第5話:こんな子じゃなかったのに


 那智の愛情は歪んでいる。

 本当に手放したくないものほど、彼女の手から勝手に零れてしまう。

 夏南を壁際まで追い込むと、意地悪く那智は微笑を浮かべた。


「ねぇ、小鳥遊先輩。キスってしたことあります?」

「わ、悪ふざけはよしなさい。冗談でも怒るからね?」

「その初々しい反応。ふーん、まだなんですねぇ」

「まだ彼氏とかいらないだけなの! モテないわけじゃないんだから」


 必死に言い訳する彼女は那智に言う。


「女の子同士で、スキンシップとかしてないで、健全な相手と関係を……」

「スキンシップの何が悪いんです?」

「仲良すぎるのもよろしくないの」

「それは、小鳥遊先輩とも仲良くして欲しいってことですか?」

「そ、そんなことは言ってません」

「あー、私と彩萌の関係に嫉妬してます?」

「ないからね!? わ、私、健全女子です。そりゃ、那智は妹みたいに可愛がってたけど、変な気持ちは一切ありません」


 むしろ、嫉妬してくれていたら、と残念がある。


「私、先輩とそんなに仲良かったでしたっけ?」

「いい加減、昔の思い出をなかったことにしないで」

「事実でしょうに」

「違います。もうっ、那智が怒ってるのは分かってるわ。昔、私が勝手にいなくなって、那智を傷つけたのは悪かった。私だって寂しかったのに」

「反省されても。私、そんなことに怒ってませんから」


 それは本音だった。

 別離に関しては怒ってなどいない。

 怒りというのはまた違うもの。

 あのように悲しむ思いをしたくないからこそ、夏南と仲良くなりたくないだけだ。

 

「でも、そうですね。嫌がらせはしたいかもしれません」

「……嫌がらせ? 妹的存在に過去をなかったことにされてる以上に?」


 彼女は逃げ場を失っている夏南を更に追い詰める。

 手を掴んで壁際に背をつかせると、


「例えば、先輩の大事にしてるファーストキスをスキンシップで奪うとか」

「~~ッ!?」


 この子はマジだ、と危機を抱いた夏南の表情が一変する。

 

「や、やめてぇ。わ、私は那智とそーいう関係は」

「ただのスキンシップですよ」

「やだやだっ」


 ぶんぶんと首を横に振り、夏南は強張った顔で、


「那智。私、本気で怒るよ? 怒ったら怖いんだから」

「はいはい。怒ってくださいよ。ただのスキンシップをする後輩を殴る蹴るの暴力攻めでもすればいいじゃないですかぁ」

「そ、そこまではしないけど……くっ、離して。離しなさいっ」


 身長は那智の方が少しだけ上だ。

 夏南を身動きできないようにさせ、距離を詰める。


――ホント、ピュア。夏南ちゃんは可愛いなぁ。


 お互いの唇を触れ合わせるには十分な距離。

 本気で嫌がる夏南は唇をしっかりと閉じて抵抗する。


――そこまで嫌がられると寂しい。


 ここまでは冗談のつもりだった。

 でも、抵抗されると無理やりにでも奪いたくなる。


「小鳥遊先輩、私は――」


 突き動かされる衝動。

 まさに唇を近づけようとした瞬間だった。


「――なっちゃん? どこにいるの?」


 教室の扉をがらっとあけて入ってきたのは彩萌だった。

 タイミング悪く彼女はふたりの行為を目撃する。

 他に誰もいない教室。

 壁ドンしながら今まさに、キスでもしようかと言う体勢。


「……最悪だわ」


 それ以外の言葉が見つからない。

 唖然とする彩萌はきょとんとしてしまう。


「な、なっちゃん!? まさか、先輩と浮気中!?」

「し、してませんっ! ていっ」


 これがチャンスとばかりに夏南は那智を突き飛ばす。


「きゃっ」


 よろけた彼女を夏南は睨みつけた。


「あ、危なかったわ。私の初めてが奪われるところだった」

「そんな大層な物言いしなくても。最初は誰でも初めてなのに」

「くっ。それを同性の幼馴染に奪われたくはありません」


 猫のように威嚇されるので那智は肩をすくめた。

 すっかりと警戒されてしまっている。


「やれやれ、嫌われちゃったわぁ」

「どういうこと? なっちゃん、浮気してたんじゃないの?」

「はぁ。してるように見えた?」

「うん。思いっきり、夏南先輩を襲ってたじゃん」

「ただのスキンシップよ。私が彩萌以外に手を出すとでも?」

「それは……信じてるけどさぁ」


 ちらっと彩萌は視線を向けながら、


「夏南先輩と何してたの?」

「私と彩萌の関係に関しての苦情と苦言。仲良くするならよそでやれって」

「そうよ。佐崎さん、スキンシップは程々にしなさい」


 何とか健全の道に戻そうとする夏南だが、それを打ち砕くのが彩萌である。


「えー。だって、アヤとなっちゃんは恋人同士だよ?」


 さらっとトンデモ発言をするので、夏南は目を点とさせて、


「……は? 恋人?」

「だから、アヤとなっちゃんはラブラブな関係です。スキンシップとか言われても、もっとそれ以上の関係だもの。今さらだよねぇ?」


 まったく状況を理解していない。

 ここにきて認めてどうする、と彩萌の発言に那智も思わず、


「……貴方って時々、爆弾発言をしてくれるわねぇ」


 軽く頭を抱えて嘆息する。

 何してくれる。

 そう言いたかった。


「え? あ、ごめん。これ、アヤたちの秘密だった」

「はぁ。せっかく、先輩相手に誤魔化してたのに。ダメな子」

「あー、呆れないでぇ。なっちゃんのその冷たい目はきついから嫌だぁ」


 すりよる彼女を撫でながら思案する。


――さすがにそこは誤魔化しておきたかったのだけど。


 スキンシップということで話をうやむやにしようとしていたのに。


――なんで邪魔してるのかしら、この子。


 ここまでくれば、どうしようもない。


――彩萌の登場は予想外。さて、どうするべきかしら。


 那智の作戦では、嫌がらせをして夏南と距離を置きたかっただけだった。

 彩萌との関係を知れば、口うるさくなるに違いない。

 ふたりの関係は外部に知られたくない。

 口封じの意味でも、もうあとには引き下がれなかった。


「あーあ。小鳥遊先輩に彩萌との関係がバレちゃったじゃない」

「……う、嘘でしょ? 冗談でしょ? え? ホントに?」

「まぁ、こーいう関係なんで邪魔してもらいたくないんですよ」


 そっと彩萌を抱き寄せて見せつける。


「やんっ」

「せっかく、彩萌との関係を誤魔化してる最中に何やってくれてるの」

「ごめんなさいー。んっ」


 女の子同士がいちゃつく姿。

 目の前の光景を信じられないでいる夏南は、


「……小さかった頃は可愛かったのに。ぐすっ、こんな子じゃなかったのに」


 かなりのショックを受けている様子だ。


「ねぇ、小鳥遊先輩。私たちの事は秘密にしておいてくださいよ?」

「……」

「誰かに話されたら困るんです。だから、先輩の望みを一つ叶えてあげますよ」

「望み?」


 彼女は微笑みながら夏南に囁いてみせた。


「――先輩の事、“夏南ちゃん”って呼んであげますから」

「~~ッ!」


 そこでその名前を呼んでほしくなかった。

 複雑に入り混じった感情を抑えられない夏南はそのまま教室を出て行ってしまう。

 残された那智はとりあえず、

 

「このバカ娘」

「きゃんっ。い、いひゃい。お尻を叩かないで」

「危機感ってものがないのかしらぁ? 秘密にする気ない?」

「つい、言ってしまいました。ごめんなさい」

「はぁ。これで彼女も懲りてちょっかい出さないでしょうけど」

「それどころか、険悪ムード? めっちゃ亀裂が入っちゃったんじゃない?」

「誰のせいよ」


 いつだって、那智の人生、人間関係は思わぬところからこじれる。


――私のせい? いえ、明らかにこの子のせいでしょ。


 完全なる失態。

 ささなくてもいいトドメをさしてしまった。

 唇を尖らせながら、拗ねるしかない。


「まぁ、いいわ。壊れてしまうなら、その方がいい」


 未練ったらしく過去の関係にこだわっていたのがこの結末だ。

 いっそのこと、割れて砕けて壊れてしまった方が楽なのかもしれない。


――ごめんね、夏南ちゃん。


 大事にしようと思えば思うほど。

 なぜか、自分から離れてしまうのが那智の運命なのかもしれない。


――はぁ。人間関係って難しいわぁ。


 どうしようもない、自分の不運を悲しむのだった。

 その後、那智と夏南の関係は完全にこじれてしまった。

 部活の最中は逃げ出すように大きく距離を置かれてしまい、”夏南ちゃん”と呼べば涙目を浮かべられてしまう、ありさま。


「……結果として望んでたはずなのに、心が痛むのはなぜかしら」


 中々、思う通りにいかない人生である。

 

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