最終話:純白の世界で笑うキミに

 

 数ヵ月が過ぎて、季節は冬になった。

 信愛たちも冬休みに突入。

 かねてから予定していた家族旅行である。


「ふぃ。カニさん、美味しかったぁ。満腹なのです」


 大満足の信愛は温泉につかりながら、ご満悦の様子。

 旅館での食事はこれまで食べたことのない豪華なもの。


「あんなに豪華な料理は初めて食べたの」

「同感だ。いかにも旅館料理ってテレビで見る世界だからな」


 冬の定番のカニ料理に興奮した彼女である。

 普段は小食の信愛もこの日ばかりは頑張った。


「さすがカニさん。まさに海の王様って感じだよね。シーフードキング!」

「んー、海の王様はマグロじゃね?」

「むっ。では冬の王様ってことで。ウィンターキング!」

「無駄にテンション高いな。美味しかったけどさ」


 これほどの食事は普段味わうことができない。

 

「それに、家族用の露天風呂まであるとか。ここってかなりお高いのでは?」

「多分ねぇ。でも、滅多にないことだからって奮発してくれたの。えへへ」

「俺までつれてきてもらっていいのかねぇ」


 今回の旅行、総司も連れてきてもらっていた。

 那智から誘いを受けた時には驚いたものだ。


「いいんだよ。総ちゃんも私の家族だもん」

「甘えさせてもらいましょうか。おばさんに感謝だな」

「それよりも、すっごいよ。雪景色の中に露天風呂。最高じゃない?」


 広がるのは一面の銀世界、お風呂の湯気と降り積もった雪。

 真っ白な雪に囲まれた露天風呂の景色を一望する。

 仲良くいつものように一緒にお風呂に入る。

 

「外に出たら寒くて死にそうだ。今は降ってなくて正解だな」

「えー、もう風情がないなぁ」

「リアルにお風呂に入るまでのわずかな間でも寒すぎて震えたわ」

「うん。それは否定しません。だけど、こんなに素敵なお風呂なんて贅沢だよぉ」


 彼女にとって旅行は滅多にないので大いに楽しんでいる。

 家族風呂としてのこじんまりとした露天風呂。

 それでも、雪景色と温泉は最高の組み合わせである。


「こうしてのんびりと信愛と旅行するのも悪くないな」

「次に行くのは新婚旅行だね。ハワイに行きたい」

「定番中の定番。王道を選ぶな」

「いいじゃん。憧れは憧れだもん。総ちゃんが連れて行ってくれるかは別として」

「……考えておきます」


 信愛にそう言葉を返すと、総司は湯船につかったまま、


「いつくらいになるかね」

「卒業後すぐでもいいよ?」

「そこはちょい待ってくれ。現実的に無理っす」

「むぅ。リアル思考はダメぇ。夢がないの」

「俺まで夢見る性格してみろ。ふたりして共倒れの未来しかないわ」


 遠くない二人の未来。

 結ばれあうことを約束しあうもの。

 総司が信愛を幸せにする日は遠くて近い。


「総ちゃん。最近、シアが変わったところがあります。どこでしょう?」

「いきなりだな」

「ふふふ。いつも私と一緒にいる総ちゃんは気づくかな?」

「えっと……」


 信愛の身体に視線を向けて、考え込む。

 ざっとみて特に変わった様子もない。

 だが、あえて言うからには何かが変わったのだろう。


「性格? あー、ないわ」

「即否定は禁止! それはシアが子供っぽいままという意味?」

「半分正解。それじゃ、髪型とか?」

「髪をおろしてる時に聞く質問じゃないし。髪型はほぼ毎日変えてますけど」

「他には……もしかして、太った? 秋頃にお菓子を食べすぎたせいか」

「ふ、太ってません! 恋人によく言えたなぁ。失礼な人ですね!」

「い、いてぇ。叩くのはやめろ」

「ふんっ。これだから鈍感でダメな男の子は……」


 頬を膨らませつつも、信愛は自慢げに自分の胸元を触れると、


「くふふ。実は胸のサイズがアップしました」

「あ、そっち。うん、何となく気づいてた」

「毎日、見てるしね。総ちゃんが揉んで育てたと自負します?」

「そういう意味じゃないよ。エロい意味じゃない」

「どういう意味?」

「いや、なんて言うか高校に入ってから身長も少しだけ伸びてるだろ? スタイルもそれに合わせてほんの少し成長してるんだろうなって思ってた」


 的を射てるようでど真ん中ではない答え。

 もう少し褒められたかった。

 ふてくされた信愛はお湯を総司にかけながら、


「……身長が伸びたのはわずかだけどね。ちぇっ。どうせ、BからCに変わった程度じゃ総ちゃんは大興奮してくれませんよねぇ。EやFじゃないとダメなのかしら」

「おい、こら。なんてことを言う」

「総ちゃんは巨乳好きだもんね。レンカお姉ちゃんくらいじゃないと反応してくれない。どうせ、シアはロリ体型ですよ。ぐすっ」

「……またそういう反論に困るようなことを言うな」

「総ちゃん。お願いです。ロリコンになってください」

「俺が社会的に死ぬから嫌だ!」


 決して信愛も子供のような体型ではない。

 胸元は寂しくとも、女の子としての色気を感じることもある。

 ぽんぽんと頭を撫でてご機嫌を取る総司は、


「好きな女の体型が理想と違っても嫌いになることなんてないぞ」

「……全然フォローしてくれない、総ちゃんが嫌いデス。ていっ」

「つ、つめたぁ!? お前なぁ、雪を人の顔にぶつけるなよ」

「総ちゃんはもう少し乙女心を理解できる良い男になるべきだ」


 言葉選びを間違えて雪玉を放り投げられる。

 すぐさま、お湯で顔を洗い温もりを求めた。


「はぁ。いいお湯だぁ。生き返るぜ」

「あったかくて気持ちいい。眠たくなりそう」

「ここで寝るなよ。リアルにやばい」

「お風呂に入ってると眠くなるよねぇ……すぅ」

「だから、寝るなぁ!? もう、そろそろ出るぞ。はい、終了」

「いーやー。もう少しこうしてたいのぉ」


 いつまでもつかっていたい温泉の魅力。

 眠りそうになる信愛を強引に起こして、お風呂からあがる総司だった。






 お風呂上り、部屋に戻ると那智がひとりでお酒を飲んでいる。

 空になった梅酒の缶に目を向ける。


「あー、ママ。お酒を飲んでる」

「いいじゃない。少しだけよ、少しだけ」


 飲酒した那智はほのかに顔が赤らんでいる。


「むむっ。ママはお酒を飲むとすぐ抱きついてくるもん。お酒臭いのは嫌ぁ」

「んー、信愛がダメなら総司君に抱きついちゃおうかなぁ?」

「もう酔ってますよね!? ダメなの。総ちゃんは私のものなの」


 取られたくないと、総司に抱きついて身を挺して守る。


「あはは、冗談よ。冗談。ほら、信愛も何かジュースでも買ってきなさい」

「ふわぁい。総ちゃん、行こう」

「あ、ちょっと総司君は貸して。お話したいから」

「……抱きついちゃダメだよ?」

「しないってば。はい、お小遣い。いってらっしゃい」

「はぁい。総ちゃんの分も買ってくるね」


 追い出されるように総司を残して信愛は部屋を出ていく。

 残された彼は「えっと」と戸惑いつつも、

 

「おばさん。旅行に連れてきてありがとうございます。すっごく楽しめてます」

「それはよかった。総司君を連れてきて正解だわ」

「え?」

「今日は大好きな信愛の笑顔がたくさん見れたもの。やっぱり、あの子は総司君と一緒にいる時が一番可愛い笑顔を見せてくれるから。親バカかな?」


 満足げな那智に「いえ、そんなことはないと思います」と答える。

 愛しい娘に好きと言えるのは良い親子関係だ。


「那智おばさんはホントに信愛が大事なんですね」

「当然ね、可愛い娘だもの」

「で、俺を残したわけは? 何か聞きたいことでもあるんじゃないですか」


 総司をわざわざ一人にしたのは理由があってのことだろう。


「……勘がいい子は好きよ。うん。あの子さぁ、和奏の子供と仲良くしてる?」

「恋奏先輩と?」

「そう。信愛には聞きづらくて」


 恋奏と信愛の関係はかなり仲がいいものだ。

 この前も一緒にテスト勉強をしており、無事に信愛は期末テストをクリアした。

 面倒見のいい恋奏もとても可愛がっている。


「いいと思いますよ。本人たちは姉妹ということを受け止めて仲良くしてます」

「……姉妹ねぇ?」

「那智さん的にはやめてほしいことですか?」

「別に。あの子が幸せならそれでいいわ。ただ、和奏っていう女は性格がすっごく悪いからさぁ。うちの可愛い娘にちょっかい出されないか心配で」

「貴方たちの過去にどれだけの遺恨があるんですか」

「次に直接会ったら確実に潰すわ。娘のためにさっさと消えてもらいたい」

「普通に怖いです!」


 和奏と那智の因縁。

 この先、一度たりともふたりを会わせてはいけない。

 ちょっと顔を引きつりながら、総司は事実を告げる。


「信愛が恋奏先輩と仲良くしてるのはホントです。アイツは基本的に甘えたがりなやつだから。先輩も可愛がってくれてますし問題はないでしょう」

「それならよかった。これからも信愛を見守ってあげて。キミのことは信頼してるのよ。小さな頃から総司君が信愛に接する姿を見てきてるから。将来を任せてもいいって思ってる。この信頼、裏切らないでね?」

「あ、はい。頑張ります」

「頑張るじゃないの。裏切らないって誓いなさい。ちーかーえー」

「ち、誓いますので。顔が近いですよ」


 酔った女性には勝てない。

 美人に顔を近づけられると彼も素直に照れる。

 顔を赤らめながら総司は「信頼してください」と改めて宣言だけしておく。


「……あの、俺からもひとつだけ聞いてもいいっすか?」


 それはどうしても聞いておきたいことだった。


「気を悪くしないでください。信愛を身ごもった時、諦めるって選択肢はなかったんですか? 相手も相手ですし、周囲の協力も得られなかったんでしょう?」


 自分の人生の分岐点。

 周囲から見放されても、彼女は自分の意志を貫いたその理由。

 那智は酔っていたせいか、総司の問いに平然と答えた。


「迷いなんてなかったなぁ。あの子を産むって選択肢以外はなかった」

「どうしてですか?」


 それは那智の本心。

 信愛が知りたがっていた真実。


「――だって好きな人の子供だもの。可愛いに決まってるじゃない」


 それは那智にしては珍しく口に出した本音の言葉。

 好きな人、初めて彼女が認めたこと。


「はじめはさ、あの人のことが大嫌いだった。世界で一番嫌いな女が好きな相手。それだけだったのに。なんでかなぁ。私なんかに優しくしてくれちゃってさ」

「気づいたときには好きになってた?」

「お腹にあの子がいた時、私はひとりじゃないって思えたの。あの人との絆であり、愛しさの証拠だもの。迷う理由なんてひとつもない。だから、信愛を産んだの」

「……那智おばさん」

「子育ては大変だったけど、信愛が毎日成長していく姿は……」


 そこまで言いかけて那智はようやくハッとする。

 言わなくてもいいことを言ってしまった。

 その時の恥ずかしさは消えてしまいたいものである。


「あ、あぅああぅぁ……」


 那智は言葉にならないようで頭を抱えてうなだれている。

 

――意外に可愛いな、この人。


 お酒というのは人の心のカギを開けてしまうことがある。

 心の内側に封じ込めていたはずの言葉がポロリと零れた。

 酔いに任せてうっかりと自分が口に言ってしまった発言を取り消すように、


「こほんっ。総司君。キミは口は固い方よね?」

「え、えぇ。何も話しませんよ。なので、命の危機になりそうな手元の花瓶は離してもらえませんか? それ、飾りなので触らないようにしてくださいね!?」

「それは総司君次第かなぁ?」


 凶器を片手に笑顔で言われて泣きそうな総司である。

 今まさに、温泉旅館で密室殺●事件が起きようとしてる。

 どうやら、自分は聞いてはいけないことを聞いてしまった。

 

「やべぇ、超怖いっ」


 人間長生きする秘訣は『知らなくていいことは知らないままでいること』だって、よく祖父が言ってたのをこんな時に思い出してしまった。


――じ、祖父ちゃんの言うとおりだったぜ。


 迂闊に秘密を知ってしまったがために、総司はある意味で追い込まれる。


「改めてこのセリフを言わせてくれる?」

「どうぞ」

「私の“信頼”を裏切らないでね?」

「は、はひ。全身全霊をもってその信頼にお応えします」


 そう言わなければ、雪山に埋もれさせられるに違いなかった。

 信愛がのんきな様子で「ただいまぁ」と戻ってきたのは数分後のことだった。

 昔懐かしいラムネを手に持っている。


「総ちゃん、総ちゃん。見てぇ。ラムネがあったぁ」

「ラムネ? あぁ、ビンのラムネな」

「しゅわしゅわ。飲みたい。開けてくれる?」

「あー、やってやるから。お前が触るとこぼれる」

「そもそも開け方が分からないから開かないんだけどねぇ」

「そこからかよ。はいはい、おとなしく俺に任せておけ」


 器用に開けてもらうとビンのラムネに信愛は口をつける。


「うん。この程度のしゅわしゅわは大好き」

「お前は強炭酸系はダメなんだよな」

「ズキズキ痛いもん。炭酸が喉に来るのはダメぇ」


 信愛の好みに付き合い、総司も甘いラムネを飲む。

 甘ったるい独特の味が美味しい。


「そーいえば、ママと何を話してたの?」

「え? あ、うん。そうだな」

「……」


 那智からは「例の事をしゃべったら雪山行き」と無言の圧力をかけられている。

 

――こえぇ。雪山で最期を迎えるのは避けたい。


 冷や汗をかきながら適当に誤魔化す。


「話をまとめると、これからも信愛をよろしくってさ」

「なぬ? あれですか、さっさと結婚しなさいって圧力ですか。いつでもいいよ」

「そっちの話じゃねぇよ」


 違う意味の圧力はかけられてるが。


「信愛のことを幸せにするのは約束してもらわないとねぇ、総司君?」

「そこは信頼してもらわないと」

「だそうよ。信愛、結婚式はいつ、どこにする?」

「いつのまにそーいう話に!? 似たもの親子ですよね!」


 笑みを浮かべながら信愛は総司に甘えるように抱きつく。


「大好きな総ちゃんとずっと一緒にいたいもん」


 どうしようもなく、甘えたがりな恋人。

 可愛くて、可愛くして仕方がない。


「あー、雪だぁ。総ちゃん、雪が降ってきた」

「ホントだな。雪って見てるだけなら楽しいよな」

「そうだね。幻想的だし。ふわふわしてる雪って見てたら和む」


 先ほどまでやんでいた白雪が再び降り始める。

 窓の外を小さな綿のような雪が舞う光景。


「……信愛」


 総司は純白の世界を見て笑う信愛に見惚れる。


「なぁに?」

「何でもない」

「そう? ねぇ、また家族で旅行に来たいね」

「あら、信愛。その時は新しい家族もできてるかもよ?」

「うわぁ。そうだといいなぁ。だってさ、総ちゃん」


 親子にプレッシャーをかけられて逃げ場のない総司は、


「期待した目で見るんじゃないっての。……それもアリなんじゃないのか」

「えへへ。最初は女の子がいいな。二人目は男の子。三人目は……」

「な、何人くらい家族を作る気だ、この子」


 信愛の中では壮大な大家族の計画があるようで。


「まぁ、期待にそえるように努力はしますよ」


 どこか照れくさそうに言う総司の頬に口付けする。


「――シアを幸せにしてくれる総ちゃんが大好きだよ」


 この小悪魔の笑顔に、勝てる男はどこにもいない――。

 

【THE END】


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