第23話:空気を読まない人は怖い
運命の悪戯なんて言葉では済まされない出来事。
文化祭の真っ最中である教室の片隅で。
「貴方はお父さんによく似てるわ。その目元がそっくりなくらいに」
などと、爆弾発言をする和奏である。
「……っ……」
唖然とする信愛は何も言葉が出てこない。
――和奏さんはシアのパパのことを知ってる?
これまで誰にも聞けなかった。
――ママの事も知ってるし、この人は一体?
真実を知る機会が思いもしない形で訪れたのだ。
和奏はそんな信愛の揺れ動く気持ちなど、知ったものかとばかりに、
「……あーあ。ホントに似てるのが悔しい。私の二人の子供は、あの人に似なかったの。まさかこっちの子が似るとは思わなかった」
そっと、和奏が目を細めながらそう呟く。
「動画を一目見て直感したわ。貴方はあの人に似すぎてる。あの時の子供が貴方なんだってすぐに分かっちゃった」
戸惑いを隠せず身体をぞわっと震わせる彼女に和奏は囁く。
「見れば見るほど、よく似てる。ねぇ、神様はずるくない? 私じゃなくて、彼女との間の子供の方が似てるって。貴方もそう思わない?」
そう尋ねられても意味も分からず、困るしかない。
「あ、あの……」
信愛は絞り出すように声を出す。
「シアのパパを知っているんですか?」
「……よく知ってるわよ。その質問を私に尋ねるのはナンセンスね。私がこの世界で一番大好きな人だもの。こちらからも質問していい?」
「は、はい?」
「まずは貴方の住所を教えてもらっていい? この紙に書いて」
「えっと」
「正確に、ていねいに。偽りなく。どうぞ?」
有無を言わせない態度に信愛は黙って従うしかない。
――うぅ、なんか怖いよぉ。断ったら食べられちゃいそう。
和奏に言われるがまま、差し出されたメモ用紙に住所を書き始めた。
どこか逆らうことのできない威圧感がある。
「こ、これでいいですか?」
「ありがと。ふーん。なんだ、隣町だったんだぁ。意外と近くにいたのね」
住所の書かれたメモを眺めながら、
「私たちの前から姿を消して十数年。どこで暮らしているかと思えば、こんなに近くに。てっきり、県外には出てるものと思い込んでたわ。那智先輩は元気?」
和奏は怒っているわけでもなく、静かに信愛に問う。
「えぇ、元気ですよ。……シアのママを探してたんですか?」
「いいえ、私は興味がなかったから。ただ、彼女の妹はずっと探してた。那智先輩は実家から追い出されて以来、行方不明だったもの」
「ママが行方不明?」
「実家を追い出されたの。どーしていたのかと思いきや、近くにいたのは驚きよ。こうして巡り合えたのは幸運かしら? いえ、ただの運命なのかもしれないわね」
「運命……」
「そう、運命。人間ってさぁ、どうしても巡り合うようにできてるものってあると思うの。誰もが運命からは逃げられない。私も、那智先輩も」
和奏は複雑な表情を浮かべながら、
「そして、信愛さん。貴方自身も――」
ズキッと胸の痛むような思いがする。
――運命からは逃げられない?
自分に何の運命があるというのだろうか。
――シアが生まれた理由。それって何かあったの?
この重苦しい空気をぶち壊したのは、
「――こらぁ、お母さん。教室でいきなり何を言ってますか!」
意味不明すぎて黙り込んでいた恋奏だった。
突然の母親の暴走を止めるべく、彼女は声を荒げる。
「恋奏? うるさいわよ。他のお客さんに迷惑でしょう」
「修羅場ってる人が言うセリフかぁ。あのね、さっきから話を聞いてたら、まるで信愛ちゃんのお父さんが私のお父さんみたいな言い方なんですけど!」
「……えぇ、そうよ。信愛さんのお父さんは、私の愛しい旦那の八雲さん。十数年前にあの人が浮気してできた子供がこの子です」
「「――!?」」
信愛も恋奏も驚きすぎて唖然としてしまった。
あまりにもあっさりと認めてしまった。
和奏は「言ってなかった?」と軽く発言するありさまだ。
「あー、ごめん、ごめん。驚かせちゃった?」
「そ、そういうのは普通、言葉を濁すんじゃ」
「隠しても意味ないから面倒。先に言っておくけども、私はその件で怒ってるわけじゃないから。もう何年も前の話だもの」
すべては過去、と切り捨てる彼女は真顔で、
「当時はそれなりに揉めたけどねぇ。今さら蒸し返すことはしないわ」
「……し、信愛ちゃんが私と同じお父さんって?」
「那智先輩が私の八雲さんにちょっかい出して、子供がデキちゃった。その当時、私のお腹の中には恋奏がいたわ。妊娠中は浮気されやすいって言うのは本当ね」
「――!」
「まぁ、ふたりはいわゆる異母姉妹ってやつ? あぁ、八雲さんは信愛さんの認知はしてないし、これからもさせるつもりもない。そこだけは諦めてちょうだい」
淡々と言葉を告げる和奏。
母から聞かされた事実に恋奏は慌てふためくしかない。
「そんな大事な話をこー言う場所で言わないでよ!? お母さんのそーいうところが嫌い。ホントにデリカシーないなぁ! 空気が読めない人か!」
怒って見せる恋奏に、和奏は肩をすくめて苦笑気味に言う。、
「私、空気が読めないんじゃなくて読まないんです」
「読んでよ!? こっちは頭がついていかないくらいなのに」
「そんなに怒っちゃダメよ。下手に注目されると、それこそ問題じゃない?」
「うぐっ」
「今の私たちを注目している子たちはいない。それぞれのテーブルで雑談してるだけだもの。騒ぐ方が注目されるわよ」
教室の片隅で起きている事件など、周囲は今のところ、気づいていない。
だからと言って、この手の話を公の場でしていいわけではない。
空気を読まない和奏に対して苛立ちを覚える。
「……せめて、場所を変えない?」
「いいわよ。それじゃ、信愛さん。どこかに行きましょ」
「あ、いや、待って!? 私を話から外す気なの」
「恋奏は文化祭のお手伝いがあるでしょ。それにそのウェイトレスの格好で学校内を歩きたい? さらに注目されちゃうわねぇ?」
「くっ。この人、ホントに最悪だわ」
「あら、お母さんに向かって何て言い方なのかしら」
結局、この場で話を続けるしかないのだ。
恋奏の目の届かない所でふたりっきりなどさせれば、何をするか分からない。
他の誰かに興味を持たれないように小声で話を続ける。
「私と信愛ちゃんが姉妹って、ホントに? お父さんが、その……」
「浮気しちゃってできた子が信愛さんよ。間違いないわ」
「そーいうことをはっきりと認めないでよ。やめて。信じたくない。あのお父さんが浮気? そんなことをする人じゃない」
「そんなことをしたから、信愛さんが生まれたんでしょ」
しれっと平然に言葉にする母に「信じられない」と恋奏は顔を手で覆う。
――さすがの恋奏先輩もひどく動揺してるや。そりゃ、そうだよね。
実の父の裏切り行為を聞かされて平然としてる娘はいない。
信愛よりも彼女の方が動揺が大きいようだ。
ショックのあまり沈黙してしまった。
「大人しくなっちゃった。まぁ、この子はいいわ。で、信愛さん。他に聞きたいことはないの? どうせ、その反応なら那智先輩からは何も聞いてないんでしょ」
どう反応していいのか、手探りながらも質問を投げかける。
「貴方はシアのことを憎んだりしてないんですか。一応は愛人の子でしょ」
この再会はどう考えても、修羅場になるのが普通なのに。
信愛に対しては和奏は特に思う所がないようだ。
「別に? 貴方に思うのはあの人に似てるなぁ、と思う事だけ。あと愛人じゃないわ。八雲さんと那智先輩は肉体関係を持っていても、恋愛関係ではなかったもの」
「……恋愛関係じゃなかった」
「えぇ。だから、愛人ではなく、ただの浮気。それに……」
「それに?」
「那智先輩はね、私に復讐がしたかったのよ。あの人が引きこもり、高校を中退したのは私の行動がきっかけだもの。恨みも積もっていたんでしょう」
復讐、と言い切った。
それだけの因縁が二人の間にはあるのか。
「自分の人生をぶち壊した相手が、結婚して幸せになってるのが気に入らなかったんでしょうね。それで私の旦那にちょっかいを出したわけ」
「それじゃ、シアは……」
互いを愛し合い、生まれた子供ではなかった。
こういう現実も想像していなかったわけではない。
信愛の父親がどういう人間なのか、ある程度の想像通りだったともいえる。
「これが愛人ならば私も許せていなかった。八雲さんの愛は私だけのもの。他の誰にもあげません。那智先輩が自分の人生をかけた復讐は無意味だったわ。でもね、貴方が生まれた事は別。信愛さんの存在を否定はしない」
そっと信愛の頬に和奏は触れて優しく笑うのだ。
「ありきたりながらもこの言葉を貴方には言っておくわ。生まれてきた子供に罪はない。これは私と那智先輩の問題だもの。貴方が気にすることは何もない」
――ママと和奏さんの間に何があったのかな。
それを知りたいとは思わなかった。
雰囲気だけでも十分に分かることがある。
きっと一生分かり合えることのない深い溝があるんだ、と。
「信愛さん。愛って許すことだと思うのよ」
「許すこと?」
「そう。私は八雲さんだけが好きで、これからの人生も彼が一番大好きなままでい続ける。聞けば、貴方にも恋人がいるんでしょ」
「素敵で大好きな人がいます」
「その子をホントに愛するなら、信じ貫く強い思いが必要ね。多少の事で愛が揺らぐことなんてないように。私はそんな強い思いを八雲さんに抱いてるわ」
頬に触れたまま、和奏は信愛に囁くのだ。
「――だから、私は貴方の事も許せるの」
愛した人間が犯した罪すらも許す。
目の前にいる子供がその罪の証だとしても、揺らぐこともない。
和奏の真っすぐ過ぎる想いに信愛はたじろいだ。
――この人の愛は純粋すぎてどこか怖い。
自分には到底真似できない、深い愛情という形の依存。
触れられた手の冷たさを感じながら、信愛は身動きできずにいた。
ひとしきり、信愛と話して満足したのか和奏はそのまま去ってしまった。
嵐が過ぎ去った後、ぐったりとして机にひれ伏す恋奏である。
怒りやら悲しみやら、言葉にできない複雑な思いが胸に渦巻く。
「自分が言いたいことだけ言って立ち去るとか、自己中すぎるんですけど!」
「だ、大丈夫? 恋奏先輩?」
「本当に何と謝罪していいのか。うちの母が空気を読まない最悪の人でごめん。昔からああいう性格の人なの。お父さんに一途すぎて周りが見えてない。いろいろと失礼すぎる発言の数々、娘として謝罪させて。ホントにごめんなさい」
「で、でも、あの人には言う権利はあると思うの」
「だとしても、お母さんのあの態度はないわ」
恋奏は戸惑いながらも事情を何とか整理しようとする。
先ほどの和奏の話が全て真実だとしたら。
「……私のお父さんと信愛ちゃんのお母さんがどういう関係だったか、私には分からない。でも、きっと母の語ったことは真実なんでしょうね」
「シアと先輩は異母姉妹?」
「うん。お母さんは信愛ちゃんがお父さん似てるって言ってたけど、言われてみたら目元とか顔の雰囲気に面影があったりして、納得できることもあるの」
信愛は自分の父親の顔を知らないので何とも言えない。
「ねぇ、先輩の両親って仲がいいの?」
「仲はすごくいいのよ。今でも一緒にお風呂に入ったりするラブラブな人たちだもの。だからこそ、信じられないこともあるわ」
過去の父の裏切りを信じられず、許せない恋奏であった。
「……あのね、恋奏先輩。シアの事は嫌いにならないでほしいな」
恋奏の心境を思えば、信愛の存在はとても微妙なのだ。
どんな事情であれ、自分の存在を否定されることほど悲しいことはない。
不安になる彼女に恋奏も「それはないから」とすぐに否定しておく。
「事情はあるみたいだし、不安になることもあると思う。でもね、信愛ちゃんは信愛ちゃんだもの。私が可愛いキミのことを気に入っている事実は変わらない」
「シアも先輩が気に入ってるよ」
「うん。姉妹だとか、そういう事はおいおい、二人で話し合いましょう」
真実を知り、それを受け止めるということ。
子供である彼女たちには、今は考える時間が必要なのかもしれない。
大人たちが長い時間をかけて心の中で物事を整理し続けてきたように。
「ただ、私たちのお母さん同士はとんでもない事件を過去にやらかしてるってことだけは分かった。かつてスト子と呼ばれた母だもの。何かしらやらかしてると思ってたけどさぁ」
恋奏の嘆き。
ある意味で信愛にとっても、忘れられない文化祭になってしまった――。
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