不幸にしてほしいわ」

「こわっ」

「貴方を含めて大倉和奏の人生をめちゃめちゃにしてやる」

「やめて。俺も巻き込まないで」


 実際のところ、何一つ反撃に出れそうにはない。


――他人を怖がるだけの引きこもりに、何ができるのかしら。


 悔しいが今の自分にできることは何もない。


「もう一度、外の世界に連れ出すこと。それが俺の贖罪かな」

「放っておいてもいいのに」


 できることなら、輝かしい人生を返してもらいたい。

 そう愚痴りたくなるのだが、自業自得の面も否定はできない。


――大倉和奏と出会わなければ、私の人生は平穏だったのに。


 和奏がやり過ぎたことが、那智をここまで追い込んだ。

 八雲なりにその責任を感じている。

 同情であろうと、自分のできる範囲で那智を再起させたいのは本音だ。


「お花見をしよう。綺麗なものを見て、心を落ち着かせる。それが一番だ」

「桜が咲く時期になっていたのね」

「ちなみに聞くけど、いつ以来ぶりに外に出た?」

「……情緒不安定な子にストレートな発言はしない方がいいわよ」


 泣きそうになったらどうしてくれる。

 現実、去年の夏から外には一歩も出ていない。

 人と触れ合うことを恐れて、出ようとは思わなかったのだ。

 そんな生活をしていたからこそ、すっかりと体力も落ちてしまっている。


「……」


 心が壊れてしまった。

 他人を怖がるようになった。

 那智の時間はずっと止まったままである。


「あの頃に戻りたい」


 つい口から洩れた言葉。

 夏南がいて、彩萌が傍にいてくれたあの頃が那智にとっては幸せな時間だった。


――そう。夏南ちゃんを困らせて、彩萌がじゃれついてきて。


 あの頃に戻れたらいいのに、と何度も思った。


――でも、もう二度と戻ることはないのね。


 時計の針は戻せない。

 夏南も彩萌も、それぞれ自分の道を歩んでいるのだ。


「……彩萌は大学に進学したんでしょう?」

「あぁ、したよ。地元の大学だ」


 那智と破局してからはすっかりとオタサーの姫と化していると聞いていた。

 男関係はかなり激しい様子。


「あのビッチは元気にしてるかしら」

「い、言い方。彩萌ってちやほやされたがる子だったからな」

「元恋人がビッチになりました。ふっ、どんな気分よ」

「……女の子に寝取られた時点で俺は最悪の気分だよ」


 那智は「ごめんねぇ」と誠意の欠片もない謝罪をする。


「そうだ、浩太も大学進学しました」

「あんな男でも受かれる大学があるの?」

「それが……えっと」

「何よ」


 なぜか、そこで言いよどむ。


「言ってもいいのか。浩太って、静流ちゃんと付き合い始めてからものすっごく真面目になりやがったわけですよ。将来、あの子を幸せにするために、俺はいい大学に入って、良いところに就職するってさ」

「あのゲスな男が?」


 文字通り、心を入れ替えた浩太は名門大学に一発合格したのである。


「……滅べばいいのに」

「その真面目さをキミと付き合ってた時期にも見せてほしかった、かな」

「別に。あんな男と付き合ってたなんて黒歴史はどーでもいいわ」


 正直、浩太自身の事は本当に興味もない。


――静流のために、か。アイツなりにちゃんと想ってるのね。


 交際を許しているつもりはないけども。

 ただ、愛する妹を幸せにしようとする努力は受け取る。


「そう。皆の時間はちゃんと動いているのね。止まっているのは、私だけか」


 再び、時を動かせるかどうかは那智次第である。

 桜吹雪が舞う中で。

 那智たちはしばらく、幻想的な雰囲気を見つめ続けていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る