第7話:リスタート


 因果応報と言う言葉がある。

 悪いことをすれば、全部、自分に跳ね返ってくる。

 やりたい放題の悪役令嬢の末路は、いつだって、倍返しのバッドエンドだ。


「……私の人生、どうしてこうなっちゃったのかしらねぇ?」


 膝の上に飼い猫のポテトを抱えて、那智は自室でそう静かに呟いた。

 大倉和奏という最悪の相手と出会ってしまったのが運の尽き。

 かつて、交際して裏切られた大倉浩太の実妹。

 それだけでも憤慨ものだが、彼女にはすべてを“奪われた”。


「にゃー」

「……貴方もすっかりとダイエットに成功して、体型変わっちゃったわ」


 以前は丸っと太っていた猫だが、シュッとしたボディを手に入れた。

 愛猫の変化を感じられるほどの時間が過ぎている。


「もう2年か」


 那智は今年、19歳を迎えようとしている。

 同世代は大学に進学したりして、それぞれの未来を手にする時期だ。

 しかし、那智の時間は2年前に止まってしまった。

 和奏との戦いに敗れ、悪役令嬢はバッドエンドを迎えた。

 恋人の彩萌とは破局。

 愛する妹の静流は、信頼を失った上に、浩太と付き合うことに。

 これ以上はない、最悪としか言いようのない現実。

 そして、那智自身も思いもしない目にあっていた。

 

「この私の人生が、ドロップアウトとか。考えもしていなかったわ」


 成績優秀、小さな頃から周囲に期待されてきた。

 将来は親のあとを継ぐ、お医者さんになるという夢を抱いて。

 それが当然の未来だと思い込み、信じて疑いもしていなかった。

 いずれ、医者になったあとに、良い相手とめぐりあい、結婚をして。

 子供と旦那に囲まれる、幸せな日常を過ごすはずだった。

 

「でも、そんな未来はもう二度とこない」


 夢は破れ、理想は崩れ。

 全てを失った、負け犬の人生を歩まされている。

 那智は今、世間的に言えば“引きこもり”と言う状態だ。

 高校は去年の春に中退をすることになった。

 その原因は心にある。

 那智の心を深く傷つけた、和奏の必殺“トリプルアロー”。

 あれ以来、彼女は誰の事も信じられることはなかった。

 それがきっかけとなり、心のバランスをひどく崩してしまった。

 人は弱い生き物だ。

 一度バランスを崩すと自分ではどうしようもなくなった。

 悪循環の負のスパイラル。

 誰とも会わないように、壁を作るようになり。

 周囲との接点を断ち切り、学校にも行けなくなり。

 そして、親とも険悪な関係になった。

 

『どうして、お前は私の理想通りに生きなかった』


 医者になれず、中退という道を選んだ娘に父はそんな暴言を吐いた。

 後に反省するも、その頃はまだ娘が心の病だと思っていなかったのだ。

 父の失望、辛辣な言葉は那智を更に傷つけた。

 亀裂の入った親子関係、今では顔を見合わすたびに喧嘩する。


――私はもう、どうしようもないんだな。


 人生に希望を見いだせず、暗い部屋でひとりポツンと過ごす人生。

 転げ落ちた先には、まだ底知れぬ闇が広がっている。

 気が付けば、あっという間に1年の月日が流れて。


「……引きこもり人生、二年目突入」


 自虐することしかできない。

 いつまで、こうしているのか。

 先の見えない不安と人生への失望。


「もう、どうでもいいわ。私なんて……」


 生きていることが辛いと思い始めていた、矢先――。


「にゃんっ」

「ポテトぉ?」


 いきなり、愛猫が膝上から飛び降りて、ドアの方へと行ってしまう。


「どうしたのかしら?」


 すると、その扉は何の前触れもなく開いた。


「え?」


 そして、そっと伸びた手が猫を抱きかかえる。


「ん? なんだ、人懐っこい子だな。よしよし」


 ポテトの頭を撫でる、その手は男性のものだった。


「……貴方、まさか」


 そこに立っていたのは、思いもしない人物。


「――よぉ、那智。久しぶりだな」

「神原、八雲……?」


 かつて、自分が苦しめた相手にして、因縁の相手の恋人でもある。

 なぜ、彼がここにいるのだろうか。

 唖然としてしまう彼女は「で、出ていってよ」と困惑する。


「突然、悪いね。お邪魔してます」

「い、いきなり女子の部屋に入るなんてデリカシーがない」

「それは認める。でも、こーでもしないと出てこないだろ。あっ」


 彼の手からするりと抜け出したポテトは廊下を歩いて行ってしまう。


「あらら、逃げられてしまった」

「気分屋なのよ、あの子。……なんで、貴方がここに? 私に何か用事でも?」

「久しぶりに顔を見にきた、と言うんじゃ理由としてダメか」

「そんな間柄ではなかったでしょう。私、貴方の恋人だったわけではないもの」

「ただの友人、いや、それ以下の関係だったよな。でも……」


 気軽に合うような仲でもなく、友達ですらなかった。

 そんな八雲がなぜ、わざわざ彼女に会いに来たのか。


「でも、心配だから来たんだ。静流ちゃんから事情は聞いてる」

「なにを?」

「もうずっと、引きこもってるんだって? それは、和奏のせいだろう」

「大倉和奏。聞きたくもない名前だわ」

「……だろうね」


 高校を中退したという話を聞いて、ずっと気にはなっていた。

 恋人を寝取られて、いろいろと争った相手のことを心配する筋合いもなかった。

 しかし、引きこもり、うつ状態になってると聞いては話は別だ。

 あの那智が――と、ずっと気になっていたのだ。

 元はと言えば、自分の問題が引き起こしたものだ。

 責任ではないけども、罪悪感を抱くようになっていた。

 以前から静流から相談を受けて、何とかしようと思い、今日はやってきた。


「いつか、会いに行こうと思ってた。で、今日は静流ちゃんから家には誰もいないって話を聞いたのでお邪魔しました」

「意味が分からないわ。貴方、バカなの。死ねばいいのに」

「……言葉の暴力は相変わらずのようで」


 苦笑いしながらも八雲は引くことなく、


「全然、外にも出ていないんだって? 今日はいい天気だし、外に行かないか」

「……行きたくない」

「今、桜が満開なんだ。せっかくだし、行ってみようぜ」

「神原八雲。貴方は本当に意味が分からない人ね。私は貴方を傷つけた側の人間よ。貴方に優しくされる筋合いもなければ、そんな関係でもないわ」


 そう拒絶する那智は弱々しく見える。

 以前の勢いも、嫌みっぽさもない姿に八雲は内心、ショックを受けていた。

 人はここまで変わるものなのだ、と。


「過去の話はもういいよ。今の那智を見ていると、むしろ、申し訳なさすら感じる。……ずいぶん、痩せたな。髪も伸びたね」


 彼はためらうことなく、那智の頬に触れた。

 他人に触れられたのはいつ以来だったか。


「――ッ。や、やめてよ」


 常に清潔にはしているが、手入れのされていない髪は伸ばし放題だ。

 ノーメイクにぼさぼさの髪の毛。

 異性に見られるのは気恥ずかしい。


――引きこもりのくせに、恥ずかしさなんてないでしょうに。


 困惑する那智を彼がどうしたいのか、分からない。


――復讐? それとも? ワケが分からなさ過ぎて、泣きたくなる。


 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか。

 八雲は「まずは散髪に行くか?」と手を差し伸べてくる。


「俺の親戚が美容室をやってるんだ。行こう」

「貴方、なんなのよ。なんで、私にかまうの?」

「構いたいから、かまうのさ。それ以外に理由なんてあるものか」


 過去は過去、もうすっかりと割り切っている。

 今、八雲にとって那智は、復讐の相手でもなく、か弱い一人の女の子。

 そんな彼女を作り出してしまったのが、自分の恋人の罪なのだと思い知る。

 贖罪、同情、哀れみ。

 言葉にすれば、そんな言葉が出てくるが、想いとしては、何とかしてやりたいという純粋な気持ちでしかない。


「今のお前は俺の知ってる、水瀬那智ではない。昔を取り戻せとは言わないけども、元気になってほしいとは思う」

「……意味が分からないっ」


 お節介なら迷惑だ、と差し出された手を振り払おうとする。

 しかし、すっかりと体力の落ちた彼女は思わず前のめりになる。

 それを支える形で八雲は抱き留めた。


「おいおい、大丈夫かよ?」

「……んっ」

「立てるか? ほら?」

「分からないわ。貴方、何をしたいわけ」

「貴方、じゃなくて名前で呼んでもらいたいね。八雲でいいよ」

「……八雲君。私をどーしたいの? 抱きたいの?」

「なんでそうなる」

「引きこもり女にかまうなんて時間の浪費でしかないわ」


 はじめの頃は友人たちも心配して、会いに来てくれていた。

 それをことごとく断り続けていれば、いつしか誰も来なくなり、忘れ去られてた。

 いつか、誰の記憶からも思い出されることもなくなる。

 それでいいと思っていたのに。


「俺はしたいと思った事しかしない。かまいたいから構うんだ」

「……八雲君は変な人ね」

「変な人で結構。さぁ、行こう」

「はぁ……」


 彼のしつこさに根負けし、那智は私服に着替えて外へと出る。

 こんな風に太陽の温かな日差しを浴びて歩くのは、本当に久しぶりだった。

 あまりにも眩しすぎて、目を開いていられなくなる。


「大丈夫か?」

「……えぇ」


 すっかりと体力の落ち切った身体は歩くのも困難だった。

 長い距離を歩けず、彼に支えてもらうので精いっぱい。

 文句も言わず、八雲は那智の手を引いてゆっくりと歩く。


「自分のことながら、情けなくなるわね」

「少しずつ、取り戻せばいい。気持ちも、体力もさ」

「……」


 この数年で、気力も体力も失った。

 そんな少女を連れまわすなんて、覚悟がいることでもある。


――神原八雲か。噂通り、誰にでも優しい男なのね。


 その優しさにかつての彩萌は心惹かれていた。


『あのね、あのね。アヤの彼って超優しいの。思いやりがあって、親身になって接してくれる素敵な人なんだぁ。えへへ』


 聞いてもいないのに、散々のように惚気を聞かされたのを思い出した。

 そして、その優しさに惹かれたのは、もうひとり……大倉和奏がいる。


――大嫌いな女の恋人か。私に罪悪感なんて、抱く必要ないじゃない。


 こんな、悪女なんて放っておけばいいのに。

 おせっかいで、面倒見のいい性格ゆえか、敵対した相手に手を差し伸べる。

 自業自得な人生を歩む那智を逆に気遣っている。


――ホント、変な人だわ。


 春の穏やかな気候の中を二人はゆっくりと歩く。

 繋ぎ合う手と手、伝わるのは人の温もり。


――まったく、とんだお人好しも世の中にはいたものね。


 いつしか、那智の口元には薄っすらと笑みがこぼれていた。

 そのことに自身は気づくことはなかったけども――。

 

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