第3シリーズ:悪女の恋愛事情

プロローグ:悪女とスト子


 かつてスト子と呼ばれた少女、和奏と結婚して十数年。

 神原八雲は現在、人生で二番目の窮地を迎えていた。


「お父さん。私はとても悲しいわ」

「お、おぅ。俺も悲しいよ。娘から蔑むような目を向けられて」

「自業自得。そのくらいの覚悟はあるでしょう?」

「何のことだ?」


 日曜日の朝のことである。


『そこに黙って座りなさい、お父さん』


 いきなり、リビングの床に座らされ、父親としての威厳も何もない。

 見下ろす娘、恋奏は冷ややかな視線を向ける。

 事情を飲み込めず、困惑する彼にびしっと言い放つ。


「貴方に隠し子がいる件について。詳細を教えてください」

「え?」

「いるんでしょ、隠し子? お母さんから聞きました」

「ちょ、ちょっと待て。おい、和奏? まさか……」


 勝手に八雲は立ち上がると、テーブルでゆっくりと紅茶を飲む和奏に、


「な、なぁ。和奏、俺は何も聞いていないんだが? 例の件を知られた?」

「あー、この子たちにバレちゃった」

「あっさり!? い、いや、この件は秘密にしておくつもりだったのでは」

「だって、実際に信愛さんに会っちゃったし。本人にも貴方が父親だと教えてあげました。向こうもかなりびっくりしてたわよ」


 相も変わらず、和奏の性格は好戦的だ。

 修羅場、上等、大歓迎。


「嘘だろ、おい」


 八雲以外の相手には容赦なく、配慮も遠慮もない。

 頭が痛くなる思いの八雲は、


「和奏のそーいう性格、変わらなさ過ぎて辛い」

「褒めてくれてる?」

「まったく褒めてません。子供たちへの配慮すらないのか」

「隠しごとをするからややこしくなるんじゃない」


 彼女にとっては過去の話はもう終わってることだ。

 今さら蒸し返す気はないし、興味もない。

 八雲が恋奏に追い込まれても、のほほんとお茶を飲むありさまだ。

 恋奏は追及の手を止めず、


「水瀬信愛ちゃん。ご存知よね?」

「……」

「ノーコメントを貫く気かしら。ふーん。まぁ、いいけど」


 恋奏は数枚の写真を八雲の前に並べる。

 先日の文化祭で撮った信愛の写真だ。


「私の高校の後輩。最近、仲良くなったの。で、先日、我が母からとんでもない事実を聞かされた。私、とっても驚いちゃった」


 可愛らしく写る可憐な少女。

 それを八雲は複雑な心境で見つめる。


「この子、水瀬信愛ちゃんのお父さんは……」

「俺だと思います」

「そこは認めるんだ」

「いろんなことがあったけど、事実は事実だからな」


 人の親であるということ。

 そこを否定するほど、人間を捨ててはいない。


「お父さんが浮気して出来た子供が信愛ちゃんでしょ。いろいろと最低だわ」

「言いたいことはわかる。批判はあるだろうね」

「罵詈雑言を浴びせて批判してもいい?」

「やめてください。愛娘の辛らつな言葉は父を射殺す」

「はぁ……。ペナルティとして、将来、私が結婚した時には結婚式に出ないで? お父さん、今まで育ててくれてありがとうって、素直に言いたくない」

「父親に対する一番のペナルティじゃないか、それ!」

「当然のことでしょう。それくらいの罪よ、恥じなさい」


 父親に容赦のない言葉を浴びせる。

 恋奏の怒りを感じながら、「すみませんでした」と謝罪するしかなかった。


「お母さんはいいの? もう許してるの?」

「許してるわ。だって、私は八雲さんを愛してるもの。愛するって事はその人が罪を犯しても、許して受け入れること。隠し子がいるくらいでは揺るぎません」

「こ、この母は相変わらず、一途に歪んでるなぁ」

「相手が那智先輩なのは確かに不愉快ではあったけども。当時、私と彼女はとても仲の悪い間柄だったの。それ故に、ちょっかいだされたんだけどさぁ」


 彼に突き付けられていた写真を一枚、手にしながら、


「那智先輩の子供か。八雲さんの浮気は私自身の気の緩みが原因でもあるのよ」

「どういうこと?」

「私が高校を卒業してまもなく、八雲さんとの間に恋奏ができたの。出来ちゃった結婚とはいえ、憧れの相手との結婚に浮かれていたわ」

「そーでしょうね」

「で、その間、まさか八雲さんが浮気して、別の相手と子づくりしちゃってるなんて思いもしてなかった。しかも、相手は私の天敵。誰が想像なんてできる? 油断大敵、まさにその言葉通り。私にも隙があったのよ」


 自分を責めるように見せかけて、相手をぐっさりと刺し殺す。

 反論の余地を奪うその言い回し。


「幸せに浮かれて、普段なら見せない隙をつかれた。これは私の不手際だわ。幸せの絶頂にいる時って、どんな相手にも油断は生まれるの。恋奏も気をつけなさい」


 八雲は「じ、事情がありまして」と顔面蒼白で息していない。

 過去の過ちを後悔してもどうしようもない。

 軽蔑の眼差しを向け、恋奏は「やっぱり、お父さんは最低だ」と囁く。


「返す言葉は謝罪しかない」

「妊娠中のお母さんを裏切るって……。やっぱり、結婚式には出ないで」

「うぐっ。というか、そういう事を考えたりする相手がいたりするのか?」


 気になる娘の恋愛事情。

 八雲の発言に恋奏は「う、うるさい」と不貞腐れる。

 あいにくと、そのような男性とめぐりあいも、関係もない。


「恋奏。この件で八雲さんを責めるのはもうやめなさい」

「……いいの?」

「うん。あの時、私言ったのよ。『私を裏切るのはいいですけど、お腹のこの子を裏切るのだけはやめてあげてくださいね』って」


 まさしく当時の八雲の心をえぐり取るような一言である。

 浮気されても離婚することもなかった。

 それは和奏の愛情が本物だからこそだ。


「その約束、今も守ってくれてるからそれでいい。ねぇ、八雲さん?」

「……はい」


 自業自得の最低野郎にはそれが大層に堪えたのだろう。

 和奏と八雲の結婚生活に、それ以降は喧嘩1つも起きていない。

 常に彼女と子供の事を考える、いい父親だ。


「あれ以来、八雲さんは私に一途だもの。今でも一緒にお風呂に入ってくれるし、週3の夜の求めにも断ることなく応じてくれる。世間的にはセックスレスだ、なんだと叫ばれてるのに、我が家では全く問題なしよ」

「堂々と言わないでください」

「今日は疲れてるんだ、なんて言われたことないわよ? いつだってラブラブです」

「だーかーら、やめてー!? 親の性事情なんて知りたくないわ」


 子供を前に恥らいはないのか、この母は、と嘆きたくなる。


「あー、赤ちゃんがなぜできないのかという質問の答えは私の体質ね。こーみえて、子供ができにくいらしくて。それがなければ大家族になってたのに」

「我が家をテレビに出さないで」


 とにかく、夫婦の仲の良さは恋奏も認めるところだ。


「私、愛されてるわ」

「ただの飼い殺しじゃん」

「違うわよ。真の愛に目覚めてくれただけよ、うふふ」

「物はいいようだけど、お父さん的にも反省はしていたみたい」


 思えば、父は母に対して一度も喧嘩らしい喧嘩をしてるところを見たことがない。

 それは、一度犯した過ちを反省してるゆえにではないか。

 そう考えると、恋奏としても、わずかに許してもいいかなと言う気持ちもわく。


「お母さんは信愛ちゃんの事を知ってたの?」

「なんとなくだけどね。八雲さんと那智先輩の間に子供がいたのは知ってたわよ。それに、誕生日が近くなると写真を送ってくるみたい」

「ホント? 信愛ちゃんの写真があるの?」

「えっ。知ってたのか」

「ふふふ。私に八雲さんの知らないことなどありません」


 胸を張って和奏は微笑む。

 隠し事をしても、それを見つけ出すのは十八番だ。

 元スト子に秘密など隠し通せるものではない。


「八雲さんの机の引き出しの上から二番目、その左奥にアルバムがあるわ。中はみてないけども、多分、信愛さんの写真でしょう」

「……毎年、誕生日前に一年分、12枚の写真を送ってきてくれてる」

「あの人も律儀と言うか。最初は嫌がらせかと思ってたけど、子を想う母というところかしら。年に一度のことだから許してきました」


 娘の成長記録とばかりに、那智は写真を送り続けている。

 それは“貴方に娘がいることを忘れないで”というメッセージか。

 一年、一年、成長を続ける信愛の姿。

 八雲も写真でしか見たことのない娘の存在を忘れることはない。


「というわけで、過去の話はお終い。いいでしょ、恋奏?」

「納得はしてないけどね」

「大人になれば分かることもある」

「そーいうもの?」


 恋奏に分かるのは親同士の因縁と八雲の裏切り。

 だが、優しい父が母を裏切るような真似を簡単にするのだろうか。

 そこには疑問がある。


――いろいろとあった、か。何があったのかしら。


 どんな経緯で信愛の母と関係を持ち、彼女が生まれるようなことになったのか。

 悪女と呼ばれた水瀬那智。

 その恋愛事情と隠された過去。

 悪女が娘想いの優しい母親に変わるまで。

 その軌跡とは――。

 

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