第1話:とある悪女ヒロインの恋模様


 水瀬那智には可愛い一人娘がいる。

 水瀬信愛。

 彼女の存在が人生においての救いであり、希望である。

 愛娘がいなければ、きっと那智は泥沼に沈み込んだままだった。

 玄関先で見送りながら、不安そうな顔をしていた。


「それじゃ、いってきます」

「いい、信愛。嫌な目に合わされたら携帯電話に連絡して?」

「大丈夫だよ。お祖父ちゃんたちに会うだけじゃん」

「それが怖いのよ。静流、貴方もこの子に何かあったらすぐに言いなさい」

「何かって何もないと思うけどなぁ」

「娘に何かあれば病床であろうと、トドメを刺しにいくから」

「怖いことを言わないでよ、お姉ちゃん」


 数時間前。

 これまで十数年間、居場所を隠していたのに妹の静流たちに知られてしまった。

 行方不明だった姉を心配した静流がわざわざ会いに来たのだ。

 そして、妹から那智が聞かされたのは父親が病気で入院しているという事。

 そのことに、信愛が興味を抱いてしまい、会いたいと言い始めたのだ。


――あんな人たちに私の信愛を会わせたくないわ。


 正直に言えば、引き止めたくてしょうがない。

 頑固な父が孫娘を優しく受け入れるところを想像できない。

 むしろ、何かしらの嫌がらせをされそうなのが怖いのだ。

 ぼそっと彼女はつい口からトゲのある言葉が出る。


「……うまいこと、病死にみせかけて暗殺できないかしら」

「やーめーてー。お父さんをコロコロしないで」

「だって、本気で嫌いなんだもん。お墓の前なら会えるわ」

「はぁ。いい大人なんですから、そろそろ心の整理をつけてください」


 両親と姉の因縁に、妹として呆れるしかない。

 親子が掛け違えたボタン。

 どうしようもなく、直せそうにない。

 静流は姉をなだめながら、


「信愛ちゃんは私が責任をもって、祖父母に会わせてきます。信じて?」

「そうだよ。シアが会うのはいいんでしょ?」


 信愛が祖父母に会いたいと願い、我がままを貫いた。

 母としては、それに応えてあげるしかなくて。


「でも、だけど……」

「はいはい。シアなら問題ないのです」

「……信愛」

「ママ。そんな心配そうな顔をしなくてもいいのに」


 本当は那智は彼らに会わせたくなかった。

 かつて、自分たちを追い出した。

 両親との確執は消えてなくなったわけではない。


――自業自得とはいえ、あの頃を思えば許せることでもない。


 しかし、信愛は違う。

 会ったことのない親戚との対面を心待ちにしているのだ。


――この子のそういう気持ちを考えると止められない。


 なので、仕方なく那智も折れたのだ。


「……いってらっしゃい」


 最後まで不満そうな顔をする母に信愛は、


「大丈夫だってば。シアが自分でしたいと思ったことだもん」

「後悔なんてしない?」

「しません。ママの両親がどんな人かも知りたかったし」

「……どうしようもない、自分勝手な人達だけどね」


 愚痴る母親に信愛は笑顔で答える。


「あはは。それを知るためにも、まずは会わなくちゃ。静流さん、案内してください」

「うん。それじゃ、お姉ちゃん。私も行くね」


 今は信愛を信じて、静流に託すしかない。


「……えぇ。ふたりともいってらっしゃい」


 手を振ってふたりを見送った。

 そして、ドアを閉めた瞬間。


「――最悪だわ。あの女狐めぇ!」


 腹の底から叫び声をあげる。

 怒りがこみあげてきてしょうがない。

 娘と妹の手前、激しく感情を高ぶらせずにいた。

 我慢して、我慢して、爆発である。


「まだ私たちの前に立ちはだかるつもりかしらぁ?」


 こんな展開になったのも那智の天敵のせいである。


「勝手に人の娘を脅して住所を調べるなんて姑息な真似をしてくれる」


 今さら、別にバレて困ることでもないけども。

 それなりにずっと、居場所を隠し続けてきたわけで。

 あっさりとバラされた。

 そのことだけでも怒り心頭、許せそうにない。


「大倉和奏……私の人生を狂わせた悪魔め」


 今は結婚して、神原和奏。

 和奏と那智の因縁は高校時代のある事件まで遡ることになる。

 当時、和奏の恋人であった、八雲の元恋人の彩萌を奪い去ったのが那智であった。

 その報復で和奏によって彼女はすべてを失う。

 ……そう、最初のきっかけからすれば、那智に原因があった。


「悪女ヒロインにはふさわしいバッドエンド。そういうものかもしれない」


 これも因果応報と言うしかない。

 自分のしでかした過去を悔やむことはある。

 ひとりっきりになった部屋。

 どこか落ち着かない様子の那智は、


「はぁ。信愛、大丈夫かしらぁ。私も後を追いかけた方が……あ、車がないや」


 運転免許を持たない那智には、そもそも追いかける手段がなかった。


「信愛がひどい目に合わされないか、心配でたまらない」


 娘を心配する彼女。

 一人の母親として今、こうして生きている。


「……信愛が生まれて、私の人生が大きく変わった」


 それまで、人間不信になるほどの嫌な人生だった。

 和奏によって、すべてを奪われて、挫折の道を歩んでいた。

 それを救ったのは愛娘の存在である。


「信愛がいなきゃ、私なんてただの悪女で終わってたのに」


 近くにおいてあるアルバムを取り出すと、娘の生まれた頃の写真が出てくる。

 幼く無垢な寝顔。

 赤ちゃん時代の信愛の写真に見とれながら、


「やばい、今見ても可愛すぎる」


 溺愛する娘の写真はいつみても素敵だ。

 だが、那智がここまでくるのに、とてつもない長い道のりであった。

 和奏という存在に人生を狂わされて。

 人間嫌いで、対人恐怖症まで追い込まれて。

 挙句の果てに高校中退、家に引きこもる生活を送る羽目になり。

 そして、紆余曲折を経て、最愛の娘との二人だけの生活を送ってる。

 波乱万丈な生き方。


「私の人生、どこで変わっちゃったのかなぁ」


 こんなはずではなかった、と思うことがないわけではない。

 水瀬那智という女性が生きてきた人生。


「ホント、人生って分からないものだわ」


 悪女の恋愛事情。

 それを振り返ってみることにする。

 


 

 

 今でこそ、他人と距離を置きたがる那智だが、昔は違った。

 誰よりも心を許していた幼馴染の少女がいた。

 小鳥遊夏南|(たかなし かな)。

 無邪気な那智を可愛がってくれていた。

 一つだけ年上の少女と姉妹の様に仲良く、毎日を遊んですごしていた。


「那智は将来、何になりたい?」

「わたし? わたしねぇ、お医者さんになりたいっ」

「お医者さん。那智のパパみたいに?」

「わたしのパパはすっごいんだよ。困った人がいたら助けてあげるの」


 夏南の質問に無垢な答えを返す。

 当時は親子の関係も不仲ではなく、那智にとって父は憧れだった。

 仕事に熱心で患者に向き合うひたむきな姿。

 その後ろ姿を見て育ってきたのだ。


「那智はホントにパパが好きなのね」

「大好きー。だから、わたしもパパみたいにお医者さんになるの」

「そして、皆を助けてあげる?」

「うんっ。いろんなひとの怪我を治してあげるんだ」

「那智の夢はすごいねー。きっと那智ならなれるよ」


 彼女の頭を撫でながら夏南は微笑んで見せた。


「えへへ。夏南ちゃんの夢はなぁに?」

「私はデザイナーだよ。私のママのお仕事なの」

「でざいなー? よく分かんないけど、すごそう」

「大変だけど、目指すの。カッコいいママみたいになりたいから」

「夏南ちゃんのママ、素敵だもんねぇ」

「うん。だから、お互いに、夢を叶えようよ」


 夏南は年齢の割には大人びた子だった。

 そこに那智も憧れ、好意を抱いていた。

 だけど。

 別れの時は唐突に訪れる。


「今日で、お別れなんだ。那智、バイバイ」


 夏南の両親が離婚して、彼女は母方に引き取られた。

 住んでいる街も離れた場所に移ることになり、引っ越すことになった。

 幼い少女にはその別れは突然のことで受け入れられるものではなく。


「夏南ちゃん……?」


 昨日まで普通に遊んでいたのに、もう明日からは会えない。

 それを子供に理解しろと言って、理解できるものではない。

 大好きだった幼馴染の喪失感。


「夏南ちゃんにはもう会えないの? どうして? どう、して……?」


 それは少女の心を深く傷つけることになる。

 決して消えることのない傷跡。

 その行き場のない“感情”はやがて、妹の静流に向けられることになる。

 他人は離れてしまうけど、家族は離れてしまうことはないから。

 しかし、それは後の人生で、さらなる深い傷を作ることになるのだが。

 那智は元々、誰かに依存しやすい性格だった。

 誰かを愛したい、愛されたい。

 いわゆる”愛されたい症候群”。

 常に誰かを愛して、愛されたいと思ってしまう。

 愛されなかったら、さらに傷つき、愛を求めてしまう悪循環。

 夏南との別れは、那智と言う少女の心を歪めてしまうことになる――。

 

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