第3話:裏切りは蜜よりも甘い


 一年後、高校2年の春。

 人はどうして、裏切るのだろうか。

 温かなお湯の温もりを感じながら、湯船につかる二人の少女。

 家のお風呂場にふたりっきり。

 白い肌をさらす裸の彩萌に、那智は問う。


「どう、恋人を裏切った気持ちは?」

「……あ、アヤは裏切ってないもん」

「そう。今日は家に誰もいないと私を誘い、さっきまで可愛くないてたくせに」

「違いますぅ。最初に、誘ったのはなっちゃんでした」


 小さく頬を膨らませる彼女。

 ちゃぷんっと水音を立て、お湯に口元までつかって拗ねる。

 同じ料理部の佐崎彩萌には恋人がいる。

 それなのに、那智と“関係”を持ったのだから同罪だ。


「恋人を裏切った、最低ビッチには違いないでしょ?」

「うぅ……言い方がひどい」

「彼氏と私、どっちが好き?」

「……」

「まだ決められないの?」


 彩萌の恋人、神原八雲は那智とは顔なじみの間柄だった。

 だが、彼の恋人をこうして寝取った事に罪悪感は抱いていない。


――別に神原に恨みはないのだけどね。


 あるとすれば、彼の親友の方だった。


――私を裏切った相手の親友だった。恨むなら彼の方にしてほしいわぁ。


 心を歪ませた相手への憎しみ。

 消えてなくならない悲しみと怒り。

 複雑な心は那智を変えていった。


「さっさと彼氏なんて裏切っちゃえばいいじゃない」

「やっくんの事は好きだもの」

「私と神原、どっちが貴方を満たしてあげられる?」


 距離を縮めて、彼女は自らの唇を彩萌に近づける。

 薄桃色の唇は誘惑する。


「抵抗する? それとも、受け入れる?」

「やっ……」

「目をそらさないで。私の目を見て?」


 両腕を押さえ、彼女たちは胸を触れ合わせる。

 振りほどこうとすれば、振りほどける。

 でも、彩萌は体を震わせる程度で抵抗できない。


「決めるのは彩萌次第。どちらがいいか決めて?」

「……ずるい」

「ずるいのは二股して遊んでる貴方でしょ?」


 裸の少女二人は、湯船の中で至近距離で見つめ合う。


「……っ……」


 やがて、彩萌は屈したように唇を触れ合わせた。


「――んぅっ」


 それが答えだった。

 満足そうに唇を離した那智は、


「はい、裏切り決定。さっさと彼氏と別れるように」


 まだ納得はしていない彩萌は「えー」と唇を尖らせる。


「いいじゃない。これが貴方たちの関係の結末よ」

「ぐすっ。アヤ、寝取られたぁ」

「はいはい。私が寝取りました。彩萌は今の関係に満たされてない。それは前から感じてたの。心が物足りなさを感じてるでしょ」

「そんなことない」

「ことがないから、私の誘いにホイホイ乗るんでしょう?」

「うぐっ」


 幸せを感じていても、心が満たされないことはある。

 平穏な日常があって、優しい彼氏がいたとしても。

 時には変化も心がざわめく想いもしたくなる。

 ただの日常に興味はなく。

 常に“刺激”が欲しくなるのは“欲望”か“人の性”か。


「人って一番の快感の瞬間っていつだと思う?」

「……エッチぃことをしてる時?」

「それは浮気ビッチの彩萌ねぇ。えいっ」

「おっぱいを揉まないでぇ。ち、違うってばぁ。アヤは――」

「ドⅯでエッチな女の子でしょ」


 バッサリと言い切られてしまう。

 彩萌はM気質があるのは自覚してるので反論できない。


「質問の答えは人を裏切る瞬間だと思うの」

「それはそれで怖いです」


 裏切ったり、裏切られたり。

 人間関係はそんなことが繰り返されてばかりだ。


「大事なものって壊したくなるでしょう」

「だから、顔が怖いよ」

「信頼している人を裏切るって楽しいじゃない」

「なっちゃんが歪んでるだけです」

「ふふっ。私は歪んでないわぁ。ただ、身をもって思い知っただけよ」


 時々、過去の傷跡がうずくだけだ。


「……元カレ、やっくんの友達だっけ?」

「さぁ? 昔の事は忘れちゃった」

「ひどい目に合わされたのね、可哀想に」

「だから、何でもないわよ。駄犬に足を踏まれた程度だもの」


 肩をすくめて彼女は否定する。

 裏切られた経験は、彼女に人を裏切る行為を覚えさせた。

 心に刻まれた痛みを忘れられないでいる。


「裏切られるよりも、裏切りたい。私はそういう悪い女よ」

「……」

「何、その顔? 違いますぅって言いたげね?」

「アヤから見たなっちゃんは、悪女じゃないから。寂しいんだよね?」


 そっと彩萌は那智を抱きしめる。


「なっちゃんの心は常に誰かへの愛を求めてる気がする」

「生意気なことを言うわねぇ。ドⅯビッチのくせに」

「ビッチじゃないやい。なっちゃんは、心に大きな空白があるの。それを埋めたいんだ。でも、それは誰でもいい訳じゃないでしょう?」


 彩萌の言葉にドキッとしつつも、那智は「どうかしら」とはぐらかす。

 心の空白の主な原因は、小鳥遊夏南だ。

 とても大切な親友で、大好きだった初恋の想い。

 彼女との別離は裏切られた気持ちを抱かせて。

 その再会は素直になれない気持ちを生んだ。


――私はどこか歪んでる。心に空いた穴を埋めたがっている。


 そう、彩萌の言葉が那智の心に突き刺さる。

 でも、今は――。


「それを埋めてくれるのは彩萌でしょ?」

「あんっ」

「私が貴方を満たしてあげる。だから、貴方も私を満たしなさい」


 甘い吐息で誘惑して、彼女は自らの方へと身体を引き寄せるのだった。


「彼氏より、私がいいって言わせてあげるわ」

「んっ。そんなところ、触わっちゃ……」


 波紋を広げる湯船の水面。

 湯煙に包まれて。

 甘い時間だけが過ぎていく――。

 

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