第24話:愛と憎しみの狭間で


「おい、信愛? 大丈夫なのかよ」

「んー」


 文化祭を終えて、家に帰宅したシアはリビングに座りボーっとしている。

 言葉少なめな彼女を心配そうに総司は見つめる。


「そろそろ、何があったか教えてくれないか?」

「……」

「信愛? 先輩に呼ばれた時、何があったんだよ?」


 総司が再会した時には信愛はこのありさまだった。

 文化祭の続きはほぼ上の空。

 家に帰っても、反応が薄すぎて、心配になって当然だ。


「……あのね、総ちゃん。ぎゅってして」

「え?」

「抱きしめてください。むぎゅって」


 信愛に言われるがまま、その小さな体を抱きしめる。


「これでいいか?」


 ソファーに座る彼女を背後から抱きしめると、


「うん。ありがと」


 小さくそう答える。

 それは甘えるというよりも不安を解消したいだけのようにも見える。


「言えない事なら無理には聞かない。でも、お前が誰かに話したいなら聞いてやる。ほら、何か言ってみ?」

「……総ちゃん」

「悩んでるときは口に出した方がいい。それに俺はお前の恋人だし、悩みくらいは一緒に悩んでやれるぞ。俺には話せないか?」


 普段と違って、優しい総司の言葉に信愛は、


「重苦しくて、泥沼に陥りそうなシアの心境を一緒に共感してくれる?」

「ごめんなさい、俺、泥沼な展開に巻き込まれるのは勘弁っす」


 即答で拒否された。


「って、こーらー。そこはそれでもシアの悩みを聞いてくれるんじゃないの?」

「いや、そこまで重い話はちょっと……。マジでそっち系かよ」

「くっ。シアの恋人は肝心な時にヘタレるダメな人だった」


 彼は「失礼だな」と拗ねながらも、暗くなりかけていた雰囲気は消し飛ぶ。


「……言ってみ? ちゃんと聞くだけは聞いてやる」


 ようやく信愛の重い口が開いた。

 抱え込んだ不安をひとりでため込むことができない。

 

「端的に言えば、シアのパパが判明しました」

「え? 誰だよ?」

「その相手は恋奏先輩のお父さんらしいです。名前は神原八雲。恋奏先輩のお母さんにいろいろと教えてもらいました」

「は?」

「シア、人生で最大級の修羅場に巻き込まれました。泣いていい?」

「……とりあえず、それだけでお前がどれだけ苦しかったのかは理解した」

「ふぇーん。ホントに怖かったんだからね?」


 よしよしと震える信愛を慰める総司は、


「恋奏先輩のお父さんってことは……ふたりは異母姉妹?」

「はい。ママは浮気相手ってことらしい」

「マジかぁ。思ってた以上に泥沼だな」

「予想してた事ではあるけどねぇ。シアは現実の厳しさを思い知りました」


 冗談ながらも考えていたことだった。

 しかし、現実となると話は別で。


「恋奏先輩のお母さんに厳しい言葉とか言われたりした?」

「全然。その辺は何か不思議な人で、私の事を許すって言われた」

「許す?」

「愛は許すことなんだって。だから私の存在も許せるって」

「なんだ、そりゃ?」

「過去に旦那さんがしたことも愛してるから許せるんだって。そう言われた時、シアはものすごく怖くなったの。そんなの普通じゃ無理で、できないもん」


 逆の立場だったならば到底許せるはずがないと信愛は思う。


――許せるはずない事を、簡単に許した。それって普通じゃない。


 例え、愛情があっても、その裏切りを許せるかどうか。


――あの人は怖い。底知れない怖さをシアですら感じる。


 行き過ぎた愛情は時に歪んで見えるもの。


「総ちゃんが浮気したときも、許せるはずがない」

「俺は浮気なんてしたことがないんですが! これからもしません」

「ふんっ。総ちゃんは口ばっかりだからね」

「……お前なぁ。そこは信じようぜ」

「でもさ、普通はそうなんだよ。好きな相手だからって相手のことを全部許せるはずがないの。でも、和奏さんは違うっぽい」


 感情的になりやすい信愛とは根本的に愛の考え方が違う。


「自分が妊娠してる時に浮気されて、相手にも子供ができて。それを許せるのは愛だなんて言えるかな。シアには無理だぁ。理解できない」

「話だけ聞くとアレだけど。事情があったりするんじゃないの」

「……確かにママと何か因縁があったっぽいけどさぁ」


 那智を退学に追い込んだのは自分だと言い切っていたのを思い出す。


――何をどうすれば、そんな風に追い込まれるのか分からないけど。


 どちらにしても地雷なのは明白だった。


「おばさん。もうすぐ帰ってくるんじゃないのか。聞いてみたりしたら?」

「だ、ダメだってば。こんな話をしたら絶対に……!」


 ハッとした信愛が振り返ると、今、まさに那智が帰ってきたところだった。


「ただいまぁ」

「う、うわぁ!? ま、ママ!? おかえりなさい」


 慌てふためく信愛は「あー、あー」と言葉にならない。


「あら? 総司君もこんばんは。いつも信愛と“仲良く”してくれてるのね」


 彼女を抱きしめたままの格好だったので、どことなく気まずさを感じる。


「もしかして、お邪魔しちゃった?」


 ソファーで抱き合う光景を見れば、そう誤解されてもおかしくないわけで。

 別に今さら信愛と総司がどうこうしてようと気にしない那智ではある。


「あ、あの、おばさん。今、ものすごくタイミングが悪いのは承知で言うのですが、別に何かしらの行為をしていて、動揺してるわけではありませんからね?」

「違うのかしらぁ? それじゃ……」


 那智の言葉が途中で止まる。


「信愛。何かあった?」


 冗談めいた言葉をつぶやくのをやめて真顔になる。

 それは信愛が総司に抱きつく手がわずかばかり震えていたせいだ。


「……何でもないです」

「何でもないなら、そういう顔をして言いなさい。お母さんに内緒は禁止」

「で、でも……どうしよ、総ちゃん?」


 総司の顔色を伺う信愛に「もしかして?」と那智は表情を変える。

 ふたりの間に流れるいつもと違う空気を察したらしい。


「まさか子供、出来ちゃった? あれだけ避妊はしておいてって言ったのに」

「ち、違いますぅ!」

「あれ、違った? そっちの方向じゃない?」

「全然違うし! あぁ、もうっ。何か悩むのに疲れたから単刀直入に言います。シアのパパの話なの。その、和奏さんって人に今日会いました」


 和奏という名前が出た瞬間に那智は、


「和奏と会ったの? どうして? なんで? あの子が信愛の事を知ってるの?」

「ふ、ふぇ?」

「何か言われた? うちの娘に何かしたら許さないけど。何された?」


 信愛は詰め寄られてあたふたとする。


――や、やっぱり地雷だった。


 ただならぬ那智の反応。


「あ、あの……最初から説明するね」


 ただならぬ雰囲気を察した信愛は一から事情を説明することに。

 文化祭で遭遇した和奏から聞かされた真実。

 その話を聞いていた那智は大きなため息をつきながら、


「……最悪だわ。よりにもよって、和奏に見つかるなんて」

「あのー、ママと和奏さんはどういう関係なの?」

「一言で言えば、宿敵関係? この世で一番不幸にしたい女」

「ママの人生にその人は何をしたの?」

「私の人生を狂わせて、壊してくれた最低な女よ」


 敵対関係がよく分かる一言だった。


「シアのパパはその人の旦那さんだと聞きました。本当なの?」

「……ノーコメントで」

「いや、そこはノーコメントにしちゃダメでしょ。おばさん、いくらなんでも秘密主義すぎ。母親として言うべきことがあるのでは?」


 総司の突っ込みに、那智はぷいっとそっぽを向く。


「特にはないわ」

「えー。そこは『ついに話す時が来たのね』的な展開になるはずでは?」

「ないです。私の過去を話すつもりはありません」

「いやいや!? あれぇ……?」


 何かしら話してくれると期待していた信愛も、思わずきょとんとしてしまう。


――マジですか。ホントに過去が嫌いなのかも。


 ここまで話したがらないとは思わなかった。


「おばさん。信愛には知る権利があるはずですよ」

「だとしても、信愛に嫌われたくないもの。可愛い娘に嫌われたら、私は生きていけないもの。嫌われたら、また引きこもるわよ」

「……そこまでの事をした自覚はあるんですね。だってさ、信愛?」

「うん。分かってるよ。シアはママの事が好きだから、嫌いになることはない。だから、二人の事もこれ以上は聞きません。……でも、これだけは教えて」


 信愛はその純粋な瞳を那智に真っすぐに向けて、


「シアが生まれたことは、ママにとっての“復讐”でしかなかったの?」


 和奏に言われたその言葉だけが信愛の心にトゲのように突き刺さっている。


――復讐がしたかったから、パパと関係を持っていたと言われたらショックかも。


 信愛の存在がふたりにとって祝福されたものではなかったら?


――自分の人生を賭けた復讐だなんて、報われなさすぎる。


 那智と八雲の関係がどのようなものだったのか。

 信愛は「どうなの、ママ?」と相手の言葉を待ち続ける。

 しばらくの沈黙の後。

 俯きがちな那智は「違うわ」と消え入りそうな声で否定する。


「私は信愛のこと、復讐の結果だなんて思ったことは一度もない。信愛が生まれたことは私にとっての人生を変えてくれたことだもの」

「ママはシアを産んだことを後悔してない?」

「後悔してない。だから、そんな風には思わないで。私は信愛がいなくちゃ生きていけなかった。貴方だけが私の生きがいだったの」


 これまで那智が過去を語りたがらなかった理由。

 その断片だけでも分かったことが信愛にとっての唯一の成果でもあった。





「パパとの関係。何もかも捨てちゃいたい過去なのかな」


 今日は総司の家に泊まると言い残して、彼女は家を出た。

 那智も一人になりたがっているように思えたからだ。

 総司の部屋で同じベッドに眠りながら、


「男と女の関係って難しいね」

「単純じゃないだろ。俺たちみたいにさ」

「愛し合うだけじゃダメってこと?」


 信愛にとって“愛”とは身近なものであるが。

 すぐ傍に手を伸ばせば愛する人の温もりを感じられる。

 

「人間同士の複雑な感情がもつれ合うこともある」

「……総ちゃん。浮気しちゃダメだよ」

「今、その話に持っていくな!?」


 話がややこしくなる、と彼は「おばさんも強情だよな」と話題をそらす。


「あそこでだんまりとかないわ。そこまでして隠したいことってなんだ」

「ママが隠したいのは自分の想いだったり、気持ちだよ」

「え? それって」

「ママは素直じゃないから。人に想いを伝えるのが苦手なの。でも、愛情は深い人だから、いつも自分ばかり傷ついて。パパの事だってホントは好きだったんじゃないかな」


 娘である信愛にはよく分かる。

 母の那智が隠す心の弱さ。


――ママは本音を隠しちゃう人だから。


 真実を話すつもりはない。

 そう那智が言い切ったのは隠したい気持ちがあるからだろう。


――きっと、パパと何かあって、好きになっちゃったんじゃないの?


 そして信愛が生まれることになった。

 那智の本心を想像することしかできない。

 それは彼女自身の願望でもある。

 復讐ではなく、愛情の結果として自分がこの世に生まれたのだと信じたい。


「ママたちは恋愛じゃない、と和奏さんは言ってた」

「どうかな。浮気相手だぞ。恋愛だったなんて認めたくないだけじゃないか」

「認めたくない?」

「自分以外の相手へ愛情を向けられたことを許せない、認めたくないって意味だ」

「それはあるかも。あの人の愛は怖いからなぁ」


 和奏の想いはある意味で、那智とは正反対だ。

 想いを隠さず、強欲なまでに相手の愛情のすべてを欲しがる。


――どこまでも一途すぎると怖い。


 底知れぬ怖さを和奏に感じたのも事実である。


「お前の愛情も似たようなものだけどな」

「むすっ。シアは一途な愛情ですぅ」

「一途な愛情があれば、俺の学園生活を崩壊しかけたことを水に流せると思うな」

「あれは総ちゃんが悪かったんだい。過去を蒸し返すなぁ」

「い、いてぇ。叩くんじゃない」


 ベッドの中で信愛に叩かれながら総司は、


「愛とは時に周囲が見えなくなるほど暴走することもある」

「……反省しませんよ」

「いや、アレは反省しろよ」

「ふんっ」


 ふてくされる信愛だが、総司に抱きついて、


「総ちゃん。今日は疲れた」

「いろいろとあったな。ゆっくり休め」

「うん。あのね、シアは総ちゃんが恋人でよかったよ。こうして辛くても、癒してくれる大事な人がすぐ近くにいるって安心できるもん」

「……そうか」

「シアは総ちゃんが大好きです」


 総司というかけがえのない恋人の存在が信愛の救いだ。


「ちゃんと愛して。好きだって言って?」

「好きだよ、信愛」

「えへへっ」


 愛情を確認しあうと彼にぎゅっとする。

 彼女は「そろそろ寝ようか」と小さくあくびをする。


「おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ」


 ゆっくりと目をつむりながら信愛は眠りにつくのだった。

 小さな不安を胸に抱えながら。

 

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