#04-3 共にいられる幸福


 翌日、学校に来た始貴が耳にしたのは先日つぐみを虐めていた女子生徒達が交通事故に遭ったという話だった。

 その話を聞いた瞬間、始貴の全身から血の気が引いていく。


(……俺の、せい?)


 あの日、つぐみが殴られた時、始貴は確かに彼女達に怒りを抱いてしまった。だが、それも一瞬だけで、そんな短い時間に強い感情を向けた相手に不幸が降りかかる事など今迄なかったと思う。


 ただの偶然だと思いたい。しかし、それにしては奇妙な事故すぎるのだ。

 つぐみを虐めていた三人の女生徒達は、全く同じ時刻に全く別の場所で同時に事故に巻き込まれた。

 その事故により、一人の生徒は亡くなり、二人の生徒は意識不明の重体。


 不幸な偶然だと思えないほど薄気味悪い事故。まるで、何かの力が作用したのではないかと思ってしまう程だ。

 学校中の誰もが口には出さずとも思っていた。

 三人の女生徒は『木野枝始貴』に関わったから、事故に遭ったのではないかと。


 普通ならば、そんな馬鹿なと一笑される程、馬鹿馬鹿しい思い込み。けれど、今迄始貴に関わってきた全ての人間の末路を噂で知っている人達からすれば、明日は我が身ではないかと疑ってしまうほどの恐怖心を植え付けられる。

 そして、始貴もまた自分のせいではないと言える程の確信を持っていなかった。

 本当にただの偶然かもしれない。けれど、偶然ではなく始貴と関わった事による結果かもしれない。

 そんな答えを知るものなど、一人もいなかった。


 生徒達はより一層、始貴に恐怖する。

 始貴と関わる事を恐怖する。

 始貴に積極的に関わろうとするつぐみとカノトに恐怖する。

 彼女達と関われば、巡り巡って自分達が巻き込まれるのではないかと恐怖する。


 その結果、始貴だけではなく、つぐみとカノトまでもが生徒達に避けられるようになってしまった。

 教室に入った……否、学校に足を踏み入れた時から、気付いていた違和感。

 自分のせいで、つぐみ達までもが避けられる事に始貴は後悔する。

 こんな不幸の降りかかり方まであるのかと後悔する。


 人に避けられるというのは思っているよりも心が痛むのだ。

 拒絶されているような気がして、存在を否定されているような気分になる。

 人間とは誰かに認められたいと思う生き物だ。

 それは家族や友人や恋人。人によって違うだろうけれど、誰か一人にでも自分の存在を認めてもらえないと生きている実感が持てないのだ。

 一人でも生きていける。そんなのは強がり以外の何物でもない。


 本当に誰とも繋がる事をせず、誰にも認められず、誰にも見てもらえずに生きていける人がいれば、それは最早人間と呼ぶ事すら出来ないだろう。

 人は誰かと関わる事で、感情を知る。

 喜び。怒り。悲しみ。様々な感情を知って、人は成長していくのだ。


 それを始貴はよく知っている。

 今迄、彼の周りで起こってきた色んな不幸に始貴は何度も一人で生きていこうと決めた。けれど、結局は孤独に耐え切れない。

 木野枝始貴は孤独の恐怖を誰よりも知っている。だからこそ、彼はつぐみ達が自分と同じような境遇になってしまった事に後悔する。

 昨夜、つぐみに一緒にいてほしいと言ってしまった結果がこれだというのならば、始貴は何も出来ない。

 これ以上を望んで前に進む事も、一人で生きて孤独の恐怖に苛まれる事も、どちらも選べない。


「しーきー君!」

「っ!?」


 突然、背後から肩を叩かれて、始貴は大きく肩を揺らして、現実に引き戻される。


「……?」


 視界が急に鮮明になって、始貴は自分がどこにいるかを理解する。

 一週間ほど前に始貴が落ちかけた学校の屋上だった。

 何故、自分がこんな所にいるのか分からずに思考を記憶の海に沈ませる。


(……確か、学校に来て……あの人達の話を聞いて、瀬乃さん達が避けられているのを見て……)


 徐々に記憶が蘇ってきて、始貴は何故自分がここにいるのかを理解する。

 逃げたのだ。

 教室に入る事も出来ず、つぐみ達に会う事も出来ず、逃げ出したのだ。

 屋上に逃げてきた始貴は自分の殻に閉じこもっていた。

 そんな始貴を現実に引き戻した声の主は相変わらずニコニコと笑顔を浮かべている。その隣には優しい笑顔の少女がいる。


「……カノト」

「どうしたの? 幽霊でも見たような顔しちゃってさ」

「……瀬乃さん」

「はい。どうしましたか?」


 彼女達の態度はいつもと何も変わらない。

 いつもと変わらない笑顔で、そこにいる。


「……どう、して……?」

「約束しましたから。一緒にいるって」


 答えたのはつぐみだ。

 彼女は嬉しそうに笑っている。

 その答えに始貴の中に熱いものがこみ上げてくる。


「ボクは面白そうな気配がしたからねー」


 その答えはあまりにもカノトらしい言葉だった。

 自然と笑いがこみ上げてくる。

 自分のせいで彼等を巻き込んだというのに何も変わらない彼女達が嬉しかった。

 優しく笑うつぐみ。

 ニヤニヤと笑うカノト。


「…………馬鹿、じゃないのか?」

「え?」

「あ、始貴君酷い!」

「俺のせいで皆から避けられたっていうのに、なんで責めないんだよ?」


 いつもと何ら変わりない彼女達を嬉しく思う反面、始貴は怖くなった。

 あまりにも優しすぎる彼女達に甘えてしまいそうで、怖くなった。

 二人は始貴の言葉に目を丸くさせて、お互いに視線を重ねあう。そして――。


「……ぷっ」

「……ふふ」


 同時に笑いだした。

 何故笑われたのか分からずに始貴は目を丸くする。


「し、始貴君って本当に、ば、馬鹿だよね」

「は?」


 カノトの言葉の意味が分からずに始貴は助けを求めるようにつぐみに視線を移す。

 つぐみはクスクスと笑いながら、優しい眼差しで始貴を見てくる。


「私達、そんな事、気にしていませんよ?」

「え?」

「元々、始貴君達以外の人となんて話さないし、別に避けられようが拒絶されようが興味ないけど」

「他の人達と話せても木野枝君と話す事が出来ないなら、私は木野枝君と話せて他の人と話せない方がずっといいです」


 今度こそ、始貴は何も言えなくなった。

 今にも泣き出しそうなほど表情を歪めて、それでも必死で涙を堪えていた。


「あはは、ブッサイクな顔」

「白露君! だ、大丈夫ですよ! 木野枝君は格好良いですよ!」

「えー? 瀬乃さんってば、大胆な事言うんだねえ?」

「え? あ、えっと、ち、違います!」

「あれ? やっぱり始貴君はブサイク?」

「違います! 木野枝君は格好良いんですけど、そうじゃなくて……えっと、その……」

「えー?」

「も、もう! からかわないでください!」


 目の前で繰り広げられるやりとりに笑いがこみ上げてくる。

 自然と笑っていた。

 始貴の笑い声に言い合っていた二人は目を丸くさせて、それから二人も笑い出す。

 ひとしきり笑いあった後、始貴はある事に気付いて口を開いた。


「そういえば、二人はなんでここに?」

「木野枝君が教室に入ろうとしませんでしたから、探しに来たんです」

「ま、お陰で授業サボれたしねー」

「え!?」


 カノトの言葉に始貴は慌てて自らの腕時計を見やる。

 時刻は十時半。通常ならば、三時間目の授業の真っ只中だ。


「ご、ごめん。二人共」

「気にしないでください」

「そうそう! サボる口実が出来てラッキーだったよ」

「けど……」

「木野枝君」


 納得いかない始貴だが、つぐみに名を呼ばれて顔を上げる。

 視線の先には嬉しそうに笑うつぐみがいる。


「謝罪なんて必要ありませんよ」

「こういう時は、謝罪よりも言うべき事があると思うなー」


 ニヤニヤと楽しそうに笑うカノトの言葉に始貴は考える。そして、脳裏が導き出した答えを素直に口にした。


「……ありがとう」

『どういたしまして』


 二人は全く同じタイミングで、同じ言葉を口にしたのだった。

 声を揃えた二人はお互いに視線を重ねて、それから笑い出す。

 二人の友人の笑顔を見ていると始貴も自然と頬が緩み、気付いたら三人で笑い合っていた。

 和やかな雰囲気が屋上に流れる。しかし、それも次の瞬間、あっさりと壊された。


「木野枝ー! 白露ー! 瀬乃ー! ここかーっ!?」


 扉が壊れるのではないかと思えるほど、勢い良く屋上の扉を開いて現れた五十貝によって……。

 怒気を孕んだ声にビクリと体を震わせたのは始貴とつぐみの二人だけだった。カノトは、驚いた素振りもなくニコニコと笑いながら、五十貝に視線を移す。


「あれ、五十貝先生じゃないですか? どうかしたんですか?」

「どうかしたじゃないだろ! 俺の目が黒い内はサボりなんて許さんからな! よりによって、三人でサボりやがって! 青春か! 青春なのか!?」

「ご、ごめんなさい」

「ちがっ! せ、瀬乃さんもカノトも悪くない! ……です」


 五十貝の剣幕に気圧されたつぐみが体を縮こませて謝罪すると、始貴が咄嗟に彼女を庇うように一歩、前に出る。

 珍しく声を張った始貴に五十貝だけではなく、カノトまで目を丸くさせて始貴を見る。二人の視線に居心地が悪くなったのか、始貴は先程の勢いを失い、俯いてしまう。


「……なにかあったのか?」

「え?」


 先程の怒気を孕んだ声ではなく、落ち着いた声に驚いて、顔を上げる。そして、飛び込んできたのは心配そうに眉を下げた教師の顔だ。

 まさかそんな顔をされるなんて思っていなかった始貴は驚きで言葉を失う。


 何も言わない始貴に五十貝は笑う。

 ただでさえ幼い顔立ちなのに笑うと更に幼く見える。五十貝は笑顔のまま、始貴の頭を乱暴に撫でる。もっとも、身長は始貴の方が十センチほど高いので、背伸びした状態でだが。

 プルプルと震えながら、必死で背伸びしながら始貴の頭を撫でる様子を見たカノトが思いきり吹き出したが、それでも彼は撫でる手を止めなかった。


 教師に頭を撫でられるという状況に始貴は訳も分からず目を白黒にして、なすがままになっていた。

 ひとしきり撫でて気が済んだのか、背伸びすることを止めた五十貝は呆然としている始貴を真っ直ぐ見つめる。


「いいか、木野枝」

「は、はい」

「お前はまだ子どもだ」

「はぁ」

「子どもは大人を頼っていいんだぞ?」

「っ!」


 そんな言葉を掛けられるなんて思わなかった。

 五十貝は相変わらず笑っている。

 幼い笑顔……それなのに、どこか安心する笑顔だった。


「ま、何があったかは無理に聞かないさ。とりあえず、元気なら授業はちゃんと出ろよ」

「……は、い」


 始貴が答えられたのはそれだけだ。

 最近、恵まれ過ぎではないか?

 傍にいたいと言ってくれる人達がいて。

 頼っていいと言ってくれる大人がいる。

 それはどんなに幸せなことなのだろうか。

 欲しくて、欲しくて堪らなくて、けれど絶対に手に入らないと諦めていたもの。それが、いま目の前にあった。

 いまにも泣いてしまいそうなほど、表情を歪めた始貴に五十貝は優しく笑うと肩を竦めて、そのまま屋上を出て行った。


「背は低いけど、器は大きい人だねー」

「ふふ、そうですね」


 五十貝が出て行った扉を見つめながら、カノト達がそんな事を言ったのだった。

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