#05-1 謎の少女
学校が終わり、面倒な事が起こらない内に早く家に帰ろうと思っていた始貴はカノトとつぐみに別れを告げて、足早に教室を出た。
そこまではよかった。
しかし、始貴の不幸体質は彼が望んでいないことをいつだって引き寄せてくるのだ。
家に帰る前に夕飯の買い物をしてから帰ろうと考えた始貴はスーパーで買い物を済ませた後、何故かカラスに襲われた。
突然すぎる襲撃に始貴は驚きながらも紙一重で、猛攻を躱したのだが、彼が手にしていたスーパーの買物袋はカラスに取られてしまう。
袋を
始貴がいくら追いかけようともその距離は縮まるどころか、遠ざかっていく。
流石に無理だと判断して諦めたのは、走りだしてから五分ほど経った後だった。
「……はぁ」
乱れた息を整えながら、溜め息をつく。そこで始貴は気付く。
カラスを追いかけて、周りなど全く気にしていなかったことに。
ここはどこだろうかと周囲を見渡せば、そこが見知った場所であることに安堵の息を吐き出した。
そこは河原だった。
中学生の頃は、通学路だったので毎日のように通っていた場所。そして、週に一度は川に落ちていた場所でもある。
今でも時々通ることがあるが、始貴はあまりこの場所が得意ではなかった。
何故かこの場所に来ると胸が痛くなるのだ。
悲しいような、苦しいような、自分でもよく分からない感情に胸を締め付けられる。
それは二年前にこの場所で発見した少女の遺体に関係あるような気もするが、詳しいことは何も分からなかった。
穏やかに流れている川を一瞥してから、始貴は歩き出す。
自分の心の中に渦巻いているよく分からない感情を振り払うように歩き出す。
周囲は徐々に暗くなってきていた。
完全に日が落ちる前に家に帰ろうと少しだけ速度を早める。
その時――。
彼の耳に届いた爆発音。
その音は以前聞いたことがあるものにそっくりで、始貴は表情を青ざめさせる。咄嗟に状況を確認するように周囲を見渡す。
見晴らしのいい土手は普段ならば犬の散歩やジョギングの人達で賑わっているはずなのに見渡すかぎり、人っ子一人見かけることはなかった。
その状況は以前とあまりにも酷似している。
自然と体が強張っていく。
いつでも逃げられるように足に力を入れる。しかし、警戒する始貴の元にあの時と同じように影が差すことなどない。
(……気のせいか?)
僅かに気を緩めた時だ。
彼の耳に届いたのは、空気を切り裂くような悲鳴。もっとも悲鳴といっても厳密には言葉にはなっていなかった。声にならない叫びとでもいうのだろうか。
声ではない。言葉ではない。けれど、始貴はそれが断末魔だということを自然と理解していた。
再び警戒を強める。
そんな彼の直ぐ傍に突如として、何かが降り注いだ。
地面に落ちたソレは、周囲を赤く染め上げる。
「……血?」
自分でその正体を確認するように言葉を紡ぐと彼は降り注いできたものが何かを認識したようで、目を見開いて上空を見上げた。そして、始貴は見つける。
遥か上空で鳥と間違えてしまいそうな小さな影が無数に浮かんでいるのを。しかし、浮かんでいるものが鳥ではないことぐらい始貴は分かっていた。
徐々に、徐々に、その影が近付いて来る。
大きくなっていくその影達は争っているようで、幾度も空の色を塗り替えていた。
白と黒。
何度もその光が発光を繰り返す。
無数に浮かんでいた影は地上に近付いて来る度にその数を減らしている。
ようやく始貴が浮かんでいる人物達を視認できる距離まで降りてきた時、その数はたったの三人だった。しかし、人数よりも始貴の目を捉えて離さないものがあった。
白の中に混じる黒。
大きな純白の翼とは対称的な漆黒の翼。
彼女が羽ばたくたびに羽音と共に黒い羽が落ちて来る。
――『悪魔』
そんな言葉が始貴の脳裏を過る。
大きな漆黒の翼をはためかせながら、戦っている一人の少女。
その顔には見覚えがあった。
ツインテールの紺色の髪。鋭い紫苑の瞳。
ただ一つ、始貴の知る少女と違うのは、背中にある大きな漆黒の翼だけだろうか。
少女は始貴に気付いていないようで、二人の天使と対峙している。
少女の体は既に傷だらけだ。おそらく、先程落ちてきた血は彼女のものだろう。けれど、少女は天使と戦うことを止めない。
天使の一人が少女に向かって、光を放つ。彼女はふらつきながらもそれを避ける。だが、避けた先にいたもう一人の天使が手にしていた剣を少女に向かって振り下ろした。
「あ……」
始貴が言えたのはそれだけだ。彼は何も出来ずに成り行きを見守るだけ。
天使の剣が少女の肩へと食い込んだ。
「くぅ……」
少女は痛みに表情を歪めるが、天使を睨みつける瞳から光は消えない。彼女の爪が伸びる。
その事に天使が気付いた時にはもう遅い。
少女に剣を振り下ろしたことにより、がら空きの体を少女の爪が一閃した。腰を真っ二つに切り裂かれ、天使の体は地面に落ちることなく霧散する。
少女は自らの肩に刺さっていた剣を引き抜くと、振り向きざまにその剣を振るう。その剣先は少女に襲いかかろうとしていた残りの天使の首を
周囲が、少女が、赤く染まる。けれど、それも一瞬だけで、首と胴体が切り離された天使の体が霧散すると共に飛び散った血も最初からなかったように消えた。
いくら跡形もなく消えたとはいえ、始貴はしっかりと見てしまっていた。
胴体が切り裂かれるのを。首が刎ねられるのを。
不意に空中に浮かんでいた少女の体が揺らぎ、彼女の背中から生えていた漆黒の翼が音もなく消えさる。支えを失った体は重力に従い落下する。
少女が地面に落下すると、彼女の周囲が赤く染まっていく。
一瞬、死んでしまったのではないかと不安になる。しかし、小さく上下している体が彼女がまだ生きているのだということを示していた。
本来ならば、始貴は少女に見つからない内に立ち去るのが正解だった。
彼は厄介事になど巻き込まれたくはないのだ。少しでも首を突っ込んだら最後。
彼の不幸体質が嬉々として押し寄せてくる。自分が動いて、良い方向に転がっていったことなどない。だから、いますぐにここから立ち去るべきなのだ。
たとえ目の前で見知らぬ少女が血を流していようと。
たとえ目の前で見知らぬ少女が息絶えそうになっていたとしても。
彼は立ち去るべきだ。
おそらく始貴が関わる事で彼女に不幸が襲いかかる。彼女の為にも一刻も早くここから立ち去るべきなのだ。
始貴がいなくなれば、運良く誰かが彼女のことを助けてくれるかもしれない。
何度も自分に言い聞かせて、始貴は一歩後ずさろうとする。しかし、出来なかった。
(……このまま、彼女のことを放っておいていいのか? 俺が関わらなくても、このままでは助からないかも。けど、俺がいま関わることで助かる可能性もある。でも、俺が関わる事で、彼女が助かる可能性をがなくなるかもしれない)
悩んで、悩んで、いくら悩んだところで答えは出なかった。
思考の迷路に閉じ込められた始貴は、浅い呼吸を繰り返す少女の顔を見る。
どこか懐かしさを覚える少女の顔。
このまま放っておくなんてこと、出来なかった。
「……とりあえず、救急車か。えっと……」
諦めたように溜め息をついてから始貴は動き出す。
目の前で死にかけている少女を助ける為に。目の前の少女と関わる為に。
鞄から携帯端末を取り出して、操作する。
番号を打ち込み、電話を掛ける。しかし、繋がらない。コール音すらしないから本当にかかっているのか疑わしくなって画面を見ると通話中と表示されている。その後、何度か試してみたが、結果は同じだ。
仕方なく辺りを見渡して人を探す。けれど、見晴らしのいい土手には人っ子一人いない。
これも始貴の不幸体質のせいなのか、それとも何か別の力でも働いているのか、はたまたただの偶然か。答えは分からない。しかし、そんなことはどうでも良かった。
始貴は倒れている少女に歩み寄る。
「おい、大丈夫か?」
血を流して地面に倒れている人に向かって、大丈夫も何もないだろう。けれど、始貴はそんなありきたりな言葉しか思いつかなかったのだ。
浅い呼吸を繰り返していた少女は始貴の声に反応して、ゆっくりと瞼を上げた。
紫苑の瞳が始貴を映し出す。
「…………し……き?」
「意識はあるか。それなら、とりあえず止血か?」
止血といっても周囲には長い布などない。鞄の中を漁ってみても布代わりになりそうなものはなかった。
どうしたものか、と悩む始貴。
不意にそんな彼の耳に声が届いた。
「どうかしたのかい?」
「え?」
目の前の少女とは違う男の声に驚いて、始貴は顔を上げる。彼の視界に飛び込んできたのは一人の少年だった。
無造作に飛び跳ねた茶髪に見る者の心を落ち着かせる翡翠の瞳。
始貴と同じ櫂苑高校制服を身に纏った少年の顔は見覚えがあった。
(……確か)
「生徒、会長?」
自然とこぼれ落ちた言葉に目の前の少年は肯定するように頷いた。
何故、彼がここにいるのだろうか。
先程まで、人っ子一人いなかった土手にいつのまにか現れた人物に始貴は驚きを隠せなかった。
硬直する始貴を一瞥してから、生徒会長は倒れている少女に視線を向ける。
「……君は、どうしたい?」
倒れている血まみれの少女を見たというのにひどく落ち着いた様子で、彼はそう言った。
その言葉は硬直していた始貴に向けられたもので始貴は我に返る。
「この子を助けたい……です」
自然とそう言っていた。
何故、生徒会長がここにいるのか。
何故、彼がこんなに落ち着いた様子なのか。
何故、彼がそんな事を聞くのか。
何も分からなかったが、そんな疑問すらどうでもいいと思えてしまうほど、彼の纏う雰囲気が始貴に本心をさらけださせた。
始貴の言葉に生徒会長は静かに微笑む。
「そう。……それなら、これをあげるよ」
差し出されたのは包帯。
目を丸くする始貴に彼は穏やかな笑みを絶やすことなく、少女を一瞥する。
「止血しないと危ないと思うよ。それと、救急車なんだけど、三丁目の方で、大規模な事故が起こったようだから、暫く来ないと思う」
「そう、なのか?」
「うん。その子も見たところ、そう簡単には死にそうにないから。とりあえず、止血して、安静に寝かせておけば回復するよ」
何か根拠があるのだろうか。
やけにはっきりと告げた生徒会長。
普通ならば、その言葉を怪しく思うのだが、何故か彼がそういうならばそうなのだろうと自然と納得してしまうような不思議な説得力があった。
「それじゃあ、ボクはもう行くよ」
「え、あ、ありがとう、ございます。生徒会長」
始貴に包帯を手渡すとそのまま彼の横を通りすぎて歩き出す。その背中に始貴がお礼を言えば、彼は歩む足を止めずに肩越しに振り返る。
「……ボクは、
それだけ言うと、生徒会長――久遠終はもう振り返ることなく歩き出す。
何故あのタイミングで彼が名乗ったのか始貴には分からなかったが、手にした包帯を見て、慌てて少女の止血を始めたのだった。
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